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国民の熱狂に応える新聞

『不死身の特攻』より

国民の熱狂

 それでは、大西長官以外の司令官は、どうして「特攻」を続けたのでしょうか。1944年(昭和19年)10月29日の新聞の一面を見れば、それが分かるような気がします。一面のトップに、太ゴチックで「御鷲の忠烈 萬世に燦たり」と大きな文字が躍っています。「必死必中の體當り」という文字も大きく書かれています。

 10月29日の『敷島隊』以降、新聞の一面に特攻隊の記事が躍り出ます。

 朝日新聞を例に取れば、これ以降、なんらかの形で特攻隊が一面で記事になったのは、1944年(昭和19年)の残りニカ月と少しで42回。1945年(昭和20年)の終戦までで86回。計128回。

 このうち、はっきりと特攻隊の記事をセンセーショナルに打ち出しだのは、厳密に言えば、1944年では、31回、1945年では、55回でした。

 佐々木友次さんについての「勇壮な作文」は第2章で紹介しました。

 さらに新聞の二面では、より物語的な記事が多く書かれました。未来ある若者が、祖国のために、自ら志願して、微笑みながら体当たりをしていった。どんな人物だったのか。最後の姿はどんな風だったのか。同僚はどう思ったのか。両親は、妻は、恋人は何を思い、特攻隊員は残された人達に何を託したのか。見送る整備員が、「喜びのあまり」号泣した風景、など。

 玉砕と転進が続く記事の中で、特攻隊に関する文章は、どんな「戦果」よりも勇壮で、情動的で、感動的でした。

 そして、だからこそ、第一回の特攻は絶対に成功させるためにベテランパイロットが選ばれたのです。

 国民は感動し、震え、泣き、深く頭を垂れました。そして、結果として、戦争継続への意志を強くしたのです。

 こんなに若い兵隊さんが、自ら志願して、祖国のために率先して身を捧げている。それを知れば知るほど、米英への憎しみや戦い続ける決意、窮乏に耐える根性、不屈の闘志を強くしていくだろう。そのためには、「戦果より「死ぬこと」の方が大切だと司令官が考えても当然だと思うのです。

 終戦直後に部下をつれて特攻に出撃した宇垣纏という海軍中将がいました。

 ある日、特攻隊を見送る訓示を終えた宇垣長官に対して「本日の攻撃において、爆弾を百%命中させる自信があります。命中させた場合、生還してもよろしゅうどざいますか」と聞いた準士官がいました。

 宇垣長官は、即座に大声で、

  「まかりならぬ」

 と答えたのです(『空母零戦隊』岩井勉 今日の話題社)。

 この迷いのなさは、やはり「戦果」より「死ぬこと」が目的であると考えられます。それも、日本国民だけではなく、日本軍の隊員達への「効果」を考えていると思われるのです。

売れるから書く

 と言って、司令部の意図をくんで煽ったマスコミを責めるだけでは何の問題も解決しません。

 はっきりしているのは、国民はそういう勇壮で感動的な記事が読みたかったということです。

 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(半藤一利・保阪正康 東洋経済新報社)によれば、日露戦争の開戦前、「断固帝政ロシアを撃つべし」という新聞と「戦争を避けて、外交交渉を続けるべきだ」という新聞に分かれていたそうです。

 そして「戦争反対の新聞は部数がどんどん落ちる」「その一方で、賛成派の新聞は伸び始め」たのです。

 結果「戦争前の明治36年と戦争が終わって2年目の明治40年で比較すると、『大阪朝日新聞』は11万部から30万部、『東京朝日新聞』は7万3千部から20万部、『大阪毎日新聞』は9万2千部から27万部、『報知新聞』は8万3千部から30万部」に伸びたのです。

 冗談だろうと笑い話になりそうなぐらいの伸びだと半藤さんは言います。

  「この数字が示しているのは、戦争がいかに新聞の部数を伸ばすかということです。要するに、戦争がいかに儲かるかなんです」

 一方、最後まで日露戦争に反対していた『平民新聞』は発禁が続いて、最後には廃刊になりました。

 日露戦争以降、新聞社は戦争が商売になることを知って、軍部に協力していきます。それが、佐々木友次さんの特攻を書いた勇壮な作文になるのです。

 満州事変の時、ほとんどの新聞が「援軍」「擁軍」になった時、『大阪朝日新聞』だけは、「この戦争はおかしいのではないのか。謀略的な匂い、侵略的な匂いがする」と書きました。ですが、在郷軍人会を中心とする不買運動にやられて部数が急落(奈良県では一部も売れなくなりました)、最終的には負けて編集方針を変えました。

 不買運動に反対し、満州事変に反対する『大阪朝日新聞』を買い支える大衆は存在しなかったのです。

 特攻が続いたのは、硬直した軍部の指導体制や過剰な精神主義、無責任な軍部・政治家達の存在が原因と思われますが、主要な理由のひとつは、「戦争継続のため」に有効だったからだと、僕は思っています。戦術としては、アメリカに対して有効ではなくなっていても、日本国民と日本軍人に対しては有効だったから、続けられたということです。
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