スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

プラチナカップ&自己の有

2018-07-17 19:07:33 | 地方競馬
 昨日の第1回プラチナカップ
 10頭のうち5頭が同じ厩舎ということで作戦は難しいところもあったと思いますが,最内枠でしたのでウェイトアンドシーの方が逃げ,ノブワイルドが2番手に控える形になりました。3番手はニシノラピート。4番手にキタサンミカヅキで5番手がリアライズリンクス。その後ろはインフォーマーとアンサンブルライフで併走。ここから大きく離れてトキノエクセレントとジョーオリオン。テムジンはさらに大きく離されての追走に。最初の600mは35秒6のハイペース。
 逃げたウェイトアンドシーと2番手のノブワイルドは競り合いながら直線に。内のウェイトアンドシーはノブワイルドは振り切ったものの,楽に追走して2頭の外から差し込んだキタサンミカヅキが突き抜けて優勝。逃げ粘ったウェイトアンドシーが4馬身差で2着。大外からよく伸びたインフォーマーが2馬身差の3着に届き,ノブワイルドはハナ差で4着。
                                
 優勝したキタサンミカヅキは昨年の東京盃以来の勝利。その直前にアフター5スター賞を勝っていて,南関東重賞は2勝目。重賞の勝ち馬ですから力量は上位であるものの,その後は南関東重賞はおろかオープン特別でも勝ちきれないというレースが続いていました。それでもここ2戦は重賞で連続2着でしたから,能力通りの結果とはいえます。勝ちきれないのは脚質の面も影響していたかもしれず,このレースはハイペースで流れた上に程よい位置を確保できたのが,大きな着差をつけて勝つことができた要因でしょう。能力を出せばこのメンバーではこのくらい離して勝つ力がある筈なので,このようなレースを継続することができれば,まだ活躍が見込めそうです。父はキングヘイロー。母の父はサクラバクシンオー。母の8つ上の半兄に1998年に埼玉新聞杯を勝ったキタサンシーズン
 騎乗した船橋の森泰斗騎手金盃以来の南関東重賞26勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師と共に第1回にその名を刻みました。

 11月4日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後2時半の開始でした。
 11月6日,月曜日。伯母がロサンゼルスに帰国してからは,僕が母と妹の分も合わせて3人分の夕食を作っていたのですが,この日は母が作ってみると言いました。これは延命治療を断念し,飲み薬の服用をやめたために,副作用がそこまで治まってきたことを意味します。母の申し出でしたので,この日は母に任せました。そしてこの日以降,以前のようにまた母が夕食の支度をするようになりました。そもそも母はこのような生活を送りたかったために最初から抗癌剤を用いた治療はしたくないと考えていたのであり,実際にそれを断念することによってそうした生活を送ることができるまで回復したのですから,これはよかったのだと現時点でも僕は思っています。病気が発覚した後,母が自分自身に関して最も大きな喜びを得られたのは,このときの体調の回復であったのは間違いないと僕は確信しています。人間は喜びlaetitiaを希求し悲しみtristitiaを忌避するという現実的本性actualis essentiaを有しているのですが,母にとって治療の断念とは,辛い副作用という悲しみの忌避であっただけでなく,喜びの追求でもあったのです。そして人間はそういう現実的本性を有しているとはいえ,追求すればその喜びを確実に手にすることができるというものでもありません。母は単に悲しみの忌避に成功しただけでなく,喜びの追及にも成功したのですから,母の現実的本性いい換えれば母のコナトゥスconatusは,母をより良い方向に向かわせたといえるでしょう。第三部定理七は,現実的本性すなわちコナトゥスは,自己の有suo esseに固執するといっていますが,自己の有に固執するというのは,必ずしも生き永らえるということだけを意味するのではないのです。
 11月8日,水曜日。母の消化器内科の通院,SOX+Bvの2クール目の開始の日でした。予約は午前10時半で,僕が同行しました。
 保険証確認を済ませて採血のために中央検査室へ。この日は検査の患者がとても多かったので,5人の技師がフルに稼働していました。時間を要して採血を終えると,僕たちはエレベーターで5階に向いました。
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