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ナチズム--写真集にみるヒトラー

『ドイツ文化55のキーワード』より ナチズム--写真集にみるヒトラー

ヒトラー像の二面性

 ある女性は戦後、首相官邸前の広場でアドルフ・ヒトラー(1889-1945)をみたときのことを次のように回顧している。「私たちは少女団員としてヴィルヘルム広場に立ち、『ハイル! ハイル!』と叫びました。『親愛なる総統はとても優しい人、どうか窓辺に来て下さい』。彼の姿をみて私たちは喜びました」。総統を一目みたいと願う少女と、その願いに快く応じてくれるヒトラーという、心温まる関係がここにはある。

 こうした情景を取り巻く親密な雰囲気、総統の姿に「優しさ」をみいだす素朴な心情を、いま実感として理解することは難しい。われわれの目に焼きついているのはむしろ、演壇で拳をふり上げて熱弁をふるい、毅然とした態度で聴衆の歓呼に応えるヒトラーの姿だからである。だが忘れてならないのは、そうしたイメージがかなりの部分、ナチ党大会を撮影したレニ・リーフェンシュタール監督の映画『意志の勝利』に依拠していることである。大衆の熱狂に支えられた英雄的な指導者というこのイメージは、ほかならぬナチ党がつくりだしたものであって、これを無批判に受け入れることができないのは、いうまでもないだろう。広範な国民の目に映じたヒトラーの姿は、必ずしも偉大な英雄というイメージにつきるものではなかった。そのことを示す手がかりの一つが、ハインリヒ・ホフマンの撮影した写真である。

知られざるヒトラー

 ホフマンはヒトラーの古い友人で、長らく専属カメラマンをつとめた人物である。彼の写真は新聞、雑誌、写真集、絵葉書などさまざまな媒体で広く流布し、公的なヒトラー像の形成に決定的な役割をはたしたが、そのうち最も代表的なものの一つは、ヒトラーを斜め前から撮影した肖像写真である。そこでは険しい表情、冷然とした姿勢、暗く単調な背景など、あらゆる要素がヒトラーの個性を排除し、彼をもっぱら「総統」として理想化している。この写真が「一つの民族、一つの帝国、一人の総統!」というスローガンの書かれた宣伝ポスターに使われていることからも、ヒトラーが国家と国民を統合する象徴的な存在とされていたことは明らかである。

 だがホフマンはこれとは別のイメージも提示していた。彼の監修した写真集『アドルフ・ヒトラー』(一九三六)には、集会で演説するヒトラーの姿とともに、オーバーザルツべルクの山荘で休暇を過ごす彼の私生活を紹介した写真が数多く掲載されている。公の場での威厳に満ちた態度とは対照的に、私人としてのヒトラーは民衆と気さくに交流し、なごやかで楽しげな表情をしている。一枚の写真につけられたキャプションが、そうした牧歌的な雰囲気を要約している。すなわち、「総統も笑うことがある」のである。この写真集は少なくとも六〇万部発行されたが、そのほかにも彼の私生活に焦点をあてた写真集が何種類も存在し、『知られざるヒトラー』(一九三二)、『山で暮らすヒトラー』(一九三五)といったタイトルの写真集け、いずれもホフマンの監修で数十万部発行されていた。笑顔で民衆とふれあう庶民的なヒトラー像は、当時誰もが目にした一般的なイメージであったといえるだろう。

総統がご存知なら

 それでは、ヒトラーが私生活でみせる親しげな態度は何を意味していたのだろうか。写真集のページをめくると、山荘の周囲には多くの人々が押し寄せていたことがわかる。総統を一目みようとやって来た人々のなかで、彼と直接ふれあう幸運に恵まれたのはたいてい子どもたちであり、彼らは散歩中のヒトラーに近寄って握手やサインをしてもらったり、一緒に記念写真を撮ってもらったりすることができた。なかでもベアニーレという名の金髪の少女は、一九三三年夏にヒトラーと出会って文通相手となり、何度も山荘に招待された。ヒトラーが子どもを深く愛し、子どもの方も彼に心から信頼を寄せている様子を強調することで、総統と民衆の関係を親子愛のイメージで包みこむ狙いがあったことは明らかである。「少年が病床の母親の手紙を総統に手渡す」というキャプションのついた写真も、純真な少年の願いを親身になって聞くヒトラーの姿を提示している。そこで強調されているのは、彼に子どもの気持ちを理解する善良な心があること、つまり総統と民衆の感情的な結びつきである。われわれと同じ心をもつヒトラーならわかってくれる、彼に直接訴えれば何とかしてくれるかもしれないというわけである。こうした親密なイメージによって、すべての人々がヒトラー個人と心で結びついているという幻想が生まれる。

 それにしてもなぜ、この少年は母親の手紙を届けに山荘まで来なくてはならなかったのだろうか。そう考えると、この写真の言外のメッセージがうっすらとみえてくる。すなわち、ナチ党に対する不信感がそれである。地元の党職員が聞く耳をもたないと思われたからこそ、少年は総統に望みを託さねばならなかったのだろう。ここにはまさに、ヒトラーが国民の信頼を勝ちとった理由の一端が示されている。ナチ政権下の国民は、ナチ党にはびこる官僚主義、傲慢さや腐敗などについてたえず不満を口にしていたが、そこで特徴的だったのは、こうした不満がもっぱら末端の職員たちに向けられ、ヒトラーには向かわなかったこと、さらには「総統がご存知なら」という期待の声さえ聞かれたことである。彼が部下たちの行状を知ったなら、断固たる処分を下してくれるにちがいないというわけである。ヒトラーの絶大な人気は、ナチ党の否定的なイメージとの対比によって獲得されたものでもあった。

総統崇拝の情緒的基盤

 ヒトラー自身もまた、民衆との結びつきが何よりも重要なことを自覚し、普通の人間というイメージを崩さないようにたえず注意を払っていた。「私は独裁者ではなく、わが国民の指導者でありたい!」という発言には、総統としての自己演出の方針が端的に表現されている。謙虚で素朴な人間、庶民的な政治家というイメージが重要だったことは明らかである。多くの人々が共感を寄せたのも、笑顔で民衆とふれあう人間味にあふれた総統の姿だった。「広範な大衆は偶像を必要としている」という発言が示すとおり、彼は民衆にとって身近なアイドルのような存在としてふるまう術を心得ていた。ヒトラーの人気の根底にあったのは、尊敬や畏怖などではなく、親しみや共感、総統をみたいという素朴な心情だったといえよう。
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