未唯への手紙
未唯への手紙
「経験する自己」と「記憶する自己」
『ファスト&スロー』より 二つの自己--「経験する自己」と「記憶する自己」
経験効用はどうすれば計測できるだろうか。たとえば、「治療を受けている間、ヘレンはどれほど苦痛を感じたか」とか「ビーチで二〇分日光浴をしたときの快楽はどれはどか」といった質問にはどう答えたらいいだろう。一九世紀イギリスの経済学者フランシスーエッジワースはこの問題に取り組み、「快楽計」という架空の機械を考案した。これは気象記録計のようなもので、人間が感じる快楽や苦痛のレベルを時々刻々と記録する。
天気や気圧が変化するように経験効用も変化し、その結果は時間の関数としてグラフに表せるはずだ、とエッジワースは考えた。すると、ヘレンが治療を受けている間やビーチで日光浴をしている間に感じた苦痛または快楽は、グラフの下の面積になる。エッジワースの発想では、時間が重要な要素となる。ヘレンが二〇分でなく四〇分日光浴して、それが彼女にとって心地よければ、経験効用の合計は二倍になる。ちょうど、注射の回数を二倍にしたら苦痛が二倍になるのと同じである。これがエッジワースの法則であり、いまではどのような条件で彼の理論が成り立つかもわかっている。
図15のグラフは、二人の患者が苦痛を伴う大腸内視鏡検査を受けたときの様子を表したもので、ドナルド・レデルマイヤーと私が設計した調査から借用した。レデルマイヤーは卜ロント大学教授で医師でもあり、一九九〇年代前半にこの実験を行った。現在では検査時に軽い麻酔を使うことが多いようだが、当時はまだ一般的でなかった。患者には六〇秒ごとに、そのとき感じている苦痛を一〇段階で評価してもらい、その結果をグラフで表した。Oは「まったく痛くない」、10は「我慢できないほど痛い」である。グラフを見るとわかるように、患者が感じる苦痛は大幅に変動している。検査は、患者Aでは八分間、患者Bでは二四分間かかった(それ以降のOは計測値ではない)。この実験には合計一五四名の患者に参加してもらい、検査時間は最短で四分、最長で六九分だった。
ではここで、簡単な質問に答えてほしい。二人の患者が同じ評価基準を持っていたと仮定した場合、どちらの患者の苦痛が大きいだろうか。考えるまでもなく、患者Bである。患者Bはピー・ク時に患者Aと同じ度合いの強い苦痛を昧わっているうえ、グラフの斜線部分の面積は、Bのほうが明らかにAより大きい。これは言うまでもなく、Bの検査時間が長かったからである。以下では、患者が実際に感じた苦痛の合計を「実感計測値」と呼ぶことにする。
検査が終了してから、患者全員に「検査中に感じた苦痛の総量」を評価してもらった。この表現は、患者が時々刻々と感じた苦痛を足し合わせることを意図しており、そうすれば当’然ながら実感計測値に等しくなるだろう、と私たちは予想していた。ところが驚いたことに、まったくちがう結果が出たのである。患者の回答を統計分析すると、次の二つの傾向が認められた。この傾向は、他の実験でも確認されている。
・ピーク・エンドの法則--記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。
・持続時間の無視--検査の持続時間は、苦痛の総量の評価にはほとんど影響をおよぼさない。
ではこの二つのルールを、患者AとBに当てはめてみよう。どちらの患者もピーク時の苦痛(一〇段階の八)は同じだが、最後に感じた苦痛はAが七でBは一である。したがってピークーエンドの平均は、Aが七・五、Bは四・五になる。この結果からわかるように、AはBに比べ、検査に対してはるかに悪い印象を持っていた。Aにとって不運だったのは、痛い瞬間に検査が終わったことである。そのせいで、不快な記憶しか残らなかった。
いまや私たちは、経験効用について豊富なデータを手に入れたわけである。一つは実感計測値、もう一つは記憶に基づく評価で、この二つは根本的にちがう。実感計測値は、六〇秒ごとの苦痛の報告を足し合わせれば計算できる。この計測値には持続時間が加味されており、どの瞬間にも同じ重みが割り当てられている。つまりレペル九の苦痛が二分続くのは、一分の場合の二倍つらいことになる。だがこの実験をはじめとするさまざまな実験の結果、記憶に基づく評価は持続時間と無関係であること、ピーク時と終了時の二つの瞬間の重みが他の瞬間よりはるかに大きいことがわかった。となれば、実感と記憶とどちらが重要なのだろうか。また、このような検査を行うとき、医者はどうすべきだろうか。この選択は、医療現場に影響を与えうる。簡単にまとめておこう。
・患者の苦痛の記憶を減らすことが目的ならば、ピーク時の苦痛を減らすことが、時間を短くするより効果的である。同じ理由から、終了間際の苦痛がおだやかなほうが快い記憶が残るので、苦痛を伴う治療や検査は、一気に終わらせるより徐々に終わらせるほうがよい。
・患者が実際に経験する苦痛を減らすことが目的ならば、たとえピーク時の苦痛が大きくなり、かつ患者が悪印象を抱いても、治療や検査をさっさと終わらせるほうがよい。
経験効用はどうすれば計測できるだろうか。たとえば、「治療を受けている間、ヘレンはどれほど苦痛を感じたか」とか「ビーチで二〇分日光浴をしたときの快楽はどれはどか」といった質問にはどう答えたらいいだろう。一九世紀イギリスの経済学者フランシスーエッジワースはこの問題に取り組み、「快楽計」という架空の機械を考案した。これは気象記録計のようなもので、人間が感じる快楽や苦痛のレベルを時々刻々と記録する。
天気や気圧が変化するように経験効用も変化し、その結果は時間の関数としてグラフに表せるはずだ、とエッジワースは考えた。すると、ヘレンが治療を受けている間やビーチで日光浴をしている間に感じた苦痛または快楽は、グラフの下の面積になる。エッジワースの発想では、時間が重要な要素となる。ヘレンが二〇分でなく四〇分日光浴して、それが彼女にとって心地よければ、経験効用の合計は二倍になる。ちょうど、注射の回数を二倍にしたら苦痛が二倍になるのと同じである。これがエッジワースの法則であり、いまではどのような条件で彼の理論が成り立つかもわかっている。
図15のグラフは、二人の患者が苦痛を伴う大腸内視鏡検査を受けたときの様子を表したもので、ドナルド・レデルマイヤーと私が設計した調査から借用した。レデルマイヤーは卜ロント大学教授で医師でもあり、一九九〇年代前半にこの実験を行った。現在では検査時に軽い麻酔を使うことが多いようだが、当時はまだ一般的でなかった。患者には六〇秒ごとに、そのとき感じている苦痛を一〇段階で評価してもらい、その結果をグラフで表した。Oは「まったく痛くない」、10は「我慢できないほど痛い」である。グラフを見るとわかるように、患者が感じる苦痛は大幅に変動している。検査は、患者Aでは八分間、患者Bでは二四分間かかった(それ以降のOは計測値ではない)。この実験には合計一五四名の患者に参加してもらい、検査時間は最短で四分、最長で六九分だった。
ではここで、簡単な質問に答えてほしい。二人の患者が同じ評価基準を持っていたと仮定した場合、どちらの患者の苦痛が大きいだろうか。考えるまでもなく、患者Bである。患者Bはピー・ク時に患者Aと同じ度合いの強い苦痛を昧わっているうえ、グラフの斜線部分の面積は、Bのほうが明らかにAより大きい。これは言うまでもなく、Bの検査時間が長かったからである。以下では、患者が実際に感じた苦痛の合計を「実感計測値」と呼ぶことにする。
検査が終了してから、患者全員に「検査中に感じた苦痛の総量」を評価してもらった。この表現は、患者が時々刻々と感じた苦痛を足し合わせることを意図しており、そうすれば当’然ながら実感計測値に等しくなるだろう、と私たちは予想していた。ところが驚いたことに、まったくちがう結果が出たのである。患者の回答を統計分析すると、次の二つの傾向が認められた。この傾向は、他の実験でも確認されている。
・ピーク・エンドの法則--記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。
・持続時間の無視--検査の持続時間は、苦痛の総量の評価にはほとんど影響をおよぼさない。
ではこの二つのルールを、患者AとBに当てはめてみよう。どちらの患者もピーク時の苦痛(一〇段階の八)は同じだが、最後に感じた苦痛はAが七でBは一である。したがってピークーエンドの平均は、Aが七・五、Bは四・五になる。この結果からわかるように、AはBに比べ、検査に対してはるかに悪い印象を持っていた。Aにとって不運だったのは、痛い瞬間に検査が終わったことである。そのせいで、不快な記憶しか残らなかった。
いまや私たちは、経験効用について豊富なデータを手に入れたわけである。一つは実感計測値、もう一つは記憶に基づく評価で、この二つは根本的にちがう。実感計測値は、六〇秒ごとの苦痛の報告を足し合わせれば計算できる。この計測値には持続時間が加味されており、どの瞬間にも同じ重みが割り当てられている。つまりレペル九の苦痛が二分続くのは、一分の場合の二倍つらいことになる。だがこの実験をはじめとするさまざまな実験の結果、記憶に基づく評価は持続時間と無関係であること、ピーク時と終了時の二つの瞬間の重みが他の瞬間よりはるかに大きいことがわかった。となれば、実感と記憶とどちらが重要なのだろうか。また、このような検査を行うとき、医者はどうすべきだろうか。この選択は、医療現場に影響を与えうる。簡単にまとめておこう。
・患者の苦痛の記憶を減らすことが目的ならば、ピーク時の苦痛を減らすことが、時間を短くするより効果的である。同じ理由から、終了間際の苦痛がおだやかなほうが快い記憶が残るので、苦痛を伴う治療や検査は、一気に終わらせるより徐々に終わらせるほうがよい。
・患者が実際に経験する苦痛を減らすことが目的ならば、たとえピーク時の苦痛が大きくなり、かつ患者が悪印象を抱いても、治療や検査をさっさと終わらせるほうがよい。
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