『ヘーゲルを越えるヘーゲル』より 「歴史の終わり」
「冷戦の終焉」と哲学的テーゼ
「序」で少し触れたように、一九八九年の冷戦終結の前後に、当時アメリカの国務省の政策スタッフで、その後ネオコン(新保守主義)の論客として知られることになるフランシス・フクヤマの論文「歴史の終わり?」(一九八九)が話題になった。それはこの論文が、イデオロギーの対決が続いた二〇世紀の歴史は、西欧の自由民主主義の最終的勝利によって終焉することをはっきり予告していたからである。
この論文が発表されたのは八九年の夏であり、ベルリンの壁が崩壊した十一月九日にはまだ間があった。(旧)ソ連でのゴルバチョフ(一九三一-)によるペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の推進と、ソ連内の経済・民族問題の深刻化、東欧諸国における反体制運動の同時発生的活性化等によって、東側がかなり弱っているように見えていたのは確かだが、数カ月の内に、ソ連が東欧と西欧を隔てる間の壁を取り払い、全面的な体制転換を受け入れるということをリアルに予想していた専門家は当時ほとんどいなかった。フクヤマの分析・洞察が的を射ていたのか、(旧)東ドイツ周辺の状況の幸運な偶然が重なってたまたま当たっただけなのか、どちらとも言えないが、結果的に、彼の論文における〝予言〟が成就した。彼は、「冷戦の終焉」を〝予言〟した政策のプロとして注目されることになった。
しかも、「冷戦の終焉」を〝予言〟しただけにとどまらない。「冷戦の終焉」が「歴史の終わり」でもあるという極めて哲学的テーゼをも呈示している。その外交論文らしからぬところも注目されることになった。
私たちが目撃しているのは、単なる冷戦の終焉あるいは戦後史の特殊な一時期が経過したということではない。歴史それ自体の終焉である。つまり、人類のイデオロギー的進化と人間的統治の最終形態としての西欧の自由民主主義の普遍化の終着点である。これは『フォリン・アフェアーズ』誌による国際情勢の年間要約のページを埋めるような出来事がもはやなくなるということではない。というのも自由主義の勝利は主として観念や意識の領域で起こったのであって、実在する、あるいは物質的な世界ではまだ未完だからである。しかし、長期的に見て、理想が物質的世界を支配するようになることを信ずべき強い理由がある。何故そうなのかを理解するには先ず、歴史の変化の本性に関わるいくつかの理論的問題を考察しなければならない。
マルクス主義の敗北という「終わり」
このように「歴史の終わり」をめぐる哲学的な問題を提起したうえでフクヤマは、こうした議論の先駆者として、物質的諸力の相互作用による歴史の発展法則を定式化し、その法則に基づいて、それまでの社会形態の全ての矛盾を解決するユートピアが最終的に到来することを予言したマルクスを挙げている。マルクスにあまり詳しくない読者向けに簡単に説明しておこう。
マルクスあるいはマルクス主義によれば、人類の歴史は、生産様式の発達に応じて、原始共産制社会↓奴隷制社会↓封建制社会↓資本主義社会↓社会主義社会↓共産主義社会という順に発展する。歴史の「始まり」と「終わり」に位置する「共産主義社会」は、階級がなくみんなが平等に働き、成果を分け合う社会であるが、その間にあるのは、生産手段を所有する階級とそれに従属する被支配階級から成る階級社会である。階級社会は、支配階級が被支配階級の労働力を搾取し、富を蓄積するメカニズムを本質とするが、生産性を上昇させるべく生産様式を変化させていくと、階級支配の土台が崩れ、階級闘争が起こる。例えば、封建制社会において工業化を図ろうとすると、農民(農奴)を土地に縛り付ける封建制から解放したうえ、産業構造全体を自由化する必要がある。そこで旧来の秩序を維持しようとする封建勢力と、新しく台頭してきたブルジョワジー(資本家階級)の間で階級対立・闘争が必然的に起こる。そしてブルジョワジーが工場に集めた労働者の労働力を搾取して、資本を増殖するようになると、自らの労働力を取り戻し、より生産的に労働しようとするプロレタリアート(労働者階級)の欲求が高まってくる。そうした階級闘争の歴史は、プロレタリアートのブルジョワジーに対する勝利で事実上終結し、後は、プロレタリアートの支配の下で階級的搾取の原因であった私有財産制の遺物を徐々に清算して、高度に発達した生産技術を基盤とする第二の共産主義社会へ移行することになる。それがマルクス主義にとっての「歴史の終わり」である。
二つの力の対立を原動力として「終わり」へと向かっていく歴史発展の法則を描き、影響を与えたという点で、フクヤマは、マルクスを哲学的な「歴史の終わり」論の〝主要な論客〟としているが、その一方で、肝心の「終わり」方の予想は外れてしまったことを示唆する。外れたというより、彼の名を冠した実践の哲学マルクス主義の敗北という形で「歴史」は「終わる」ことになるわけである。だとすると、極めて皮肉な事態である。無論、フクヤマは皮肉を込めてマルクスに言及しているのであろう。
ヘーゲルの歴史哲学のポイント
そしてフクヤマは、そのマルクスの理論的源泉として「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル」に言及する。
良きにつけ悪しきにつけ、ヘーゲルの歴史主義は私たちの今日の知的荷物の一部になっている。人類が現在に至るまでの原始的な意識の一連の諸段階を通過することで進歩してきた、そしてそれらの諸段階は、部族社会、奴隷制社会、神政政治社会、そして最終的に平等主義・民主主義社会という社会的組織の具体的諸形態に対応しているという考え方は、近代的な人間理解と不可分である。ヘーゲルにとって人間がその歴史的・社会的環境の産物であり、それ以前の自然権論者たちが想定していたであろうように、多かれ少なかれ固定した「自然」の属性の集合体ではなかったという点で、ヘーゲルは近代の社会科学の言語を語った最初の哲学者であった。科学技術の応用による人間の自然環境の征服と変換という考え方はもともとマルクス主義の観念ではなく、へーゲルのそれである。しかし、その歴史相対主義があっけなく相対主義に堕してしまった後の歴史主義者だちとは違って、ヘーゲルは歴史が絶対的な瞬間において頂点に達すると信じていた--それは、社会と国家の最終的で合理的な形態が勝利するであろう瞬間である。
ここでヘーゲルの歴史哲学の重要なポイントがコンパクトに記述されている。歴史の中での社会の発展と、人間の知性の発展が対応しているというのは、人間の知性が発展するにつれて、自分たちの欲望を実現するための社会的組織や物理的環境を作り出し、いったん出来上がった組織や環境が今度は人間の知性や道徳・社会性に作用して、更なる知性の発展を促し、それが更に人々に高度な組織や環境を構築させる方向に働きかけ……というように、作用/反作用の積み重ねによって、知性と社会的組織の発展が相関しながら進んでいく、ということである。一般にへーゲルの「弁証法」と呼ばれている事物の発展運動は、こうした二つの対峙する項--との場合は、知性(内)と環境(外)--の間の相乗作用を通して進行していく。
彼以前の「自然権論者」というのは、カント(一七二四-一八○四)やその時代の合理主義哲学者、フランス革命の指導者たちのように、人間には生まれた時点で、自然権の根拠になる、他の動物には見られない、理性的な本性が備わっていると想定する哲学者たちである。歴史相対主義に堕した後の歴史主義というのは、歴史の進歩の方向性を想定することなく、各時代にはそれぞれ固有の意義があり、遅れているとか進んでいるとか判定する普遍的基準はない、という考え方である。つまりへ1ゲルは、人間はこの地上に誕生した瞬間から素晴らしい人間性を具えているわけでもないが、歴史の中で環境と相互作用しながら次第に理性を発展させ、一つのあるべきゴールに向かっていく歴史を描き出したわけである。実証可能な現実だけに着目するのでも、道徳的理性によって見出される普遍的・抽象的理想にだけ拘るのでもなく、現実と理想を架橋するものとしての「歴史」を捉えたわけである。
「現実」が「理想」に一致していく過程として「歴史」を捉える思考は、キリスト教の救済史観あるいは終末史観に特徴的だが、キリスト教では歴史の「終わり=目的」--「終わり」を意味するドイツ語の〈Ende〉、英語の〈end〉やフランス語の〈fin〉には「目的」という意味もある--を定めたのは神であり、「歴史」がその「終わり=目的」に向かって進んでいくかどうかを、人間の知恵で確かめることはできない(とされてぃた)。当然、人間の活動が歴史の発展の方向に影響を与えることはない。ヘーゲルが画期的だったのは、人間自身の活動、そして自らの活動についての人間の反省的知が「歴史」の方向に影響を与え、やがて最終目的に到達するであろうことを、社会科学的な考察によって予見する方法を示した点である。
「冷戦の終焉」と哲学的テーゼ
「序」で少し触れたように、一九八九年の冷戦終結の前後に、当時アメリカの国務省の政策スタッフで、その後ネオコン(新保守主義)の論客として知られることになるフランシス・フクヤマの論文「歴史の終わり?」(一九八九)が話題になった。それはこの論文が、イデオロギーの対決が続いた二〇世紀の歴史は、西欧の自由民主主義の最終的勝利によって終焉することをはっきり予告していたからである。
この論文が発表されたのは八九年の夏であり、ベルリンの壁が崩壊した十一月九日にはまだ間があった。(旧)ソ連でのゴルバチョフ(一九三一-)によるペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の推進と、ソ連内の経済・民族問題の深刻化、東欧諸国における反体制運動の同時発生的活性化等によって、東側がかなり弱っているように見えていたのは確かだが、数カ月の内に、ソ連が東欧と西欧を隔てる間の壁を取り払い、全面的な体制転換を受け入れるということをリアルに予想していた専門家は当時ほとんどいなかった。フクヤマの分析・洞察が的を射ていたのか、(旧)東ドイツ周辺の状況の幸運な偶然が重なってたまたま当たっただけなのか、どちらとも言えないが、結果的に、彼の論文における〝予言〟が成就した。彼は、「冷戦の終焉」を〝予言〟した政策のプロとして注目されることになった。
しかも、「冷戦の終焉」を〝予言〟しただけにとどまらない。「冷戦の終焉」が「歴史の終わり」でもあるという極めて哲学的テーゼをも呈示している。その外交論文らしからぬところも注目されることになった。
私たちが目撃しているのは、単なる冷戦の終焉あるいは戦後史の特殊な一時期が経過したということではない。歴史それ自体の終焉である。つまり、人類のイデオロギー的進化と人間的統治の最終形態としての西欧の自由民主主義の普遍化の終着点である。これは『フォリン・アフェアーズ』誌による国際情勢の年間要約のページを埋めるような出来事がもはやなくなるということではない。というのも自由主義の勝利は主として観念や意識の領域で起こったのであって、実在する、あるいは物質的な世界ではまだ未完だからである。しかし、長期的に見て、理想が物質的世界を支配するようになることを信ずべき強い理由がある。何故そうなのかを理解するには先ず、歴史の変化の本性に関わるいくつかの理論的問題を考察しなければならない。
マルクス主義の敗北という「終わり」
このように「歴史の終わり」をめぐる哲学的な問題を提起したうえでフクヤマは、こうした議論の先駆者として、物質的諸力の相互作用による歴史の発展法則を定式化し、その法則に基づいて、それまでの社会形態の全ての矛盾を解決するユートピアが最終的に到来することを予言したマルクスを挙げている。マルクスにあまり詳しくない読者向けに簡単に説明しておこう。
マルクスあるいはマルクス主義によれば、人類の歴史は、生産様式の発達に応じて、原始共産制社会↓奴隷制社会↓封建制社会↓資本主義社会↓社会主義社会↓共産主義社会という順に発展する。歴史の「始まり」と「終わり」に位置する「共産主義社会」は、階級がなくみんなが平等に働き、成果を分け合う社会であるが、その間にあるのは、生産手段を所有する階級とそれに従属する被支配階級から成る階級社会である。階級社会は、支配階級が被支配階級の労働力を搾取し、富を蓄積するメカニズムを本質とするが、生産性を上昇させるべく生産様式を変化させていくと、階級支配の土台が崩れ、階級闘争が起こる。例えば、封建制社会において工業化を図ろうとすると、農民(農奴)を土地に縛り付ける封建制から解放したうえ、産業構造全体を自由化する必要がある。そこで旧来の秩序を維持しようとする封建勢力と、新しく台頭してきたブルジョワジー(資本家階級)の間で階級対立・闘争が必然的に起こる。そしてブルジョワジーが工場に集めた労働者の労働力を搾取して、資本を増殖するようになると、自らの労働力を取り戻し、より生産的に労働しようとするプロレタリアート(労働者階級)の欲求が高まってくる。そうした階級闘争の歴史は、プロレタリアートのブルジョワジーに対する勝利で事実上終結し、後は、プロレタリアートの支配の下で階級的搾取の原因であった私有財産制の遺物を徐々に清算して、高度に発達した生産技術を基盤とする第二の共産主義社会へ移行することになる。それがマルクス主義にとっての「歴史の終わり」である。
二つの力の対立を原動力として「終わり」へと向かっていく歴史発展の法則を描き、影響を与えたという点で、フクヤマは、マルクスを哲学的な「歴史の終わり」論の〝主要な論客〟としているが、その一方で、肝心の「終わり」方の予想は外れてしまったことを示唆する。外れたというより、彼の名を冠した実践の哲学マルクス主義の敗北という形で「歴史」は「終わる」ことになるわけである。だとすると、極めて皮肉な事態である。無論、フクヤマは皮肉を込めてマルクスに言及しているのであろう。
ヘーゲルの歴史哲学のポイント
そしてフクヤマは、そのマルクスの理論的源泉として「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル」に言及する。
良きにつけ悪しきにつけ、ヘーゲルの歴史主義は私たちの今日の知的荷物の一部になっている。人類が現在に至るまでの原始的な意識の一連の諸段階を通過することで進歩してきた、そしてそれらの諸段階は、部族社会、奴隷制社会、神政政治社会、そして最終的に平等主義・民主主義社会という社会的組織の具体的諸形態に対応しているという考え方は、近代的な人間理解と不可分である。ヘーゲルにとって人間がその歴史的・社会的環境の産物であり、それ以前の自然権論者たちが想定していたであろうように、多かれ少なかれ固定した「自然」の属性の集合体ではなかったという点で、ヘーゲルは近代の社会科学の言語を語った最初の哲学者であった。科学技術の応用による人間の自然環境の征服と変換という考え方はもともとマルクス主義の観念ではなく、へーゲルのそれである。しかし、その歴史相対主義があっけなく相対主義に堕してしまった後の歴史主義者だちとは違って、ヘーゲルは歴史が絶対的な瞬間において頂点に達すると信じていた--それは、社会と国家の最終的で合理的な形態が勝利するであろう瞬間である。
ここでヘーゲルの歴史哲学の重要なポイントがコンパクトに記述されている。歴史の中での社会の発展と、人間の知性の発展が対応しているというのは、人間の知性が発展するにつれて、自分たちの欲望を実現するための社会的組織や物理的環境を作り出し、いったん出来上がった組織や環境が今度は人間の知性や道徳・社会性に作用して、更なる知性の発展を促し、それが更に人々に高度な組織や環境を構築させる方向に働きかけ……というように、作用/反作用の積み重ねによって、知性と社会的組織の発展が相関しながら進んでいく、ということである。一般にへーゲルの「弁証法」と呼ばれている事物の発展運動は、こうした二つの対峙する項--との場合は、知性(内)と環境(外)--の間の相乗作用を通して進行していく。
彼以前の「自然権論者」というのは、カント(一七二四-一八○四)やその時代の合理主義哲学者、フランス革命の指導者たちのように、人間には生まれた時点で、自然権の根拠になる、他の動物には見られない、理性的な本性が備わっていると想定する哲学者たちである。歴史相対主義に堕した後の歴史主義というのは、歴史の進歩の方向性を想定することなく、各時代にはそれぞれ固有の意義があり、遅れているとか進んでいるとか判定する普遍的基準はない、という考え方である。つまりへ1ゲルは、人間はこの地上に誕生した瞬間から素晴らしい人間性を具えているわけでもないが、歴史の中で環境と相互作用しながら次第に理性を発展させ、一つのあるべきゴールに向かっていく歴史を描き出したわけである。実証可能な現実だけに着目するのでも、道徳的理性によって見出される普遍的・抽象的理想にだけ拘るのでもなく、現実と理想を架橋するものとしての「歴史」を捉えたわけである。
「現実」が「理想」に一致していく過程として「歴史」を捉える思考は、キリスト教の救済史観あるいは終末史観に特徴的だが、キリスト教では歴史の「終わり=目的」--「終わり」を意味するドイツ語の〈Ende〉、英語の〈end〉やフランス語の〈fin〉には「目的」という意味もある--を定めたのは神であり、「歴史」がその「終わり=目的」に向かって進んでいくかどうかを、人間の知恵で確かめることはできない(とされてぃた)。当然、人間の活動が歴史の発展の方向に影響を与えることはない。ヘーゲルが画期的だったのは、人間自身の活動、そして自らの活動についての人間の反省的知が「歴史」の方向に影響を与え、やがて最終目的に到達するであろうことを、社会科学的な考察によって予見する方法を示した点である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます