未唯への手紙
未唯への手紙
小平の改革開放のマイナス面
『毛沢東と中国ポスト』より 毛沢東時代(二〇〇〇-二〇〇九)
この進歩のために大きな代価が支払われたことである。巨大な問題と矛盾がもたらされ、政治・経済・社会・思想の危機が到来した。
第一に、日ましに深刻化する両極分化と社会の不公平がある。これは「六四体制」の必然的帰結であった。世界銀行が一九九七年に公布したレポートによると、中国の八○年代初期のジニ係数は○・二八であったが、一九九五年には○・三八、九〇年代末には〇・四五八に上昇した。二〇〇八年には○・五の「極度の不平等」に達したという。国際的経験からいうと、ジニ係数は○・三以下であれば比較的平等で、○・三から〇・四の間だと中度の不平等、〇・四を超えると大きな不平等とされる。
財政部が二〇〇九年に公布したデータによると、全国一〇%の家庭が、都市住民のすべての財産の四五%を占有し、全国一〇%の低収入の家庭の財産は、わずか一・四%に過ぎないという。七つの独占企業の従業員数は、全国の八%に過ぎないが、給与および給与外の収入を合わせると、従業員収入総額の五五%に達するという。
中国改革基金会国民経済研究所の調査によると、現在、都市の収入上位一〇%と下位一〇%の家庭の収入格差は約三一倍だという。都市と農村を合わせると、その収入格差は約五五倍になるという。
さらに以下のようなデータもある。「一人あたりGDPに対する最低賃金の比率は、世界平均では五八%だが(国際労働機関『世界賃金レポート○八/○九』によると、中国は二五%である」。「経済協力開発機構の二四力国で、平均賃金に対する最低賃金の比率は五〇%であるが、国家統計局のデータによると、中国は一二%である」。「中国の最低年収は六一二〇元で、世界平均の五%にも達せず、世界一五八位である」。ここに見て取れるように、中国は経済発展の速度で世界トップであるが、不平等の程度でも世界トップである。この二つの[トップ]は、強烈なコントラストをなしている。経済が大発展し、社会の富が増加している足もとで、このような不平等が存在する。それは人間が精神的に受けとめられることでない。しかも格差は拡大しつつある。
ある研究者が言うように、「より重要なのは、独占と特権による(収入の)上昇に、納得できる説明を与えられないことである」。現実にはこれは権力を利用した略奪であり、いかなる合法性も道徳性もない。そのため「大衆の不公平感はジニ係数が同等の国家よりも高い」。私からも補足したい。このように巨大な社会の不公平が、「社会主義国家」を自称し、イデオロギー的には「社会の平等・公平・正義」を唱える中国で発生し、実際には極度の貧富の格差が広がっていること、そのコントラストの大きさは、忍耐の限界を超えている。
社会の不公平は、公共品の供給不足および公共品の公共性不足にも表れている。こうした問題は毛沢東時代から存在した。党の幹部がより充実した公共福利を享受し、低収入の普通の民衆、とくに農民は、社会的福利をほとんど受けられないか、まったく享受できなかった。これがいわゆる「特権」による社会の不平等である。しかし毛沢東時代には、特権はまだ一定の制限を受けていた(毛沢東の方法は、やむことなく大衆運動を発動し、特権を享受する幹部の安定性を揺り動かすことだった)。しかも毛沢東時代の単位所有制は、普通の幹部・労働者の基本的な福利を保障していた。きわめて低い水準ではあったものの、相対的に平均している印象を与えた。ところが小平の経済改革によって、失地農民、レイオフ労働者がおよそ七〇〇〇万人、そのうえ一億近い農民工階層が現れた。彼らは経済的収入がきわめて低いのみならず、基本的に社会福利から除外された。他方で、「公共サービス部門は責任を放棄し、公共の資源を用いて任意に「営利追求」を行い、同時に独占権力によって民間の競争相手を排除した」。かくして「「二次分配」が当初の分配の不公平を緩和することなく、逆に拡大させた≒そこで次のようなデータが出てくる。中国の公務員の給与は最低賃金の六倍、ちなみに世界平均は二倍。中国の国有企業の役員クラスの給与は最低賃金の九八倍、ちなみに世界平均は五倍。高度経済成長に貢献し、あるいは貢献しつづけるレイオフ労働者、失地農民、農民工たちは、社会福利を享受できず、改革の成果を享受できない。これは最大の不公平であるばかりでなく、改革の合理性に大きな傷を与えた。
それに関連して、政府の支出の大きさがある。国家情報センター経済予測部「政策動向課題グループ」が二〇〇六年に発表したデータによると、全国の各級の公的機関の公費接待費、公務交通費、公費海外考察費は、合計一万億元を超え、年度財政支出の三〇%を占めたという。この比率は、日本ではわずか一・四%、イギリスは四・一%、インドは六・一%、ロシアは八・二%、アメリカは九・九%である。この政府支出の多さと公共サービス支出の欠乏は、大きなコントラストをなしている。そのもとで政府の官僚化と腐敗が進み、社会の不公平が明らかになった。
もう一つ注目すべきは、都市と農村、東部と中西部の格差である。一九九〇年から二〇〇三年の間に、都市と農村の収入絶対額の格差は七倍以上拡大した。物価の要素を差し引いても、三倍以上の拡大であった。二〇〇二年の統計によると、全国の収入格差の五分の二以上は、都市と農村の間の収入格差に由来したという。東部地区と中西部地区の収入格差の貢献率は、一九九五年には七・五%だったが、二〇〇二年には八・七%に上昇した。このほかに、都市の業種独占による収入格差がある。二〇〇一年の職業別従業員平均給与のジニ係数は、一九九〇年よりも八六%増大した。統計によると、中国の職業別の給与格差は三〇〇〇%に達し、世界平均の四二二倍だという。こうした多方面の収入格差は、聞違いなく臨界点に達している。改革の合理性の危機を深めていることは疑いない。
この進歩のために大きな代価が支払われたことである。巨大な問題と矛盾がもたらされ、政治・経済・社会・思想の危機が到来した。
第一に、日ましに深刻化する両極分化と社会の不公平がある。これは「六四体制」の必然的帰結であった。世界銀行が一九九七年に公布したレポートによると、中国の八○年代初期のジニ係数は○・二八であったが、一九九五年には○・三八、九〇年代末には〇・四五八に上昇した。二〇〇八年には○・五の「極度の不平等」に達したという。国際的経験からいうと、ジニ係数は○・三以下であれば比較的平等で、○・三から〇・四の間だと中度の不平等、〇・四を超えると大きな不平等とされる。
財政部が二〇〇九年に公布したデータによると、全国一〇%の家庭が、都市住民のすべての財産の四五%を占有し、全国一〇%の低収入の家庭の財産は、わずか一・四%に過ぎないという。七つの独占企業の従業員数は、全国の八%に過ぎないが、給与および給与外の収入を合わせると、従業員収入総額の五五%に達するという。
中国改革基金会国民経済研究所の調査によると、現在、都市の収入上位一〇%と下位一〇%の家庭の収入格差は約三一倍だという。都市と農村を合わせると、その収入格差は約五五倍になるという。
さらに以下のようなデータもある。「一人あたりGDPに対する最低賃金の比率は、世界平均では五八%だが(国際労働機関『世界賃金レポート○八/○九』によると、中国は二五%である」。「経済協力開発機構の二四力国で、平均賃金に対する最低賃金の比率は五〇%であるが、国家統計局のデータによると、中国は一二%である」。「中国の最低年収は六一二〇元で、世界平均の五%にも達せず、世界一五八位である」。ここに見て取れるように、中国は経済発展の速度で世界トップであるが、不平等の程度でも世界トップである。この二つの[トップ]は、強烈なコントラストをなしている。経済が大発展し、社会の富が増加している足もとで、このような不平等が存在する。それは人間が精神的に受けとめられることでない。しかも格差は拡大しつつある。
ある研究者が言うように、「より重要なのは、独占と特権による(収入の)上昇に、納得できる説明を与えられないことである」。現実にはこれは権力を利用した略奪であり、いかなる合法性も道徳性もない。そのため「大衆の不公平感はジニ係数が同等の国家よりも高い」。私からも補足したい。このように巨大な社会の不公平が、「社会主義国家」を自称し、イデオロギー的には「社会の平等・公平・正義」を唱える中国で発生し、実際には極度の貧富の格差が広がっていること、そのコントラストの大きさは、忍耐の限界を超えている。
社会の不公平は、公共品の供給不足および公共品の公共性不足にも表れている。こうした問題は毛沢東時代から存在した。党の幹部がより充実した公共福利を享受し、低収入の普通の民衆、とくに農民は、社会的福利をほとんど受けられないか、まったく享受できなかった。これがいわゆる「特権」による社会の不平等である。しかし毛沢東時代には、特権はまだ一定の制限を受けていた(毛沢東の方法は、やむことなく大衆運動を発動し、特権を享受する幹部の安定性を揺り動かすことだった)。しかも毛沢東時代の単位所有制は、普通の幹部・労働者の基本的な福利を保障していた。きわめて低い水準ではあったものの、相対的に平均している印象を与えた。ところが小平の経済改革によって、失地農民、レイオフ労働者がおよそ七〇〇〇万人、そのうえ一億近い農民工階層が現れた。彼らは経済的収入がきわめて低いのみならず、基本的に社会福利から除外された。他方で、「公共サービス部門は責任を放棄し、公共の資源を用いて任意に「営利追求」を行い、同時に独占権力によって民間の競争相手を排除した」。かくして「「二次分配」が当初の分配の不公平を緩和することなく、逆に拡大させた≒そこで次のようなデータが出てくる。中国の公務員の給与は最低賃金の六倍、ちなみに世界平均は二倍。中国の国有企業の役員クラスの給与は最低賃金の九八倍、ちなみに世界平均は五倍。高度経済成長に貢献し、あるいは貢献しつづけるレイオフ労働者、失地農民、農民工たちは、社会福利を享受できず、改革の成果を享受できない。これは最大の不公平であるばかりでなく、改革の合理性に大きな傷を与えた。
それに関連して、政府の支出の大きさがある。国家情報センター経済予測部「政策動向課題グループ」が二〇〇六年に発表したデータによると、全国の各級の公的機関の公費接待費、公務交通費、公費海外考察費は、合計一万億元を超え、年度財政支出の三〇%を占めたという。この比率は、日本ではわずか一・四%、イギリスは四・一%、インドは六・一%、ロシアは八・二%、アメリカは九・九%である。この政府支出の多さと公共サービス支出の欠乏は、大きなコントラストをなしている。そのもとで政府の官僚化と腐敗が進み、社会の不公平が明らかになった。
もう一つ注目すべきは、都市と農村、東部と中西部の格差である。一九九〇年から二〇〇三年の間に、都市と農村の収入絶対額の格差は七倍以上拡大した。物価の要素を差し引いても、三倍以上の拡大であった。二〇〇二年の統計によると、全国の収入格差の五分の二以上は、都市と農村の間の収入格差に由来したという。東部地区と中西部地区の収入格差の貢献率は、一九九五年には七・五%だったが、二〇〇二年には八・七%に上昇した。このほかに、都市の業種独占による収入格差がある。二〇〇一年の職業別従業員平均給与のジニ係数は、一九九〇年よりも八六%増大した。統計によると、中国の職業別の給与格差は三〇〇〇%に達し、世界平均の四二二倍だという。こうした多方面の収入格差は、聞違いなく臨界点に達している。改革の合理性の危機を深めていることは疑いない。
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