未唯への手紙
未唯への手紙
なぜ西洋が支配しているのか…… 夜来たる
『人類5万年文明の興亡』より
しかし、そうなる可能性もなかった。西洋が支配する前に世界が「夜来たる」に最も近い状態になったのは紀元前一万八〇〇年頃で、巨大な氷湖が北大西洋に流れ出し、メキシコ湾流を止めるほど気温を下げた。その後の一二○○年に及ぶ短い氷河期はヤンガードリアス期として知られ、社会の発展を中断させ、「河沿いの丘陵地帯」での定住村落生活と初期農耕の最初の実験を突然終わらせた。ヤンガードリアス期に比べれば、その後のあらゆる寒冷化はセーターを着ればすむ程度のものに思える。
過去数千年間のどの時代であっても、ヤンガードリアス期ほどの規模の出来事の影響は考えるのも恐ろしいほどだ。世界の収穫高は毎年下降しただろう。何億人もが飢死したに違いない。大量移住によってヨーロッパも北アメリカも中央アジアも空っぽになっただろう。その結果生じた戦争や国家の失策、疫病は歴史に残るすべてを倭小化しただろう。まるで黙示録の五人の騎士が馬を戦車と交換したかのようだ。縮こまった人々は震えながら「幸運な緯度帯」の周辺に村落を作り、雨を乞い、乾燥した土壌からささやかな糧を得ていたかもしれない。社会発展は、何千年もの問、グラフから消え去っていただろう。
ほかにも「夜来たる」的な道は想像できる。神経質な天文学者たちは、直径一、ニキロメートルの小惑星が地球にぶつかったなら、その衝撃は一〇〇〇億トンのTNT爆弾が一度に爆発したのと同じだろうと計算している。これをどれほど悲惨と見るかは意見が分かれるかもしれない。一時的に上空が埃で覆われ、太陽の光をさえぎり、大勢の人々が飢えるはずだ。酸化窒素が放出され、オゾン層を希薄にし、生き残った人たちを危険な太陽光線にさらすかもしれない。一方、直径三キロメートルの小惑星の衝撃は簡単に想像できる。TNT二兆トンの爆発に等しく、人類は絶滅するだろう。
うれしいことに、こういった隕石は私たちの道には置かれていない。したがって、どれほど悲惨かを推測して憂鬱な気分になってみてもあまり意味はない。小惑星の衝突や氷河時代は戦争や文化とは異なる。それらは人間の手の届かないものだ(最近まではそうだった、と言うべきだろう)。へまな愚か者も文化的趨勢も偶発的な出来事も、その後の歳月の中でメキシコ湾流を止めるほどの冷たい水を出現させることはなかった。つまり新たなヤンガードリアス期は到来せず、最も悲観的な天文学者でも、私たちが直径数キロメートルの小惑星と衝突するのは数十万年に一度のことだと考えている。
事実、へまな愚か者たちが、歴史のどこかの時点で「夜来たる」瞬間をもたらしたことはほとんどない。最も悲惨な戦争である二〇世紀の世界大戦も、すでに進んでいた道筋を確認したにすぎなかった。産業コアを持つ新たな種類の亜大陸帝国、アメリカ合衆国は、一九〇〇年にすでに西ヨーロッパの海洋帝国に挑戦しようとしていた。「世界の戦争」は、誰が西ヨーロッパ人と交代するかを見極めるための闘争だったと言える。アメリカか、一九三〇年代に急速に産業化を遂げたソ連か。一九四〇年代に亜大陸帝国を征覇しようとしたドイツか。東洋では、一九三〇年代から四〇年代に日本が亜大陸帝国の征覇と産業化を試み、西洋を追い払おうとした。日本がそれに失敗すると、中国はすでに持っていた亜大陸帝国を、一九五〇年代から六〇年代には悲惨なほど、一九八〇年代以降は華々しく、産業化している。特にアフリカからインドシナ半島にいたるナショナリズムの台頭、それら挑戦者と比べて西ヨーロッパの人口と産業が減少傾向にあることを考えると、ヨーロッパの海洋帝国がこういった競争に勝ち抜けたとは考えにくい。
ヨーロッパの大国が一九一四年と三九年に自らを崖っぷちに追い込まなければ、海洋帝国は確実にもっと長続きしていただろう。アメリカが一九二九年に国際社会での責任から逃げなければ、海洋帝国はもっと早く破綻していたかもしれない。ヒトラーがチャーチルとスターリンを破っていたならおそらく違っていただろう。いや、違わないのかもしれない。ロバート・ハリスの小説『ファーザーランド』はこれを見事に描いている。一九六四年、ドイツで殺人事件が起こる。すぐに明らかになるのだが、このドイツは第二次世界大戦で勝利したドイツなのだ。すべてが現実とは不気味に異なる。ヒトラーはヨーロッパのユダヤ人の多くではなく全員を殺していた。建築家のアルバート・シュペーアは、ヒトラーの夢の実現のためにベルリンを再建する。パリのシャンゼリゼ通りの二倍の長さのヴィクトリー通りは世界最大のビルにつながり、その高くて雨雲を突き抜けるほどのドームで総統は演説する。ところが物語はやがてどこかで見聞きしたような展開を見せる。東ヨーロッパの巨大で倒れそうな全体主義帝国とアメリカとの間では冷戦が続き、二つの帝国は核ミサイルの背後からにらみ合い、代理戦争を戦い、第三世界の傀儡国を操り、デタントヘとじわじわと進む。結局のところ、現実とそれほど変わらない。
しかし、そうなる可能性もなかった。西洋が支配する前に世界が「夜来たる」に最も近い状態になったのは紀元前一万八〇〇年頃で、巨大な氷湖が北大西洋に流れ出し、メキシコ湾流を止めるほど気温を下げた。その後の一二○○年に及ぶ短い氷河期はヤンガードリアス期として知られ、社会の発展を中断させ、「河沿いの丘陵地帯」での定住村落生活と初期農耕の最初の実験を突然終わらせた。ヤンガードリアス期に比べれば、その後のあらゆる寒冷化はセーターを着ればすむ程度のものに思える。
過去数千年間のどの時代であっても、ヤンガードリアス期ほどの規模の出来事の影響は考えるのも恐ろしいほどだ。世界の収穫高は毎年下降しただろう。何億人もが飢死したに違いない。大量移住によってヨーロッパも北アメリカも中央アジアも空っぽになっただろう。その結果生じた戦争や国家の失策、疫病は歴史に残るすべてを倭小化しただろう。まるで黙示録の五人の騎士が馬を戦車と交換したかのようだ。縮こまった人々は震えながら「幸運な緯度帯」の周辺に村落を作り、雨を乞い、乾燥した土壌からささやかな糧を得ていたかもしれない。社会発展は、何千年もの問、グラフから消え去っていただろう。
ほかにも「夜来たる」的な道は想像できる。神経質な天文学者たちは、直径一、ニキロメートルの小惑星が地球にぶつかったなら、その衝撃は一〇〇〇億トンのTNT爆弾が一度に爆発したのと同じだろうと計算している。これをどれほど悲惨と見るかは意見が分かれるかもしれない。一時的に上空が埃で覆われ、太陽の光をさえぎり、大勢の人々が飢えるはずだ。酸化窒素が放出され、オゾン層を希薄にし、生き残った人たちを危険な太陽光線にさらすかもしれない。一方、直径三キロメートルの小惑星の衝撃は簡単に想像できる。TNT二兆トンの爆発に等しく、人類は絶滅するだろう。
うれしいことに、こういった隕石は私たちの道には置かれていない。したがって、どれほど悲惨かを推測して憂鬱な気分になってみてもあまり意味はない。小惑星の衝突や氷河時代は戦争や文化とは異なる。それらは人間の手の届かないものだ(最近まではそうだった、と言うべきだろう)。へまな愚か者も文化的趨勢も偶発的な出来事も、その後の歳月の中でメキシコ湾流を止めるほどの冷たい水を出現させることはなかった。つまり新たなヤンガードリアス期は到来せず、最も悲観的な天文学者でも、私たちが直径数キロメートルの小惑星と衝突するのは数十万年に一度のことだと考えている。
事実、へまな愚か者たちが、歴史のどこかの時点で「夜来たる」瞬間をもたらしたことはほとんどない。最も悲惨な戦争である二〇世紀の世界大戦も、すでに進んでいた道筋を確認したにすぎなかった。産業コアを持つ新たな種類の亜大陸帝国、アメリカ合衆国は、一九〇〇年にすでに西ヨーロッパの海洋帝国に挑戦しようとしていた。「世界の戦争」は、誰が西ヨーロッパ人と交代するかを見極めるための闘争だったと言える。アメリカか、一九三〇年代に急速に産業化を遂げたソ連か。一九四〇年代に亜大陸帝国を征覇しようとしたドイツか。東洋では、一九三〇年代から四〇年代に日本が亜大陸帝国の征覇と産業化を試み、西洋を追い払おうとした。日本がそれに失敗すると、中国はすでに持っていた亜大陸帝国を、一九五〇年代から六〇年代には悲惨なほど、一九八〇年代以降は華々しく、産業化している。特にアフリカからインドシナ半島にいたるナショナリズムの台頭、それら挑戦者と比べて西ヨーロッパの人口と産業が減少傾向にあることを考えると、ヨーロッパの海洋帝国がこういった競争に勝ち抜けたとは考えにくい。
ヨーロッパの大国が一九一四年と三九年に自らを崖っぷちに追い込まなければ、海洋帝国は確実にもっと長続きしていただろう。アメリカが一九二九年に国際社会での責任から逃げなければ、海洋帝国はもっと早く破綻していたかもしれない。ヒトラーがチャーチルとスターリンを破っていたならおそらく違っていただろう。いや、違わないのかもしれない。ロバート・ハリスの小説『ファーザーランド』はこれを見事に描いている。一九六四年、ドイツで殺人事件が起こる。すぐに明らかになるのだが、このドイツは第二次世界大戦で勝利したドイツなのだ。すべてが現実とは不気味に異なる。ヒトラーはヨーロッパのユダヤ人の多くではなく全員を殺していた。建築家のアルバート・シュペーアは、ヒトラーの夢の実現のためにベルリンを再建する。パリのシャンゼリゼ通りの二倍の長さのヴィクトリー通りは世界最大のビルにつながり、その高くて雨雲を突き抜けるほどのドームで総統は演説する。ところが物語はやがてどこかで見聞きしたような展開を見せる。東ヨーロッパの巨大で倒れそうな全体主義帝国とアメリカとの間では冷戦が続き、二つの帝国は核ミサイルの背後からにらみ合い、代理戦争を戦い、第三世界の傀儡国を操り、デタントヘとじわじわと進む。結局のところ、現実とそれほど変わらない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 味方は現れます! | クリチバとい... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |