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世界がイスラム化する日

『生命には意味がある』より

もう一度「緑のサハラ」が生まれたら

 一般に寒冷化と乾燥化は並行して起こり、氷期は氷床とともに砂漠が拡大すると考えられている。しかし、一筋縄では行かないのが常だ。こないだの最終氷期の最寒冷期の前に「湿潤期」があり「緑のサハラ」が出現したと述べた。岩絵のあるギルフ・キビールでは1万年前から5000年前にかけて湿潤だった。

 ということは、やがて来る氷期にも「緑のサハラ」が出現する可能性がある。それはいつか。いや予測不能か。あるいは「緑のサハラ」など現れないかもしれない。しかしここでは、「緑のサハラ」が出現するとして、そうなったら何か起こるか、妄想してみる。

 サハラ砂漠の北、「マグレブ」(日の沈む地)と呼ばれるチュニジア~アルジェリア~モロッコの一帯にリビアとエジプトを加えた北アフリカ地域は、ローマ帝国の昔からヨーロッパ大陸と交流があった。

 「日の沈む地」というのはリビアから見て西側ということ。かつてローマ皇帝(セプティミウス・セウェルス)を出したリビアが中心である。彼の故郷はレプティス・マグナというリビア三都のひとつで、セウェルス帝の時代は大いに繁栄したが、後にバンダル人に破壊されてからは復興することなく砂に埋もれてしまった。破壊行為を意味する英語バンダリズムの語源である。

 サハラ砂漠の南はサヘール地域と呼ばれる半乾燥のサバンナ草原で雨季もある。しかし、ここは人口爆発、貧困、紛争……人間界の矛盾をすべて背負ったような土地だ。ここから出ようにもサハラ砂漠が障壁となっている。しかし、もし、その障壁がなくなったら、人の波が押し寄せる。サハラを越え、マグレブを越え、地中海へ。

 ヨーロッパの人々は拡大する氷河に追われるように南下する。地中海へ。かつて、地中海の覇権をめぐってカルタゴとローマ帝国が対峙した。しかし、「緑のサハラ」の時代は、カルタゴよりずっと南のサヘールからの人波だ。しかも、覇権争いでも移民でもない、ただの移動の人波だ。『ローマ人の物語』を著した塩野七生はこう指摘する。水が低きに流れるのと同じで、貧しいところから豊かなところに人が移動するのは、歴史上くり返されてきた現象である。ただ、昔は蛮族の侵入という言葉を使えたが、今は使えないだけである。(『再び男たちへ』文春文庫より)

 「緑のサハラ」は砂漠の緑化・農地化という面もあるが、むしろ侵入ルートとして使われることの影響が大きいだろう。サヘールに閉じ込められていた人間界のあらゆる矛盾が、「緑のサハラ」を通って世界中に擲き蜘らされることになる。

世界がイスラム化する日

 北アフリカのマグレブとリビア・エジプトは昔からサヘールとの交流があるうえに、イスラム教を信じるアラブ人の国々である。

 イスラム教徒は五行あるいは五柱という行いをしなくてはならない。信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼の五行である(六柱目に聖戦を加える人もいるが、僕は聖戦も含めて不戦主義なのでここでは入れない)。このうち「喜捨」という利他的行動に僕は興味がある。

 もちろん、キリスト教や仏教でも喜捨と同じような行いが勧奨されている。キリスト教の守護者を標榜する騎士道の「十戒」には「弱者への敬意と憐れみ」と「惜しみなく与えること」がある。一見すると貧者救済とも取れるが、実は違う。

 弱者には「敬意と憐れみ」を与え、「惜しみなく与える」対象は困窮した仲間である。仲間とは、つまり戦友のことだ。十戒には「異教徒への慈悲なき戦い」という項目もある。仲間ではない非キリスト教徒には苛烈なのだ。

 仏教の喜捨は善行・徳行として勧奨されるものなので、必ずも義務ではない。

 イスラム教では、喜捨による貧者救済は、現世の罪滅ぼしと来世の安寧を得るための行いである。動機は利己的だが、結果は「よりよい集団生存」の達成に成功している。「己」をイスラム社会にまで拡張した利己―利他的行動は報われるのだ。さらにすごいのは、喜捨を五行のひとつとして制度化し、相互扶助システムを確立した点である(一夫多妻制は母子家庭の救済だという強弁もあるくらいだ)。

 北アフリカのイスラム社会は、サヘールからの人波をいったんは受け容れるだろう。そして、もともとのイスラム教徒はもちろんのこと、イスラム教への改宗者をも救済する。この宗教は信者同士の相互扶助や一体感を重視するのが特徴なので、それまで塗炭の苦しみに喘いでいたサヘールの人々は、イスラム教徒であってよかったと、あるいはイスラム教に改宗してよかったと心からアラーの神に帰依する。

 思いを新たにし、サヘールの人波は「剣とコーラン」を持ってまた世界中に広がる。大きなうねりのように。

 彼らの「剣とコーラン」は文字通りのそれではない。ベネチアで、パリで、ニューヨークで、六本木で、高級ブランド品の偽物を売るサヘールの民がいる。たとえば、それが彼らの「剣とコーラソ」だ。彼らの五行は「生きる」こと。彼らはこの世の矛盾に満ち溢れた土地から来た。何も失うものがない彼らは、「生きる」ことしか行いがない。ただしぶとくたくましく生きて、また世界へと人波のうねりを広める。それが彼らの行いだ。そうなると世界がイスラム化する、という事態が起こるだろう。
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