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アーイシャ 敬虔な妻

『名著誕生「コーラン」』より アーイシャ 敬虔な妻
西暦六八〇年
ハディージャの死でムハンマドは取り残された。近しい友人は再婚を勧めた。そこでまず二人の女性を娶った。一人目はサウダという名の未亡人で、もう一人が同盟者の若い娘アーイシャだった。その後もムハンマドは結婚したが、ハディージャの没後は、アーイシャこそ、さまざまな意味で最も重要な妻だったといえよう。
アーイシャは預言者の一番若い妻というだけでなく、最も美しい妻だった。アーイシャの父アブー・バクルは初期からの傑出したムスリムであり、六三二年のムハンマドの死去に際しては、初代のカリフ、つまりムハンマドの後継者となった。六三二年に預言者に輿入れした時、アーイシャはまだ九歳の幼児だった。ムハンマドの死後アーイシャは何十年も生き続け、六十五歳で没した。その頃にはアーイシャはすっかりメディナ社会の有力者となっており、その生涯の物語はコーランの継受やムスリム共同体の草創期における発展の画期となる出来事と不可分に結び付いている。
アーイシャは鋭敏な観察力と類稀な記憶力を兼ね備えた、非常に聡明な女性だった。コーランの本文を暗記していただけでなく、他のムスリムのほとんど誰よりも、コーランの章句がどのように、いつ、なぜ啓示されたのかを熟知していた。ムハンマドの家庭内の些細なやり取りから、ムスリム共同体を形作った重大な公的行動に至るまで、一挙手一投足を目撃し伝えた。人生の終わりに近づいた男と、人生が始まって間もない女との、この例外的な結婚によって、双方についての多くのことが後世に伝わった。
アーイシャは利発で物事を正確に記憶していただけではない。舌鋒鋭く、躊躇せず、細かなところには拘泥することなく単刀直入に真実を語った。アーイシャが誰かを議論でやり込めていると、預言者は微笑んで言うのだった。「彼女はあのアブー・バクルの娘だからね!」。一人の教友が言ったことがある。「私はアーイシャより雄弁な者に会ったことがない」。ムハンマドの存命中は、アーイシャは他の女性たちに混じって、彼から伝え聞いた知識を伝達したものだった。ムハンマド死後もアーイシャは善男善女の知識と叡智の源泉であり続けた。「ある記録が疑わしく感じられる時は、アーイシャに訊ねたものである。必ず何かしらを得られた」と一人の教友は語っている。
アーイシャは「信仰者たちの母」という尊称を好んだ。これはアーイシャやその他のムハンマドの妻全員に与えられた称号である。
 預言者は信仰者にとって自分自身より近くにいる。預言者の妻たちは、信仰者の母である。 (第33章「部族連合」第6節)
しかしこの尊称には義務や期待が込められてもいる。
 預言者の妻たちよ。お前たちがあからさまに不貞をなす時、その懲罰は二倍となる。神にとっていとたやすきこと。しかし神とその使徒に従順で、行いを慎む者には、褒賞を二倍にしてやろう。寛大な糧を与えてやろう。
 預言者の妻たちよ。お前たちは他の女たちとは違う。もしお前たちが神を畏れるなら、口を慎め。心に病ある者たちの情欲を掻き立ててはならぬ。行儀よく言葉を使え。
 家を整え、ジャーヒリーヤ[イスラーム教以前の無明時代]の頃のように派手に着飾ってはならぬ。礼拝の務めを果たし、喜捨を施せ。神とその使徒に従順であれ。家の者たちよ、神はお前だちから不浄を取り除き、清らかに清めたいとお望みだ。
 またお前たちの家で誦まれたコーランの章句とその知恵を暗記せよ。本当に神は繊細でよく知りたもう。 (第33章「部族連合」第30-34節)
第33章「部族連合」第34節その他に言及される神の「知恵」とは、預言者の模範的な態度とされる。生涯のあらゆる側面を、誕生から死までの間に起こるすべての出来事を、ムスリムはムハンマドの行いを鑑にして見る。預言者の行動基準、すなわち「スンナ(範例)」を記録し保持することに、アーイシャは力を尽くしたのである。預言者について語ってくれと求められた時に、「彼は歩くコーランよ」とアーイシャは応えた。ムハンマドの行動とはコーランが実践に移されたものなのだ、という意味である。章句を暗誦し理解することで、書き記されたコーランと、歩くコーランの双方を保存することに、アーイシャは意を傾けた。同時に、アーイシャはスンナを熟知し、それを体現していた。ハディース、すなわち預言者に関する伝承や記録がコーランと融合したのは、アーイシャの示した範例に多くを負っている。コーランが神の変更不可能な言葉であるなら、ハディースに縫い込まれたスンナがそれを補い、敷行する。
しかしムハンマドの特殊な立場は、アーイシャやその他の妻たちにとって特有の重荷ともなった。ムハンマド存命中、教友やその他のムスリムたちは、彼に敬意と礼儀をもって接することが求められた。不信仰者に付け狙われ、時に嫌がらせも受けた妻たちは護身のためにヴェールを被った。ムハンマド没後に他の者と再婚することも禁じられた。
 お前たちが預言者の妻たちに何か尋ねる時は、必ず御簾の後ろからにせよ。その方がお前たちの心にとって、また彼女らの心にとっても清浄だ。神の預言者を苦しめてはならない。ムハンマドの後で、その妻たちを、決して娶ってはならない。それは神のもとで重罪だ。 (第33章「部族連合」第53節)
アーイシャは清浄さを保ったが、預言者の最も若い妻としての要求に応えるには危うい場面もあった。預言者ムハンマドと結婚してから、パドルの戦い、ウフドの戦い、塹壕の戦いがあった。ムハンマドに対抗するメッカの大部族クライシュ族との三つの大きな戦いであった。これらの戦いによって力のバランスは変化し、クライシュ族からムスリムたちに主導権が移っていった。アーイシャはまだかなり若かったけれども、これら三つの戦いすべてに参加し、ムスリム戦士に水を運び、負傷者の手当てを手伝った。生を目の当たりにし、死を見届けた。神の道のための死も、神の敵の道における死も。それらのいずれをも目撃したアーイシャは、しかし生を肯定した。
預言者ムハンマドが戦場に赴く時、くじを引いてどの妻を連れて行くか選ぶことがあった。六二六年、バヌー・ムスタリク族との戦いに出向いた時、アーイシャがくじに当たった。その時アーイシャは十三歳だった。アーイシャが勝ち誇るムスリムたちに同行しメディナに帰還する途上のことであった。預言者は野営地を急に引き払い、不意に軍勢に帰路を急ぐよう命じた。この時アーイシャは輿を降り、砂丘の陰で休んでいたが、首飾りをなくしたと気づき、砂の中を探し始め、時がたつのを忘れた。そして野営地に戻った時にはコ打は出発してしまっていた。アーイシャは体重が軽かったので、輿を担ぐ男たちはアーイシャが中にいるかどうか確認せず、彼女を乗せずに出発してしまっていたのだ。アーイシャは座り込み、待った。誰かが彼女がいないと気づいて引き返してくれることを願いながら。しかし誰も気づかない。
だが幸運なことに、隊列からはぐれた若いムスリムが追いかけてきて、彼女が取り残された場所にやってきた。そこでアーイシャが早くもうつらうつらしているのを見つけた。若者は彼女を起こして自分の駱駝の背に乗せ、自分は降りて徒歩で駱駝を引き、隊列を追いかけた。じきに追いつけるだろう、とただ望みながら。確かに追いつけはした。しかしすでに翌日の午前になっており、一日の最も暑い時期にさしかかって軍勢が停止し休息をとっている時だった。
運悪く、従者の付き添いなしに二人きりで到着するのを目撃した者がいた。風評が流れ、悪意ある嘘が広まった。やがて預言者の耳にこの話か届いた。この二人の若いムスリムの間に何か起こったのか、何か起こらなかったのか、バヌー・ムスタリク族との戦いから帰ったムスリム社会の全体が、この話で持ちきりとなった。二人の間の「事件」の結果の方が、戦果よりも意味を持つようになってしまった。
噂話が広がってしまったため、預言者の家庭は緊張に包まれた。この問題を解明する啓示は下らなかった。預言者は、おそらく従弟アリーの勧めにより、アーイシャの従者であるバリーラに訊ねた。アーイシャの行動に過ちはあったか? これに答えて「あなた様に真理を下された神の名に誓って、アーイシャ様に過ちはございません。まだお若いですから、パンを提ねている時に眠り込んでしまい、羊が来て食べてしまうことがあったぐらいです!」。その場にいた教友の何人かがバリーラを叱った。バリ上フを小突き、知っていることをすべて話せと詰問した。「神に栄光あれ! 宝石商が純金のかけらを知っているぐらいに、私はアーイシャ様のことを存じ上げておりますよ」。
それから預言者は公衆の面前でアーイシャの名誉を晴らそうとした。モスクに全員を集め、アーイシャの名声を擁護した。しかしこの問題を騒ぎ立てた中傷者たちもモスクにやってきて、預言者の意図に挑戦した。この問題でほとんど殴りあいになりかけたところで、預言者はやっとのことで演壇に登り、集まった信仰者たちに大声で語りかけた。「神の預言者の家庭のことで、いやしくも疑いの念を発するとは、いかがなものか?」。ムハンマドは非難する者たちを特定するのではなく、各部族にそれぞれの成員の不始末の責任を負わせた。アーイシャの名誉を既めることに最も熱心であった者は自らの属す部族に引き渡され、そこで罰せられた。噂話に連帯責任が取らされた。その直後、天使ガブリエルが預言者に啓示し、アーイシャは本当に無実であったと告げた。
 この嘘を広めた者たちは、お前たちの中の党派を作る者たち。
 あなたはこれを災いと受け取ってはならない。
 いや、あなたにとってこれは良いことなのだ。
 連中の誰もが犯した罪の報いを受ける。
 連中の中でも大きな役割を果たしたものは、とてつもない罰を受ける。
 お前たちがそれを聞いた時、男の信奉者も女の信奉者も、
 なぜ自らはよい答えをしなかったのか。
 そして、「これは明らかに中傷だ」と言わなかったのか。
 彼らはなぜ、四人の証人を連れてこなかったのか。
 証人がなければ、彼らは神のもとでは嘘つきだ。 (第24章「御光」第11‐13節)
 お前たちがそれを聞いたとき、なぜこう言わなかったのか。「これについて私たちが語るべ
 きではない。神に讃えあれ、これは重大な中傷だ」と?
 神は、もしお前たちが信者なら、こんなことを繰り返してはならない、と訓戒される。
 神は徴を明らかにしてくださる。神こそは全知にしていと賢明なり。 (第24章「御光」第16-18節)

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