goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

『罪と罰の彼岸』ルサンチマン

2016年11月05日 | 4.歴史
『罪と罰の彼岸』より

本にかぎらずこの十二年間に生み出したすべて、それをドイツ国民が精神的に破棄するとき、否定の否定にひとしい。高度に建設的な、大いなる行為にあたる。このときようやく主観的にはルサンチマンがはたされ、客観的にはそれがもはや無用のものとなったわけだ。

倫理に目がくらんだのか、なんというとてつもない夢想であろう! 一九四五年、駅のプラットホームのドイツ人乗客は私の仲間たちの死体の山を見て怒りのあまり色を失い、口をとがらせ私たちの殺し屋、つまりは彼らの同郷人をにらみつけなかっただろうか。自分のルサンチマンと、その赴くところのドイツの浄化のおかげで、目の前で時代が逆転した。あるドイツ人はSS隊員ヴァイスの手から殴打用のシャベルをもぎとらなかったか? あるドイツ女性は拷問のあと気を失い、くたばりかけていた私に身をかがめ、傷口に手当てをしなかっただろうか? 過去が未来に入りこむ。そのときようやく終極的に過去を打ち負かしたにちがいないのだが、なんという夢想であろう!

このようなことは一つとして起こらない。私は知っている、少数のドイツ知識人による誠実な努力にもかかわらず、何も起こらない。そして知識人たちは、とどのつまりは世間から求められるとおりのもの、つまり根なし草にとどまるだろう。はっきりとした兆候がこぞって指し示している。私たちのルサンチマンか求める倫理的要求を自然な時の推移が拒絶して、ひいてはきれいさっぱり消し去るだろう。偉大なる革命など、どこに起こるだろう? ドイツは遅ればせの革命など願わない。私たちの恨みごとは見て見ない振りをする。ヒトラー帝国は、当分はなお歴史の業務上の過去というものである。だが、いずれは歴史そのものとなる。世界史にわんさとある、血がどっさり流れた劇的な年月と較べても良くもなければ悪くもない、たいして変わりばえのしない帝国時代ということになる。SSの制服を着た祖父の写真が奥の間にかかげられ、学校の子供たちにはユダヤ人選別台ではなく失業者問題に対する画期的な成功か語られる。ヒトラーやヒムラーやハイドリッヒやカルテンブルナーといったナチの大立者の名前が、ナポレオンや政治家フーケや革命家ロベスピエールやサン=ジュストにもひとしくなる。つい先だって私は『ドイツについて』という本を読んだばかりだ。ドイツ人の父親と、はるかに年若い息子との対話という構成だが、息子の目にはボルシェヴィズムとナチズムの区別かつかない。いずれ人々は教えるだろう。こんなふうに言うだろう一九三三年から四五年にかけてドイツで起こったことは、もし条件が同じであれば世界中の至るところで起こっていたはずである、と。それがまさしくドイツで起こり、ドイツ以外ではなかったことなど言うに足りない些事である。そのかみのドイツ軍参謀将校フェルディナント・フォン・デア・ラィン公は『壁の森を振り返って』と題した本の中に書いている。

 「……もっとひどい報告が支部より届いた。SS分遣隊が家々に押し入り、最上階で息をひそめていた子供たちを窓から舗道に投げ落としたというのである」

みごとな組織能力をもった高度に文明国の国民にとって、ほとんど学問的なまでの正確さで実施された何百万人もの殺人は悲しむべきことではあれ、しかしながら前代未聞というわけのものではなく、トルコによるアルメニア人追放や、フランス植民地における残虐行為と、それほどちがいはないということになるだろう。「蛮行の世紀」としめくくられてケリがつく。そのなかで私だちとは何ものか。度しがたいやつらであり、かたくなな連中であり、言葉の厳密な意味において歴史に歯向かう反動家どもであるだろう。生きのびた犠牲者は、つまるところ業務上の必要経費というものである。

この栄えあるドイツに行くたびに私はますます気が重くなる。どこのだれか不親切でも無理解だからでもない。ドィツの新聞や放送局に招かれ、ドイツの人々にむけて失礼千万なことを書いたり話したりして、それで謝礼をせしめているのである。これ以上なお何を望むというのだろう? どれほど心のひろい人にしても最後には腹を立て、先に引用した投書家のように「残念でならない」とおっしゃるだろう。私はフランクフルトやシュトゥットガルトやケルンやミュンヘンに自分のルサンチマンを持ちはこんでいる。私が心中に抱いているものは個人的には自分の救済法にかかおるものであり、かつまたむろん、ドイツの人々によかれという気持からでもあるが--だれがこれを受け入れてくれるのだろう、せいぜいが謝礼つきで招いてくれたジャーナリズムぐらいである。かつて私を間化したものか商品となった。それを私は売りあるく。

運命じみた国である。光の中をあゆむ者たちは永遠に光の中をあゆみ、闇の中の人々は永遠に闇の中だ。この国を私はアウシュヴィッツからの撤退用の列車で右往左往した。ソ連軍の大攻勢を前にして西に運ばれ、ブーヘンヴァルト強制収容所に移されてのち、さらに北のベルゲン=ベルゼンヘと送られた。雪の線路を走りボヘミアの田舎をかすめたとき、農家から女たちがパソやリンゴをもって死の列車に駆けよってきた。すぐさま威嚇射撃で追いちらされた。ドイツに入ってからはどうだったろう。石のような顔ばかり。誇り高い国民であり、今なお誇り高いのである。その誇りが少々ひろがりすぎたことは認めなくてはなるまい。この誇りは、もはや無理やりにしぼり出すまでもない。再びやりとげたという良心の満足と、当然の喜びのなかで輝いている。もはや勇猛果敢な戦闘など求めない。世界に冠たる生産力で十分だ。しかしそれは過去の誇りであり、私たちの側からいえば過去の無力のあかしである。ここでもまた、つまるところ、敗レシ者ハ不幸ナルカナ、ということになる。

私はルサンチマンを包みこまなくてはならない。その倫理的強さと歴史的意味合いは、なお信じられる。なおとは、あとどれぐらいであるか? 自分にこのような問いを立てなくてはならないことだけでも自然な時間の推移の無気味さ、気味悪さを示しているだろう。私は明日にもすでに、自分を断罪する羽目に陥らないともかぎらない。倫理の名において時間の逆転を求めるなどのことか、間の抜けたおしゃべりにすぎなくなるかもしれないからだ。いや、世なれた利口者にはすでにしてそうだ。このとき、わがヘルベルト・カルプやヴィリー・シュナイダーやマテウス主任や今日の少数のインテリたちは、もはや見えず、誇り高い国民か最終的に勝利を収めるだろう。厳密にいうと哲学者シェーラーやニーチェが怖れたことは取りこし苦労というものだった。奴隷のモラルは勝ちどきをあげないだろう。ルサンチマンというもの、この真実のモラルの感情の源泉、いつも押しひしがれた人々のモラルであったもの---そのルサンチマンが、打ち負かす者たちの邪悪さを越えるなどのチャンスはめったにない。あるいはまったくないというべきだろうか。私たち犠牲者は自分たちの恨みごとに「ケリをつけ」なくてはならない。かつて強制収容所の隠語として用いられたのと同じ使い方、つまりは殺すことを意味している。私たちはケリをつけねばならず、また間もなくケリをつける。それまでは恨みがましい繰りごとでお邪魔するのをご辛抱いただきたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。