スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
メイセイオペラ記念の第28回マーキュリーカップ 。
先手を奪いにいったのはメイショウフンジンとヒロシクン。メイショウフンジンは行き脚がつかず,ヒロシクンの逃げに。外から上がってきたクラウンプライドが2番手になり3番手にもグランコージー。メイショウフンジンはインの4番手となりました。2馬身差でアラジンバローズ。6番手にパワーブローキング。7番手にロードアヴニール。8番手にケイアイパープル。9番手にギガキング。2馬身差でグローリグローリとテンカハル。2馬身差でスワーヴアラミス。ビヨンドザファザーとフレイムウィングスが最後尾を追走。超ハイペースでした。
3コーナーからヒロシクンとクラウンプライドで3番手以下を離していき,コーナーの途中でヒロシクンも一杯になりクラウンプライドが単独の先頭に。直線の入口ではリードが3馬身くらいになり,追い上げてきたのはロードアヴニールとテンカハル。2番手の競り合いから抜け出したのは内のロードアヴニールで,そのまま内からクラウンプライドに接近。さらに外からビヨンドザファザーが追い込んできて3頭の優勝争い。きわどく残したクラウンプライドが優勝。最後尾からの追い込みになった外のビヨンドザファザーがハナ差で2着。ロードアヴニールはクビ差の3着。
優勝したクラウンプライド はコリアカップ 以来の優勝で重賞3勝目。国内の重賞は初制覇となりました。実績と近況を踏まえると負けられないといっていいくらいのメンバー構成。超ハイペースを2番手で追走し,最終コーナーで先頭に立って追い上げを凌いだという内容は強かったですが,2着馬も3着馬も上昇馬だったことを考えると,斤量差があったとはいえあまり着差をつけられなかったことをむしろ不満に感じます。たぶんもう少し短い距離の方が本質的には適しているのだろうとは思うのですが,今日の内容では大レースに手が届くところまでいくのは難しいかもしれないと思わされました。父は2009年のきさらぎ賞と2010年のマイラーズカップを勝ったリーチザクラウン でその父がスペシャルウィーク 。母の父はキングカメハメハ 。祖母の父はアグネスタキオン 。母の3つ上の半姉が2012年にロジータ記念 を勝ったエミーズパラダイス で5つ下の半妹が昨年の福島記念を勝ったホウオウエミーズ 。
騎乗した横山武史騎手と管理している新谷功一調教師はマーキュリーカップ初勝利。
第三部定理九備考 では,僕たちは善bonumであるがゆえにそのものに衝動appetitusを有するのではなく,あるものに対して衝動を有するがゆえにそのものを善と判断するといわれています。國分は衝動についてはこのことによって理解し,第四部定義七 でいわれているのは,衝動によって善と判断されるものが目的finisとして意識されるということだといっています。僕たちが個々の衝動を感じるのは,何らかの原因causaに依拠するわけですが,それがどのようなものであれ,諸々の原因によって僕たちのうちに何らかの事物を希求する衝動が現れると,そのように希求された事物が自分自身にとって善なる目的として意識されるようになるというのが國分の見解opinioということです。したがって,第四部定義七というのは,衝動についての定義Definitioといわなければならないのですが,國分にとっては衝動の定義というよりは目的の定義なのであって,実際に國分はこの定義のことを,目的の定義であるといっています。
第四部定義七をそれ自体で目的の定義であるということには無理があると僕は考えます。解するintelligereというのはスピノザによる事物の定義の仕方のひとつなのであって,これはXであるところのものをYというという命題がYについての定義であるといわれるのと同じ意味で,XをYと解するというのはYの定義であると僕は考えるからです。スピノザが書簡九 でいっているところによれば,十分に理解することができればよい定義といわれる意味で,事物のよい定義ということになるでしょう。そしてこの定義で解するといわれているのは衝動なのですから,この定義は衝動の定義というほかないと僕は考えます。
ただしこの定義が,スピノザが目的という場合の,僕たちにとっての目的というものがいかに発生するのかということを示しているということについては,僕は同意します。そして事物の発生を含むということは事物がよい定義であるための条件のひとつを構成するのですから,その意味でこの定義を目的の定義,とりわけ僕たちの知性 intellectusのうちに目的という概念notioがいかにして発生するのかということを意味で目的の定義であるということが,絶対にできないというようには僕は考えません。
昨晩の第14回優駿スプリント 。トーセンヴィオラは町田騎手から藤本騎手に変更。張田昂騎手は手足口病を罹患したためスマイルナウは内田博幸騎手に変更。
好発はポッドレオでしたが,内から3頭が追い掛けていき,オーソレリカ,モントーク,ティントレット,ポッドレオの4頭で先行。5番手にミモレフレイバー,6番手にギガース,7番手にエドノフェニックス。8番手はタケシとカヌレフレイバーとザイデルバスト。11番手にトーセンヴィオラとスマイルナウ。3馬身差でヘリアンフォラとビッグショータイムとパペッティア。最後尾にチャダルクンという隊列。前半の600mは34秒9のハイペース。
3コーナーではオーソレリカとモントークとティントレットの3頭の併走となり,4番手にはエドノフェニックスが進出。カヌレフレイバーとポッドレオが並んで5番手。直線の入口では前の3頭からティントレットが前に出て先頭。そのまま抜け出して後ろも寄せ付けずに圧勝。大外から追い込んできたギガースが2馬身半差で2着。前の4頭を追っていたカヌレフレイバーが1馬身半差で3着。
優勝したティントレット は南関東重賞初制覇。昨年5月に北海道でデビュー。シーズン一杯を北海道で走り,休む間もなく南関東に転入。今春はクラシックを走りました。北海道でのデビューから一貫して1700m以上を走っていた馬で,1200mに対応できるかどうかが心配だったのですが,結果をみるとむしろスプリントの適性が高かったようです。タイムも優秀なので,この距離であれば古馬が相手でもすぐに通用しそうです。父がホッコータルマエ で母の父がゼンノロブロイ 。母は2011年に東京プリンセス賞 を勝ったマニエリスム 。Tintorettoはイタリアの画家。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はフジノウェーブ記念 以来の南関東重賞39勝目。第6回 以来8年ぶりの優駿スプリント2勝目。管理している大井の荒山勝徳調教師は南関東重賞27勝目。第13回 に続く連覇で優駿スプリント2勝目。
第四部定理三七備考一 を,神 Deusを認識するcognoscere限りにおける我々から起こる欲望cupiditasを良心conscientiaに関係させ,その欲望から生じる行動を良心的行動に関係させると訳すのは,ひとつの方法であると僕は思います。少なくともここでいわれている宗教心religioは,僕たちが使用している語でいえば宗教心よりも良心に近いですから,この部分だけでいえば,このように訳すことは適切であると思われるからです。
しかしこの訳し方は木を見て森を見ずとでもいうべき訳であるといわなければなりません。スピノザが良心を意識conscientiaと関連させないで考えていたとは思われないからです。第二部公理三 からして,スピノザは感情 affectusを伴わない観念idea,とりわけ喜びlaetitiaへの方向性も悲しみtristitiaへの方向性も伴わない観念があるということを認めていたと思われるので,それを強く自覚していたかどうかは別として,意識を観念の観念idea ideaeとみる限り,意識は良心よりも広くわたるということには気付いていたと僕は解します。いい換えれば意識という概念notioと良心という概念を分けなければならないということには気付いていたと思います。それでも,良心を意識とは別の思惟の様態cogitandi modi,意識された喜びおよび意識された悲しみと関連付けずに理解していたということはあり得ないと思います。したがって,『エチカ』の中では良心について積極的に言及している部分は存在しませんが,もしも良心という概念を『エチカ』の中に発見しようとするならば,國分もそうしているように第四部定理八 をまずは参照しなければならないと思います。なのでそのような意識化された喜びおよび意識化された悲しみというのを,神を認識する限りにおいて僕たちから生じる欲望と同列に論じることはできません。なので,宗教心と訳されているその語を,良心と意訳することは,たとえその方が僕たちが使用している語のニュアンスには近いのだとしても,不適切であるということになるのです。
ですから,第四部定理三七備考一でいわれている事柄については,僕はこれからも宗教心と直訳することにします。ただ,この宗教心は僕たちが宗教心とか信心という語に与えているニュアンスとは異なるという点に,いつでも留意する必要があります。
ホクトベガメモリアルの昨晩の第28回スパーキングレディーカップ 。
先行争いも予期されたところでしたがわりと楽にボヌールバローズがハナに立ち,フーリッシュホビー,ヴィブラフォン,カラフルキューブの順で折り合いました。2馬身差でミチノアンジュ。6番手にライオットガール。7番手にミラクルティアラ。8番手にスピーディキックで9番手はキャリックアリードとドライゼ。2馬身差でアーテルアストレア。スノーパトロールは道中で離されていきました。前半の800mは49秒5のハイペース。
3コーナーからボヌールバローズ,フーリッシュホビー,ヴィブラフォンは雁行。直線の入口では捲り切ったヴィブラフォンが単独の先頭に立ちました。追ってきたのは後方に待機していた2頭で,大外がアーテルアストレア。馬群を捌いてヴィブラフォンとアーテルアストレアの間に進路を取ったのがキャリックアリード。ヴィブラフォンが脱落して2頭の優勝争いとなり,制した外のアーテルアストレアが優勝。キャリックアリードがクビ差で2着。ヴィブラフォンは1馬身半差で3着。外に出すタイミングがなくずっと内を回ったスピーディキックが1馬身半差の4着。スパートのタイミングを逸したライオットガールが2馬身半差で5着。
優勝したアーテルアストレア はクイーン賞 以来の勝利で重賞3勝目。このレースは今年に入って重賞を勝っているアーテルアストレアとライオットガール,この2頭と勝ったり負けたりを繰り消しているキャリックアリードが3強。神奈川記念でキャリックアリードを負かし,今年はまだ1戦のヴィブラフォンが3強に続くという勢力図。スピーディキックも昨年のこのレースで2着になっていて,復調すれば勝負圏内という馬ですから,かなり順当な結果になったといえそうです。アーテルアストレアはこのように後方から差し脚を繰り出す方が持ち味が生き,また距離も1800mより長くなるよりは短くなった方がいいというタイプなのでしょう。上位勢は突き抜けた能力には欠けるもののいずれも安定勢力なので,今後も勝ったり負けたりを繰り返していくことになりそうです。父は2009年のきさらぎ賞と2010年のマイラーズカップを勝ったリーチザクラウン でその父がスペシャルウィーク 。セレタ 系ダイナエイコーン の分枝で母の2つ上の半兄に2018年のマーチステークスを勝ったセンチュリオン 。Aterはラテン語で黒い。Astraeaはギリシア神話の女神。
騎乗した菱田裕二騎手と管理している橋口慎介調教師はスパーキングレディーカップ初勝利。
僕の考えでいえば,社会契約論を用いて国家Imperiumの成り立ちを説明することには,ある種の限界が設定されています。それは自然権jus naturaeを放棄すると規定しても,自然権を放棄しないと規定しても,限界の地点や限界の種類に違いは出るかもしれませんが,どちらにしても限界点を迎えてしまうという意味です。ただし同時に,僕は次の点については認めます。
自然権というのは,現実的にある人間が存在するとき,その人間が有している力potentiaと同じ意味です。なのでこの自然権は自然法lex naturalisによって与えられているとみるべきであって,自然法が自然権を放棄するように人間に命じることはあり得ないと僕は考えます。よってこの点については,僕はホッブズThomas Hobbesの立場よりスピノザの立場に位置します。そしてこれはひとりの人間に与えられた力なので,ひとりの人間がもつ力という点での限界があります。ただ自然のうちには,ひとりの人間だけではなし得ないけれども,何人かの人間が協力すれば成し遂げられるという事象が存在します。そこでそのひとりの人間が他者と協力してそれをなすとすれば,その人間はより多くのことを成し遂げることができるといわなければなりません。それはその人間がその分だけ大きな力をもつという意味です。したがって力が自然権であるとすれば,この限りではその人間の自然権は拡大するのです。
このとき,ひとりの人間が他者と協力する場合に,前もって何らかの契約pactumが現にあると断定することはできないと僕は考えます。契約がある場合もあるでしょうが,契約なしに複数の人間がひとつの事柄をなすために協力するということはあり得るからです。ただ,その協力が実際に行われているという場合には,契約が履行されているとみることは可能なのであって,社会契約というのが,現にこのような仕方で契約が履行されている,つまり複数の人間がひとつの事柄に向かって協力しているという状態においてはあるということは,僕は否定しません。つまり,協力状態以前に一回性の社会契約があると認めると限界を迎えてしまうので,僕はそれがあるとはいいませんが,協力されている状態を社会契約の履行というなら,社会契約があるといえます。
昨晩の第47回帝王賞 。マースインディは藤田凌騎手から笹川騎手に変更。
ディクテオンは発馬後の加速が鈍く,発馬後の正面ではほかの馬たちから離されました。逃げたのはライトウォーリアで2番手にバーデンヴァイラーとキングズソード。4番手にグランブリッジとウィルソンテソーロ。6番手にサヨノネイチヤ。7番手にノットゥルノ。ディクテオンはその後ろまで追いついてきました。9番手にセラフィックコールとメイショウハリオ。3馬身差でトランセンデンスとヒロイックテイル。3馬身差の最後尾にマースインディ。前半の1000mは63秒8のミドルペース。
3コーナーではライトウォーリアとバーデンヴァイラーが併走に。外を回って追ってきたのがキングズソードで内を回って追ってきたのがグランブリッジ。ウィルソンテソーロとノットゥルノがその後ろから。直線の入口では前の2頭の外を回ったキングズソードが単独の先頭に。ウィルソンテソーロが追って2番手に上がりましたが,この2頭の差は詰まらず,直線先頭のキングズソードが優勝。ウィルソンテソーロが1馬身4分の1差で2着。大外から追い込んできたディクテオンが1馬身差で3着。
優勝したキングズソード はJBCクラシック 以来の勝利で大レース2勝目。そのときは重賞未勝利での優勝。その後の3戦は5着,5着,4着でしたが,大きく離されていたわけではありませんので,巻き返しは可能と思われました。思いのほかペースが上がらなかったので,先行したこの馬に有利になった面はあったと思います。距離も本来はもっとあってもいいというタイプなのかもしれません。母の父はキングヘイロー 。アストニシメント 系エベレスト の分枝で8つ上の全兄に2017年のプロキオンステークスを勝ったキングズガード 。
騎乗した藤岡佑介騎手はフェブラリーステークス 以来の大レース5勝目。帝王賞は初勝利。管理している寺島良調教師はJBCクラシック以来の大レース2勝目。
ホッブズThomas Hobbesの社会契約論は,社会societasを構成する人びとが自らの意志voluntasで自然権jus naturaeを放棄し,それを社会に委ねることになっています。したがって社会が有する自然権は膨大で,社会を構成する人びとが有する自然権は皆無です。このために社会は社会を構成する人びとに対して,どのようなことでも命じる権利を有することになります。つまりホッブズの理論で社会が現実的に成立するとすれば,その社会はきわめて強権的な社会であることになります。
スピノザの理論がこのような社会が成立することから逃れているのかといえば,そんなことはありません。これが問題として残されます。というのも,スピノザの考え方では自然権は放棄することができない権利ですから,社会を構成する人びとにもそっくりそのまま残されているでしょう。これはスピノザ自身が書簡五十 でいっていることであり,スピノザはそこで間違ったことを伝えているわけではありません。しかし自然権が放棄できないものであるとすれば,社会というのは.その諸個人の権利をまとめて所持する人びとの集合体を意味し,かつ人びとはその権利の執行を社会に一任することになるのですから,その社会の権力はどのような法lexにも縛られないし,人びとはその権力に従わなければならないということになるでしょう。つまり出現する社会,これは国家Imperiumといってもいいですが,その現実は,ホッブズが示しているものとそう大差はない,もっといえばほぼ同じであることになります。
スピノザのように自然権を放棄できないものと規定したとしても,結局のところ国家が至高の権力を有して,市民Civesに対してどのようなことでも命じることができるようになってしまうのは,僕の考えでいえば,社会契約論を引き継いだことによる必然的な帰結です。つまり,もしも社会契約論を用いて社会の成立を説明すると,社会契約論をどのような仕方で用いるとしても,必然的にnecessario強権的な社会が出現することになるのだと僕は考えます。スピノザは後の『国家論 Tractatus Politicus 』では,社会契約論をまったく使用せずに国家を説明していますが,それは,社会契約論を用いた説明の必然的な帰結を避けるためではなかったかと僕は考えています。
第28回さきたま杯 。
前にいく構えをみせたのはアランバローズ,シャマル,イグナイター,レモンポップ,バスラットレオンの5頭。アランバローズの逃げになり,2番手にレモンポップ。3番手がシャマルとバスラットレオンでイグナイターは2馬身差の5番手まで控えました。3馬身差でアマネラクーンとオメガレインボー。2馬身差でサンライズホーク。3馬身差でサヨノグローリーとタガノビューティー。5馬身差でティーズダンク。最後尾にリコーシーウルフと,中団以降は縦長に。最初の600mは34秒8の超ハイペース。
3コーナーではレモンポップが前に出てアランバローズは後退。その後ろはシャマルとイグナイターで併走となり,4番手にはバスラットレオン。先頭で直線に入ってきたレモンポップはそのまま危なげなく押し切って快勝。2着争いは激しくなりましたが,フィニッシュ前にシャマルを競り落としたイグナイターが2馬身差で確保。シャマルが半馬身差の3着。外から追い込んだタガノビューティーがクビ差で4着。
優勝したレモンポップ はチャンピオンズカップ 以来の勝利で大レース4勝目。メンバーの中では実力最上位。1400mのレースが久々だったことを懸念しましたが,元来はスピードタイプということもあり,2番手につけることが叶いました。その時点でこの馬の優勝は決定づけられたといっていいでしょう。コーナー4回の1400m戦でも快勝できたのは収穫だったと思います。
騎乗した坂井瑠星騎手は高松宮記念 以来の大レース9勝目。さきたま杯は初勝利。管理している田中博康調教師はチャンピオンズカップ以来の大レース4勝目。さきたま杯は初勝利。
國分によれば,そもそも法lexと権利jusの概念notioの区別distinguereは曖昧だったそうで,それを分けなければならないと主張したのはホッブズThomas Hobbesであったそうです。『リヴァイアサンLeviathan 』では,法と権利を混同するのが常であるけれど,両者は区別されなければならないと主張されています。
なぜ法と権利の概念の区別が曖昧だったのかといえば,社会societasが落ち着いていたからだと國分は想定しています。社会の中において人びとが権利を有し.社会の法がその権利に根拠を与えるのですが,この間に過不足がないのであれば,その社会は落ち着いているというのが國分の規定です。つまり権利が及ぶ範囲が社会が覆う領域の外まで届くと着想されるなら,この間に過不足が生じるのですが,それが着想されないなら,一切の過不足がありません。そしてその状況では,現実的に存在している人間は,各々ができることはしていてできないことはしていないことになります。したがって法の概念を,スピノザが二分したうちの前者,自然Naturaの必然性necessitasという概念だけで理解すれば,いい換えれば人びとが法の概念をこの意味だけで理解している場合は,そこに過不足が生じることはありません。この場合は人びとの権利は,たとえば神Deusの法によって定められていると信じられているわけですから,権利が覆う範囲と法が覆う範囲は完全に一致しているでしょう。なのでこの場合は,法という概念と権利という概念を強いて区別する必要はないのです。
ホッブズはこの考え方に挑戦しようとしたのです。単純にいえば,国家Imperiumや社会に先立つものとして,人間の権利,個人の権利を考えようとしたのです。だからホッブズはそのふたつの概念を区別しなければならないと主張したのです。それが何を意味しているのかといえば,社会が落ち着いている状態ではなくなったということです。あるいは同じことですが,法という概念と権利という概念の間に過不足が生じたということです。ホッブズはそのことに気付いたから,法と権利を分ける必要があると考えたのであって,ホッブズはそれを,権利の過剰というようにみました。大雑把にいうと近代ではそのようなことが生じるのであり,スピノザもそれを継承しました。
昨晩の第60回関東オークス 。
アンデスビエントがハナに立つと,競り掛ける馬はなく,メイショウヨシノとイゾラフェリーチェとミスカッレーラが2番手で併走。3馬身差でクリスマスパレード。シンメブルースとグラインドアウトが並んで続き,2馬身差でスピナッチバイパーとプリンセスアリーが併走。2馬身差でローリエフレイバー。アンバーシュガーは大きく引き離されて発馬後の向正面を通過。2周目の向正面に入ったところでミスカッレーラが単独の2番手となり,3番手にイゾラフェリーチェ。その後ろはメイショウヨシノ,グラインドアウト,プリンセスアリー,クリスマスパレード,ローリエフレイバーの5頭。ハイペースでした。
3コーナーでも逃げたアンデスビエントは手応えが楽。ミスカッレーラが押してついていき,内を回ったグラインドアウトが3番手に。外を回ったのがローリエフレイバーでグラインドアウトを追ってプリンセスアリー。直線に入ってもアンデスビエントの逃げ脚は衰えず,後ろを離していく一方となり,楽に逃げ切って優勝。グラインドアウトとミスカッレーラで2着争いとなりましたが,2番手で食らいついていたミスカッレーラが最後まで死守し,7馬身差で2着。グラインドアウトが半馬身差で3着。
優勝したアンデスビエント は重賞初挑戦での優勝。前走の1勝クラスを3馬身半差で快勝していた馬で,例年のこのレースでは優勝候補。ほかにもJRAの2勝馬がいましたが,メイショウヨシノは短距離を使っていて,クリスマスパレードはダートが初めて。イゾラフェリーチェは未勝利はダートで勝ったものの1勝クラスは芝で勝ったということもあり,それぞれ対応できなかったためアンデスビエントの圧勝となりました。現状は逃げるレースがベストですが,タイムは優秀なので,古馬相手でも通用する要素はありそうです。祖母の父はキングカメハメハ 。母は2019年にブリーダーズゴールドカップ とレディスプレリュード ,2020年にエンプレス杯 を勝ったアンデスクイーン で7代母がレディチャッター 。Vientoはスペイン語で風。
騎乗した田口貫太騎手はデビューから1年3ヶ月で重賞初制覇。管理している西園正都調教師は関東オークス初勝利。
不安 metusに苛まれるよりは希望spesに胸を膨らませる方がましですから,強い不安に襲われている人には,僕はこの種の助言をします。しかし,それが社会的な意味において,つまり人間が協働して生きていくものであるということまで考慮に入れたときに,よい助言であると一般的にいえるわけではありません。少なくとも僕は,これが一般的に優れたアドバイスであるというように考えているわけではありません。スピノザがどのようにいっているのかを確認します。
スピノザが希望と不安について,一般的な評価を下しているのは第四部定理四七 です。ここでは,希望も不安もそれ自体では善bonumではあり得ないといわれています。
これは一見すると,スピノザ自身が矛盾したことをいっているように思えます。というのは,第四部定理八 により,現実的に存在する各々の人間にとっての善というのは,その人間による自身の意識化された喜び laetitiaにほかならないのですが,第三部諸感情の定義一二 により,希望というのは喜びにほかならないからです。したがって現実的に存在する人間は,自身の希望を意識したならそれを善と認識するcognoscereことになります。これは明らかに第四部定理四七でいわれていることと反することになるでしょう。一方,第三部諸感情の定義一三 により,不安は悲しみtristitiaの一種ですから,現実的に存在する人間は自身の不安を意識するときにはそれを悪malumと認識するでしょう。つまりこちらの方は第四部定理四七でいわれている通りです。
ではなぜ第四部定理四七で,スピノザが希望もまたそれ自体では善ではあり得ないといっているかというと,希望もまた悲しみを伴うことなしにはあり得ない感情affectusであるからです。これは第三部諸感情の定義一三説明 にあるように,希望は不安なしにはあり得ないからです。つまり不安は悲しみであり,不安なしにはあり得ない希望は,悲しみなしにはあり得ない感情ということになるから,それ自体では善ではあり得ないとスピノザはいっているのです。これが,第四部定理四七の証明Demonstratioの全体像になります。ただしこれらの感情は,もしも受動的な喜びが過度になるのを抑制し得るのであれば善であるとスピノザはつけ加えています。
習志野きらっとスプリントトライアルの昨晩の第4回川崎スパーキングスプリント 。
コパシーナは加速が鈍く1馬身の不利。大外から押していってノボベルサイユの逃げ。エンテレケイア,プライルード,ティアラフォーカスの順で続きカプリフレイバー,マッドシェリー,サンダーゼウスの3頭が併走。2馬身差でアルバミノル。コパシーナはその後ろまで巻き返し,ヴァンデリオンとアポロビビは併走。2馬身差の最後尾にホウオウスクラム。ハイペースでした。
逃げたノボベルサイユは飛ばしていったので2馬身くらいまでリードが広がりました。先に追い上げていったのはティアラフォーカスで,エンテレケイアは内に。そして外からプライルードで最終コーナーから直線へ。ノボベルサイユが一杯になりティアラフォーカスが一旦は先頭。2頭の間を突こうとしたエンテレケイアは狭くなって最内に進路を変更。ティアラフォーカスの外からプライルード。ティアラフォーカスがまず一杯になり,残った2頭の優勝争い。外のプライルードが制して優勝。エンテレケイアがアタマ差で2着。ティアラフォーカスが1馬身半差で3着。
優勝したプライルード は前々走のオープン以来の勝利。南関東重賞は一昨年のアフター5スター賞 以来の3勝目。出走メンバーの中では実績は上位。900mに出走するのが初めてだったのですが,問題とはなりませんでした。現状は1200mよりも1000mの方がよいというタイプになっているのかもしれません。タイムは上々だったと思います。父はラブリーデイ 。母の父はサクラバクシンオー 。ふたつ上の半姉が2019年のローレル賞 を勝ったブロンディーヴァ でひとつ上の半姉が一昨年の福島牝馬ステークスを勝ったアナザーリリック 。Praeludeはプレリュード。
騎乗した船橋の本田正重騎手は東京湾カップ 以来の南関東重賞18勝目。川崎スパーキングスプリントは初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞27勝目。川崎スパーキングスプリントは初勝利。
第四部定理五七 で,高慢な人間が寛仁 generositasの人を憎むといわれているのは,ひとつのキーポイントです。第三部定理五九備考 でいわれているように,寛仁というのは感情 affectusのひとつであって,これは人間が理性 ratioに従うときにのみ生じる欲望cupiditasのひとつです。したがって人間は高慢superbiaである限りは理性に従っている人を憎むのです。このことが,高慢は狂気であるとスピノザがいう理由のひとつとなっています。憎しみodiumというのは第四部定理四五 および第四部定理四五系二 から分かるように,スピノザが全面的に否定するnegare感情のひとつです。つまり高慢な人間は単に理性に従うことに反するという点で狂気といわれるわけではなく,理性に従っている人を憎むという点で狂気といわれているのです。
第四部定理二五 というのは,自己満足 acquiescentia in se ipsoあるいは自己愛philautiaだけを射程に入れたような定理Propositioではなく,ごく一般的な定理です。ですからこうしたことは自己満足だけに適用されるわけではなくて,受動的な喜びlaetitiaのすべてに妥当するといわれなければなりません。喜びはより小なる完全性perfectioからより大なる完全性への移行transitioであり,悲しみtristitiaはより大なる完全性からより小なる完全性への移行ですから,ある特定の人間だけを抽出すれば,悲しんでいるよりも喜んだ方がよいということになります。しかし人間が共同で生活するという点に着目すると,喜びはかえって迷惑を及ぼすので,悲しみを感じていた方が人びとの和合には有益であるという場合も生じるのです。
ここではこのことを,希望spesと不安metusの場合で考察します。というのはこのふたつの感情は表裏一体の感情であり,僕たちは希望を感じているときは不安も感じていて,逆に不安を感じているときには希望も感じているからです。このゆえに,一人ひとりの人間は,不安に苛まれているよりは希望に胸を膨らませている方がよいのであり,実際に強い不安に苛まれている人に対しては,僕もそのようなアドバイスをします。強い不安を感じるということは,それだけ大きな希望を抱いているということの裏返しなのであって,そうであれば少なくともその人間にとっては,大きな希望の方にすがっている方がよほどましであると僕は考えるconcipereからです。
昨晩の第70回東京ダービー 。
好発はムットクルフェでしたが逃げたのはアンモシエラ。2番手にサトノエピックで3番手にティントレットとラムジェット。2馬身差でシシュフォスとシンメデージー。7番手にイチニチシャチョウ。2馬身差でイモノソーダワリデ。9番手にハビレとオーウェル。11番手にムットクルフェ。12番手にボンドボーイとフロインフォッサル。14番手にクニノトキメキとマコトロクサノホコ。3馬身差の最後尾にキタノヒーロー。前半の1000mは64秒0の超スローペース。
3コーナーではアンモシエラとサトノエピックは併走で直後にラムジェット。3馬身差でティントレットが追走し直後にシシュフォスとシンメデージー。直線の入口では前の2頭がラムジェットに2馬身ほどの差をつけましたが,直線に入るとまたラムジェットが差を詰めてきて,内で競り合う2頭を差すと抜け出して快勝。競り合いを制したサトノエピックが6馬身差で2着。アンモシエラが2馬身差で3着。
優勝したラムジェット はユニコーンステークスからの重賞連勝で大レース制覇。デビュー戦でまったく走る気を見せず,離された最後尾から直線だけで前をいく馬すべてを差し切った馬で,その時点でスター候補生になりました。2勝目をあげるのに3戦を要しましたが,それ以降は負け知らずでここまで来ました。反応は鈍いけれども脚は長続きするという内容での重賞連勝ですから,もっと強くなる余地があるように思えます。現状は距離が長い方がレースはしやすいのではないでしょうか。母の父はゴールドアリュール 。祖母が2009年に関東オークス とスパーキングレディーカップ ,2010年に名古屋大賞典 とスパーキングレディーカップ ,2011年にTCK女王盃 とエンプレス杯 とスパーキングレディーカップ を勝ったラヴェリータ 。Ramjetはジェットエンジンの一種。
騎乗した三浦皇成騎手は2022年のJBCスプリント 以来となる大レース3勝目。管理している佐々木晶三調教師は2015年の中山大障害 以来となる大レース制覇。このレースは今年から重賞になりましたので,両者ともに初勝利です。
観想するcontemplariという思惟作用をどのような意味で用いればよいかは概ね決定することができましたので,再び國分の議論に戻ります。
國分は第三部定理五五 を,ひとつのクライマックスといっていました。もっともそれは,具体的な感情論の最後の部分に当たるという意味合いでしかないのですが,だからといって,第三部定理五三 で自己の能力potentiamを観想するといわれるとき,それを第三部定理五五の前振り,つまり能力は観想されるが無能力impotentiaは表象されるということだけの意味として理解するわけにはいかないといっています。人間が自己の能力を観想することは,第四部以降にも重要な場面で『エチカ』の中に登場します。現実的に存在する人間が自己の能力を観想することによって生じる喜びlaetitiaは,第三部諸感情の定義二五 にあるように,自己満足Acquiescentia in se ipsoといわれるのですが,第四部定理五二 は,理性rationeから生じる自己満足は最高の満足であるといっていますし,第五部定理二七 では,第三種の認識 cognitio tertii generisから自己満足が生じ,これが精神mensの最高の満足であるという意味のことがいわれています。ですから,現実的に存在する人間が,自身の能力を観想することが,スピノザの哲学において重要な思惟作用であるということは疑い得ません。
ただし,第三部定理五三で実質的に自己満足が言及されるとき,それが第三部定理五五の前振りのような形になっていることにも意味があるのだと國分はいっています。これはまさに観想するということが表象するimaginariということでもあり得るということと関連するのです。理性から生じたり第三種の認識から生じるのであれば,それは十全な認識です。つまり自己の能力というのを正しく認識した上での自己満足です。しかし現実的に存在する人間は,自己の能力を表象する場合もあるのであって,これも第三部諸感情の定義二五によって自己満足といわれるのですが,これは表象しているのですから,自己の能力を正しく認識した上での自己満足ではありません。あるいは同じことですが,自己の能力を見誤って認識した上での自己満足です。こうした自己満足はきわめて危険な自己満足なので,スピノザはあえてこういう文脈にしていると國分はいっています。
昨晩の第4回若潮スプリント 。沢田騎手が4レースで落馬し,腸骨骨折などの傷を負ったためモノノフブラックは野畑騎手に変更。
ゲートの中で何度か立ち上がっていたエイムフォーエースは発馬でも1馬身の不利。大外からオーソレリカが瞬く間にハナに立っての逃げ。2番手にスピネーカーとエドノフェニックスとリノディスティーノ。5番手にモノノフブラック。2馬身差でトーセンヴィオラとギガース。8番手にザイデルバストとフクノフードゥル。2馬身差でヘリアンフォラ。11番手がエイムフォーエースとなり最後尾にビッグショータイム。前半の600mは35秒5のハイペース。
3コーナーでは2番手がエドノフェニックスとリノディスティーノの併走となり,3馬身差でギガースが4番手に上昇。2馬身差で後退したスピネーカーとモノノフブラックが併走。直線に入るとリノディスティーノは脱落しエドノフェニックスが単独の2番手に。その外からギガースが差してきて2番手に上がると,フィニッシュにかけて逃げ粘るオーソレリカを追い詰め,最後は差し切って優勝。逃げ粘ったオーソレリカが半馬身差で2着。3番手となったエドノフェニックスの外からモノノフブラック,ザイデルバスト,ヘリアンフォラの3頭が並んで追い込んできて3着争い。真中のザイデルバストが5馬身差の3着で外のヘリアンフォラがアタマ差で4着。モノノフブラックが半馬身差で5着。
優勝したギガース はネクストスター東日本 以来の勝利で南関東重賞3勝目。距離が短縮して苦しんだ感はありましたが,速力を生かして軽快に逃げたオーソレリカを,58キロを背負いながら捻じ伏せたのは底力の証明で,この距離でもこのメンバーなら力が抜けていたということでしょう。レースのしやすさという観点からは,もう少し距離があった方がいいのではないでしょうか。母の父はジャングルポケット 。祖母がダイヤモンドビコー で3代母がステラマドリッド 。Gigasはギリシア神話の巨人族のひとつ。複数形はギガンテス。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 はプラチナカップ 以来の南関東重賞61勝目。若潮スプリントは初勝利。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞13勝目。若潮スプリントは初勝利。
この國分の指摘は,僕がこれまでに考察したことと関連させることができます。それは,フロム Erich Seligmann Frommが『愛するということ The Art of Loving 』において,スピノザの哲学について指摘していたことです。フロムはそこで,自分の外部にある目標に向かって邁進する人は,活発に活動しているようにみえ,椅子に座って沈思黙考する人は逆に不活発にみえるけれど,スピノザの哲学においては前者が受動passioであり,後者が能動actioであるという意味のことをいっていました。ここでも活発にみえるかそうでないかということは,その人が能動状態にあるか受動状態にあるかということと無関係であるということがいわれているのであり,これは國分がこの部分で指摘していることと同じであるといえるでしょう。
國分はここではねたみinvidiaという,悲しみtristitiaの一種である感情affectusを例として指摘していますが,こうしたことは悲しみとだけ関係するのではありません。たとえば過度な金銭欲avaritiaを満たすためあくせくと働く人は,活発に活動しているようにみえるでしょう。金銭欲は欲望cupiditasの一種ですから,これは悲しみとは無関係です。しかし國分のいい方に倣うのであれば,この活動をより多く表示している力potentiaは,それほどその人間の欲望を満たそうとする金銭の力である,もっと正確にいうなら,その人が表象している金銭の力なのであって,その人自身の力ではないということになるでしょう。その活動をより多く表示しているのが,その人が表象している金銭の力であるのならば,その活動はその人の能動ではなくて受動なのです。
第四部定理四系 でいわれているように,現実的に存在する人間は常に何らかの受動に隷属しています。國分が,その力を表示しているといわずに,より多く表示しているといっているのは,このことと関連しています。すなわち,現実的に存在している人間は,自分の力だけを表示するということはありません。ただ,外部の力よりも自分の力をより多く表示するということはあるのであって,その場合はその人間の能動といわれるのです。逆にいえば,たとえねたみや金銭欲によって活発に活動するときも,活発している当人の力がまったく表示されていないというわけではありません。
第7回プラチナカップ 。
ボンディマンシュは立ち上がって2馬身の不利。ツーシャドーが逃げて2番手にアランバローズ。3番手にブルベアイリーデとポリゴンウェイヴで5番手にアマネラクーンとブンロート。2馬身差でジャスティン。3馬身差でティーズダンクとサヨノグローリー。2馬身差でスマートセラヴィー。3馬身差でボンディマンシュ。最後尾にカジノフォンテンという隊列。最初の600mは35秒7のハイペース。
3コーナーからツーシャドーとアランバローズが雁行。コーナーで一旦はアランバローズが前に出たのですが,また内のツーシャドーが盛り返しました。4馬身ほど離れた3番手にアマネラクーンが上がり,その外のサヨノグローリーが4番手に。直線に入ってもツーシャドーとアランバローズの競り合いが続き,外からアマネラクーンも差を詰めていき,3頭が並ぶようにフィニッシュ。外のアマネラクーンが差し切って優勝。ツーシャドーがクビ差の2着に粘り,アランバローズがアタマ差で3着。大外のサヨノグローリーは4分の3馬身差で4着。
優勝したアマネラクーン は南関東重賞初制覇。浦和の1400mを中心に走ってきた馬で,これまで24戦して16勝。南関東重賞では勝てていなかったのですが,この条件であればいつ勝ってもおかしくないと思っていました。今日は前の2頭の競り合いに乗じたところはありますが,この条件であればこれからも大きく崩れることはないと思います。ただ,年齢的にこれ以上の上積みは難しいでしょう。祖母は2001年にさきたま杯と兵庫ゴールドトロフィーを勝ったゲイリーイグリット 。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 はクラウンカップ 以来の南関東重賞60勝目。第1回 ,3回 に続いて4年ぶりのプラチナカップ3勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞66勝目。第2回 以来となる5年ぶりのプラチナカップ2勝目。
第三部諸感情の定義一 のように,与えられたその各々の変状affectioによってあることをなすように決定されると考えられる限りにおいて,ということをつけ加えれば,精神mensが自身の欲望cupiditasないしは衝動appetitusを意識し得るということが出てくるのです。
これをつけ加えなければならなかったのは,いい換えれば欲望の定義Definitioのうちに欲望する人間の精神mens humanaが自身の欲望を意識し得るということを含めなければならなかったのは,國分が指摘しているように,スピノザの哲学における定義の要件に関係していると思われます。國分はこの定義は,定義されているもの,この場合でいえば欲望の特性である,欲望は欲望する人間によって意識されるものであるということを,定義そのものから導き出すことができる,発生的定義の模範的な例であるとしています。これに対して,第三部定理九備考 でいわれている,意識される限りでの衝動であるという欲望の定義は,発生的定義に対していえば,名目的定義なのです。つまりそれは,欲望という語をこのような意味で用いますという宣言にすぎないのであって,その宣言が,第三部諸感情の定義一において,発生的定義あるいは実在的定義に書き換えられているのです。國分はこの定義は,『エチカ』の中にあるいくつかのターニングポイントのひとつであるといっていたわけですが,これがターニングポイントであると國分がいうことの具体的な意味になります。
國分もいっているように,このターニングポイントには意識conscientiaというのが決定的な関与をしています。これは,発生的定義となるようにスピノザが含ませたかったことが,この定義の中に,欲望は欲望する人間の精神によって意識され得るということを含めることであったといっていることから明白であるといわなければなりません。ですから,スピノザは人間の本性natura humanaと意識を明確に関連付けようとしているのです。他面からいえば,人間の現実的本性actualis essentiaである欲望を,人間は意識することができるということは,スピノザにとっては重要なことであったのです。第三部諸感情の定義一は,人間は自身の現実的本性を意識し得る,あるいは意識するということを,その意味として含んでいるのです。
昨晩の第69回大井記念 。ナンセイホワイトは腹痛のために出走取消となり9頭。
ヒーローコールは発馬してすぐに控えました。逃げたのはバーデンヴァイラーで2番手にランリョウオー。3番手にサヨノネイチヤとキタノオクトパスで5番手にミヤギザオウとマースインディ。3馬身差でヒーローコールとセイカメテオポリスとキャッスルトップの3頭で発馬後の正面を通過。前半の1000mは64秒4のミドルペース。
向正面でバーデンヴァイラーのリードが一時的に3馬身ほどになりましたが,3コーナーに掛けてまた差が詰まっていき,ランリョウオー,キタノオクトパス,マースインディの3頭が雁行でコーナーへ。サヨノネイチヤはこの3頭の後ろのインに控えました。コーナーで再びバーデンヴァイラーが追ってきた3頭との差を広げていき,内を回ったサヨノネイチヤが2番手に浮上して直線へ。直線ではバーデンヴァイラーの外に出して追い上げ,差し切ってサヨノネイチヤが優勝。逃げ粘ったバーデンヴァイラーが半馬身差で2着。道中の進みが悪く苦し紛れに内を回ってきたセイカメテオポリスが,それでも直線はじわじわと伸びて内からランリョウオーを差して2馬身差の3着。ランリョウオーが1馬身4分の1差の4着。ランリョウオーの外から並んで追ってきた2頭はミヤギザオウがクビ差の5着でヒーローコールがハナ差の6着。
優勝したサヨノネイチヤ はここがブリリアントカップ 以来のレース。連勝を7まで伸ばし,南関東重賞3連勝。ここまで勝っていた勝島王冠,ブリリアントカップに比べると大井記念は同じ南関東重賞でも格式が高く,メンバーも強化されていましたし,これまでの2戦より距離も伸びていました。そうした点を突破しての優勝で,それだけの価値があるといえるでしょう。ペースの関係もあり,タイムが平凡なのですぐに重賞で通用というわけにはいかないと思いますが,まだ底を見せていないのも事実で,そういう可能性を秘めた馬なのは間違いないでしょう。父はダノンレジェンド 。母の父はオレハマッテルゼ 。祖母の13歳上の半兄が1991年に小倉記念と京都新聞杯と鳴尾記念,1994年に高松宮杯を勝ったナイスネイチャ 。
騎乗した大井の西啓太騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞4勝目。その翌日に東京スプリント も勝っています。大井記念は初勝利。管理している大井の坂井英光調教師は南関東重賞5勝目。大井記念は初勝利。
スピノザが衝動appetitusを人間の本性natura humanaとみていることは,第三部定理九備考から明白であるといわなければなりません。この備考Scholiumの冒頭で衝動とは何かを示した後で,スピノザは次のようにいっているからです。
「したがって衝動とは人間の本質そのもの,ー自己の維持に役立つすべてのことがそれから必然的に出て来て結局人間にそれを行なわせるようにさせる人間の本質そのもの,にほかならない 」。
このことは第三部定理六 から帰結していると考えられます。備考では自己の維持に役立つといわれていて,第三部定理六では自己の有に固執するsuo esse perseverareといわれていますが,このふたつは同じことを意味していると考えられるからです。前もっていっておいたように,第三部定理六は現実的に存在するすべての個物 res singularisに妥当する本性ですが,人間もまた現実的に存在する個物なのですから,それが人間にも適用されるのです。ただ備考の冒頭でいわれているように,衝動は精神 mensと身体corpusの両方に関係するといわれていて,これは当然ながら人間の身体humanum corpus,ほかの個物とは異なった人間の身体と,同じようにほかのものの精神とは異なった人間の精神mens humanaを意味しますから,それを踏まえて人間の本性といわれているのです。
一方,この備考でいわれていることは,第三部諸感情の定義一 でいわれていることと内容が一致するといえます。備考ではそれを人間に行うようにさせるといわれていて,第三部諸感情の定義一ではあることをなすように決定されるといわれていますが,これらは両方とも現実的に存在する人間が働きを受けるpatiことを示しているといえるからです。要するにこれらは両方とも人間の受動passioについての言及なのです。いい換えれば備考でいわれている衝動および諸感情の定義でいわれている欲望cupiditasは,受動状態における人間の本性を示しているといえると僕は考えます。よって,第三部定理九備考でスピノザが主眼としていることは,人間を突き動かすような力potentiaのことであるよりは,人間が働きを受けることについてであると僕は解します。この備考が付せられている第三部定理九 は,人間は混乱した観念idea inadaequataを有する限りにおいても自己の有に固執し,それを意識するといわれているのです。
キヨフジ記念の昨晩の第70回エンプレス杯 。
オーサムリザルトが前に出ましたが,内からライオットガールが主張してハナへ。オーサムリザルトが2番手に控えその後ろにグランブリッジとアイコンテーラーとマテリアルガールの3頭。2馬身差でキャリックアリードとアーテルアストレア。8番手はグレースルビー。3馬身差でアンティキティラとマルグリッド。3馬身差でコスモポポラリタ。2馬身差の最後尾にスノーパトロールで発馬後の向正面を通過。正面に入って控えたオーサムリザルトがライオットガールの外に並んでいくと,今度はライオットガールが控え,ここからはオーサムリザルトの逃げに。ライオットガール,アイコンテーラー,アーテルアストレアの3頭が2番手で並び,グランブリッジが5番手になりました。さらに向正面に戻るとアイコンテーラーが単独の2番手となり,2馬身差の3番手がライオットガールで直後にアーテルアストレア。2馬身差でグランブリッジでその直後にキャリックアリードという隊列に。ミドルペースでした。
3コーナーからはまだ楽な手応えのオーサムリザルトに対してアイコンテーラーは押してついていく形。ライオットガールとアーテルアストレアも続き,外を回ってグランブリッジも追い上げ,グランブリッジを追うように大外からキャリックアリード。直線に入ってアイコンテーラーはオーサムリザルトとの差を一旦は詰めたのですが,そこからは突き放されました。外のグランブリッジが2番手に上がってオーサムリザルトを追い詰めたものの届かず,オーサムリザルトが優勝。グランブリッジがクビ差で2着。大外のキャリックアリードが2馬身差で3着。
優勝したオーサムリザルト は重賞初挑戦での制覇。ここはすでに重賞で実績をあげている馬たちと,ここまで5連勝中のオーサムリザルトという構図。オーサムリザルトは前走で牡馬相手のオープンを勝っているので,能力が通用するのは疑い得ませんでした。途中からの逃げでついてきた馬たちを突き離し,好位からの差しを凌いでの優勝なので,着差は少なくても内容は充実していたと思います。まだ遊びながら走っているようなところが見受けられるので,そのあたりは改善の余地があるでしょう。牝馬重賞ではまだ勝っていけるでしょうし,牡馬相手の重賞でも通用するのではないかと思います。Awesome Resultは素晴らしい結果。
騎乗した武豊騎手 は第50回,56回 ,57回 ,62回 に続き8年ぶりのエンプレス杯5勝目。管理している池江泰寿調教師はエンプレス杯初勝利。
日本語では意識conscientiaと良心conscientiaは似ても似つかない語であって,それぞれの意味に重なる部分があるとはいえません。しかしスピノザの時代は,意識と良心は重なり合うもの,極端にいえば同じものだったのであって,だからスピノザが意識という語を使用するときには,その意味の把握に注意をする必要があります。もちろんこれはスピノザだけに限ったことではなく,同時代の思想家,たとえばデカルト René DescartesやホッブズThomas Hobbesを理解する際にも必要とされる注意です。僕はこのような理由もあって,スピノザの哲学における意識とは何かということを日本語で考えるときには,意識というのを良心とは異なった独立したものとして把握するために,それを無意識との対比で解するという立場を採用します。スピノザは無意識という概念notioをおそらくは有していなかったのですから,スピノザ自身がこのように意識を理解していたということはあり得ません。その意味でいえば,僕のような解釈は,スピノザの思想の理解のためには正当性を欠くといわれても仕方がないと思います。ただ現代の日本人である僕が,日本語でスピノザの思想を現代的に理解しようとするなら,僕のような方法を採用する方がよいのではないかと思います。
さらにもうひとつ,ドゥルーズGille Deleuzeの理解との関連では,以下の点にも注意を要する必要があります。
ドゥルーズが意識とみなすのは,自己の身体corpusが外部の物体corpusによって刺激されるafficiときの,その刺激状態の観念の観念idea ideaeのことでした。いい換えればドゥルーズは,あらゆる観念の観念が意識といわれるというようには考えていません。ドゥルーズはフランス人で,おそらく根本的にはフランス語で考える人であり,前もっていっておいたように,フランス語では現代でも意識を意味する語と良心を意味する語が同じなので,ドゥルースが意識とは何かということを主張するとき,それは良心とは何であるのかということを主張するのと同じ意味合いがあるかもしれないと解しておく必要があります。しかし僕がここでいっておきたいのは,そのことではありません。ドゥルーズのように意識を規定する場合に,理性ratioは僕たちに意識され得るものであるのか否かという点です。
昨日の第24回名古屋グランプリ 。
インに切れ込んでノットゥルノがハナへ。ヒロイックテイルとキリンジが2番手を併走。5馬身差でアルバーシャ。1馬身半差でブリーザフレスカ。6番手にアンタンスルフレで7番手にレッドファーロ。8番手はエクセスリターンとディクテオン。10番手がハクサンアルタイルとフォルベルール。2馬身差の最後尾にトランセンデンスで発馬後の向正面を通過。ノットゥルノがリードを広げていき,正面では3馬身。キリンジが単独の2番手になり,6馬身差の3番手にヒロイックテイル。さらに向正面に戻って,ノットゥルノのリードがさらに広がっていき,きわめて縦長の隊列になりました。ミドルペース。
3コーナーではノットゥルノのリードは7馬身くらい。キリンジとヒロイックテイルの差も7馬身くらい。3馬身差でアルバーシャが4番手。ノットゥルノはそのまま直線に向かい,後続に影さえ踏ませずに楽に逃げ切り,レコードタイムで圧勝。直線でキリンジを外から差したヒロイックテイルが8馬身差で2着。キリンジが2馬身半差で3着。
優勝したノットゥルノ は佐賀記念 以来の勝利で重賞3勝目。このレースはノットゥルノとディクテオンの力量が他より上で,優勝争いとみていました。ところがノットゥルノが速力で圧倒し,ディクテオンは道中で差を詰めていくことさえできませんでした。僕の見立てが大きく誤っていて,このメンバーではノットゥルノの力量が断然であったということでしょう。佐賀記念の回顧でもいったように,大井で特異に力を発揮していた馬ですが,佐賀に続いて名古屋でも結果を出したことで,その評価は覆したといっていいでしょう。左回りにはまだ課題が残っていますが,この勝ち方なら,トップクラスに追いついてきているとみていいのではないかと思います。父はハーツクライ 。Notturnoはイタリア語で夜想曲。
騎乗した武豊騎手 は第2回以来22年ぶりの名古屋グランプリ2勝目。管理している音無秀孝調教師は名古屋グランプリ初勝利。
理論上は現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにXの観念ideaがあれば,Xの観念の観念idea ideaeも同じ人間の精神のうちにあり,ゆえに現実的に存在する人間の精神のうちにある無意識は,その人間によって意識化されることができます。とはいえすべての観念が観念の観念として意識化されるわけではありません。このことは当然であって,もし現実的にそのようなことが生じてしまえば,僕たちはそうした情報の処理だけで手一杯になってしまい,他に何もできなくなってしまうであろうからです。ドゥルーズGille Deleuzeが指摘しているように,仮に人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusによって刺激されるaffici状態の観念の観念だけを意識conscientiaと規定するとしても,第二部自然学②要請三 から理解できるように,人間の身体は多種の外部の物体から多様な仕方で刺激されるので,逐一その状態を意識していたら,ほかのことに対する意識が希薄になってしまうでしょう。それはもしそのようなことがあれば人間は現実的に生き続けていくことができないという意味です。他面からいえば,人間の身体は多種の物体から多様な仕方で刺激されるがゆえに,意識化されない無意識が存在する余地もそれだけ大きくなっているといえるのです。僕は,僕たちの意識というのは僕たちの無意識のごく一部であって,僕たちの無意識というのはほとんどが意識されずに僕たちの精神のうちで観念を形成しているのだと考えます。
スピノザはしかし,このような理論で無意識の理論を確立しようとしたわけではありません。というか,スピノザが生きていた時代にはそもそも無意識という概念 notioがなかったのであって,だからスピノザも意識とは何か,そして無意識とは何かということは少しも考えていなかったであろうと思います。しかしそれでも,確かにスピノザの哲学は無意識の理論を含んでいます。このことは,自然科学として無意識という概念を確立し,その理論を構成したフロイトSigmund Freudが,スピノザの哲学の影響を受けているということを明言していることから明白だといえるでしょう。そして僕はこの観点から,観念の観念が意識であるとすれば,観念とは無意識であるというように解するのです。つまりこれは自然科学的な見解opinioです。
第38回東京湾カップ 。
逃げたのはコルベット。2番手にツキシロで3番手はオーウェルとバハマフレイバーとトーセンヴィオラの3頭。6番手にシシュフォス。2馬身差でアムクラージュとマサノロイヤル。3馬身差でゴールデンブザー。10番手にマコトロクサノホコ。4馬身差でクニノトキメキ。6馬身差の最後尾にクリコマ。超ハイペースでした。
3コーナーでは2番手がオーウェルとツキシロの併走になり,この2頭の外からシシュフォスが追い上げてきました。コーナーでツキシロは後退。マコトロクサノホコが4番手に。直線の入口ではオーウェルとシシュフォスが2番手で併走。オーウェルが後退し,シシュフォスが逃げたコルベットを差して先頭に。その外からマコトロクサノホコが追い込んできて,先頭に立ったシシュフォスを差して優勝。シシュフォスが2馬身半差で2着。コルベットが1馬身半差で3着。
優勝したマコトロクサノホコ は南関東重賞初挑戦での制覇。北海道デビュー馬で昨年は8戦して1勝。今年から南関東で走り始めると4戦して2勝,2着2回と堅実に走っていました。このレースはクラウンカップの上位馬がそのまま好走するという傾向があり,今年もクラウンカップを勝ったシシュフォスが2着。ペースに恵まれた面はあったと思いますが,差をつけて勝ちましたので,少なくともクラウンカップ組と同等の力量はあったとみてよいでしょう。レースぶりからはもっと距離が延びた方がよいように思えます。父は2014年の弥生賞を勝ったトゥザワールド でその父がキングカメハメハ で母がトゥザヴィクトリー 。母の父はフジキセキ 。母の8つ下の半妹に2016年の福島牝馬ステークスとクイーンステークスを勝ったマコトブリジャール 。六叉の鉾は鉄剣の名称。
騎乗した船橋の本田正重騎手はユングフラウ賞 以来の南関東重賞17勝目。東京湾カップは初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞34勝目。東京湾カップは初勝利。
それがスピノザによる『エチカ』の手稿であるということまで分かっていたかどうかは別として,チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausがカトリックあるいはキリスト教にとって好ましくないものを所持しているからステノ Nicola Stenoはそれを入手しようと試みたという説は,可能性という面からいえば,そうでなかった場合と比較したときに,より高いものとなるように僕には思えます。
もしもそうでなかったとしたら,つまりステノはチルンハウスが異端審問所に提出しなければならないようなものを所持していたということを知らなかったとしたら,ステノはチルンハウスが所持していた草稿を何らかの拍子に目にすることになり,それを読んでみたらカトリックにとっての危険文書であったから,その入手を企てたということになります。もちろんそのようなことが生じ得ないということはできませんが,あまりに偶然が過ぎるといっていいでしょう。そもそも,ステノはそれを入手した後に,中身を精査して弾劾書を付して異端審問所に提出するような人ですから,チルンハウスが秘密裏に保持している文書を盗み読みするということ自体が可能性として低く感じられます。少なくとも,この場合はステノがそれを読む積極的な動機というのはないわけですから,なぜステノがそれを読むに至ったのかということを説明することが困難になってしまいます。
チルンハウスが所持していた『エチカ』の草稿には,記名はありませんでした。でもステノはそれがスピノザによるものだということについて,確信めいたものをもっていたであろうと僕は推測しています。そしてその確信というのは,入手した草稿を読むことによってステノのうちに芽生えたものではなく,入手する以前の段階から,ステノのうちにはあったのではないかと思いますし,そう考えた方が,ステノがその入手を企てたことをうまく説明できるのではないかと思います。チルンハウスが何らかの危険文書を所持しているということを知り得ただけでも,チルンハウスとスピノザの親しさをおそらくチルンハウスから知らされていたであろうステノは,その文書を書いたのはスピノザではないかと疑うことができたのではないかと思うのです。
昨晩の第36回かしわ記念 。
発馬後の加速でシャマルが難なくハナへ。2番手にペプチドナイル,3番手にキングズソード,4番手にクラウンプライドでここまでが先行集団。2馬身差でウィリアムバローズ,オメガレインボー,ギガキングが好位集団を形成。2馬身差でギャルダル。9番手にミックファイア,10番手にタガノビューティーでこの3頭が中団。6馬身差でカジノフォンテン。4馬身差でキャッスルトップ。大きく離れた最後尾にリュードマン。前半の800mは47秒8のハイペース。
3コーナーでシャマルのリードは2馬身。ペプチドナイル,キングズソードが差を詰めていき,4馬身差でウィリアムバローズ。外から追い上げてきたのがタガノビューティー。直線に入ると逃げたシャマルがまた差を広げていき,鮮やかに逃げ切って優勝。ペプチドナイルとキングズソードの競り合いはペプチドナイルが制しましたが,大外から追い込んだタガノビューティーが差して2馬身半差で2着。ペプチドナイルが4分の3馬身差の3着でキングズソードが4分の3馬身差で4着。
優勝したシャマル は黒船賞 から連勝。重賞6勝目で大レースは初制覇。これまでの重賞5勝は1200mと1400mのもの。ここは速力が生きる馬場になったので,短い距離で結果を出していたこの馬に向いたということでしょう。そういう馬場になればこの距離でこの相手でも速力で圧倒することができるということが分かったのは大きな収穫でしょう。ただこの馬はこのレースも含めて重賞6勝がすべて重馬場か不良馬場でのものとなっていますので,良馬場であったらこのレースの結果も違ったものになっていたのではないでしょうか。馬場が悪くなった場合には相手が強くても対抗できるという馬なのだと思います。父はスマートファルコン 。母の父はアグネスデジタル 。祖母の父はダンスインザダーク 。母の従妹に2022年のローズステークスと2023年の愛知杯を勝ったアートハウス 。Shamalはペルシャ湾岸に吹く風。
騎乗した川須栄彦騎手はデビューから14年2ヶ月で大レース初勝利。管理している松下武士調教師は2019年の阪神ジュベナイルフィリーズ 以来の大レース2勝目。
チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausが『エチカ』の手稿を所持しているということをホイヘンス Christiaan Huygensに教えなかったということは,書簡七十 から確定できます。ナドラーSteven Nadlerはチルンハウスはライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizにはそのことを伝え,単に伝えただけではなくそれを読ませたとみていますが,それと同時にそうしたことはなかったとするフリードマンGeorges Friedmannの見解opinioにも触れていて,僕はフリードマンの見解の方に同意します。ただしこのことは史実として確定できる要素を有しているわけではないので,少なくともホイヘンスには教えなかったという点をここでは強調します。
ステノが『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』を読んでいたこと,そしておそらくそれを所有していたであろうことは書簡六十七の二 の冒頭部分から確定できます。しかしそのことは,だからステノは信頼するに値する人物であって,自身が『エチカ』の草稿を所有していることを教えてもよいとチルンハウスに思わせる事象にはなり得ません。ホイヘンスもまたおそらく『神学・政治論』を所有しまた読んでいたであろうことは書簡七十からはっきりしていますから,この条件はホイヘンスにあってもステノにあっても同一だからです。してみれば,ホイヘンスには教えなかったようなことを,ステノにチルンハウスが伝えるとは考えにくいといわなければなりません。ホイヘンスは学者であるのに対し,ステノは司祭になるような,あるいはすでに司祭になっていたかもしれないカトリックの布教者なのであって,自身が『エチカ』の草稿を所持していることを伝えることの危険性は,ホイヘンスに伝えるよりもステノに伝える方がずっと高いということくらいはチルンハウスにも理解できると思われるからです。
したがって,チルンハウスが『エチカ』の草稿を所持しているということは,チルンハウスから伝えられることによってステノが知ることになったとは僕には思えません。詳しいことに関しては何ともいえませんが,何らかの別の情報によってステノの耳に入ったのではないかと想定します。そしてもしもそうであるとするのなら,ステノは初めからチルンハウスがそうしたものを所有していると知って,それを入手しようとしたといわなければなりません。