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フリードリヒ・ハイエクと自由主義

『哲学と対決する!』より

--彼の大規模な社会計画に対する批判がどのようなものか大まかに説明していただけますか?

 C:そうですね、ハイエクはオーストリアの経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの重要な洞察を足がかりにしました。ミーゼスは一九二〇年に『社会主義』と呼ばれるきわめて貴重な本を書いて出版した人物です。その本の中で、ミーゼスは社会主義の経済では、経済計画を立てるのは不可能であることを示そうとしました。市場価格というものがないため、どれだけ生産したらいいかを正確に生産者に告げるシグナルがないからです。何が必要とされ、どんな需要があるのかを知らせてくれるフィードバックのメカニズムが働かないのです。

 ハイエクはこの考えをさらに推し進め、情報の質の問題がもっと重要であることを示そうとしました。どのような情報が出回っているかのかすかな手がかりすらつかめないのが問題だったのです。テクノロジーがそのような計画にまつわる問題を解決してくれるだろうと多くの社会主義者は主張しました。どんどん強力になるコンピュータが、人々の好みや需要、生産資源などに関する情報に接続し、社会の資源を配分する最善の方法をどうにかして見出すのを可能にするだろうと考えたのです。

 ハイエクが示そうとしたのは、情報は散乱してしまっているので集めてコンピュータに入力するのは難しいということだけではなく、単に制度から独立して存在しているものではないということでした。情報は四六時中、生み出されては消えていくものです。多くの情報はつかのまに消え去っていきます。トラックのオーナーであるあなたは、配達しようとしていた品物を持っているはずの人物がその品物を持っていないことに突然気づくかもしれません。空のトラックを走らせるのを避けるため、クレイグスリスト(インターネット上の掲示板)に「バーミンガム行きの空のトラックがあります。何でも運びます」という告知を載せたとしましょう。この情報は約二時間で消滅します。あなたはそれを収集することはできません。不可能なのです。それが市場の働く仕組みだとハイエクは考えます。人々は絶えず自発的に自分たちの活動を協調させようとします。それがもっともダイナミックな市場のあり方だとハイエクは考えました。計画はそうした要素を抑え、全員に不利益をもたらします。あなたにできるのは良い制度を作る計画を練ることだと彼は考えました。だけど、人々の交流結果はコントロールできないと考えました。

--では、良い制度は何を生み出すのですか? リベラルな思想家から期待しうるような自由を生み出すのですか? 平等性や正義を生み出すのですか? 私たちが目指す良い結果とはどんなものでしょう?

 C:簡単に言えば、何か二つというのではありません。良い政府を持てば、自由がある社会、正義が行われる社会を持てるようになります。また、繁栄するだけではなく、平等が行き渡るよう人々の目的が調整される社会が実現します。平等性はハイエクにとってとても重要です。けれども、彼の場合、経済的な成果の平等性というより法の前の平等を、自由主義のもっとも大切な業績と考えます。

 ハイエクやほとんどの自由主義者が懸念することの一つは、自由主義社会、さらに言えば市場社会が生み出すことになっているたった二つの理想もしくは理想の束があるとする考えです。私たちが多くの異なった目的を持ち、さまざまな価値観を持っているとするなら、問題なのは、いかにして私たちの行動を協調させるかです。

--彼は法律にどんな役割を割り当てているのですか?

 C:法律は人々の関係をスムーズにするためにあります。私たちはさまざまな目的や目標を持ち、さまざまな願望を持っています。それゆえ、衝突することもありえます。だから法律があるのです。問題は仲良くする方法をいかにして見出すかです。法律は、市場が経済的目的の調整を可能にするメカニズムであるように、それを可能にするメカニズムです。

--市場が実際に結果の深刻な不平等を生み出す可能性があるという事実に関し、ハイエクは何と言うでしょう?

 C:概して、彼は分配の結果にはさして関心を持っていません。事実、特定の結果を操作するのは危険だと考えるのです。けれども市場の結果が二部の人にとって極貧を意味しうることに関心を持っていました。彼は社会主義や福祉国家を批判したにもかかわらず、全体として見れば、人々が一定の生活水準以下にならないよう、また、市場の恩恵を受けられなかった人たちが困窮しないように最低限の保証をする生活保護のような制度を擁護しました。

--それでは、ハイエクを保守派の思想家と決めつけ、マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンの味方とみなすのは少々お角違いだと言ってよろしいでしょうか?

 C:そうですね。その二人のリーダー自身、ハイエクの考えに興味を持ち、共感しました。しかし、彼らが彼のところにやってきたのはすでにそれらの考え方に共感していたからです。でも、彼が実際に彼らにどの程度影響を及ぼしたかは別問題です。むろん政治家は自分の目的に合いそうな考え方をつねに選びます。先に挙げた二人の人物は自分の政治課題を持っていて、ハイエクの考えが自分たちの目的に合っていたため、彼に近づいたのでしょう。ハイエクは喜んで受け入れました。でも、彼らが賛成しなかった問題もあります。たとえば、サッチャーはハイエクよりはるかに保守的でした。

--あなたのお話を聞いていると、あなたがハイエクに共感していないと信じるのは難しいです。あなたはハイエク信者なんですか?

 C:私はハイエクの考えにとても共感を抱いていますが、初めてハイエクの話を聞いた時のことをいつも思い出すんです。私はオックスフォードの学生だったんですが、ハイエクを主賓として招く夕食会が催されたんです。こぢんまりした中華料理店でした。会が終わりに近づいた頃、誰かが立ち上がり、ハイエク教授に乾杯をしました。もちろん、ハイエクはそれに応じなければなりませんでした。彼はしぶしぶ立ち上がりました。当時すでに八十代になっていましたので、その種の経験をたくさんしていたんだと思います。彼はどうもありがとうと言い、感謝の言葉を述べました。そして、あることを言いました。この世からハイエク信者がいなくなることを望むということです。なぜなら、弟子はつねに師よりも劣るからです。マルクス主義者はマルクスよりはるかに劣っていましたし、ケインズ主義者はケインズよりはるかに劣っていました。ですから、ハイエク信者がいなくなることを本気で望んだのです。そのことを念頭に置くと、私自身をハイエク信者と呼ぶのはためらわれますが、彼の考えに著しい影響を受けたのは間違いありません。
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