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心の未来 多宇宙

『心の未来を科学する』より

このパラドックスを解決する第三の手だては、一九五七年にヒュー・エヴェレットが提唱したエヴェレット解釈(多世界解釈)だ。数あるなかでも一番奇妙な理論である。この解釈によると、宇宙は絶えず分岐して多宇宙となっている。ある宇宙では猫は死んでいるが、別の宇宙では猫は生きている。このアプローチは、次のように要約できる。波動関数は収縮せず、ただ分岐する。エヴェレットの多世界理論がコペンハーゲン解釈と唯一異なるのは、波動関数の収縮という決定的な仮定を取り下げた点だ。ある意味で、これは量子力学の最も単純な定式化だが、最も気味の悪いものでもある。

この第三のアプローチは甚大な影響を及ぼす。つまり、ありうるすべての宇宙が存在でき、奇想天外で一見ありえないような宇宙さえ存在しうるのだ(ただし、奇想天外な宇宙ほど、存在する可能性は低くなる)。

すると、われわれの宇宙では死んでしまっている人々が、別の宇宙ではまだ生きていることになる。しかも死んだ人々は、自分の宇宙こそが正しい宇宙で、われわれの宇宙(彼らが死んでいる宇宙)は偽物だと主張する。だが、こうした死んだ人々の「幽霊」がどこかでまだ生きているのなら、なぜわれわれは会えないのか? なぜそうしたパラレルワールドに触れられないのか?(奇妙に思うかもしれないが、この考えによれば、エルヴィス・プレスリーはどこかの宇宙でまだ生きているのだ)さらに、こうした宇宙のなかには、生命がまったくいない死の宇宙もある一方、ひとつの重要な違いを除いてわれわれのとそっくりな宇宙もあるかもしれない。たとえば、たった一本の宇宙線が衝突しても、それは些細な量子論的事象である。ところが、この宇宙線がアドルフ・ヒトラーの母親を貫通し、おなかにいたヒトラーを流産させてしまったら、どうなるだろう? すると、一本の宇宙線の衝突という些細な量子論的事象によって、宇宙がふたつに分かれてしまう。一方の宇宙では、第二次世界大戦は起こらず、六〇〇〇万人が死なずに済んでいる。もう一方の宇宙では、われわれが第二次世界大戦の惨禍を経験している。このふたつの宇宙は大きくかけ離れてしまっているが、最初に隔てたのは、ひとつの些細な量子論的事象なのだ。

この現象については、SF作家フィリップ・K・ディックが『高い城の男』(浅倉久志訳、早川書房)で取り上げている。この小説では、たったひとつの出来事によって別の並行宇宙が生まれる。一発の銃弾によって、フランクリン・ローズヴェルトが暗殺されるのである。この決定的な出来事のせいで、アメリカは第二次世界大戦への備えができず、ナチスと日本が勝利を収め、アメリカを両者で分け合う。

しかしまた、銃弾が発射されるか不発に終わるかは、火薬のなかで微小な火花が散るかどうかに左右され、その火薬の点火も、電子の動きをともなう複雑な分子反応に左右される。そのため、ひょっとしたら火薬のなかの量子ゆらぎが銃の発射か不発かを決め、それがまた連合国とナチスのどちらが第二次世界大戦で勝つのかを決めるのかもしれない。

すると、量子の世界とマクロの世界を隔てる「壁」など存在しないことになる。量子論の奇想天外な性質が、われわれの「常識的な」世界に忍び込んでいる可能性があるのだ。これらの波動関数は収縮しない--どこまでも分岐しつづけて並行する現実を作っていく。別の宇宙の創造は止まることがない。そうしたら、ミクロの世界のパラドックス(つまり、死んでいると同時に生きていること、同時にふたつの場所に存在すること、姿を消してどこかほかの場所にまた現れることなど)が、われわれの世界にもあることになるわけだ。

だが、波動関数が絶えず分岐していて、その際にまったく新しい宇宙を作り出しているとしたら、なぜわれわれはそこへ行けないのだろう?

ノーベル賞受賞者のスティーヴン・ワインバーグはこれを、部屋でラジオを聴くことになぞらえている。部屋には方々から届く何百もの電波が満ち満ちているが、ラジオのダイヤルはひとつの周波数にだけ合わせられている。言い方を変えれば、ラジオはほかのすべての局とは「干渉性を失って」いることになる(干渉性とは、レーザー光線のように、すべての波が完全に同期して振動している状況を指す。干渉性の消失は、こうした波の位相がずれだして、振動が同期しなくなっている状況である)。ほかの周波数もすべて存在しているのに、ラジオがそれらを受信しないのは、ダイヤルを合わせたのと同じ周波数で振動していないからだ。そういうわけで干渉性を失っているのである。

同じように、死んでいると同時に生きている猫の波動関数も、時間が経つと干渉性が失われてしまう。これが意味するところは、かなり驚異的なものだ。あなたは自分の部屋で、恐竜や海賊、エイリアン、怪物の波と共存している。それでも、そんな量子空間の奇妙な住民と同じ空間にいることなど知らずにのほほんとしている。あなたの原子はもはやそれらと同期して振動していないからだ。このような並行宇宙は、どこか遠いおとぎの国に存在するのではない。あなたの部屋に存在しているのだ。

こうしたパラレルワールドのひとつに入ることを、「量子飛躍」または「スライド」といい、SFのトリックとしてよく使われる。並行宇宙に入るには、そこへ量子飛躍しなければならない(以前、人々が並行宇宙を行き来する作品として、『スライダーズ』というテレビシリーズまであった。この話は、青年がある本を読むところから始まる。その本がなんと拙著『超空間』(稲垣省五訳、翔泳社一なのだが、この話の背景にある物理学については、私は責任を負わない)。

実際には、別の宇宙に飛躍するのはそう簡単なことではない。博士課程の学生に出すことのある問題のひとつに、レンガの壁を通り抜けて反対側に着く確率を計算させるというものがある。その結果には思わずひるんでしまう。レンガの壁を量子飛躍やスライドで通り抜けるには、宇宙の寿命より長く待たなければならないだろう。
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