『広告的知のアルケオロジー』より 広告ビジネスの構造変化と広告人の資質 知識経営の課題--〈鬼十則〉と企業文化
電通には「鬼十則」という行動指針が存在した。「した」というのは二〇一六年の電通の新入社員自殺をきっかけとする長時間労働で特に第五項が取り上げられ、鬼十則=長時間労働の元凶といった一般の世間からの批判に対して対応し、「行動理念」から「正式」に削除されたためである。
筆者自身は電通生活三十年の中で「鬼十則」の持つメッセージ内容に深く共感してきたが、新入社員登格制度のころ、訳も分からずおぼえこまされた「鬼十則」に強い反発感を持ったことも確かだった。それは「鬼十則」の「……しろ」「……するな」といった軍隊調の文体が、命令形・断定形で書かれていることへの反発だったのかもしれない。
「鬼十則」をよく読めば誰でもわかると思うが、その内容は(1)失敗を恐れないチャレンジ精神、(2)社員一人一人の個性の尊重、(3)顧客満足の徹底的な追求、などの要素からなっており、それは「鬼十則」作成当時(新しい電波メディアの飛躍的進展が予想される時代への予感のもとに)、吉田秀雄社長が自らのことばで、電通社員が目指すべき行動スタイルや磨くべき知識・能力にはっきりとした方向性、ベクトルを与えたものであったと思う。さらにそれが時代や社会を超えてビジネス(特に価値創造型・市場創造型ビジネス)に共通して求められる行動スタイルを表現したものとして受け入れられてきたということもできると思う(これと対極にあるのは管理型・官僚型組織の行動スタイルだが、このことは後で触れたい)。
ただし、考える必要があると思うのは、時代や社会が変われば、どんなに普遍的な価値を表現したものであっても、表現そのものが時代気分とずれてきたり、使われている言葉が陳腐化したり、違和感が出てきたりする。ので、言葉遣いも含めて表現自体を時代や社会のコンテクストにあわせて(その時々の)経営者が変えていくことが必要だという点だ。
いわゆる企業理念や企業スローガン、企業の行動要綱などはCI(コーポレート・アイデンテゴアィ)などを通して体系的に整理され、成文化された考え方が電通社内にもあると思うし、上記のような「鬼十則」の精神は一九八六年に制定された「企業理念」や「電通人の条件」の中にもちりばめられていると思うが、「鬼十則」そのものも「電通人の行動規範」としてそうした理念体系の一部としてそのまま組み込まれていた(『電通100年史・資料編』参照)。
しかし、「鬼十則」は理念体系の一部でありながら微妙な位置づけになっていて、企業理念や企業スローガンのように環境変化に対応しつつ変えていくようなものとは別に、「創業の精神」的な扱いになって、経営者もタッチできない神聖な領域のように見られていたということも否定できない。
一方、上にあげたようなチャレンジ精神とか、個性の尊重、顧客満足の徹底的追求(それだけではないかもしれないが)はそれぞれ、(1)「キャリアリセット制度」(失敗して九定期間を過ぎると横並びの一段階上の資格を得られる)とか、(2)「個人商店」的な行動スタイルの容認・推奨、あるいは(3)「お得意先最優先」といった行動スタイルの奨励(役員に呼ばれても、得意先に呼ばれているということを理由に断っても問題とされない? とか)、(4)設定システムを含めた現場への権限委譲といった仕組みが存在し、失敗を恐れずに顧客のためにチャレンジしていく風土が醸成されてきたということもあるだろう。
ただ、こうした「鬼十則」の精神を実体化したような仕組みが会社としての大企業化が進行する中で、少しずつ変質していったことも事実ではないだろうか? たとえば、能力評価で半年後の目標を数値的に設定し、その目標を達成したかどうかで評価をする、といった評価手法が一時導入されたようだが、結果として、誰もが簡単に到達できる「小さな目標」、はじめから結果が出ることが分かっているような「小さな仕事」しかしなくなってしまう傾向が出てきて、「大きな仕事」とか、「数年先にしか結果が分からないような仕事」にあえて取り組もうという社員が少なくなってしまうということがあったのではないだろうか。
また、細かな数字は挙げられないが、他社と比べて電通社員の場合、「社外での活動」の割合が圧倒的に高く、「社外での活動がメインで社内では休息」というような例もあって、オフィスにいる時間が仕事をしている時間とは限らないような意識も強かったと思う。また、いわゆる「ナレッジ・マネジメソト」的に言うと、「経験知」を組織として共有化するよりも、「強い個人」を育成することが重要と考える傾向があって、「個人商店」の集合体と言われたような意識が根強く存在していることも他社と比べた時の大きな違いだった。
「鬼十則」に関する社員の意識としては、
(1)「鬼十則」は現在も生きていて電通の組織文化の基盤になっている、と考える社員と、
(2)「鬼十則」は形骸化している。現実は「鬼十則」の精神とは反対の方向で組織文化が形成されている、
する考え方が相半ばしていた。
その後、グローバル化対応と株式上場、汐留への本社移転といった経営上の大きな要請の中で、社員の意識にも変化がみられるようになってきたのではないが、ある種の管理型組織化が進展して、徐々に「鬼十則」の精神とは反対の方向に組織風土の変化が起きてきたということもあったのではないが。筆者の記憶違いがあるかもしれないが、社内の某部署で「普通の会社になろう」というようなスローガンが掲げられたり、「粛々と」というような官僚型組織に典型的な言葉遣いが社内で使われ始めたことなど(補足2)、(パブリック・カンパニーとしてある意味仕方のないことだったかもしれないか)なんとなく居心地の悪さを感じた社員もいたと思う。
筆者自身は三十年間お世話になった電通を二〇〇二年に退社したこともあり、その後の電通社内の事情の変化についての情報はほとんど持っていない。右に述べたような流れがその後もさらに進行しているのか、それとはまったく次元の違う新しいビジネス環境の中で、電通という企業の蓄積してきた知的リソースが役に立たず、コモディティ化したサービス競争の中で効率化競争に陥ってしまっているのか、判断できない。そんな前提での議論なので、的外れのことがあると思うし、筆者の記憶違いもあるかもしれない。
電通には「鬼十則」という行動指針が存在した。「した」というのは二〇一六年の電通の新入社員自殺をきっかけとする長時間労働で特に第五項が取り上げられ、鬼十則=長時間労働の元凶といった一般の世間からの批判に対して対応し、「行動理念」から「正式」に削除されたためである。
筆者自身は電通生活三十年の中で「鬼十則」の持つメッセージ内容に深く共感してきたが、新入社員登格制度のころ、訳も分からずおぼえこまされた「鬼十則」に強い反発感を持ったことも確かだった。それは「鬼十則」の「……しろ」「……するな」といった軍隊調の文体が、命令形・断定形で書かれていることへの反発だったのかもしれない。
「鬼十則」をよく読めば誰でもわかると思うが、その内容は(1)失敗を恐れないチャレンジ精神、(2)社員一人一人の個性の尊重、(3)顧客満足の徹底的な追求、などの要素からなっており、それは「鬼十則」作成当時(新しい電波メディアの飛躍的進展が予想される時代への予感のもとに)、吉田秀雄社長が自らのことばで、電通社員が目指すべき行動スタイルや磨くべき知識・能力にはっきりとした方向性、ベクトルを与えたものであったと思う。さらにそれが時代や社会を超えてビジネス(特に価値創造型・市場創造型ビジネス)に共通して求められる行動スタイルを表現したものとして受け入れられてきたということもできると思う(これと対極にあるのは管理型・官僚型組織の行動スタイルだが、このことは後で触れたい)。
ただし、考える必要があると思うのは、時代や社会が変われば、どんなに普遍的な価値を表現したものであっても、表現そのものが時代気分とずれてきたり、使われている言葉が陳腐化したり、違和感が出てきたりする。ので、言葉遣いも含めて表現自体を時代や社会のコンテクストにあわせて(その時々の)経営者が変えていくことが必要だという点だ。
いわゆる企業理念や企業スローガン、企業の行動要綱などはCI(コーポレート・アイデンテゴアィ)などを通して体系的に整理され、成文化された考え方が電通社内にもあると思うし、上記のような「鬼十則」の精神は一九八六年に制定された「企業理念」や「電通人の条件」の中にもちりばめられていると思うが、「鬼十則」そのものも「電通人の行動規範」としてそうした理念体系の一部としてそのまま組み込まれていた(『電通100年史・資料編』参照)。
しかし、「鬼十則」は理念体系の一部でありながら微妙な位置づけになっていて、企業理念や企業スローガンのように環境変化に対応しつつ変えていくようなものとは別に、「創業の精神」的な扱いになって、経営者もタッチできない神聖な領域のように見られていたということも否定できない。
一方、上にあげたようなチャレンジ精神とか、個性の尊重、顧客満足の徹底的追求(それだけではないかもしれないが)はそれぞれ、(1)「キャリアリセット制度」(失敗して九定期間を過ぎると横並びの一段階上の資格を得られる)とか、(2)「個人商店」的な行動スタイルの容認・推奨、あるいは(3)「お得意先最優先」といった行動スタイルの奨励(役員に呼ばれても、得意先に呼ばれているということを理由に断っても問題とされない? とか)、(4)設定システムを含めた現場への権限委譲といった仕組みが存在し、失敗を恐れずに顧客のためにチャレンジしていく風土が醸成されてきたということもあるだろう。
ただ、こうした「鬼十則」の精神を実体化したような仕組みが会社としての大企業化が進行する中で、少しずつ変質していったことも事実ではないだろうか? たとえば、能力評価で半年後の目標を数値的に設定し、その目標を達成したかどうかで評価をする、といった評価手法が一時導入されたようだが、結果として、誰もが簡単に到達できる「小さな目標」、はじめから結果が出ることが分かっているような「小さな仕事」しかしなくなってしまう傾向が出てきて、「大きな仕事」とか、「数年先にしか結果が分からないような仕事」にあえて取り組もうという社員が少なくなってしまうということがあったのではないだろうか。
また、細かな数字は挙げられないが、他社と比べて電通社員の場合、「社外での活動」の割合が圧倒的に高く、「社外での活動がメインで社内では休息」というような例もあって、オフィスにいる時間が仕事をしている時間とは限らないような意識も強かったと思う。また、いわゆる「ナレッジ・マネジメソト」的に言うと、「経験知」を組織として共有化するよりも、「強い個人」を育成することが重要と考える傾向があって、「個人商店」の集合体と言われたような意識が根強く存在していることも他社と比べた時の大きな違いだった。
「鬼十則」に関する社員の意識としては、
(1)「鬼十則」は現在も生きていて電通の組織文化の基盤になっている、と考える社員と、
(2)「鬼十則」は形骸化している。現実は「鬼十則」の精神とは反対の方向で組織文化が形成されている、
する考え方が相半ばしていた。
その後、グローバル化対応と株式上場、汐留への本社移転といった経営上の大きな要請の中で、社員の意識にも変化がみられるようになってきたのではないが、ある種の管理型組織化が進展して、徐々に「鬼十則」の精神とは反対の方向に組織風土の変化が起きてきたということもあったのではないが。筆者の記憶違いがあるかもしれないが、社内の某部署で「普通の会社になろう」というようなスローガンが掲げられたり、「粛々と」というような官僚型組織に典型的な言葉遣いが社内で使われ始めたことなど(補足2)、(パブリック・カンパニーとしてある意味仕方のないことだったかもしれないか)なんとなく居心地の悪さを感じた社員もいたと思う。
筆者自身は三十年間お世話になった電通を二〇〇二年に退社したこともあり、その後の電通社内の事情の変化についての情報はほとんど持っていない。右に述べたような流れがその後もさらに進行しているのか、それとはまったく次元の違う新しいビジネス環境の中で、電通という企業の蓄積してきた知的リソースが役に立たず、コモディティ化したサービス競争の中で効率化競争に陥ってしまっているのか、判断できない。そんな前提での議論なので、的外れのことがあると思うし、筆者の記憶違いもあるかもしれない。
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