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未唯への手紙

未唯への手紙

アメリカの準備、原爆の日本投下

2016年11月05日 | 4.歴史
『昭和二十年』より

トルーマンは大統領になってから、かれの前にあるものは、ヨーロッパと太平洋における戦いから戦後に備えての国際機構の設置まで、すべて前大統領が取り組んできた問題であり、自分は突然に呼びだされた、間に合わせの大統領でしかないことを身にしみて感じる毎日であったはずだ。だが、待てよとかれは思ったのではないか。原爆はほかの外交、軍事問題とはまったく違う。製造中の原爆について知っている人はごく少数だ。英国政府の首脳以外、敵も味方もその事実をまったく知らない。そしてその恐ろしいかぎりの兵器をいかなる形で公開するのかは、私が決めることになる。

そしてトルーマンはつぎのように考えたのであろう。原爆は決してルーズベルトの遺産ではない。前大統領の最大の遺産は米ソ大同盟だったのだが、いまや崩壊は必至だ。だが、やがて私が持つことになる原爆がスターリンを従順にさせる強力な外交武器になり、世界の安全を維持しつづけていく巨大な力になる。この原爆は私のものなのだ。

トルーマンはこのように思おうとしたのであろう。それにしても、どうしてかれはルーズベルトから昨年の八月に原爆の秘密を明かされたという事実を秘密にする必要があったのか。

たしかにルーズベルトは原爆にかかわるすべての事柄を秘密にしていた。だが、やがて完成する原爆をどのように公開するかについて自分の考えをはっきり文字にしていた。前に見たとおり、ルーズベルトは英国首相と覚書を交わし、「慎重な考慮のあと」、日本にたいして使用すると決めていた。卜ルーマンは大統領になってから、米英首脳会議がおこなわれたルーズベルトの私邸の所在地の名前をとった「ハイドパークの覚書」が存在すること、戦争が終わったあとになれば、英国側がそれを公表することにもなると承知したはずだ。

ところで、その覚書がっくられたのは昨年九月十八日だった。トルーマンがルーズベルトから原爆の秘密を明かされたのはそれより一ヵ月前の八月十八日だった。トルーマンはルーズベルトから、これまた「慎重な考慮のあと」に日本にたいして投下すると告げられていたはずである。

実際には原爆もまた間違いなくルーズベルトの遺産だった。ところが、トルーマンは「慎重な考慮のあと」というルーズベルトの文言をかえりみなかった。政府と統帥部の責任者と協議しようとしなかった。四月下旬には、バーンズの助言に従い、日本の大都市に原爆を投下する、警告なしの無差別大虐殺をすると決意してしまったのだ。

ホワイトハウスの庭園のマグノリアの木の下でルーズベルトが一番最後に語った話を、大統領になったトルーマンがだれにも打ち明けることができないできたのは、原爆の秘密は大統領になるまでまったく知らなかったことにしてしまい、「慎重な考慮のあと」など知るはずはないということにしたかったからなのである。

さて、原爆製造の事実を知らず、ましてやそれをどう使用するかをルーズベルト大統領から聞くことがなかった対日本政策の責任者、そしてトルーマン大統領からもなにも聞いていないジョゼフ・グルーのことに戻る。

いまから二週間とちょっと前の六月十四日、統合参謀本部は太平洋戦線の全指揮官に指令を発した前に記したことを再びここに写そう。「日本ノ突然ノ崩壊カ降伏ノ場合ニ備エテ、日本本土ノ占領ヲ目的トシテ、進駐スル計画ヲ立テテオクベキデアルト命令スル」

国務次官のグルーがそのような予測をしたのだとこれも前に記した。グルーは東京から松平恒雄が必ずやアメリカに和平を呼びかけてくる、降伏するための交渉を申し入れてくると思ったのであろうだが、なんの動きもない。グルーは思い直し、アメリカが日本に向けて声明をだし、立憲君主体制維持の保証を明らかにしなければ、松平恒雄は身動きできないでいるのかもしれないと思ったのであろう。グルーはそれより前、五月二十九日に二日あとの戦死者を追悼するメモリアル・デイに予定されている大統領の演説を日本に向けての声明にしようと提案したのだが、スティムソンに反対された。「軍事上の理由」があると言われたのである。沖縄の戦いが終わっていないからだとグルーはそのとき考えたのだった。そこでグルーは再度、試みようとした。

六月十五日、グルーはトルーマンに会い、沖縄陥落を発表するときに大統領は声明をだし、皇室の保持を認めることを明らかにして、日本に降伏するように呼びかけるべきだと説いた。トルーマンは答え、「この問題のすべて」は三日あとの六月十八日に予定されている会議で検討すると語り、グルーも出席するようにと言った。だが、十八日の会議にグルーと国務省の幹部は呼ばれなかった。そしてトルーマンは会議の場でグルーの提案を口にしなかった。そのあと大統領はグルーに向かって統合参謀本部がかれの案に反対したのだと偽りを語り、つぎのような嘘をさらにつづけた。「日本がそれを拒否した場合、わが侵攻軍が時を移さず実際の攻撃をかけ得るまで待つことを統合参謀本部は希望しているのだ」

六月二十七日のことになる。ユタで訓練を受けていた第五〇九混成大隊の士官たちがテニアン島に到着した。すでに新しい滑走路がつくられ、かまぼこ兵舎が建てられ、周囲には鉄条網が張りめぐらされていた。そして新たにB29も到着していた。原爆を搭載できる改造機である。七月下旬には模擬原爆の投下実験をはじめる。そのための日本の都市の選定もおこなわれているし、本物の原爆を投下する都市もとっくに選んである。

今日、七月一日、第三艦隊がレイテ湾の泊地を出航した。第五艦隊は五月二十八日に第三艦隊と名称を変え、レイモンド・スプルーアンス提督からウィリアム・ハルゼー提督に司令官は代わり、旗艦はニュー・メキシコからミズーリとなり、第五十八機動部隊は第三十八機動部隊と名前を変えている。出撃する第三艦隊の指定任務は日本海軍の残存艦艇、商船、航空機、とっくに半身不随となっている工場、そして通信設備を破壊する任務を負っている。空母機部隊が内陸部を攻撃しているあいだに、戦艦群は沿岸の目標を砲撃する。

艦隊は燃料、食糧、弾薬の補給、さらに航空機、航空要員の交換をつづけながら、今日から1ヵ月以上、八月に入っても、日本本土の水域にとどまることになっている。出航してまもなく不思議な命令を受け取った。グアム島の太平洋艦隊司令部からの電報であり、「筆写ヲ禁ズ」という最高機密の扱いである。「更ナル下命アルマデ、コクラ、ヒロシマ、ニイガタ、キョウトヲ爆撃シテハナラヌ」という文面だ。ハルゼー提督と幕僚たちはなぜだろうと首をかしげた。


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