『Q&Aでわかるソーシャルワーク実践』より
社会を変える
Q。IFSW定義にある「社会変革」の意味をあらためて考えてみたいのですが。
私は現場でソーシャルワーカーとして活動しています。そして日々自分の実践を思うのですが、利用者とかかわり、その家族とかかわっていくのに精}杯で、社会に働きかけるなどといった大それたことはできていません。かつて学生だったとき、ソーシャルワークの機能の1つとしてソーシャルアクションがあげられているのを読んで、社会を変えていくのも使命なのだと思い、胸をふくらませたものでした。国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)のソーシャルワーカーの定義には、「社会を変革し、人間関係の問題を解決し、エンパワメントし、解放する」と書かれています。しかし、自分の業務を振り返ったときに、とてもそこまではできていないし、今後もはたしてできるのだろうか、と思えてきます。あらためてこの社会変革がいちばんに書いてある意味を考えてみたいと思います。考えるヒントを教えてください。
A。マクロな社会ではなく近隣社会に目を向ければ、利用者の社会参加支援などを通じてソーシャルワーカーは小さな社会変革に日々チャレンジしているのです。
国際ソーシャルワーカー連盟ではソーシャルワーカーを次のように定義しています。
「ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人びとのエンパワメントと解放を促していく。ソーシャルワークは人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である」。
ここに示された「社会の変革を進め」ることなど、はたしてできるのかという疑問が質問者にはあるようです。
じつは、このソーシャルワーカーの定義は、多くの関係者に賛同されています。またソーシャルワークとは何かを語るうえで欠かせない定義となっています。ソーシャルワーカーが自分たちの役割を考えるときに、大きな使命が自分たちにはあることを再認識させてくれるきわめて意義深い言葉といえるでしょう。しかし、この定義に異議を唱える方もいます。ではまず、どのような異議があるのかを見てみましょう。
IFSW定義への異議について
前田大作氏は、『日本ソーシャルワーカー協会会報』に異議を唱える内容の文章を投稿しました。
「国際協会の定義は決して間違いではなく、国際的に見れば今日でもこのような定義を強調しなければならない国が数多くあることは確かですが、少なくとも日本、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどの国では、このような定義で専門ソーシャルワーカーの養成の仕事を進めることは不可能でしょう。(改行)日本協会がこの定義案の修正を早急に提案し、実現されることを切望します」
と、ここまでいいきっています。要は、氏は日本の社会状況を考えたときに、この社会を変革するということは、日本のソーシャルワーカーの活動状況に照らして適切ではないと述べているのです。
じつは国際ソーシャルワーカー連盟の方針文書には、世界の貧困問題にどのように取り組んでいくのかという指針も示されています。しかし、それは前線で個別支援をしている者よりも、政策決定にかかわる立場の人に向けて書いてあるのではないかという気がしてきます。「社会正義と人権」という原理のもとに取り組むべきことを示唆されているのはきわめて有意義です。日々の実践に追われている私たちの目を大きな目的に向けさせてくれます。しかし読んでいるうちに、だんだん自分にはあまり関係ないのではないか、という思いに駆られるのもまた正直なところなのです。
おわりに
ソーシャルワークには、支援を必要とする人たちに丁寧に寄り添い、社会に結びつけていく、そして社会の問題を認識したならば、少しでも改善できることに挑戦する、という特性があります。
私はこの社会の変革という言葉を見たとき、マクロからメゾに至るまで活用できると思いました。変えるということは、とてもエネルギーのいることであり、また周囲にも変化する可能性という条件が整っていなければなりません。しかし、もしも変革ということができなくても、環境に目を向けて利用者の生活を市民として充実させるために働きかけていくという姿勢は忘れてはならないと思うのです。これはケースワークの母と呼ばれるリッチモンド以来、ソーシャルワークが堅持してきた姿勢ではソーシャル・ケースワークを100年以上前に体系化し、自身は社会改良に参加することはありませんでしたが、その重要性は認めていました。むしろ、支援を必要とする人びとに寄り添い、本人の成長を促しつつも、社会に結びつけていくということに専心していました。ただ、同時に、自分たちが知りえたことが社会改良にどう役に立つのかということも真剣に模索していたと思います。そして、かつてアメリカでソーシャルワークが心理にのみ着目し、社会環境を軽視したとき、「リッチモンドに帰れ」という気運が盛り上がりました。貧困問題をはじめとして、社会にどう働きかけるのかを考えなければ、ソーシャルワークは存在意義を失うという認識が生まれました。
今ソーシャルワークが取り組んでいる問題を考えてみると、制度の中でマニュアルどおり対応していればよいというものではありません。児童虐待・DV・知的障害者や高齢者の再犯率の高さ・無縁社会・不安定就労の増加など、社会の問題性を反映したものが増えています。そして一人のワーカーが、すぐに何かできるというものではないでしょう。
すぐに制度や社会は変えられません。大きなことを考えすぎると無力感に陥り、つぶされてしまいます。倫理綱領やソーシャルワーカーの定義を見ていると遠い話に聞こえます。しかし、自分は社会をよくするためにどう貢献できるのか、リッチモンドが「医学や心理学とソーシャルワークが異なるもの」と考えた原点に返り、考えてみる必要があるのではないかと思います。
社会を変える
Q。IFSW定義にある「社会変革」の意味をあらためて考えてみたいのですが。
私は現場でソーシャルワーカーとして活動しています。そして日々自分の実践を思うのですが、利用者とかかわり、その家族とかかわっていくのに精}杯で、社会に働きかけるなどといった大それたことはできていません。かつて学生だったとき、ソーシャルワークの機能の1つとしてソーシャルアクションがあげられているのを読んで、社会を変えていくのも使命なのだと思い、胸をふくらませたものでした。国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)のソーシャルワーカーの定義には、「社会を変革し、人間関係の問題を解決し、エンパワメントし、解放する」と書かれています。しかし、自分の業務を振り返ったときに、とてもそこまではできていないし、今後もはたしてできるのだろうか、と思えてきます。あらためてこの社会変革がいちばんに書いてある意味を考えてみたいと思います。考えるヒントを教えてください。
A。マクロな社会ではなく近隣社会に目を向ければ、利用者の社会参加支援などを通じてソーシャルワーカーは小さな社会変革に日々チャレンジしているのです。
国際ソーシャルワーカー連盟ではソーシャルワーカーを次のように定義しています。
「ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人びとのエンパワメントと解放を促していく。ソーシャルワークは人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である」。
ここに示された「社会の変革を進め」ることなど、はたしてできるのかという疑問が質問者にはあるようです。
じつは、このソーシャルワーカーの定義は、多くの関係者に賛同されています。またソーシャルワークとは何かを語るうえで欠かせない定義となっています。ソーシャルワーカーが自分たちの役割を考えるときに、大きな使命が自分たちにはあることを再認識させてくれるきわめて意義深い言葉といえるでしょう。しかし、この定義に異議を唱える方もいます。ではまず、どのような異議があるのかを見てみましょう。
IFSW定義への異議について
前田大作氏は、『日本ソーシャルワーカー協会会報』に異議を唱える内容の文章を投稿しました。
「国際協会の定義は決して間違いではなく、国際的に見れば今日でもこのような定義を強調しなければならない国が数多くあることは確かですが、少なくとも日本、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどの国では、このような定義で専門ソーシャルワーカーの養成の仕事を進めることは不可能でしょう。(改行)日本協会がこの定義案の修正を早急に提案し、実現されることを切望します」
と、ここまでいいきっています。要は、氏は日本の社会状況を考えたときに、この社会を変革するということは、日本のソーシャルワーカーの活動状況に照らして適切ではないと述べているのです。
じつは国際ソーシャルワーカー連盟の方針文書には、世界の貧困問題にどのように取り組んでいくのかという指針も示されています。しかし、それは前線で個別支援をしている者よりも、政策決定にかかわる立場の人に向けて書いてあるのではないかという気がしてきます。「社会正義と人権」という原理のもとに取り組むべきことを示唆されているのはきわめて有意義です。日々の実践に追われている私たちの目を大きな目的に向けさせてくれます。しかし読んでいるうちに、だんだん自分にはあまり関係ないのではないか、という思いに駆られるのもまた正直なところなのです。
おわりに
ソーシャルワークには、支援を必要とする人たちに丁寧に寄り添い、社会に結びつけていく、そして社会の問題を認識したならば、少しでも改善できることに挑戦する、という特性があります。
私はこの社会の変革という言葉を見たとき、マクロからメゾに至るまで活用できると思いました。変えるということは、とてもエネルギーのいることであり、また周囲にも変化する可能性という条件が整っていなければなりません。しかし、もしも変革ということができなくても、環境に目を向けて利用者の生活を市民として充実させるために働きかけていくという姿勢は忘れてはならないと思うのです。これはケースワークの母と呼ばれるリッチモンド以来、ソーシャルワークが堅持してきた姿勢ではソーシャル・ケースワークを100年以上前に体系化し、自身は社会改良に参加することはありませんでしたが、その重要性は認めていました。むしろ、支援を必要とする人びとに寄り添い、本人の成長を促しつつも、社会に結びつけていくということに専心していました。ただ、同時に、自分たちが知りえたことが社会改良にどう役に立つのかということも真剣に模索していたと思います。そして、かつてアメリカでソーシャルワークが心理にのみ着目し、社会環境を軽視したとき、「リッチモンドに帰れ」という気運が盛り上がりました。貧困問題をはじめとして、社会にどう働きかけるのかを考えなければ、ソーシャルワークは存在意義を失うという認識が生まれました。
今ソーシャルワークが取り組んでいる問題を考えてみると、制度の中でマニュアルどおり対応していればよいというものではありません。児童虐待・DV・知的障害者や高齢者の再犯率の高さ・無縁社会・不安定就労の増加など、社会の問題性を反映したものが増えています。そして一人のワーカーが、すぐに何かできるというものではないでしょう。
すぐに制度や社会は変えられません。大きなことを考えすぎると無力感に陥り、つぶされてしまいます。倫理綱領やソーシャルワーカーの定義を見ていると遠い話に聞こえます。しかし、自分は社会をよくするためにどう貢献できるのか、リッチモンドが「医学や心理学とソーシャルワークが異なるもの」と考えた原点に返り、考えてみる必要があるのではないかと思います。
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