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スターバックスのビジネスモデル

『ビジネス名著大全』より

『トレードオフ』 上質をとるか、手軽をどるか

 「上質で手軽」は幻影、追い求めると痛手を負う

  COACHは2000年ごろから飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、2008年には見る影もないほどの窮状に陥った。1970年代に高級ハンドバッグを武器に地歩を固め、ルイ・ヴィトンやエルメスと並び称されるほどのラグジュアリー・ブランドとなった。ところが、90年代終わりになると、「身近なラグジュアリー」とでも呼ぶべきカテゴリーを考案し、マスマーケット向けに洒落たデザイナーズ・バッグを提供する戦略を打ち出した。高級ブランドとして大成功を収めていながら、それに飽き足らず、上質さと手軽さの二兎を追ったのだ。COACHのバッグの平均価格は300ドル。ヴィトンのそれは一番安いものでもこの2倍の値段だ。(中略)上質な商品やサービスを「上質でしかも手軽」へ進化させようとすると失敗する。

  「上質さ」と「手軽さ」、両方を共に極めた商品を作れば向かうところ敵なしのようにも思える。しかし、「この魅惑的な組み合わせは幻影にすぎない」と著者は言う。

  どういうことなのか。まずは、上質さと手軽さの意味を見ていこう。

 上質と手軽の天秤

  私たちは毎日、何かにつけて「上質さ」と「手軽さ」を天秤にかけている。野球の試合をテレビで観るか、スタジアムで観戦するか。ファストフードを食べるか、レストランで気の利いた食事をするか、というように。こうした選択が市場でとう行われるのか。それこそが、ビジネスの成功と失敗を解き明かすカギだと著者は言う。

  ○上質VS手軽

   本書のいう「上質さ」とは、経験全体を指す。口ックコンサートでいえば、音の質だけでなく、アーティストが演奏する姿、照明、観客、そして後で知人に自慢すること。これら全てが極上の経験を紡ぎ出す。一方「手軽さ」とは、望むものの手に入りやすさの度合いを表す。すぐ届くか、使いやすいか、いくらかかるか、などがポイントになる。

  ○上質=経験+オーラ+個性

   上質か否かは、見たり触ったりするなど、商品やサービスにまつわる経験全体によって決まる。一方、それは「オーフ」と「個性」という、2つの要素からも成り立っている。例えば、高級テーラーのスーツは強いオーラを放ち、上質感を増す。そして、個性も上質さに関わっている。私たちが何かを買うのは、他の人々に自分らしさを伝えるためでもある。洒落たブランドのスニーカー、デザイナーズ・ブランドのジーンズなど、個性の表現につながればつながるほど、そのアイテムは上質なものといえる。経験、オーラ、個性。この3つの足し算によって上質度は決まる。

  ○手軽=入手しやすさ+安さ

   手軽とは簡単に手に入るということ。商品やサービスの手軽度は、便利であるほど高まる。例えば、電子レンジ食品の手軽度は圧倒的に高い。そして、手軽かとうかは価格にも左右される。価格こそ手軽さを実現する切り札。安いと、多くの人が手に入れやすくなる。

   簡便性と経済性。結局のところ、望むものを最も簡単に手に入れる手段を消費者に提供すれば、その企業は無敵なのだ。これこそが、手軽であることの威力である。

  ○愛されるか、必要とされるか

   上質であるとは、突き詰めれば「愛される」ということ。ティファニーの宝飾、プラグのバッグ……。これらは皆、愛されはしても、まず必要とはされないものだろう。他方、手軽であるとは「必要とされる」と同義だ。ウォルマート、電子レンジなどはいずれも生活に欠かせないもので、多くの人が必要とする。しかし、たいていは愛情の対象ではない。

 道を踏み外すと・・・・・・

  このようなことを再確認すれば、先に紹介した、「この魅惑的な組み合わせは幻影にすぎない」という著者の言葉は納得できるだろう。上質さはオーラや個性に支えられている。他方、手軽さはオークや個性を打ち消す。手軽になればなるほど、そのアイテムが持ち主を引き立てる力は弱まる。

  ○拡大路線でオーラを失ったスターバックス

   スターバックスは2007年に壁にぶつかった。客足が衰え、利益が細り、株価は大きく下落した。スターバックスは当初、上質さで勝負していた。それゆえ独特のオーラがあった。「ちょっとスタバに行ってくる」と言うと、同僚も一目置いてくれる。だからこそ、瞬く間に一世を風靡したのだ。

   しかし、その後、スターバックスは積極的な拡大路線をとる。これを、上質か手軽かの二者択一という観点から見ると、当初は上質を目指したが、拡大路線を契機に、手軽な店という逆方向へ進んでしまった。いやむしろ、一挙両得も夢ではないと考えたのだろう。身近にあって、しかも他の店にはない心地よさがある店、愛されて、なおかつ必要とされる存在を目指したわけだが、それはまず不可能だ。手軽になるほど、オーラは失われていく。

   スターバックスは往時の輝きを取り戻せるだろうか。先行きは厳しそう、というのが著者の見立てである。スターバックスのようなブランドにとって、どこにでもある見慣れた存在になるのは命取りだ。米国人のほとんどは、もはやスターバックスにオーラや個性を感じていない。「わざわざ探してまで足を運ぼうとはしないだろう」と著者は言う。

『スターバックス再生物語 つながりを育む経営

 超ブランド企業を襲った存亡の危機--。現場に復帰した創業者は、何を語り、いかなる手を打ったのか? 瀕死の組織に命を吹き込み、人々を鼓舞した言葉の数々と、再興への軌跡が描かれる。

 本書の概要

  今や世界的ブランドとして知られるスターバックス・コーヒー・カンハニー。名経営者ハワード・シュルツの手によって育てられ、成長を遂げた同社だが、彼が第一線を退いた後、拡大路線を突き進んだことが災いして、経営難に陥る。その危機を救うべくCEOとして復帰したシュルツが、失われた伝統を取り戻し、再建を果たすまでの道のりを明らかにした、まさに「再生物語」である。

 拡大の果ての低迷

  本書『スターバックス再生物語』の著者ハワード・シュルツは、言わずと知れた、スターバックスの事実上の創業者である。彼の指揮の下、アメリカのシアトルからスタートしたスターバックスは、世界的なコーヒーチェーンとなった。だが、同社はその成長の過程で少しずつ道を踏み外していった。成功から危機、そして再生までの道のりを、順にたとってみよう。

  2000年、著者はスターバックスのCEOを引退し、会長になって海外戦略に注力するようになった。そして後任のCEOとして、オーリン・スミスを指名した。オーリンがCEOを務めた5年間に、店舗数は約3倍の9000店舗に達した。さらに店舗以外でも、ハイアットやマリオッ卜系のホテルが宿泊客にスターバックスのコーヒーを提供した。書店やスーパーマーケッ卜の何百という店舗の中にも、独立型の店を作った。こうした新規の販売網が新たな収益源となった。

  オーリンの後任として選ばれたのは、ジム・ドナルドである。彼がCEOになった時、ウォール街がスターバックスに与えたハードルは高かった。売上高と利益の年間成長率は、最低でも20%を維持しなければならなかった。

  当時、同社はエンターテインメントの分野にも事業を拡大していた。それまでも店舗で流す音楽のオムニバスCDを販売してはいたが、まもなく多くのミュージシャンのアルバムを店に並べるようになった。また、書籍の販売ではベストセラーを何冊か出した。こうした成功によって、スターバックスは流行を作り出していると感じ始め、映画を作って当てることもできるのではないか、と考えるようになった。そして、実際、映像の分野にも進出した。

 衰退の兆し

  2006年に入ると、業績が悪化し始めた。07年の夏、来店客数の伸びは過去にないほど落ち込んだ。そこで著者は変調に気づく。

  2006年、世界中の店舗を何百と訪れるうちに、創業者であり、商人であるわたしは、スターバックスが何か本質的なものを見失ったのを感じた。全体的な雰囲気や精神だ。(中略)スターバックスを特徴づけていたいくつかのものがなくなってしまったことで意図せぬ結果が起こり、そのせいで自信がいつのまにか失われていたのだ。

  例えば、店舗に導入された新たな自動エスプレッソマシンによってサービスの迅速性や効率性が改善された。しかし、この機械はかなり高さがあった。そのため、来店客からはカウンターの中にいるバリスタが飲み物を作る姿が見えなくなり、ロマンチックで劇場的な要素が失われてしまった。また、店舗に漂っていた挽きたてのコーヒーの香りがほとんとしなくなっていた。これは、挽いたコーヒーの粉を各店舗に出荷するように変えたためだった。挽き立てのコーヒーから立ちのぼる重厚な、豊かな香りは、来店客にここがスタヘーバックスの店であることを示す最も強力なシグナルだ。客の前で挽くことをしなくなったために、スターバックスの店舗の伝統が失われてしまった。

  伝統を逸脱したことを象徴的に示す例として、著者はブレ^クファストーサンドイ^チを挙げる。ブレックファスト・サンドイッチは、多くの客に好まれた。ファンが増えれば、オーブンでサンドイッチを温めることも多くなる。すると、においを発する。とりわけチーズの焦げたにおいが、スターバックスの物語を台無しにしてしまった。「サンドイッチの販売をやめてくれ!」。著者は、店の責任者にそう言ったという。サンドイッチの販売をやめれば売上は落ちるが、長期の利益のためなら短期の損失も我慢できると著者は考えた。だが、CEOのジムや他の人はそうではなかった。

  創業者には独特の視点がある。会社を活気づけるのは何か、そのためにはどうすればいいかがわかっている。その知識が、何か正しくて何か間違っているかを判断する直感につながる。CEOに戻る時が来た--著者はそう考え始めた。

 真実のコーヒーを目指して

  2008年1月、著者はCEOに復帰した。そして、翌2月のある火曜日の午後、米国スターバックスは、国内7100店舗全部を一時的に閉鎖した。完璧なエスプレッソを作るために、13万5000人のバリスタを再研修しようと考えたのだ。

  素晴らしいエスプレッソを作るには細心の注意が必要である。バリスタの心配りが足りずに、エスプレッソが薄すぎたり苦すぎたりすれば、スターバックスは創業の精神を失うことになる。つまり、人々の気持ちを明るくすることができなくなるのだ。

  ただ1杯のコーヒーには、大きすぎる使命である。しかし、商人とはそういうものだろう。自分たちが作り出すものが他の人たちを感動させることを信じている。コーヒーがおいしくなければ、スターバックスの存在意義はなくなる。著者は、働く者全員が仕事に対する情熱を取り戻さねばならないと確信した。だからこそ、全店舗を閉めることにしたのだ。そして大きな損失を出したが、コーヒーの質は改善され、著者の元には良い話が寄せられるようになった。

  人生には決断すべき時がある。たとえ、理屈や常識や信頼する人たちの忠告に反するとしても、だ。リスクを負い、理性に逆らっても進もうとするのは、選ぼうとする道が正しいと信じるからだ--そう、著者は語っている。最終的に、一斉閉店は象徴的な役割を果たした。大胆に行動を起こすことによって、スターバックスが再び決意を新たにしたことを示したのである。

 原点に戻る

  成功している小売業は、細部に並々ならぬ注意を払っている。個々の商品の質、お客様1人1人に対する反応、わずか1ドルの費用といった小さいものに、きちんと配慮している。だが、スターバックスのパートナー(従業員)の多くは細部への配慮を失っていた。売上高を上げ、拡大を推進することばかりに注力し、お客様1人、コーヒー1杯について考えることはなかった。だから著者は、パートナーに向かって言った。「原点に戻らなければなりません」と。

  CEOに復帰した時、著者はパートナーたちに何かあれば直接メールを送ってもらうように依頼した。最初の月に受け取ったメールは5600通。彼は時間が許す限り、返信した。また、店舗や焙煎工場を訪ね、本社の中を歩き回り、仕事をしている人と話をした。さらに、以前実施していたオープンフォーラムを定期的に行うことにした。集まって顔を合わせることで、感情の絆や創造的な緊張が生まれ、重要なフィードバックが行われる。この場はとても意義あるものだったが、あまり行われなくなっていた。それを再開し、四半期に1度は行うことにしたという。

  著者は、終章で、スターバックス低迷の要因を次のように分析している。

  成長は戦略ではない。戦術である。それをわたしたちは十分に学んだ。規律のない成長を戦略としたために、スターバックスは道を見失ってしまったのだ。

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