未唯への手紙
未唯への手紙
原子力ルネサンスの虚像
『原発・放射能・クライシス』より
増え続けるプルトニウムと使用済み核燃料。先の見えないバックエンド政策。どうやっても動かない高速増殖炉。ようやく2009年に稼働したプルサーマル計画も、この福島第一原発事故で、先行き不透明だ。
これから先、「原発は安全、プルサーマルは安全」というPRは、少なくとも日本で、どれはどの説得力を持つだろうか。シビアアクシデントの確率を、電子顕微鏡で見るような小さなものにしてしまった確率論的な手法が、その前提から信頼を失ったことは事実だろう。
たしかに事故が起こってしまったいま、「原子力災害は起こらない」というロジックは崩壊した。脱原発の嵐はすでに全国を覆っている。
だが、アメリカの元大統領候補で消費者運動を推進してきたラルフ・ネーダー氏は、福島第一原発の事故後の3月18日、ニューョークにある非営利放送局『デモクラシー・ナウ』の番組でこう忠告した。
「それでも原発産業は、簡単には退散しない。黙ってみているのではなく確実に息の根をとめるように行動せよ。監視すべき原子力規制委員会が、原発の応援団となっているため、市民には、本当のリスクもコストも知らされない。どこの国でも、この業界はよく似ている」
トリウム発電とは、トリウム熔融塩炉のこと。そのメリットとして、固体燃料を「溶融塩」という液体燃料に変えることができ、核拡散に関して懸念されるプルトニウムを排除できる上、小型化が可能、という点などがこれまで主張されてきた。核燃料の取りかえが不要で、炉内で燃料を自給自足でき、有害な放射性廃棄物の発生が少ないという、いわば夢の原子炉でもある。
だが、京都大学原子炉実験所の小出氏は反論する。
「技術的には軽水炉が一番シンプルなわけで、一番やりやすかったからここまで来た。トリウムなど、もう、やる価値もないということで、打ち捨てられてきたわけであって、今ごろ、トリウムが未来の救済装置のようなことを言ったとしても、そんなことは実現できるはずもない」
ちなみに東芝の傘下にあるウエスチングハウスは、トリウムパワー社(燃料)と提携しており、このトリウムパワー社は、兵器に転用可能なプルトニウムをトリウム熔融塩炉で燃焼させて処理する方法を、ロシアの研究者と組んで長く研究してきたことが知られている。
だが、神田氏は、原子力政策は進めるべきとしながらも、業界では、廃炉ビジネスにシフトしてきていることを認めた。
「廃炉についてはゼネコンが一生懸命だ。彼らはいま、すごい勢いで勉強会をやっている。廃炉がこれからは稼げる、原子力より廃炉をやるべきだと真面目に言っているので、正直、驚いてしまった」
福島第一原発では、すでに廃炉が決まった。東芝は、4基の廃炉案を東電と経産省に提出した。30年かかると言われる廃炉を東芝案は10年半で可能と意気込んだ。
だが、放射能も止まらない状況で、廃炉で稼ごう、というのも節操のない話である。
福島第一原発では、報道こそ小さくなっているものの調子はまったくよくない。水棺はうまくいっておらず溶融した燃料であるデブリが圧力容器の底に穴を開ける危険性もある。放射線量は減り水温も下がってきたというが、放射能汚染による国民の不安を拭いきれない。何より、食品の汚染は、生産業者を追い込んでいく。そして、強制的に退去させられた住民たちは生活もままならない状態だ。しかも賠償問題への対応はきわめて遅い。 このことが、日本の原子力ルネサンスに、すでに大きな影を落としはじめている。
原子力委員会は4月5日、福島の事故を受けて、国の原子力利用の長期計画をまとめた「原子力政策人綱」の改定作業を中断するという異例の発表を行うはめになった。温暖化対策としての、原発推進のエネルギー政策の方向性はかなり大きく変わると見られている。
エンジニアや学者、関連する企業の人たちに原発について話を聞いてまわったこの取材で、わずかながら見えてきたものがある。
それは、東芝をはじめとした原子炉メーカーや電力会社は、安全に関わる部分でかなりグレーなやり方をしてきたのではないかということだ。つまり安全を売り物とした安全の軽視である。放射能汚染の起きるメルトダウンを、決して起きないものとして規制を緩和させてきたことについては、もっと責任が追求されるべきだろう。これから日本では、健康と生命のリスクを背負ってまで原発を支持したいという人は、より少なくなっていくに違いないという予感がある。原子力ルネサンスとは、安全を最優先しているという虚構の上に築かれた危険な代物ではないのか。
増え続けるプルトニウムと使用済み核燃料。先の見えないバックエンド政策。どうやっても動かない高速増殖炉。ようやく2009年に稼働したプルサーマル計画も、この福島第一原発事故で、先行き不透明だ。
これから先、「原発は安全、プルサーマルは安全」というPRは、少なくとも日本で、どれはどの説得力を持つだろうか。シビアアクシデントの確率を、電子顕微鏡で見るような小さなものにしてしまった確率論的な手法が、その前提から信頼を失ったことは事実だろう。
たしかに事故が起こってしまったいま、「原子力災害は起こらない」というロジックは崩壊した。脱原発の嵐はすでに全国を覆っている。
だが、アメリカの元大統領候補で消費者運動を推進してきたラルフ・ネーダー氏は、福島第一原発の事故後の3月18日、ニューョークにある非営利放送局『デモクラシー・ナウ』の番組でこう忠告した。
「それでも原発産業は、簡単には退散しない。黙ってみているのではなく確実に息の根をとめるように行動せよ。監視すべき原子力規制委員会が、原発の応援団となっているため、市民には、本当のリスクもコストも知らされない。どこの国でも、この業界はよく似ている」
トリウム発電とは、トリウム熔融塩炉のこと。そのメリットとして、固体燃料を「溶融塩」という液体燃料に変えることができ、核拡散に関して懸念されるプルトニウムを排除できる上、小型化が可能、という点などがこれまで主張されてきた。核燃料の取りかえが不要で、炉内で燃料を自給自足でき、有害な放射性廃棄物の発生が少ないという、いわば夢の原子炉でもある。
だが、京都大学原子炉実験所の小出氏は反論する。
「技術的には軽水炉が一番シンプルなわけで、一番やりやすかったからここまで来た。トリウムなど、もう、やる価値もないということで、打ち捨てられてきたわけであって、今ごろ、トリウムが未来の救済装置のようなことを言ったとしても、そんなことは実現できるはずもない」
ちなみに東芝の傘下にあるウエスチングハウスは、トリウムパワー社(燃料)と提携しており、このトリウムパワー社は、兵器に転用可能なプルトニウムをトリウム熔融塩炉で燃焼させて処理する方法を、ロシアの研究者と組んで長く研究してきたことが知られている。
だが、神田氏は、原子力政策は進めるべきとしながらも、業界では、廃炉ビジネスにシフトしてきていることを認めた。
「廃炉についてはゼネコンが一生懸命だ。彼らはいま、すごい勢いで勉強会をやっている。廃炉がこれからは稼げる、原子力より廃炉をやるべきだと真面目に言っているので、正直、驚いてしまった」
福島第一原発では、すでに廃炉が決まった。東芝は、4基の廃炉案を東電と経産省に提出した。30年かかると言われる廃炉を東芝案は10年半で可能と意気込んだ。
だが、放射能も止まらない状況で、廃炉で稼ごう、というのも節操のない話である。
福島第一原発では、報道こそ小さくなっているものの調子はまったくよくない。水棺はうまくいっておらず溶融した燃料であるデブリが圧力容器の底に穴を開ける危険性もある。放射線量は減り水温も下がってきたというが、放射能汚染による国民の不安を拭いきれない。何より、食品の汚染は、生産業者を追い込んでいく。そして、強制的に退去させられた住民たちは生活もままならない状態だ。しかも賠償問題への対応はきわめて遅い。 このことが、日本の原子力ルネサンスに、すでに大きな影を落としはじめている。
原子力委員会は4月5日、福島の事故を受けて、国の原子力利用の長期計画をまとめた「原子力政策人綱」の改定作業を中断するという異例の発表を行うはめになった。温暖化対策としての、原発推進のエネルギー政策の方向性はかなり大きく変わると見られている。
エンジニアや学者、関連する企業の人たちに原発について話を聞いてまわったこの取材で、わずかながら見えてきたものがある。
それは、東芝をはじめとした原子炉メーカーや電力会社は、安全に関わる部分でかなりグレーなやり方をしてきたのではないかということだ。つまり安全を売り物とした安全の軽視である。放射能汚染の起きるメルトダウンを、決して起きないものとして規制を緩和させてきたことについては、もっと責任が追求されるべきだろう。これから日本では、健康と生命のリスクを背負ってまで原発を支持したいという人は、より少なくなっていくに違いないという予感がある。原子力ルネサンスとは、安全を最優先しているという虚構の上に築かれた危険な代物ではないのか。
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