『イタリアを知るための62章』より
イタリアの地方制度は三層制で、基礎的自治体の「コムーネ」があり、その上に県、州がある。コムーネは、日本の市町村にあたるもので、8092あり、その平均人口は約7340人である(2011年)。ただし、日本のような人口規模等に基づく権限の違いはない。とはいえ、大規模なコムーネには、複数の「区」が置かれ、そこには議会もあって、行政への住民参加がめざされている。いわゆる都市国家からの長い歴史的・文化的伝統に対応する単位も、コムーネである。これに対して、州は、1948年憲法において新たに設けられ、1970年にほぼすべてが実際に置かれた。現在、15通常州と5特別州がある。州あたりの平均人口は約297万人(2012年)と、日本の都道府県のそれに近い。また、県は109あり、約150年の歴史を有するとはいえ、コムーネと州の間の「中間的な自治体」として、その存在意義に疑義を呈する向きもある。
イタリアの国家制度は、その統一がなされた1860年代から単一制国家であるが、それは、凝集性の欠如を、中央集権的な制度を構築することで補おうとしたためである。凝集性の欠如を招いた原因は、まず、イタリアの国家形成が、各地方の支配的勢力の提携によってはじめて可能になったことによる。もう一つは、民衆が伝統的にその拠り所とする行政単位がコムーネであったことである。そのため、統一からファシズムが台頭する1920年代まで、中世以来の「郷土主義」が強く残存していた。これに対抗して、統一から間もなく、コムーネに加え、フランスをモデルに、県長官を介した中央政府による地方の統制を実現すべく「県」が置かれた。県長官は、地方自治体に対する国の委任事務を監視するとともに、国の地方における収務を統括することになった。こうした地方制度に対して、自治拡大の要求がなされなかったわけではないが、権威主義体制の台頭とともに、州設置は見送られ、1926年、逆に、コムーネの酋長を勅令による任命制とした。その後、ファシズム体制の下、中央政府の権限が強化され、単一制国家としての実質が高まり、警察・県長官・コムーネの首長による地方統制も強まった。
1948年施行の現行憲法には、伝統的(集権的)な要素も残った一方、地方自治の原則が掲げられ、地方自治体の権限等に関する章が設けられた。これは、制憲議会における、連邦主義的な立場、分権には一切反対の立場、穏健な地方自治をめざす立場の「妥協」の結果である。憲法は、県とコムーネの権限を明確に区分しなかったが、コムーネは、都市警察、学校教育、公共サービス等多くの分野を委ねられ、最も重要な行政単位として認識されることになった。県も、運輸、環境、職業教育といった分野で一定の役割を果たしてきた。州については、憲法で権限が詳細に規定され、限定的ではあるものの立法権(保健、都市計画、観光等)を持った。また、コムーネ、県ともに、ほぼ当初から公選の議会があり、議会がその構成員の中から首長を選ぶ仕組みになっていた。こうして、地方自治体に責任が委ねられた半面、中央政府は、地方自治体の行為の適法性審査や地方議会の解散という手段を介して、まだ統制を行うことができた。さらに、中央集権的な徴税制度も、真の意昧での地方自治を制限する要素となっていた。つまり、90年代初頭までの地方自治体の政治的役割は、決して少なくなかったが、その権限・自律性は、まだ十分なものではなかった。
しかし、90年代以降、欧州統合の進展等とあわせ、地方分権が大きく進展した。具体的には、1990年の地方自治法典の制定をはじめとした法律レベルの改革を経て、2001年に憲法における中央・地方関係が大幅に見直され、行政・財政・立法それぞれの面で、州をはじめとする地方自治体の権限が強まった。
行政分野では、首長の直接公選制導入と権限拡充、憲章制定権や規則制定権の強化が行われた。憲章は、各自治体の機構、議会・政府の権限、住民参加等を定めるものである。また、90年代後半から、補完性原理に基づき、コムーネをはじめとする地方自治体に行政権能が大幅に移譲された。そのほか、広域交通や環境問題に対処すべく全国9ヵ所での「大都市圏」の設置や、コムーネの事務の実施方法の見直し等が議論されている。
財政分野では、90年代以降、地方収入に占める割合の高かった国庫からの移転を大幅に減らす一方、租税制度の分権化・合理化が進められた。代表的な事例として、コムーネ不動産税(1993年)、州生産活動税(1998年)の導入がある。2001年には、州にのみ「国の法律で定める形式と範囲内において」財政自治権を認めた従来の憲法規定を改正し、州をはじめとする地方自治体の財政自治権が明記された。通常の財源として想定されているのは、①固有の租税と収入、②自らの区域に交付される国の税収の配分、③担税能力の劣る地域のために設けられる使途の定めのない調整基金の三つである。さらに2009年には、財政自治権の実現に向けた原則を定める新たな法律が制定された。この法律は、地方自治体の租税の枠組み、地方自治体の任務ごとの財源保障のあり方、関連諮問機関の設置等について規定しており、地方自治体により大きな権限を与えようとするものである。この原則に従い、具体的な内容を、州、県、コムーネそれぞれについて定める委任命令が複数制定されている。
立法分野でも、州の権限が強化されている。2001年の憲法改正により、州法は、法源上、国法と同等の地位に置かれた。また、立法権の配分において、国の専属的立法事項、国と州の競合的立法事項をのぞき、その他のすべての事項は、州に立法権が帰属することとなった。さらに、州法に対する統制も、施行前から施行後に変わっている。また、州は、「国家-州会議」(1983年設立)等を介して、国レペルの立法過程にも関与できるようになっている。この会議は、州の利益に関わる国の法令を対象に、政府に対して意見を述べるもので、その意見の数も年を追って増加している。
イタリアの地方制度は三層制で、基礎的自治体の「コムーネ」があり、その上に県、州がある。コムーネは、日本の市町村にあたるもので、8092あり、その平均人口は約7340人である(2011年)。ただし、日本のような人口規模等に基づく権限の違いはない。とはいえ、大規模なコムーネには、複数の「区」が置かれ、そこには議会もあって、行政への住民参加がめざされている。いわゆる都市国家からの長い歴史的・文化的伝統に対応する単位も、コムーネである。これに対して、州は、1948年憲法において新たに設けられ、1970年にほぼすべてが実際に置かれた。現在、15通常州と5特別州がある。州あたりの平均人口は約297万人(2012年)と、日本の都道府県のそれに近い。また、県は109あり、約150年の歴史を有するとはいえ、コムーネと州の間の「中間的な自治体」として、その存在意義に疑義を呈する向きもある。
イタリアの国家制度は、その統一がなされた1860年代から単一制国家であるが、それは、凝集性の欠如を、中央集権的な制度を構築することで補おうとしたためである。凝集性の欠如を招いた原因は、まず、イタリアの国家形成が、各地方の支配的勢力の提携によってはじめて可能になったことによる。もう一つは、民衆が伝統的にその拠り所とする行政単位がコムーネであったことである。そのため、統一からファシズムが台頭する1920年代まで、中世以来の「郷土主義」が強く残存していた。これに対抗して、統一から間もなく、コムーネに加え、フランスをモデルに、県長官を介した中央政府による地方の統制を実現すべく「県」が置かれた。県長官は、地方自治体に対する国の委任事務を監視するとともに、国の地方における収務を統括することになった。こうした地方制度に対して、自治拡大の要求がなされなかったわけではないが、権威主義体制の台頭とともに、州設置は見送られ、1926年、逆に、コムーネの酋長を勅令による任命制とした。その後、ファシズム体制の下、中央政府の権限が強化され、単一制国家としての実質が高まり、警察・県長官・コムーネの首長による地方統制も強まった。
1948年施行の現行憲法には、伝統的(集権的)な要素も残った一方、地方自治の原則が掲げられ、地方自治体の権限等に関する章が設けられた。これは、制憲議会における、連邦主義的な立場、分権には一切反対の立場、穏健な地方自治をめざす立場の「妥協」の結果である。憲法は、県とコムーネの権限を明確に区分しなかったが、コムーネは、都市警察、学校教育、公共サービス等多くの分野を委ねられ、最も重要な行政単位として認識されることになった。県も、運輸、環境、職業教育といった分野で一定の役割を果たしてきた。州については、憲法で権限が詳細に規定され、限定的ではあるものの立法権(保健、都市計画、観光等)を持った。また、コムーネ、県ともに、ほぼ当初から公選の議会があり、議会がその構成員の中から首長を選ぶ仕組みになっていた。こうして、地方自治体に責任が委ねられた半面、中央政府は、地方自治体の行為の適法性審査や地方議会の解散という手段を介して、まだ統制を行うことができた。さらに、中央集権的な徴税制度も、真の意昧での地方自治を制限する要素となっていた。つまり、90年代初頭までの地方自治体の政治的役割は、決して少なくなかったが、その権限・自律性は、まだ十分なものではなかった。
しかし、90年代以降、欧州統合の進展等とあわせ、地方分権が大きく進展した。具体的には、1990年の地方自治法典の制定をはじめとした法律レベルの改革を経て、2001年に憲法における中央・地方関係が大幅に見直され、行政・財政・立法それぞれの面で、州をはじめとする地方自治体の権限が強まった。
行政分野では、首長の直接公選制導入と権限拡充、憲章制定権や規則制定権の強化が行われた。憲章は、各自治体の機構、議会・政府の権限、住民参加等を定めるものである。また、90年代後半から、補完性原理に基づき、コムーネをはじめとする地方自治体に行政権能が大幅に移譲された。そのほか、広域交通や環境問題に対処すべく全国9ヵ所での「大都市圏」の設置や、コムーネの事務の実施方法の見直し等が議論されている。
財政分野では、90年代以降、地方収入に占める割合の高かった国庫からの移転を大幅に減らす一方、租税制度の分権化・合理化が進められた。代表的な事例として、コムーネ不動産税(1993年)、州生産活動税(1998年)の導入がある。2001年には、州にのみ「国の法律で定める形式と範囲内において」財政自治権を認めた従来の憲法規定を改正し、州をはじめとする地方自治体の財政自治権が明記された。通常の財源として想定されているのは、①固有の租税と収入、②自らの区域に交付される国の税収の配分、③担税能力の劣る地域のために設けられる使途の定めのない調整基金の三つである。さらに2009年には、財政自治権の実現に向けた原則を定める新たな法律が制定された。この法律は、地方自治体の租税の枠組み、地方自治体の任務ごとの財源保障のあり方、関連諮問機関の設置等について規定しており、地方自治体により大きな権限を与えようとするものである。この原則に従い、具体的な内容を、州、県、コムーネそれぞれについて定める委任命令が複数制定されている。
立法分野でも、州の権限が強化されている。2001年の憲法改正により、州法は、法源上、国法と同等の地位に置かれた。また、立法権の配分において、国の専属的立法事項、国と州の競合的立法事項をのぞき、その他のすべての事項は、州に立法権が帰属することとなった。さらに、州法に対する統制も、施行前から施行後に変わっている。また、州は、「国家-州会議」(1983年設立)等を介して、国レペルの立法過程にも関与できるようになっている。この会議は、州の利益に関わる国の法令を対象に、政府に対して意見を述べるもので、その意見の数も年を追って増加している。
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