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未唯への手紙

未唯への手紙

ウィトゲンシュタイン 死んでも死なない「わたし」

2015年07月13日 | 2.数学
『戦争思想2015』より 前線から遠く離れて--ヤン・パトチカを楕円化する

第一次世界大戦が起こると、ウィトゲンシュタインは志願して義勇兵として参加した。一九一六年六月四日、ロシア帝国軍による、いわゆるブルシーロフ攻勢が始まった。ウィトゲンシュタインが一等砲兵として配属されていたプランツァー=バルティン麾下の第七軍は将兵の数が六月十二日までに二割に激減し後退戦を余儀なくされた。七月八日、自分が戦死していたとしても少しも不思議のない前線においてウィトゲンシュタインは「死は生の出来事ではない。死は世界の事実ではない」(奥雅博訳)とノートに記した。

「死は生の出来事ではない。人は死を体験しない」という『論理哲学論考』の命題(六・四三一--奥雅博訳)はウィトゲンシュタイン自身の「すぐれてわたしの経験」(「倫理学講話」杖下隆英訳)を語ったものなのではないか。それは「「わたしは安全であり、何が起ころうとも何ものもわたしを傷つけることはできない」というような精神状態」(同前)である。《わたしだけは何ものかに庇護されて戦死を免れるだろう》という楽観ではない。《このような情況ではわたしも間違いなく戦死するだろう》とあきらめているのだ。その上でくわたしは、たとえ死んでも死ぬことはない》と感じているのである。むろん、《死んでも死なない》と言うのは《何ごとが起ころうとも何も起こるまい》と言うのと同じくらいナンセンスな言い方だ。しかし、言葉で論理的に言い表わそうとするとこのようにナンセンスに導かれるほかないような「すぐれてわたしの経験」がわたしにはあったとウィトゲンシュタインは言いたいのだろう。かりにわたしが死んでいたとしても、決して死なない「わたし」があのときわたしにはあったのだ、と。

この「わたし」を宗教は不死と呼ぶのかもしれないが、それを経験することなく、つまり「すぐれてわたしの経験」なしにただ口先でそう言うのならお喋りにすぎない。しかしまた、それを本当に経験したなら、不死と呼んでも、その言葉は《何ごとが起ころうとも何も起こるまい》と言うのと同じくらいナンセンスでしかないことに困惑せざるをえなくなるはずだ。

やはり前線でウィトゲンシュタインがノートに書き込んだ「幸福に生きよ!」(一九一六年七月八日)も、《死を目前にしても恐れないでいられたあの状態、あの「すぐれてわたしの経験」を維持できるように生きよ!》ということなのだろう。彼がそのノートに最初に「幸福」という言葉を書き込んだのはその二日前だ。「そして幸福な人は現に存在することの目的を満たしている、とドストエフスキーが語る限り、彼は正しいのである」(一二九二六年七月六日)。ウィトゲンシュタインは、五十回以上読んだという『カラマーゾフの兄弟』でゾシマ長老がホフラコーワ夫人に語った言葉(「人は幸福のために創られるのだし、真に幸福な人こそが、『自分はこの世で神のお言いつけを果たした』と言いきれる資格をもつのですからな」江川卓訳)を、直接的には踏まえているらしい。だが、「時間の中にではなく永遠の中に生きる、という具合に、人が生きることは可能であろうか」と塹壕で自問するウィトゲンシュタインはむしろ『悪霊』で語ったキリーロフに似ている。

死の恐怖を克服して自殺するのなら、人はその死の直前、自分が幸福であることを知るはずだ、その瞬間には、世界の何もかもがすべていいと思える永久調和の幸福感に捉えられるだろう、それは、たぶん今の人間の肉体が変化でもしないかぎり十秒ももちこたえられないほどに強烈な感覚だ、だから人はすでにつねに幸福であるほかない楽園にこの世で生きているのに、それを知らぬようにすごしている、人が不幸なのは、たんに自分が幸福であることを知らないからなのだ、死に対する恐れを拭い去ってこの単純な事実にさえ気づけば、人はただちに幸福になる、餓死する者がいようが、少女を凌辱する者がいようが、赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩き潰す者がいようが、この世界の何もかもすべてがいい、陽の光にきらきら輝いて葉脈をくっきり浮かび上がらせている一枚一枚の緑の木の葉をはじめ、何もかもがすべて素晴らしいのだということがわかるだろう、云々。

まさしく、本に書かれでもしたら、すぐさま爆発し、世界中のあらゆる本を粉々にしてしまうような「すぐれてわたしの経験」だが、ドストエフスキーはこれと同じ、時間を超越する数秒の至高の感覚を『白痴』のムイシュキンの癇癪発作の一段階に割り振っていた。ムイシュキンの場合は、自殺ではなく死刑執行の寸前の感覚に関心が集中しており、ドストエフスキーが自身、青年時代にセミョーノフスキー練兵場で経験した銃殺刑の直前の五分間をムイシュキンに語らせていることは周知のとおりだ。「何かどうしても忘れられない一点があって、それがあるために気絶することもできず、あらゆるものはこの一点のまわりを歩きまわったり、回転したりしている」(木村浩訳)。

この「一点」については中村昇「ある一点」(『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』所収)が次のように述べて『論理哲学論考』の「主体は世界に属さない。それは世界の限界である」という命題(五・六三二)に接続している。この「何かどうしても忘れられない一点」は、どんなときにでもすべてを見通している静謐な点だ。ここだけは、誰にも何によっても侵害されない。死刑囚の首が、その胴体から離れるときでさえ(いや、そのあとでも--「ひょっとすると、頭は切り離されたときでも、一秒くらいのあいだは、切り離されたことを知っているかもしれないなんて」)、絶対に傷つけられることなく、じっと状況を見つめている。この視点を成立させている源は、おそらく、われわれが生きているこの世界のすこし外側にあるにちがいない。この「一点」は、肉体としての「わたし」とはべつに、その肉体としての「わたし」も含まれている事実的な「世界」の外側に存在しているにちがいない。

ムイシュキンの言う「一点」は、死んでも死なないあの「わたし」である。死刑囚は不可避的に処刑されるのだが、たとえ殺されたとしても、決して死なない「わたし」が彼にはあり、このすぐれて彼の「わたし」は、死刑の執行によって何ごとが起ころうと、何ものによっても傷つけられることがない、死は彼の生の出来事ではない、彼は死を体験しない、という一点にムイシュキンも注意を集中してゆくのである。彼も、これを不死とは呼んではない。だが、ウィトゲンシュタインのように「幸福」と呼んでも反対はしなかっただろう。一九一六年七月六日にドストエフスキーという固有名とともに記入されて以降、繰り返しノートに書き込まれることになる「幸福」という言葉はすぐれてドストエフスキー的なものなのだ。

ウィトゲンシュタインの場合に重要なのは、彼がそのような、死んでも死なない「わたし」を経験したのが第一次世界大戦の、あの致命的な前線においてだったということである。だが、前線において同じような「すぐれてわたしの経験」を持ったのはウィトゲンシュタインだけではない。たとえば、テイヤール・ド・シャルダンもウィトゲンシュタインと似た経験を記録している。

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