『財政のエッセンス』より 公共財 「市場の失敗」にどう対処するか
環境資源(きれいな空気や生態系)や渋滞した一般道路は、利用したい人は誰でも無料で利用可能(排除不可能)ですが、誰かが共有資源を利用すると、ほかの人々の利用できる量が減少します(競合性)。本節では、共有資源をめぐる市場の失敗と、その解決方法などを述べます。
共有地の悲劇
公共財の自発的供給のケースでは、人々の効用最大化行動の結果、公共財は社会的に過少な供給がなされると述べました。これに対して、共有資源においては、人々の効用最大化行動の結果、社会的に望ましい水準よりも過剰に利用されてしまうことを、以下に示します。
ある町に、私的所有になっていない広い牧草地があったとします。町に住む多くの家計は羊を私有しており、それらの羊が牧草地において草を食べて育ち、羊の所有者は羊毛の販売などで生計を支えていました。他方、牧草地は誰もが無料で入れましたが、維持管理をする者がいなかったので、その土地は次第に牧草を再生する能力を失い、ついに牧草地は羊に食い荒らされて不毛になってしまいました。そして、町の牧羊産業が壊滅しました。
このような寓話は、「共有地の悲劇」(tragedy of commons)と呼ばれます。この寓話には、2節の公共財の自発的供給の社会的非効率性と対照的な性質があります。このストーリーが「悲劇」たる所以は、個々人の自由(効用最大化)行動の結果、社会の誰もが望んでいなかった、牧草地と牧羊産業の消失という事態を招いてしまったことです。「見えざる手」は(なぜ)働かなかったのでしょうか。
ある羊が共有地で草を食べると、ほかの家計の羊が利用できる土地の質は低下するのです。しかし、最初の羊の所有者は、土地の利用と摩耗に対して対価を支払いません。この土地の所有者はいませんし、わざわざほかの利用者に摩耗分を申告する義務もないのです。どの家計も同様に振る舞いますので、牧草地は際限なく過剰に消費され、限りある資源を枯渇させてしまうのです。ここでも、「市場の失敗」が生じています。
所有権
どの家計も、重要な生活資源である牧草地の使用や維持のために、対価を支払う用意があります。共有地の悲劇は、牧草地の利用が無料であると錯覚した人々が起こした、経済資源の誤用です。この誤用を防ぐためには、牧草地に対して対価を支払う仕組みを作ることです。
所有権とは、経済資源を個人に所有させ、所有者が資源とその価値を自由に管理・コントロールする権限を指します。この共有地には所有権がありませんでした(ないし、所有権が曖昧でした)ので、各使用者の使用や維持のための支払許容額を集め、実際に牧草地の維持を行うということがなされませんでした。土地に所有者がいれば、この問題は解決します。土地の所有者は利潤動機に基づいて羊の放牧に対して料金を徴収し、土地が放牧に見合うように維持のための投資をします。羊の所有者は、羊から得られる利潤に見合った利用料までしか支払いません。土地の利用と羊が生み出す付加価値が正である限りは、適正な市場価格がっき、それは土地の効率的な利用と整合的になります。土地を各家計(牧羊家)に分割所有させても、同様の議論が成り立ちます。ここでの所有権は土地の利用に対し排除性を生むので、土地の利用は私的財の取引と同様に扱うことが可能となり、共有地の悲劇が回避されます。
共有地の悲劇のこの解法の場合、政府による土地利用の規制や羊の頭数の規制・課税などといった、人々の行動に制限をかける政府介入は、必要ありません。このことは市場の失敗における政府の役割を考察するうえで重要です。所有権の重要性を指摘したのは、ノーベル経済学賞受賞者のコース(R.Coase)でした。所有権の重要な応用としては、やはり公共財の性質を持つ科学技術や著作といったものへの著作権(知的財産権)です。希少生物の乱獲の問題に、私的所有を許可して種の保存に成功したケースも見られます。この文脈での政府の役割は、所有権を保護するようにルールを設定し、各人にルールを守らせ、制度を維持(特許のリストの適切な管理など)することです。
環境資源
きれいな空気や水は、今日的に非常に重要な共有資源です。前節で部分的に言及した、大気汚染や騒音、自動車の騒音や排気ガスを含めて、環境に負荷を与えるものは、前項の羊の所有者と同様の行動を企業や家計がしてしまう結果、社会的に過剰に生じてしまうものです。ある経済主体の行動が、周囲の人々の効用に何の補償もなく影響を与えることを、外部性(externalities、ないし外部効果external effects)と呼びます。ここで、「何の補償もなく」とは、「市場を介さず」ということも含まれており、財やサービスの生産や消費の文脈では、「周囲の人々」とは、「直接の売り手と買い手以外」です。非排除性は外部性の1つの形態であり、また、ある人の財の使用が競合性(混雑にょる不便)を生む場合も外部性が生じることになります。
環境汚染は過剰放牧と似ていますが、環境問題の多くにおいては、所有権の割り当てが非常に難しいのが特徴的です。特定の企業が特殊な化学物質やガスを出すような場合は、汚染元は少数でしかも特定できますから、この汚染元に対して被害者が直接交渉をする、あるいは交渉が難しい(裁判費用など取引にかかる諸費用が大きすぎるなど)のであれば、直接規制や罰金などで、問題に対処することができます。しかし、地球温暖化ガスの問題は、環境汚染に関わる経済主体の数が多すぎ(各家計の日常的な家電製品などが環境への負荷になっていれば、加害者も被害者も国民全員になります)、個々の経済主体に環境の使用権を与えたり、支払許容額を徴収したりするというのは、不可能です。多数の経済主体の行動を効果的に制御するのに用いられるのは, (1)外部性の影響を是正するために課される税(ピグー税〔Pigouvian taxes〕と呼ばれます)と(2)1つの汚染先(企業や国)から別の汚染先に、[汚染する権利]を市場価格で移転する「移転可能許可証」(tradable permits)の2つの方法です。いずれも、経済学的な費用を、各経済主体の支払に対応させ、市場行動をベースに制御し、環境を保つためのアイディアです。
交通渋滞
渋滞している(しかかっている)道路を利用すれば、道路サービスは競合性を増すので、個々のドライバーの選択は外部効果を生むことになります。個々のドライバーが、他人への迷惑を考慮に入れず、道路から私的便益を得ようとして道路に入ってしまうと、渋滞がやはり過剰になってしまいます。このようなケースも、共有資源問題に含まれます。
通行する車に料金を課すことは、前項の環境汚染に対するピグー税と同様、外部性を是正する役割を持ちます。しかしこれが可能なのは、高速道路など、料金徴収が可能なケースのみです。排除不可能な一般道路の場合は、車のナンバーに応じた通行規制などが、代替案になります。究極的には、道路の追加供給や都市計画も必要になるでしょう。
医療
1節の混んだ教室のケースと同様、混んだ病院・病室は、競合性を生みます。混雑を避けるためには料金(医療費の患者負担分)を上げるのが真っ先に考えられうる選択肢ですが、値上げへの反発の回避などがあり、医療費が安く抑えられたまま医療サービスが超過需要を生みますと、潜在的な患者は、料金ではなく待ち時間での需要調整を余儀なくされます。医療サービスに対してより強い需要を持つ潜在的患者が、より気長に病院で待とうとはするでしょうが、待合室で時間を空費することの機会費用の高い、働いている人や忙しい人には供給が過少になる(与えられない)ことになります。高い技術を持った医院への診療や手術の予約待ちの場合も、需要調整は真のニーズを反映しないことが多いでしょう。待ち行列のシステムは、不透明・不確実であり、人々をサービスヘの支払許容額以外の要因で差別するのみならず、時間の空費の機会費用や需給のミスマッチによる損失により、場合によっては料金の値上げよりも社会的費用が高くっきます。
財政赤字
税収も、共有資源の1つと言えます。いま、国庫に集められた税収に、とくに所有権が規定されていないとします。このとき、各官庁や政治家、および背後の利益団体などは、自分たちにとって望ましい政策を実現するために、より多くの税収を使おうとします。税収全体を放牧地にたとえますと、1つの官庁による公共サービスヘの出費は、利害が対立する別の官庁や政治家が使いうる財源を失わせることになります。このような状況は各官庁の希望支出に関する税収の「簒奪」を起こし、その結果、支出額の総額が、集められた税収を上回ってしまうことも起こりえます。その場合、政府は公債を発行せざるをえなくなります。
このような財政赤字の発生(ないしは拡大)は、牧草地の例や環境汚染と同様、当初はどの官庁や政治家も、もちろん有権者も望んでいなかった帰結です。ここでの共有資源問題は、政府活動が引き起こしたものですから、1章で述べた「政府の失敗」の1つです。この問題の解決策としては、省庁ごとに支出の枠を決定することが1つの案と考えられます。これは、所有権の割り当ての一種とも考えられます。また、2章で示したシーリングや、8章で説明する財政ルールも、共有資源問題の結果発生する財政赤字の抑制策とも捉えられます。
環境資源(きれいな空気や生態系)や渋滞した一般道路は、利用したい人は誰でも無料で利用可能(排除不可能)ですが、誰かが共有資源を利用すると、ほかの人々の利用できる量が減少します(競合性)。本節では、共有資源をめぐる市場の失敗と、その解決方法などを述べます。
共有地の悲劇
公共財の自発的供給のケースでは、人々の効用最大化行動の結果、公共財は社会的に過少な供給がなされると述べました。これに対して、共有資源においては、人々の効用最大化行動の結果、社会的に望ましい水準よりも過剰に利用されてしまうことを、以下に示します。
ある町に、私的所有になっていない広い牧草地があったとします。町に住む多くの家計は羊を私有しており、それらの羊が牧草地において草を食べて育ち、羊の所有者は羊毛の販売などで生計を支えていました。他方、牧草地は誰もが無料で入れましたが、維持管理をする者がいなかったので、その土地は次第に牧草を再生する能力を失い、ついに牧草地は羊に食い荒らされて不毛になってしまいました。そして、町の牧羊産業が壊滅しました。
このような寓話は、「共有地の悲劇」(tragedy of commons)と呼ばれます。この寓話には、2節の公共財の自発的供給の社会的非効率性と対照的な性質があります。このストーリーが「悲劇」たる所以は、個々人の自由(効用最大化)行動の結果、社会の誰もが望んでいなかった、牧草地と牧羊産業の消失という事態を招いてしまったことです。「見えざる手」は(なぜ)働かなかったのでしょうか。
ある羊が共有地で草を食べると、ほかの家計の羊が利用できる土地の質は低下するのです。しかし、最初の羊の所有者は、土地の利用と摩耗に対して対価を支払いません。この土地の所有者はいませんし、わざわざほかの利用者に摩耗分を申告する義務もないのです。どの家計も同様に振る舞いますので、牧草地は際限なく過剰に消費され、限りある資源を枯渇させてしまうのです。ここでも、「市場の失敗」が生じています。
所有権
どの家計も、重要な生活資源である牧草地の使用や維持のために、対価を支払う用意があります。共有地の悲劇は、牧草地の利用が無料であると錯覚した人々が起こした、経済資源の誤用です。この誤用を防ぐためには、牧草地に対して対価を支払う仕組みを作ることです。
所有権とは、経済資源を個人に所有させ、所有者が資源とその価値を自由に管理・コントロールする権限を指します。この共有地には所有権がありませんでした(ないし、所有権が曖昧でした)ので、各使用者の使用や維持のための支払許容額を集め、実際に牧草地の維持を行うということがなされませんでした。土地に所有者がいれば、この問題は解決します。土地の所有者は利潤動機に基づいて羊の放牧に対して料金を徴収し、土地が放牧に見合うように維持のための投資をします。羊の所有者は、羊から得られる利潤に見合った利用料までしか支払いません。土地の利用と羊が生み出す付加価値が正である限りは、適正な市場価格がっき、それは土地の効率的な利用と整合的になります。土地を各家計(牧羊家)に分割所有させても、同様の議論が成り立ちます。ここでの所有権は土地の利用に対し排除性を生むので、土地の利用は私的財の取引と同様に扱うことが可能となり、共有地の悲劇が回避されます。
共有地の悲劇のこの解法の場合、政府による土地利用の規制や羊の頭数の規制・課税などといった、人々の行動に制限をかける政府介入は、必要ありません。このことは市場の失敗における政府の役割を考察するうえで重要です。所有権の重要性を指摘したのは、ノーベル経済学賞受賞者のコース(R.Coase)でした。所有権の重要な応用としては、やはり公共財の性質を持つ科学技術や著作といったものへの著作権(知的財産権)です。希少生物の乱獲の問題に、私的所有を許可して種の保存に成功したケースも見られます。この文脈での政府の役割は、所有権を保護するようにルールを設定し、各人にルールを守らせ、制度を維持(特許のリストの適切な管理など)することです。
環境資源
きれいな空気や水は、今日的に非常に重要な共有資源です。前節で部分的に言及した、大気汚染や騒音、自動車の騒音や排気ガスを含めて、環境に負荷を与えるものは、前項の羊の所有者と同様の行動を企業や家計がしてしまう結果、社会的に過剰に生じてしまうものです。ある経済主体の行動が、周囲の人々の効用に何の補償もなく影響を与えることを、外部性(externalities、ないし外部効果external effects)と呼びます。ここで、「何の補償もなく」とは、「市場を介さず」ということも含まれており、財やサービスの生産や消費の文脈では、「周囲の人々」とは、「直接の売り手と買い手以外」です。非排除性は外部性の1つの形態であり、また、ある人の財の使用が競合性(混雑にょる不便)を生む場合も外部性が生じることになります。
環境汚染は過剰放牧と似ていますが、環境問題の多くにおいては、所有権の割り当てが非常に難しいのが特徴的です。特定の企業が特殊な化学物質やガスを出すような場合は、汚染元は少数でしかも特定できますから、この汚染元に対して被害者が直接交渉をする、あるいは交渉が難しい(裁判費用など取引にかかる諸費用が大きすぎるなど)のであれば、直接規制や罰金などで、問題に対処することができます。しかし、地球温暖化ガスの問題は、環境汚染に関わる経済主体の数が多すぎ(各家計の日常的な家電製品などが環境への負荷になっていれば、加害者も被害者も国民全員になります)、個々の経済主体に環境の使用権を与えたり、支払許容額を徴収したりするというのは、不可能です。多数の経済主体の行動を効果的に制御するのに用いられるのは, (1)外部性の影響を是正するために課される税(ピグー税〔Pigouvian taxes〕と呼ばれます)と(2)1つの汚染先(企業や国)から別の汚染先に、[汚染する権利]を市場価格で移転する「移転可能許可証」(tradable permits)の2つの方法です。いずれも、経済学的な費用を、各経済主体の支払に対応させ、市場行動をベースに制御し、環境を保つためのアイディアです。
交通渋滞
渋滞している(しかかっている)道路を利用すれば、道路サービスは競合性を増すので、個々のドライバーの選択は外部効果を生むことになります。個々のドライバーが、他人への迷惑を考慮に入れず、道路から私的便益を得ようとして道路に入ってしまうと、渋滞がやはり過剰になってしまいます。このようなケースも、共有資源問題に含まれます。
通行する車に料金を課すことは、前項の環境汚染に対するピグー税と同様、外部性を是正する役割を持ちます。しかしこれが可能なのは、高速道路など、料金徴収が可能なケースのみです。排除不可能な一般道路の場合は、車のナンバーに応じた通行規制などが、代替案になります。究極的には、道路の追加供給や都市計画も必要になるでしょう。
医療
1節の混んだ教室のケースと同様、混んだ病院・病室は、競合性を生みます。混雑を避けるためには料金(医療費の患者負担分)を上げるのが真っ先に考えられうる選択肢ですが、値上げへの反発の回避などがあり、医療費が安く抑えられたまま医療サービスが超過需要を生みますと、潜在的な患者は、料金ではなく待ち時間での需要調整を余儀なくされます。医療サービスに対してより強い需要を持つ潜在的患者が、より気長に病院で待とうとはするでしょうが、待合室で時間を空費することの機会費用の高い、働いている人や忙しい人には供給が過少になる(与えられない)ことになります。高い技術を持った医院への診療や手術の予約待ちの場合も、需要調整は真のニーズを反映しないことが多いでしょう。待ち行列のシステムは、不透明・不確実であり、人々をサービスヘの支払許容額以外の要因で差別するのみならず、時間の空費の機会費用や需給のミスマッチによる損失により、場合によっては料金の値上げよりも社会的費用が高くっきます。
財政赤字
税収も、共有資源の1つと言えます。いま、国庫に集められた税収に、とくに所有権が規定されていないとします。このとき、各官庁や政治家、および背後の利益団体などは、自分たちにとって望ましい政策を実現するために、より多くの税収を使おうとします。税収全体を放牧地にたとえますと、1つの官庁による公共サービスヘの出費は、利害が対立する別の官庁や政治家が使いうる財源を失わせることになります。このような状況は各官庁の希望支出に関する税収の「簒奪」を起こし、その結果、支出額の総額が、集められた税収を上回ってしまうことも起こりえます。その場合、政府は公債を発行せざるをえなくなります。
このような財政赤字の発生(ないしは拡大)は、牧草地の例や環境汚染と同様、当初はどの官庁や政治家も、もちろん有権者も望んでいなかった帰結です。ここでの共有資源問題は、政府活動が引き起こしたものですから、1章で述べた「政府の失敗」の1つです。この問題の解決策としては、省庁ごとに支出の枠を決定することが1つの案と考えられます。これは、所有権の割り当ての一種とも考えられます。また、2章で示したシーリングや、8章で説明する財政ルールも、共有資源問題の結果発生する財政赤字の抑制策とも捉えられます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます