goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

スターリングラード攻防戦--歴史の証言

2014年10月12日 | 4.歴史
『小松左京』より

ママイの丘からほど遠からぬ市内のボルガ沿いの一角に、「スターリングラード攻防戦、パノラマ博物館」がある。

ボルゴグラードは、スターリングラード時代に、トラクター、造船、水力発電などでボルガ下流の大工業都市に発展していた。--第二次大戦下にドイツ軍の大攻撃がはじまる直前、一九四一年の人口は五十万に達していた。

これだけの大都市が、四二年八月から翌年二月までの戦闘で徹底的に破壊され、生き残った市民はわずか三万にすぎなかったという。市街の実に八〇%以上が破壊された。三十三万のドイツ軍は、二十四万人が死に、九万人が捕虜になった。

「私が戦後間もなく、この市の停車場に降りたった時、そこにまっ赤な世界がひろがっているのを見ておどろきました……」と、この都市の復興にも関係した老建築家マクシモビッチさんは語った。「この街はいい煉瓦を生産していたので、市街の住宅はほとんど煉瓦づくりでした。それが見わたすかぎり、徹底的に破壊されて、赤い、平べったい世界が残っていたのです……」

現在すっかり復興されたボルゴグラードの市街に、ボルガ河畔にあった製粉工場の四、五階建ての建物と、一握りの兵士が五十八日間も戦ったという「パブロフの家」だけが、当時の戦いの激しさをつたえる記念物として残されている。

「パノラマ博物館」は、その製粉工場の隣りに、巨大なガラス張りのドームを中心として建っている。

ドームの前の広場には、国防色にぬられたT32型戦車をはじめ、この戦いに投入されたあらゆるタイプの戦車、駆逐戦車、自走砲、榴弾砲、カノン砲、対戦車砲、ロケット弾〝カチューシャ〟のランチャーをのせたトラックなどが、ずらりとならんでいる。見学に来た男の子たちが、マズル・ブレーキつきの七五ミリ砲の砲身にぶらさがったり、戦車のキャノピーにとりつけられた機銃架を動かしてあそんだりしている。戦車、火砲の反対側、ボルガ河に面した方には、ヤクやイリューシンといった、当時の戦闘機、攻撃機の実物が宙にささえられている。

博物館の入口は、広場から四、五メートルおりた堤防上の通路に設けられている。中にはいると、独ソ戦のはじまりのころからの武器、地図、さらにスターリングラード攻防戦の開始から、ソ連軍の包囲、大反攻にいたるまでの兵器、弾薬、装備、地図、ジオラマ、さらに重要な時期を描いたパノラマなどが延々とつづく。そこから階段を上がって、ドームの中に出、中心の大円筒のまわりをめぐる螺旋階段を、四階分ぐらいあがって、ドーム内の天井の奥に出ると、まわりは三百六十度、最後の大戦闘を描いたパノラマとジオラマがひろがる、という寸法だ。

それにしても、市民四十数万、ドイツ軍二十数万の死者を出したこの都市の戦闘はすさまじいものだ。ソ連軍の戦死者、負傷者の数は、しらべた文献には出ていなかったが、おそらく初戦から反攻までの累計は、ドイツ軍のそれを大きく上まわるだろう。

私は、守備隊の頑強な抵抗にはばまれ、「冬将軍」に釘づけにされ、ソ連の援軍に包囲された最後の戦闘フィルムの事を思い出した。雪に埋もれ廃墟となり果てた市街を包囲したソ連軍の陣地から、スピーカーで、メトロノームのひびきが放送され、ドイツ語で「スターリングラードは、墓場だ」と重々しくアナウンスされる。メトロノームのひびきが中断すると、包囲軍の大口径砲やロケット弾が、この世の終わりかと思うほどすさまじい砲火を浴びせ、それがぴたっとやむと、またメトロノームの、単調な「死の時」をきざむようなひびきが市街を包む………米墨戦争の時、「アラモの砦」を十重二十重に包囲したメキシコ軍が、突撃と突撃の合間、「みな殺しの歌」をくりかえしトランペットで守備隊にきかせたように……。

気分がめいって、外へ出ようとした時、観光団の一行とすれちがった。あのママイの丘のドームの中で、「永遠の火」を、一行とはなれて凝然とながめていた、当時のドイツ軍の生還者六千人の中の一人、V・V氏の姿を探したが、そのグループの中にはなかった。

ボルゴグラードの河駅の下流の堤防の上に、一隻の小さな、古めかしい一本煙突の船が、コンクリートの台の上に、記念碑のようにすえられている。

革命前、というから一九一〇年前後に建造された「ガシーチェリ号」という運搬船で、ドイツ軍のスターリングラード攻撃がはじまった時、河沿いのガソリンスタンドが大爆発を起こし、河か火の海になりかけた時、消防活動にこの船が大活躍した。戦後、革命前、革命、国内戦、大祖国防衛戦争と、苦難の歴史をくぐりぬけてきた「老兵」として、この市の船員組合が、記念保存している。

戦争当時の乗組員が六人、まだ生き残っていて、船の前で昔の話をきかせてくれた。全員七十歳前後の老人で、最高齢者は八十歳ちかい。海軍の正装で、みんな胸にIぱい勲章をつけている。

スターリングラードはボルガ西岸にあり、ドイツ軍は西側から攻めてきたから、都市の防衛軍はボルガ河を背にした、文字通り「背水の陣」になった。したがって東岸からの河を横切っての運搬は、重要な兵姑線だった。昼間はドイツ機が船を執拗に爆撃し、のちには砲撃もくわわったから、物資、人員の渡河は、ほとんど夜間だった。そのうち「冬将軍」がやってきて、河は結氷して輸送をたすけ、市内西部に釘づけにされた夏装備のドイツ軍兵士をいためつけた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。