goo

Facebook、Twitter、Wikipedia

『拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう』より 共有財産としての図書館

2011年にエジプト、チュニジア、アラブ諸国で起きた反政府デモは、『フォーカス』誌の表紙を飾りネットマニアを活気づけた。「人間の大群」という表題のもと、「無数の人がウェブ上でつながり、超-個人を生み出す。音速で思考しコミュニケーションを図る集団は、総理大臣であろうとたった今解雇された労働者であろうと同時に到達でき、世界各地で起きていることを人々にライブで見せて説得する」と主張している。

なにもこれは新しい発想ではない。1880年、大衆誌『サイエンティフィック・アメリカン』には、「あちらこちらに散らばる文明共同体の一人一人が、電話通信により四肢に通う神経組織のように結びつく時代がすぐそこまで来ている」と書かれている。その80年後、マクルーハンは「今日、私たちは中枢神経を地球規模のクモの巣のように拡張し、この地球上から空間も時間も廃止させた」と書いた{。

テクノロジー賛美者のもう一人の代表者、ジュゼッペ・グラニエーリは「2011年のデジタル世界は2006年の10倍以上になると見込まれる。(・・・)ネットワークにはさらなる人が関わり、つながり、環境はさらに強力なインターフェイスと装置(おそらくより感覚的な)で整備されることだろう。さまざまな学問の研究が示すように、(…)私たちは今後、これまでの均衡が変質し追求されるのを目撃するだろう。そしてそれは政治から経済、製品としての文化、共有価値としての文化まで、あらゆる分野で起こるだろう」。すでに2011年は過ぎた。しかし世界は2006年と大きく変わったようには思われない。ただし、2007年からの経済危機を引き金とした何百万という人々の生活・労働条件の明らかな悪化を除いては。社会構造、習慣、権力関係を度外視するテクノロジーの楽観主義は、結局のところ例外なく事実によって反証されるのである。

『フォーカス』の記者は「どのように」集団が集い、「いつ」こうした集団が力を発揮するかについて問題提起をしていない。残念なことに、ショートメッセージがデモの呼びかけに有効だとしても、そのデモの目的が正当かどうか、正しい時に行われるかどうか、効果をもたらすかどうかを保証するものは何もない。「それでこの先どうなるのだろうか?」とジグムント・バウマンは問う。

「エジプト人やチュニジア人は、未来について考えはあるのだろうか?」と。TwitterやFacebookは、リビアのカダフィ政権を倒すのに半年間のNATO軍による爆撃を必要とし、エジプト・タハリール広場の「人間の大群」は、旧政権組織の抵抗により阻まれ、真の民主化に向かうのに苦労している。複雑な議論には、共有された政治文化から形成される公共圏が必要とされ、その公共圏は機能するものでなければならないだろう。自由平等の概念をWikipediaで学ぶことはできない。政治思想の古典を理解し、適切な方法で表明し意見交換することで、はじめて歩みを進めることができるのである。

Linuxの無料オペレーションシステムとともに、10年間でWikipediaは人々の協力という他に例を見ない可能性を示し、クリス・アンダーソンがマスのボランティアと趣味が交錯するすばらしい現象と定義するものの象徴となった。「私たちは新時代の幕開けに立っている。それはあらゆる分野の生産者の大部分に賃金が支払われない時代である。生産者とその脇役の主な違いは、仕事に対する野心を拡張するために投入できる資金の差(これも縮まりつつある)である。生産するのに必要な道具をどんな人でも使えるようになった時、すべての人間が生産者になる」

しかしながら、生産者の大部分に賃金が支払われない「新時代」は、近年どうやらいくつかの困難に直面しているようである。そのうちの一つとして、まずWikipediaは真にマスの現象になったことはない。「生産者の大部分」を巻き込むどころか、数多くのシンパではなくごく少数の本物のマニアによって支えられていた。スペイン語版では90%の編集が8%程の積極的な利用者によって行われている。はるかに利用度の高い英語版では75%の編集が2%、つまり1500人により行われ、半分の編集は利用者の〇・7%、つまり524人によって行われている。

これが意味するのは、当初からWikipediaは逆さまのピラミッド式に機能してきたということである。世界中を夢中にさせ巻き込む術を心得てはいたが、実際はわずかな人を基に成り立っている。つまり、かなり脆いということになる。2011年には若いネットマニアも年をとることが判明し、家賃を払ったり、家族を養うための仕事を見つけなければならず、ITボランティアは二の次となった。ジミー・ウェールズ自身、2011年8月イスラエルのハイファで行われたWikimaniaの会議でそのように発表し、危機を認めている。つまりWikipediaが充分に更新されなくなったのは、その協力者の中核が失われつつあるからなのである。

ウェールズは、Wikipediaの成功を決定づけた若者の世代は成熟し、別の活動や興味に向かうようになったので、新たな世代の活動サポーター、とりわけ女性のサポーターが必要だろうと述べた。というのもこれまでWikipediaは男性(平均年齢は26歳)からのクリックに限られてきたからである。トスカーナ州の興味深い試みに、州の図書館員に協力を呼びかけ、記事の質の向上を図るとともに、参加者の質をより安定させようとしたものがある。しかし、意義ある発展があったかどうかを言うにはまだ時期尚早だろう。

Wikipediaは今後、もう一度成功するかもしれない、しかし同時に新しさの魅力はすでに消耗され、協力という流行は廃れてしまうかもしれない。もしそうであればWikipediaの場合だけでなく、新しい経験が与えられる共同体に属しているという喜びから生まれる無償の仕事という哲学そのものが、危機に陥ることになるだろう。報酬のある仕事を探さなければならない(日々困難になりつつある)社会構造の「重さ」は、資本主義と無償の経済を両立させるのがいかに難しいことかを示している。

Wikipedia の凋落が確実であるとするなら、それは重要な教訓になるだろう。つまり、「制度化された」組織だけが長期的に生き延びるということである。熱狂や流行、ボランティアを基礎にした実験のサイクルはかなり短命である。そうであるなら、今から280年程前の1731年に、ベンジャミン・フランクリンが初めて本の貸出を目的としたフィラデルフィア図書館会社を創設した頃と同じように、今日も図書館は必要とされていると考えられる。その理由は、フランクリンが図書館創設から数十年後に行った考察にある。「これらの図書館は、商人や農民をごく普通のインテリにし、アメリカ人の国論の質を向上させ、おそらく植民地で彼らの権利を擁護する際、その立場を表明するのに何らかの貢献をしたのである」。

これを言い換えると、もし植民地で当時のヨーロッパでは考えられない程の高い識字率に達していなかったとしたら、アメリカ革命は起こらなかったかもしれないということである。読む力や、食堂、広場、教会で議論する力が政治状況を変え、イギリスにアメリカの独立を受け入れさせた。100年後、アンドリュー・カーネギーは個人資産でアメリカ全土に図書館を建設し、今日でもなおピッツバーグの「パブリック・ライブラリー」の正面玄関には、「Face to the people」と誇り高くも刻まれている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« みんなの図書... 政治体の必要... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。