スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

デイリー盃クイーン賞&最終結論

2024-02-08 19:19:31 | 地方競馬
 昨晩の第70回クイーン賞
 エイシンレミーはダッシュが鈍く5馬身の不利。グレースルビーがハナに立ち,2番手にゴールデンハインドで3番手にライオットガール。4番手はメイドイットマムとキャリックアリード。その後ろにサルサレイアとアーテルアストレアとフークエンジェルが並び,これらの外から押していったテリオスベル。エイシンレミーは大きく取り残されて発馬後の正面を通過。外から押し上げていったテリオスベルは行き脚がついて向正面の入口でグレースルビーの前に出ました。2馬身くらいの差がついた2番手にグレースルビーとなり,3馬身差でゴールデンハインド。直後にライオットガール。2馬身差でキャリックアリードとアーテルアストレアという隊列に変化しました。最初の800mは49秒2のミドルペース。
 3コーナーではテリオスベルのリードは1馬身くらい。グレースルビーは押して食い下がる形に。外から早めに進出してきたのがアーテルアストレアで内からライオットガール。キャリックアリードも追い上げてきてコーナーでグレースルビーは後退し,前4頭の争い。直線は途中から逃げたテリオスベルと早めに進出してきたアーテルアストレアが残る2頭との差を広げてマッチレース。外のアーテルアストレアが差し切って優勝。テリオスベルが1馬身半差で2着。内を回ったライオットガールを外から差したキャリックアリードが5馬身差で3着。ライオットガールが半馬身差で4着。
 優勝したアーテルアストレアレディスプレリュード以来の勝利で重賞2勝目。このレースはわりと力関係ははっきりとしていて,テリオスベルが出走ということで伏兵が食い込む余地が少ないので,波乱の余地はきわめて小さいだろうとみていました。実際に実力上位と目された4頭が4着までを独占。2着と3着の間は着差がつき過ぎているきらいはありますが,これはペースと展開によるものでしょう。牡馬の一線級相手に通用するほどの力量はありませんが,牝馬戦線ではこれからも上位を賑わせてくる馬たちでの決着であったと思います。父は2009年のきさらぎ賞と2010年のマイラーズカップを勝ったリーチザクラウンでその父はスペシャルウィークセレタダイナエイコーンの分枝で母のふたつ上の半兄に2018年のマーチステークスを勝ったセンチュリオン。Aterはラテン語で黒い。
 騎乗した菱田裕二騎手と管理している橋口慎介調教師はクイーン賞初勝利。

 デカルトRené Descartesが発見した答えは次のようなものでした。
 デカルトが何かを認識するcognoscereことによって何らかの観念ideaが自身の知性intellectusのうちに生じるとしても,そういう観念については必ず何らかの疑いdubitatioを有することができます。したがってそのことのうちには絶対的に正しいということはできません。ただ,デカルトが自身の知性のうちに生じる観念について,それを疑っているという事実は消し去ることはできません。他面からいえば,ありとあらゆる観念についてデカルトがそれを疑っているという思惟作用は,疑い得ない事実であって,よってこのことは絶対的に正しいということができます。この事象については,自分が夢を見ているというような疑いをもつことができないのは当然ですし,いかに神Deusが欺瞞的な存在であるとしても,自身が疑っていない事柄についてそれを疑っていると錯覚させるというようなこともできないからです。だから,自分があらゆる観念について疑っていることを,絶対的に正しいことであるとデカルトは結論付けたのです。
                                        
 このことが,我思うゆえに我ありcogito, ergo sum,と表現されているのです。ですからこの命題は,疑っているということはあることだという隠された前提の下に結論される三段論法ではありません。むしろ疑っているデカルト自身が存在するという意味の単純命題であることになります。スピノザはこのことを,我思うゆえに我あり,という命題は,我は思いつつあるego sum cogitans,という命題と意義を同じくする単純命題であると『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の中でいっています。この指摘が正しいことは,ここまでの考察から明白だといえます。つまりスピノザはデカルトの方法論的懐疑doute méthodiqueの結論部分を,きわめて正確に理解していたということができます。この時代にデカルトの哲学の解説書というものがどれほどあったのかということは僕には定かなことではありません。だから『スピノザー読む人の肖像』でいわれているように,我思うゆえに我あり,という命題を最初に正しく解説したのがスピノザであったということが,正確であるかどうかは僕には不明です。ただ,スピノザのデカルトの哲学に対する理解がきわめて正確だったのは間違いありません。
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