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沈黙の春

LVで感じたのは、向こうの様子はこちらで見えるけど、こちらの状況は向こうに反映されない。生ちゃんが歌っているときに、黄色のペンライトの一つとして参加できないか。黄色一色に埋まる世界はリアルで在りながら、バーチャルとなる。 #LVでの双方向性
あのリアルの5万人の世界が再び、訪れるのか。訪れたとしても気分は変わるでしょう。では、どうすればいいのか。 #リアルの世界
交通手段のクルマを所有するのはリアルです。なぜ、メンテナンスまで自分でやらないといけないのか。事故を起こしたときに、なぜ、犠牲を払わないといけないのか。 #クルマを所有するリスク
公共交通機関ではメンテナンスもしないし、運転技術も関係ない。その交通機関も皆が集まるということがなくなれば、メリットがなくなる。お互いがデメリットになってくる。 #クルマを所有するリスク
そして、沈黙の春が訪れる。あんな小さなウイルスでさえ、人間の恐怖心でもって、沈黙の春が訪れる。 #沈黙の春
リア充からソロへ変わっていく。ラジオを聞くのはソロです。家族単位ではない。個人単位です。真夜中に。それがエネルギーになっていく方法。リア充といった時には男女の関係が大きくなってくる。ソロをベースにすれば、男女の関係はほとんどない。 #リア充からソロへ
不倫という概念は所有という概念と合わせられている。シェアならどうなるか、ウーバーだったらどうなるか。 #不倫とシェア
その時の恐怖心は何なのか。
これらのことを未唯空間から未唯宇宙にするところで決まっていくから、早く、未唯を発揮させましょう。 #未唯宇宙
商売でやっている人は中途半端です。儲かるところだけやっている。どの方向に行くのかわからずに。方向がわかれば、ムダなことはしなくて済む。
テレビとネットの違いはファミリーとソロの闘いです。
ファミリーに売るものとソロに売るものは違います。テレビはファミリーに売るものがあるからテレビは成り立ちます。カウ単位がファミリーだから。ソロになれば、完全に変わります。
スーパーマーケットもファミリーが在るから成り立っています。家族のためにものを買うことに時間を使う。ソロの場合はそんなものには時間を使わない。提供されるモノを持ってくる。
男性がソロとしてやっていくのが自炊。文句言う必要がない。今日、何かと聞く必要もない。自分で決めていく。
家族制度が変わるのは持ちこたえられないからです。三人以上のコミュニケーションがなくなれば、それは不可能になります。
リア充からソロへ変わる。ドイツが対策として打ち出したのは三人以上の対話をなくすこと。リアルからバーチャルに変わる。ソロとしての判断が要求される。
なぜ。、車のメンテナンスをしないといけないか。車を所有するから。バスをメンテナンスする乗客はいない。所有しなければいい。
しーちゃん(久保史織里)から「マルクス」が出るとは。
どう見ても運動不足。元町スタバまで歩きだと一時間。疲れる。工場はいつから止まるのか。
これでいこう。今、必要なのは「I see...」
ファミリーという単位をなくしていく。家の概念が変わる。個の上は中間の存在。その上は超の三階層を基本にする。
GAFA+UVERがどう役割を果たすか?
StayHomeと言ってもHomeのないものはどうする。それに対応するのが中間の場。それ次第でHome解体後の体制が決まる。
何のためのコメント。疑心暗鬼そのもの。意思決定に反する。
やはり、人類は個に移行することになる。有史以来の家族制度を超えていく。
学校はバーチャルになる。国のための画一化教育(教え、育てる)から、個が生き抜く、存在を考える場になっていく。
サラエボのサッカー場を思い出す。
感染症、自然災害、戦争は別々に起こるとは限らない。むしろ、関連して起こる。
地球寒冷化と民族移動、そして帝国崩壊。関連を明確にするのが歴史の役割。
権力は結果を原因として、都合のいい行動を選択する。9.11のブッシュ政権のように。
何となく、ウイルスに紛れている。自分の役割に戻らないと。 #生田絵梨花は正義

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