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「未唯への手紙」の「社会」編の三巡目 市民参画 その3

(つづき)

市民参画が必要な理由は、循環型社会を作っていくためです。市民を変えていく、地域を活性化していくことです。そのベースは循環です。循環する心そのものです。

その意味では、市民も消費者とか生産者という次元ではなく、生活者として、市を超えた存在としてやっていくということです。自分たちが変えていくという自覚、変えていけるという自信を持たせることです。

個人のスタンスを維持したままで市民参画を行っていく。これで食べていこうという中途半端なことをやってはダメです。また、格好つけてロハスだけでOKというものではありません。

発想の根源はハメンリンナのDr.ヘリのやり方です。一つずつ見える形にして、市民へアピール・アンケートして、実績を作り出して、一緒になって考えていく“場”を作り上げています。

「市民参画しなければどうなるのか」というアプローチも有効です。夕張の例もあります。市民は自分のニーズを市役所にぶつけても、市役所は公平の原理でやるしかないから、やってくれません。余計にコストがかかります。だから、自分たちでやるという手段を持たないといけない。

これはシステム設計と同じです。管理・監督しかできない電算部の手を借りずに、自分たちのコンテンツを自分たちの手で作り、それを連鎖させて、自分たちが満足する社会を作り出していく。それで、次の循環に向かっていく。

そのためには市民参画する人の思いを集めないといけません。個人個人が生きるカタチにしていく。やらされ感ではなく、それを行うことで自分の生活が楽になり、楽しくなる。人が多ければ多いほど役に立つ仕組みにしていくということです。

40代・50代の男性も自然に参画できるようにしないといけない。留意するのは、彼らは会社では主役だけど、市民参画では主役ではないということ。会社の仕事をしながら、参画できる仕組みが必要になります。

20代の若者は、引き籠り傾向にあります。彼らにも参画してもらうためには、ポータルではないけど、彼らを取り込むのではなく、彼らの中に入り込むようなカタチが必要になります。それが「地域ポータル」につながります。

市民会議のときに提案したけど、中途半端に終わってしまった。本当に言いたかったのは、みんなは色々な特性を持っているということです。その特性に従って、色々なアイデアを出しす分科会を作って、その分科会での決定を総合的に循環させていきたかった。

企画分科会でアイデアを出して、広報分科会で色々な人を巻き込んで、理念分科会で何のために行うのかを行えば、それぞれの人が生きてきます。人により、得意な分野も興味の範囲も異なります。それらが回っていく世界ができれば、さまざまな循環とつながっていきます。

(つづく)
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