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アレクサンドリア図書館 ヒュパティアの虐殺

 『書物の破壊の世界史』より
 ヒュパティアをめぐる物語はアレハンドロ・アメナバル監督の映画『アレクサンドリア(原題Agora)』(二〇〇九年)で一躍有名になったので、ご存じの読者も多いだろう。ヒュパティアは学問の専門家になろうとしたがために抹殺された最初の女性だ。彼女の人生を追っていくと、当時のアレクサンドリアの退廃ぶりが理解できる。
 ヒュパティアは二五〇年から三七〇年頃にアレクサンドリアに生まれた。父親のテオンは〝哲学者のなかで最大の賢人〟として知られ、アレクサンドリアのムセイオンの重要なメンバーだった。天文学・数学・音楽の専門書を執筆し、ギリシャの天文学者プトレマイオスの『アルマゲスト』を注解した『簡易表』を著すなど、定評のある学者だった。同じくギリシャの数学者エウクレイデスの『原論』を編纂し、学生たちのあいだに普及させたのも彼で、その質の高さから東ローマ帝国では何十年にもわたって使い続けられたという。古代ギリシャの密儀信仰オルフェウス教の入信儀式に関する文献や『ギリシャ選集』のような詩に関する著作もあり、エピファニオス、エウラリオス、オリゲネスといった優秀な弟子たちもいた。一九世紀から二〇世紀にかけてベルギー・ブリュッセルで刊行された『ギリシャ語占星術文献目録』全一二巻(CCAG)をひもとけば、テオンの名が占星術師や魔術師たちのなかでも最も鋭敏な人物として、何度も登場している。
 娘のヒュパティアも父親に負けず劣らず優秀で、学問に対し不屈の精神の持ち主だった。当初はテオンの助手だったか、間もなくすべての面で父親を追い越し、当時の数学を完全に把握するに至った。『ディオファントスの「算術」に関する注釈』や『アポロニオスの「円錐曲線」に関する注釈』『天文学規範』などの論文を著し、父親の『アルマゲスト簡易表』第三巻に加筆したともいわれている。
 残念なことに、それらの代表作ですら断片的にしか現代に伝わっていない。彼女の著作は破壊され、あるいは後代の情勢悪化で喪失した。ヒュパティアの弟子で友人でもあったシュネシオスは、自著『夢について』を彼女に贈っている。彼の主張を真に理解できたのは、プラトンや、プロティノスをはじめとする新プラトン主義から学び、この世の謎に精通していたヒュパティアだけだったからだ。またシュネシオスとの書簡でのやり取りから、彼女がアストロラーベ(天体観測器)やハイドロスコープ(液体比重計)を設計していたことがわかっている。
 ヒュパティアは献身的な教師でもあった。新プラトン主義の哲学学校で入門者たちを教えていたが、彼女の新プラトン主義はより科学的・学術的なもので、幾何学への愛を回復させることで、教えを広めようとするものだった。彼女の評判は高まる一方で、話を聞く機会を求める声が一般市民からも上がり、エジプトの長 官オレステスをはじめ、アレクサンドリアの高官たちまでもが助言を請うようになった。そんなヒュパティアは妬みの対象となり、キリスト教徒のあいだでは、学問に対する彼女の姿勢や言動を神への冒涜と捉え、敵視する向きも現れた。
 アレクサンドリア総主教テオフィロスが時のローマ皇帝テオドシウス一世からエジプトの非キリスト教宗教施設・神殿を破壊する許可を取りつけ、三九一年にアレクサンドリアのセラペウム(セラピス神殿)と図書館分館の破壊と略奪を実行した話は、第四章で述べた。テオフィロスの甥で、おじから影響を受けて育ったキュリロスは四二一年にアレクサンドリア総主教に就任すると、異教徒迫害と破壊活動に手を染めた。異教徒との協調路線を推し進めるオレステスは、異教徒に対する略奪や破壊行為を法律で禁じ、キュリロスと対立。四一四年キュリロスが法律を無視してユダヤ人強制排除を断行したため、双方のあいだで暴力沙汰となり、緊張状態が頂点に達した。長官の懐柔策を模索していたキュリロスは、オレステスに入れ知恵しているのは師であるヒュパティアだとの噂を聞き、ヒュパティアに対する憎悪を募らせる。
 四一五年の春、講演中で壇上にいたヒュパティアは、会場になだれ込んできたキュリロスの手下、ペテロ率いる修道士の一群に、魔女だと罵られたうえ、無理やり連れ去られた(馬車で移動中に誘拐されたという説もある)。彼女は抵抗し、助けを求めたが、その場にいた誰ひとりとして助ける勇気はなかったという。混乱した聴衆たちが恐怖に身をこわばらせているあいだに、修道士たちは難なく彼女を拉致し、教会として使われていたカエサリオンまで運んだ。そこで全員で取り囲むなか、虐待が始まった。裸にされて鋭利なカキの貝殻で殴打されたヒュパティアは、肉を削がれ、眼球と舌を引き抜かれた。その後、すでに息絶えた彼女の体をシナロンという場所に運び、切り刻んで臓物や骨を取り出し、灰になるまで火で焼いた。最終的な目的は、ヒュパティアをこの世から完全に消し去ることだった。
 キュリロスにはヒュパティアが女性であること、彼女に備わる知性、キリスト教の教義に疑問を呈する能力、謙虚さと実践に基づく教育方法など、何もかもが耐えかたかったに違いない。アカデメイアの最後の学徒として知られる哲学者ダマシウスは、著者『イシドルスの生涯』で次のように語る。《この女性を一刻も早く亡き者にしたいと願い、あのような殺害方法を画策するとは、キュリロスはよほど精神的に蝕まれていたのだろう》
 長官オレステスは自責の念にさいなまれ、ヒュパティアの死について捜査を命じ、エデシオを責任者に任命する。ところがエデシオはキュリロス側に金で丸め込まれてしまう。それでもオレステスは折れなかったため、総主教らキリスト教徒から敵視され、最終的にアレクサンドリアを出ていかざるを得なくなった。そうしてヒュパティアに対する犯罪は、恥ずべき買収によって無処罰で終わった。
 どういうわけかアレクサンドリア図書館の変遷には絶えず犯罪の影がつきまとっている。創設者のデメトリオスがエジプトコブラの犠牲になって以来、多くの司書たちが無残な最期を遂げている。ヒュパティアがムセイオンに関わったのはこの学術機関の末期のことだが、彼女も虐待の末に殺害された。図書館自体も後年、跡形もなく滅びている。
 人類の歴史とは、何と皮肉なものなのだろう。
 
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