『図書館概論』より
「アレクサンドリア図書館は別物ですね」
アレクサンドリア図書館の設営は、口承文化から文字文化への移行を象徴する出来事でした。蔵書はパピルス巻子本で、その数は五十万巻以上といわれますが、諸説あって定かではありません。代々のプトレマイオス王が富財を投じて集めたことは無論ですが、アレクサンドリアに入港するすべての船舶が積荷としてもつ巻物を押収して書き写し、原本は図書館に納めさせてコピーを返却するよう勅令を出したともいわれています。それだけにとどまらず、図書館では数種の異本を突き合わせて正本となるテキストを確定する技法が成立し、メソポタミアやペルシャ、エジプトやユダヤといったさまざまな土地の種族が生み出した重要な文書をギリシア語に翻訳する作業も行なわれました。
しかも、アレクサンドリア図書館の歴代館長にはアリストテレス学派の流れを汲む、各代随一の学者が任命されました。とくに第二代館長のカリマコスは、「ピナケス」と称する蔵書目録をつくったとされています。ただ、残念ながらピナケスは信じられる一つの断片すらも残ってはいません。
ヘレニズム時代にアレクサンドリア図書館と並ぶもう一つの著名な図書館が存在しました。小アジアのアッタロス王朝の首都・ペルガモンにあったペルガモン図書館です。ベルガモン図書館とアレクサンドリア図書館は、ともに書物の収集を競い合いました。競争が過熱するなかで、アレクサンドリア側はエジプト特産であるパピルス紙をペルガモン側に輸出することを禁止してしまうのです。この禁輸措置に対抗するために、ペルガモン側ではパピルス紙に代わる記録媒体として、小アジアでは豊富に産した羊や山羊の皮をなめして用いることを考案しました。これがパーチメント(羊皮紙)です。しだいに、パーチメントなどの獣皮がパピルス紙に代わって記録媒体の主流となり、12世紀にヨーロッパ大陸へ東方より「紙」がもちこまれるまでのあいだの隆盛を誇ります。
アッタロス王朝は紀元前133年にローマ帝国に吸収され、ペルガモン図書館もローマの傘下に入りました。そして後年、ローマの将軍・アントニウスが、エジプト女王・クレオパトラの歓心をかうために、ペルガモン図書館の蔵書すべてを接収し、アレクサンドリア図書館に運び入れてクレオパトラに贈与したと伝えられています。アレクサンドリア図書館そのものは最終的に389年にローマ皇帝・テオドシウス一世により破壊され、ベルガモン図書館の蔵書もろともに、すべてが灰燼に帰しました。
なお、20世紀になってアレクサンドリア市北部のかつて図書館のあった場所に、新アレクサンドリア図書館が建設され、2002年に全面開館しています。
「アレクサンドリア図書館は別物ですね」
アレクサンドリア図書館の設営は、口承文化から文字文化への移行を象徴する出来事でした。蔵書はパピルス巻子本で、その数は五十万巻以上といわれますが、諸説あって定かではありません。代々のプトレマイオス王が富財を投じて集めたことは無論ですが、アレクサンドリアに入港するすべての船舶が積荷としてもつ巻物を押収して書き写し、原本は図書館に納めさせてコピーを返却するよう勅令を出したともいわれています。それだけにとどまらず、図書館では数種の異本を突き合わせて正本となるテキストを確定する技法が成立し、メソポタミアやペルシャ、エジプトやユダヤといったさまざまな土地の種族が生み出した重要な文書をギリシア語に翻訳する作業も行なわれました。
しかも、アレクサンドリア図書館の歴代館長にはアリストテレス学派の流れを汲む、各代随一の学者が任命されました。とくに第二代館長のカリマコスは、「ピナケス」と称する蔵書目録をつくったとされています。ただ、残念ながらピナケスは信じられる一つの断片すらも残ってはいません。
ヘレニズム時代にアレクサンドリア図書館と並ぶもう一つの著名な図書館が存在しました。小アジアのアッタロス王朝の首都・ペルガモンにあったペルガモン図書館です。ベルガモン図書館とアレクサンドリア図書館は、ともに書物の収集を競い合いました。競争が過熱するなかで、アレクサンドリア側はエジプト特産であるパピルス紙をペルガモン側に輸出することを禁止してしまうのです。この禁輸措置に対抗するために、ペルガモン側ではパピルス紙に代わる記録媒体として、小アジアでは豊富に産した羊や山羊の皮をなめして用いることを考案しました。これがパーチメント(羊皮紙)です。しだいに、パーチメントなどの獣皮がパピルス紙に代わって記録媒体の主流となり、12世紀にヨーロッパ大陸へ東方より「紙」がもちこまれるまでのあいだの隆盛を誇ります。
アッタロス王朝は紀元前133年にローマ帝国に吸収され、ペルガモン図書館もローマの傘下に入りました。そして後年、ローマの将軍・アントニウスが、エジプト女王・クレオパトラの歓心をかうために、ペルガモン図書館の蔵書すべてを接収し、アレクサンドリア図書館に運び入れてクレオパトラに贈与したと伝えられています。アレクサンドリア図書館そのものは最終的に389年にローマ皇帝・テオドシウス一世により破壊され、ベルガモン図書館の蔵書もろともに、すべてが灰燼に帰しました。
なお、20世紀になってアレクサンドリア市北部のかつて図書館のあった場所に、新アレクサンドリア図書館が建設され、2002年に全面開館しています。
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