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世界の名前 フィンランド、アイルランド、ギリシャ

『世界の名前』より

原風景を抱く フィンランド語

 フィンランド語は、ロシアを南北に縦断し、ヨーロッパとアジアを分かつウラル山脈で生まれたウラル語だ。インド・ヨーロッパ語に属する他の北欧諸語(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)と違って母音が多く、格変化するため、独特のリズムがある。フィンランドは、スウェーデン(一一五五~一八〇九)とロシア(一八〇九~一九一七)の統治を受け、一九一七年に独立した。スウェーデン語は現在でも公用語になっているが、フィンランド人は祖国の言葉への衿持を守ってきた。

 フィンランドで名前の記録が残るようになったのは、北方十字軍がやって来た一二世紀以降だと言われている。当時、姓を持っていたのはスウェーデン語を話す学識者や上流階級で、農民出身のフィンランド人にはとくに姓はなかった。ところが、場所から場所へ移動する焼畑が中心だった東フィンランドで、土地の使用者を特定する必要がでてきたため、所属する家族で区別するようになり、これが姓として用いられるようになった。

 姓には、クッレルヴォの息子のように家長の名が残っていたり、職業を表したり(パカリネン=パン職人)、場所を表したり(アンッティラ=アンッティの家)するものもあるが、多くが自然の造形物(メッツァ=森)や自然現象(アールト=波)を語っている。なかでも、自然に依って立つ人といった意味で、地形を表す語に「小さい」を意味するネンをつけたものが目立つ(ニェミネン=岬の人、マキネン=丘の人)。自然に由来する名前が多いのも、農耕民族であるフィンランド人の生活が、大地や季節との調和の中で営まれていたからだろう。

 自然はフィンランド人が立ち返る原点でもある。一九世紀後半のロシア圧政下に興った民族ロマン主義時代には、祖国の自然に自らの起源を求めて改名した。フィンランド人であることをより強く示すために、文豪アレクシス・キヴィはスウェーデン語(ステンヴァル)からフィンランド語(キヴィ=石)へ姓を変えている。

 姓だけではなく名前も、オルヴォッキ(スミレ)やアールニ(原始)のように自然に由来したものが多い。他にフィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』の登場人物名(アイノ)や聖人の名前(ミカ)もある。名前は三つまでつけることができるが、呼び名として使われるのは最初の名前のようだ(レーナ・エリサベスならレーナが呼び名になる)。

 森、岩、白樺、湖、丘、波、光。これらはフィンランド人の名前であり、フィンランドの原風景でもある。これを抱くことこそが、フィンランド人の衿持なのかもしれない。

父祖のルーツを物語る名字 アイルランド

 アイルランド共和国の公用語はアイルランド語(ゲール語)と英語だが、大多数の国民は英語を母語とし、ほぼ英語のみによって生活している。そうなった背景には、一二世紀以来のイングランドによる植民地支配とその下でのアイルランド人差別や文化の抑圧、一九世紀の大飢饉以降脈々と続く海外への移民流出、そして独立後も長く続いた経済的低迷といった歴史がある。職を得、また海外で勇躍するために必要なのは英語である。アイルランド語の話者は減り続け、母語とする人は絶滅寸前となった。

 現在、アイルランド島の人口約六〇〇万人に対して、世界には五〇〇〇万以上のアイルランド系の人びとがいる。とくに多いのは英語圏の北米やイギリス、オーストラリアなど。現地社会に根付いた彼らの出自を示すものの一つが名前だ。典型的な姓はマック(Mac/Mc)やオ(O')で始まる。ビートルズのポール・マッカートニーやアメリカ近代演劇を築いた劇作家ユージン・オニールなどは、アイルランド系移民の子孫だ。もっとも、アイルランド語と近縁のスコットランドのゲール語圏でもマック姓は多く、マッカーサー元帥はスコットランド系である。

 アイルランドの名字は、もともと父祖の名をとったものだ。マックは息子、オは子孫を意味し、「-の息子-」という呼び方をしていたのが、「-の息子」の部分が一〇世紀頃から名字として固定していった(女性では、-の娘/妻という形に変わる)。さらに名字が英語化された際、一部ではマックやオが取れて、オリアンはライアンに、オムルハーはマーフィーになった。ニコルとマックニコルのように、両方の形が複数の英語形名字として残ったものもある。こうして英語化した名字のほうが一般的であるが、いまでもアイルランド語形の名字を使用している人もいる。父系の男性子孫を表した名字は、特定の地域に多くみられることもあり、マーフィーならコーク州、ライアンならティペラリ州、ケリーならコナハ卜地方などと、出身地の見当がつく。この他、パークやバトラー、フィッツジェラルドなど、一二世紀以降に入植したイングランドやノルマン家系の名字も存在する。ブラナハも外来のルーツを示す名だが、これはアイルランド語でウェールズ人を意味する単語がそのまま名字になったものだ。

 米国のオバマ大統領はアイルランドを訪問した際の演説で、「私の名前はオバマです。なくしたアポストロフィを探しに来ました」と挨拶した。本当はO'Bama で、アイルランド人なのだと。これは冗談だが、実際に彼の遠い先祖にはアイルランド人もいて、その出身地を訪ね、パブで地元民とともにビールを飲んだ。このように、アメリカなどから先祖探しにアイルランドを訪れる移民の子孫は多い。彼らは名前や移民時期を手がかりに図書館などで調べ、祖先の出身地を訪問する。そのため首都ダブリンの国立図書館のロビーには、先祖の探し方を説明する案内板が設置してある。上手くいけば、ルーツ探しの旅の終りに先祖の村や住居跡を探し当て、いまもその地に残る同じ名字の遠い親戚に巡り会えるだろう。

名は歴史を表す ギリシア

 三〇年以上も前のことになるが、筆者がギリシア北部の都市テッサロニキの大学に留学したときのことである。下宿させてもらった家の女性大家の名前がアンディゴニ(ギリシア神話に登場するテーバイの王女アンティゴネ-)、その娘婿がソクラティス(哲学者のソクラテス)であった。キリスト教化されたギリシア人は、六世紀半ばごろまでに、主として旧約聖書・新約聖書中の聖人の名前や、初期キリスト教の伝統的な名前をもらうようになっていたのだが、これはどうしたことか。しかも、古くからの命名の習慣にしたがえば、長男には父方の祖父、長女には父方の祖母の名前が与えられるといったように、そのつけ方にも古くからの習慣があったはずである。

 実は、西欧における一八世紀の新古典主義、啓蒙主義、フランス革命の影響を受けて、一九世紀初めまでに古代の名前が復活していたのである。テッサロニキの大家と娘婿の名前がその時に起源をもつものなのかどうかは分からないが、それは、ギリシアのナショナリズムの形成を告げる証となった。だが、正教会にとっては由々しい問題で、独立戦争前夜の一八一九年に総主教グリゴリオス五世は、「洗礼を受けた、信者の子どもたちに古代ギリシア人の名前を与え、そして、キリスト教の命名の慣行を侮蔑していると受け取れる新しいやり方は、まったく不当で、不適切である」との回状を出している。

 とは言え、正教会とギリシア人との絆が断たれたわけではなかった。それを示すものの一つにネーム・デイがある。今でもギリシア人は、誕生日でなく自分の名前と同じ聖人の祝日にお祝いをおこなう。ここで、復活した名前のネーム・デイはいつなのか、と思うものもいるだろう。しかし、頭を捻らせる必要はない。ネーム・デイに古代ギリシアの偉人と同名異人の聖人が多く含まれているからである。アンディゴニであれば、四世紀初めの「四〇人の女性殉教者」の一人として九月一日、ソクラティスは三世紀の聖人として一〇月二一日である。それらから漏れてしまう名前の持ち主は、五旬祭(聖霊降臨祭)後最初の日曜日、つまり衆聖人の主日(諸聖人の日)にお祝いをおこなえる。

 名字にもギリシアの歴史は見え隠れする。八~一〇世紀にビザンツ帝国の貴族のあいだで名字が用いられはじめると、その慣行は庶民にも徐々に広がった。皇帝をはじめとする支配層の名字、職業、身体的特徴、性格を表したものなどとともに、異民族との接触を反映したものが生み出される。例えば、接頭辞の中に「カラ」があるが、これはトルコ語で「黒い」を意味し、トルコ支配時代(一四五三~一八二一年)に起源をもつ。接尾辞も同様で、ラテン語の「プルルス(ひな鳥)」をもとに、「プロス(-の息子)」がペロポニソス半島を中心に用いられはじめた。また、トルコ語の「ジ、チ(-に携わる人」」から「ジス、ツィス」、「リ(-に属する)」から「リス」が作り出されている。
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