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夢想の時間が生んだ大きな成果 3M

『ありえない決断』より

サンドペーパーやマスキングテープ、ポスト・イットやDVDなどありとあらゆるものを開発してきた3M(スリーエム)は、ほぼ一世紀にわたって世界で最も革新的な企業の一つであり続けている。もちろんそれは資金力豊かな研究開発部門があるおかげなのだが、もっと重要な要因は、今日の経営者たちが見失いがちな決断、すなわち「社員に夢見る時間を与えること」だった。一九四八年に下されたこの画期的な決断は、社員が勤務時間の一五%を自分の好きな研究などに充ててよいというもので、これがスリーエムのイノペーションを支える原動力となったのである。スリーエムの収益の三〇%は開発後五年以内の製品からもたらされるとも言われるが、その伝統は今日も変わらない。二〇〇九年には、金融危機のただなかにあっても一〇〇〇種類を超える新製品を送り出している。しかし、そうした方針を最大限に活用することは、いざ実行に移すとなると難しい。経営者というのは、すべてを管理したがるものだ。ではスリーエムは「一五%ルール」をどう運用しているのだろうか。グーグルなど、今日最も創造力にあふれた企業が、なぜスリーエムのやリ方をまねるのだろうか。その秘密をご紹介しよう。

3M(スリーエム)の「一五%ルール」。数ある企業方針のなかで、これは最も有名な方針の一つである。この方針はスリーエムに何十億ドルという収益をもたらし、独創的で野心にあふれた社員を集めるのに役立ち、革新的企業としての同社のブランド価値を強化してきた。世界にはこれをヒントに同じような方針をとる企業も数多い。こうした方針を採用したことは、文字通り大いなるビジネス上の決断の一つだが、それが生まれた背景には誤解も多いようだ。

スリーエムの文書にはこう書かれている。「スリーエムの技術関連従業員には、その配置にかかわりなく、就業時間の一五%を上限として、日々の仕事に囚われないプロジェクトに時間を充てることを奨励する」。このようなルールがあったからこそあの記録的なヒット商品「ポスト・イット」が生まれたことは、今や誰もが知っている。スリーエムの研究員が聖歌隊で歌の練習をしているとき、聖歌集からしおりが何度も落ちたことがポスト・イットの着想と技術開発のヒントになったことも広く知られている。

確かにこれはすばらしい物語で、ある面では真実とも言える。だが、このイノべーションが生まれた背景や当時のスリーエムの企業風土を知るうえでは、誤解を生みやすいともいえる。

そもそも「一五%ルール」はルールではない。誰かに何かを強制する規則ではなく、技術系の社員が勤務時間の一五%を空想を膨らませるのに充てることを認め、奨励すると言っているだけだ。だからここではルールではなく方針と呼ぶことにしよう。

偉大な価値は、経営者がトップダウンで下す指示からではなく、創業の頃から続く企業文化の中核をなす要素から生まれる。重要なのは、誰かが一五%方針というすばらしいアイデアを思いついて提案したことではなく、誰もが呼吸する空気のようにそれが社内に漂っていることである。

一五%方針が確立されるまでの期間についても、これをビジネス上の偉大な決断と呼ぶことはもちろん正しい。方針である以上、社員に認められ、普及を推奨しなければならないが、創業当初の数十年間は、これを実行するには勇気が必要だった。会社としても葛藤があった。業界で確かな地位を築いたあとも、会社としては常に競合他社と戦わなければならない。そのような環境下であれば、経営者なら締め付けを強化して管理を厳しくすべきだと直観的に思って当然だが、スリーエムのリーダーたちは逆方向に進んだ。CEOの誰かが、この方針をひそかに撤回することもできたはずで、困難な時期にはそうしたい誘惑も大きかったに違いない。そうすれば利益面ですぐに結果が出たかもしれず、方針の撤回によって失われたかもしれない額など誰にもわからなかったはずだ。しかし、それでもCEOたちはみな誘惑に抵抗した。

一九四八年にCEOのウィリアム・マクナイトがこの方針を言明したように、この偉大な決断の鍵を握る要素は、正式に宣言することにあった。方針を公式なものとし、しかも一五%という特定の数字を盛り込むことで、社外の人間も注目し、話題にするからである。革新的企業という名声を着々と高めていたスリーエムが、他社との差別化を図るためにも有効だった。疑り深い消費者や投資家から「スリーエムが他社より間違いなく革新的だと信じる理由は何か」と尋ねられたら、「一五%という明確な数字をともなう方針」が答えになる。

この方針の名声が高まった頃、スリーエム社内ではそれは当たり前になっていた。その理由は、スリーエムが常に新しいアイデアを求め続けてきたから、とも言える。あるいは、そもそもスリーエムが、自分が何をしているのかわかっていない人間によって創業された会社だから、とも言える。どちらの説明も正しい。

スリーエム創業期の物語のなかで最も特徴的なのは、創業者たちの破天荒さや大胆さである。一九〇二年、ミネソタ州北部のトゥーハーバース村出身の五人の実業家は、自分たちで創業したばかりの会社を「ミネソタ・マイニング&マニュファクチャリング」と名づけた。創業当初から波乱を予感させる名前だった一五人のなかに、採掘や製造の経験がある者など一人もいなかったからである。だが、当時、村の近くで鉄鉱石などの鉱物が発見され、地元は好景気に沸いていた。創業者たちの目的は「コランダム(鋼玉)」を採掘することにあった。コランダムはきわめて硬度が高く、砥石車などの研磨材として使われる鉱石だ。ところが二年におよぶ作業と投資の結果、彼らは自分たちの発見したものがコランダムではないことに気づく。それは「斜長岩」と呼ばれるずっと軟らかい鉱石で、砥石車になどできるはずもなかった。彼らは鉱石の販売を諦め、砥石車そのものを製造することにした。もちろん砥石車に関する知識などもちあわせていない。当然のことながら事業はうまく行かなかったので、今度はサンドペーパー製造に目標を変えたが、その方面の知識もやはり彼らにはなかった。
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