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未唯への手紙

未唯への手紙

ヘーゲル『歴史哲学講義』啓蒙思想とフランス革命

2013年12月12日 | 4.歴史
『ヘーゲルとその時代』より プロイセン国家と『歴史哲学講義』 宗教改革と主権国家の形成

近代の第三期では、啓蒙による自由意志の原理の発見と、革命によるその実現が論じられる。まず、宗教改革により見出された「内面性の原理」から、デカルトの懐疑精神を通じ、普遍者を探求する「自由な思考」という啓蒙の原理が出現する。そして、自由に思考する中で、ルソーとカントによって「意志の自由と平等という自然権」が発見される近代自然法思想の展開が、フランス革命の前奏曲に当たると見なされる。「純粋な自由意志」という「この原理が、今や思考の中で把握された。自分を意志する自由意志こそ、最も内奥の最終原理であり、あらゆる法の実質的基礎だと認識された」(カール・ヘーゲル)。

そこで、フランス革命とは、理論的に発見されたばかりの自由意志の原理を「古き不法の体系」に実践的に適用し、自然権に基づく憲法を制定する試みとして、すなわち近代自然法の思想の実現として理解される。そして、哲学による現実の改造という文脈で、フランス革命を自由な精神の「日の出」にたとえる有名な一節が、一八三〇年度講義録に記されている。「太陽が天空に位置し、惑星が太陽の周りを回るようになってから、人間が頭の上に、つまり思想の上に立ち、現実を思想に従い築き上げることは、かつて見られなかった。……(コや初めて人間は、思想が精神的現実を支配すべきだと認識するに至った。これは輝かしい日の出だった」(カール・ヘーゲル)。フランス革命の結果、封建的特権は廃棄され、人格と所有の自由という「実質的自由」、そして政治決定に参加する自由という「形式的自由」が初めて得られた。

こうしてへーゲルは、宗教改革で出現した内面性の原理の延長上に啓蒙思想を捉え、フランス革命を啓蒙の発見した自由意志の原理の実現と見なしている。したがって、一八三〇年度講義では、宗教改革-啓蒙思想’フランス革命の三者が、精神史上密接に関連する出来事として論じられている。そればかりか、フランス革命は、教会財産を没収する狭義の「世俗化」を伴っている点で、国制史上も、宗教改革と深く関連している。一八二二年度の法哲学講義で、へーゲルは、国家による修道院廃止を是認していた。そこで、保守主義者パークが、フランス国民議会による教会財産没収に反対したのと対照的に、ヘーゲルは、主権国家による「世俗化」の事業を自由の原理の実現として支持していたことが分かる。

しかし、ここで、「現代では自由の意識の進歩は、ドイツでなくフランスで終わる」とヘーゲルの思想を要約するのは適当とは言えない。ヨーロッパの近代国家が、ナポレオンの征服によりフランスの自由主義原理に開かれたにもかかわらず、この自由主義が至る所で破産してしまった」のはなぜなのか。その理由は、「ラテン系世界が既にカトリシズムにより分裂していたため、古い状態に逆戻りしてしまった」からだとヘーゲルは考える。これに対し、ドイツでは、宗教改革により修道院制度が廃止され、「宗教と法との和解」が成し遂げられたから、「世俗の法から切り離され、これに対立する神聖で宗教的な良心はもはや存在しない」という。

したがって、最初に予告された理性と宗教の和解は、プロテスタントのドイツ、すなわちプロイセンにより、今や国家と教会の和解として実現された。これが、一八三〇年度講義に見られるヘーゲルの現状認識である。フランス貴族トクヴィルと同じく、ヘーゲルも、革命後フランスでなく、プロテスタント・プロイセンの中に、「自由の精神」と「宗教の精神」の結合を見出し、理性と宗教の和解の中に世界史の将来への期待を託すのである。それは、教会権力を排除する(狭義の)「世俗化」の事業こそ、人格と所有の自由というキリスト教原理を実現する、という(広義の)「世俗化」の運動への歴史的展望により支えられている。

そこで、一八三〇年度講義の結びズ ヘーゲルは、世界史における自由の概念の実現を「神義論」と呼んで、最後を締めくくっている。【精神の原理の発展は真の神義論である。百由の〕概念は歴史の中で完成されたが、これは神の所業である。というのも、神が歴史の中で実現し、啓示されたからである」(カール・ヘーゲル)。

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