スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨日の第25回兵庫チャンピオンシップ 。
モズミギカタアガリは発馬直後に大きく左によれてしまいました。逃げたのはエートラックスで2番手にエコロガイア。3番手にギガース。4番手にチカッパとリケアサブル。6番手にダイジョバナイとイーグルノワール。8番手にクラウドノイズ。2馬身差でクルマトラサン。ダイボウケンと追い上げてきたモズミギカタアガリが並んで最後尾を追走して発馬後の正面を通過。向正面に入って内から追い上げたチカッパがエコロガイアと並んで2番手。3番手にギガース。2馬身差でリケアサブル。6番手にイーグルノワール。7番手にダイジョバナイという隊列に。ハイペースでした。
3コーナーまでにエコロガイアは後退。2番手がチカッパとギガースの併走になり,4馬身差の4番手に向正面から外を捲っていったモズミギカタアガリ。直線に入ると逃げたエートラックスが2番手以下との差を広げていき,楽に逃げ切って優勝。流れ込んだチカッパが3馬身差で2着。ギガースの外から追い込んだモズミギカタアガリが2馬身半差で3着。
優勝したエートラックス は重賞初制覇。ここは前走でJRAのオープンを勝った2頭が有力とみていましたが,その2頭での決着、たぶん現状の力関係の通りの結果とみていいと思います。速力の面でエートラックスの方がチカッパを上回っていたということでしょう。距離を1400mに短縮してから結果が出始めた馬ですから,1700mでも勝っているとはいえ,距離は短い方がいい馬だと思います。母の父はシンボリクリスエス 。母の6つ下の半弟に2021年の優駿スプリント とアフター5スター賞 を勝っている現役のワールドリング 。A Tracksはブレイクダンスの技の名前。
騎乗したブラジルのジョアン・モレイラ騎手と管理している宮本博調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。
チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausがいつパリを離れ,いつローマに到着したのかということは,僕には確定的にいうことができません。また,パリからローマに直行したのか,それともどこかを経由したのかということも分からないです。ただ,僕が想定していることからは,いくつかの条件は設定することができます。
スピノザが死んですぐ,編集者たちは遺稿集Opera Posthumaの編集作業に入りました。スピノザとチルンハウスの間で交わされた書簡には,哲学的に有益なことが多く含まれていましたから,編集者たちはそれを遺稿集に掲載したいと思ったのは間違いありません。ですから前にもいっておいた通り,それをどのような形で掲載するのかについて,チルンハウスと打ち合わせをしました。チルンハウスとシュラー Georg Hermann Schullerの間では,書簡七十 に書かれている通り,3ヶ月の音信不通でシュラーが心配するくらいに頻繁なやり取りが行われていたので,その任に当たったのは編集者のひとりであったシュラーであったと思われます。
実際にこのような打ち合わせがあったということは,『スピノザの生涯 Spinoza:Leben und Lehre 』では確定的なこととして記述されています。フロイデンタール Jacob Freudenthalのその部分の記述は,チルンハウスの名誉を貶めるようなものになっていると僕は感じます。チルンハウスについてこのように記述するのならば,たとえばライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対してはどのようにいえばよいのかというような内容になっているからです。ただそのことはここではこれ以上は探求しません。確かに打ち合わせがあった,つまりスピノザが死んだからといって,シュラーとチルンハウスの間の書簡での交流は途絶えていなかったということが分かればそれで十分でしょう。
ただしこれは書簡でのやり取りなのですから,チルンハウスがパリにいなければできなかったということにはなりません。ローマに移動しては書簡のやり取りはできないというものではないからです。だから,ライプニッツがパリを発つときにはチルンハウスがパリにいた可能性が濃厚ですが,スピノザが死んだときにパリにいたとは断定することができません。チルンハウスからの書簡によって,シュラーはチルンハウスの所在地を知ることができるからです。
昨晩の第38回東京プリンセス賞 。
キャッスルハートは発馬してすぐに控えました。発馬後に前にいこうとしたのはローリエフレイバーとイマヲトキメクとミスカッレーラとムサシジェリーナの4頭。ローリエフレイバーの逃げになり,行きたがるのを何とか抑えながらイマヲトキメクが2番手。3番手にミスカッレーラとなり,フォルトリアンが4番手に。フェルディナンドとムサシジェリーナが5番手を併走。2馬身差でシトラルテミニとプリンセスアリー。2馬身差でベイデンマリーナとウインアザレア。キャッスルハートは大きく離されました。最初の800mは52秒1のミドルペース。
3コーナーからローリエフレイバー,イマヲトキメク,ミスカッレーラ,ムサシジェリーナと,発馬後に前にいこうとした4頭が雁行。2馬身差でフォルトリアンとフェルディナンドが併走となり,7番手以降とは差が開きました。直線に入るとローリエフレイバーとミスカッレーラの競り合いになり,ムサシジェリーナがそれを追いさらに外からフェルディナンド。ムサシジェリーナが脱落して3頭の競り合いになると大外からプリンセスアリーが追い込んできました。ミスカッレーラが脱落して優勝争いは残る3頭。最後にフェルディナンドが差し切って優勝。ローリエフレイバーが逃げ粘ってクビ差の2着。よく追い込んだプリンセスアリーがクビ差で3着。
優勝したフェルディナンド は南関東重賞初制覇。東京2歳優駿牝馬は3着だったのですが,差がありましたから入着はあっても優勝までは厳しいのではないかとみていました。あまり速くないペースで瞬発力勝負になったのですが,その点がこの馬に向いたのではないかというのが僕の推測です。これまでのレースぶりからは僕にはもっと短い距離の方がよく思えるのですが,もしかしたら距離延長がプラスになったという可能性もありますので,このあたりは今後のレースをみてみないと何ともいえないところがあります。母の父はゴールドアリュール 。祖母の父がエルコンドルパサー 。7代母がヘザーランズ で4代母が1990年のJRA賞で最優秀3歳牝馬に選出されたアグネスフローラ 。Ferdinandoはイタリア語の男性名。
騎乗した大井の安藤洋一騎手はデビューから14年10ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞26勝目。東京プリンセス賞は初勝利。
『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』では,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizが訪ねてくるという報知を,スピノザはシュラー Georg Hermann Schullerおよびチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausから受け取ったとされています。これはたぶん事実です。ライプニッツはハーグDen Haagを訪問するにあたって,必ずスピノザと面会することができるのでなければ,訪問するという意味がありません。ですから事前に面会できるということの確認をしておく必要がありました。これはたぶんオルデンブルク Heinrich Ordenburgと会う場合にも成立するのであって,ライプニッツはオルデンブルクと面会することについて何らかの確約を得ていたから,ロンドンを訪れたのだと思います。
ではどのようにスピノザと面会する確約を得るのかといえば,ライプニッツにとっては,チルンハウスに仲介してもらうほか方法がなかったように思えます。というのは,書簡七十 の文面からして,シュラーはチルンハウスからの書簡によって,ライプニッツという人物がいるということを知ったと思われるからです。だから当然ですが,シュラーはライプニッツとスピノザとの間で,かつて文通がされていたということも知らなかったのです。このときはチルンハウスはすでにパリに到着していて,ライプニッツもパリにいたのです。それ以前に両者が会ったことがあるとか,書簡で何らかのやり取りをしていたとするなら,シュラーがライプニッツを知らないということはあり得ません。そうなると,書簡七十の文面はもっと違ったものになった筈です。したがって,ライプニッツがスピノザとの面会を,チルンハウスを通さずにシュラーに依頼するということはできません。むしろかつては文通をしていたのですから,スピノザ本人に伝える方が,ライプニッツにとっては簡単なことだったと思われます。いい換えれば,ライプニッツはチルンハウスにスピノザとの面会を仲介してもらい,その過程で,チルンハウスともスピノザとも親しかったシュラーとも仲介してもらったのです。つまり,ライプニッツとシュラーを結びつけたのはチルンハウスであったと考えなければなりません。
アムステルダムAmsterdamに到着したライプニッツは,フッデ Johann Huddeとシュラーを訪ねたということを,ナドラーSteven Nadlerは確定的に記述しています。
昨晩の第69回羽田盃 。
前にいこうとしたのはアンモシエラとティントレットとブルーサン。枠なりにアンモシエラの逃げになって2番手がティントレットで3番手にブルーサン。3馬身差でアマンテビアンコ。3馬身差でハビレ。6番手にムットクルフェ。3馬身差でマッシャーブルム。離れた最後尾にフロインフォッサルと,頭数のわりにかなり縦長の隊列に。最初の800mは48秒9のハイペース。
3コーナーからアンモシエラとティントレットが併走。ブルーサンは遅れ始め,内からムットクルフェ,外からアマンテビアンコが進出。直線の入口ではアンモシエラ,ティントレット,アマンテビアンコの順になり,直線に入るとティントレットは一杯。アンモシエラとアマンテビアンコの競り合いになり,外から差し切ったアマンテビアンコが優勝。逃げ粘ったアンモシエラが1馬身差の2着。アマンテビアンコの外から伸びたハビレが一旦は3番手に上がりましたが,離れた最後尾から大外を追い込んだフロインフォッサルがこれを差して8馬身差で3着。ハビレが半馬身差で4着。
優勝したアマンテビアンコ は重賞初制覇での大レース優勝。このレースは雲取賞組と京浜盃組の争いで,僕は雲取賞の方がレベルが高かったのではないかとみていました。ブルーサンは逃げることができずに大敗しましたが,2着だったアマンテビアンコが勝ったことで,僕の見立て自体は正しかったのではないかと思います。このレースも不利というほどではありませんでしたが発馬がいまひとつで,その点が課題となっていくでしょう。母の父はクロフネ 。3代母がウェイブウインド で母は2010年のNARグランプリ で最優秀牝馬に選出されたユキチャン 。Amante Biancoはイタリア語で白い恋人。
騎乗した川田将雅騎手 は東京大賞典 以来の大レース43勝目。羽田盃は初勝利。管理している宮田敬介調教師はエリザベス女王杯 以来の大レース3勝目。羽田盃は初勝利。
ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizの旅程をまとめておきましょう。
ライプニッツがパリを離れたのは,1676年10月です。まずロンドンに立ち寄り,1週間は滞在した後,強風のため足止めを食らいました。それからオランダに入ってアムステルダムAmsterdamで1ヶ月は滞在しています。それからハーグDen Haagに向かってスピノザと面会したのですから,最初の面会はどんなに早くても11月の半ばということになります。ナドラーSteven Nadlerの見立てでは最低でも2週間はハーグに滞在しています。それからすぐハノーファーへ戻ったとすれば,ライプニッツがハノーファーでの仕事を開始したのは,どんなに早くても1676年12月の中旬以降であり,1677年1月になっていた可能性もあるでしょう。ハノーファーに戻った後,ライプニッツはシュラー Georg Hermann Schullerと定期的に書簡をやり取りするようになりました。それでスピノザが死んだことを知らされたのです。
スチュアートMatthew Stewartのいっていることが正しいとしたら,1676年の暮れから翌年の正月の時点でステノ Nicola Stenoがドイツにいて,ハノーファーに戻ったライプニッツと面識を得て,一緒に仕事をするようになったとしなければなりません。スピノザが死んだのはそのすぐ後,1677年2月21日です。なのでスチュアートがいっていることを全面的に否定することができるわけではないとしても,期間の短さを考慮すれば,やはりこの部分はスチュアートの脚色であると判断してよいでしょう。
チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausはライプニッツがパリを離れた後もパリに残ったと僕は想定していますが,これは想定であって,確実視できるわけではありません。チルンハウスが最後にスピノザに宛てて出した書簡は書簡八十二で,これはパリから出されているのですが,日付は1676年6月23日なので,このときはまだライプニッツもパリにいました。返信である書簡八十三は,7月15日付で,これはおそらくパリに送られたのでしょうから,このときもチルンハウスはパリにいたと確実視できると思います。この書簡の中でスピノザは自身の体調の悪化を匂わせていて,チルンハウスがそれ以降は書簡を送らなかったとすれば,それはスピノザのことを慮ったからかもしれません。
高知から1頭が遠征してきた第62回しらさぎ賞 。
大外からボヌールバローズがハナを奪いました。1馬身ずつの間隔で,ラビュリントス,ツーシャドー,ジゼル,サダムスキャットの順で続き,2馬身差でリコシェ。7番手にサーフズアップ。この後ろはトキノゴールドとジュネスとカラフルキューブ。アイゴールドが続き,プリーチトヤーンは大きく離されてしまいました。最初の600mは35秒8のハイペース。
3コーナーを回るとボヌールバローズにツーシャドーが並び掛けていき,向正面で動いたジゼルがその外。内を回ったのがサダムスキャット。直線に入るとボヌールバローズとツーシャドーの競り合いになり,ボヌールバローズの内からサダムスキャット。4コーナーで外に膨れてしまったジゼルは大外から追ってきました。ボヌールバローズを競り落としたツーシャドーがそのまま抜け出して優勝。内を突いたサダムスキャットが2馬身差で2着。大外のジゼルがアタマ差の3着で,一杯になったボヌールバローズが半馬身差で4着。
優勝したツーシャドー は南関東重賞初制覇。前走はこのレースのトライアルで,ジゼルの3着。3走前に東京シンデレラマイルのトライアルを勝っていて,そのときの2着がサダムスキャットでしたから,上位3頭が力を出した結果といえそうです。ただこのレースはそれほどレベルが高かったというわけではないので,上位3頭が今後も南関東重賞で活躍できるのかは不分明なのではないでしょうか。父はダノンレジェンド 。母の父はサウスヴィグラス 。祖母の父がバブルガムフェロー 。曾祖母の父は1989年のJRA賞で最優秀父内国産馬に選出されたバンブービギン 。
騎乗した大井の和田譲治騎手は京成盃グランドマイラーズ 以来の南関東重賞16勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している浦和の小沢宏次調教師は開業から10年8ヶ月で南関東重賞初勝利。
オランダで優勢だったのはプロテスタントのカルヴァン派で,カルヴァン派の有力者で知己の人物というのはライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizにもいなかったかもしれません。しかしスピノザの遺稿集Opera Posthuma の発刊を阻止したかったのは,カルヴァン派だけでなかったということは,カトリックであったステノ Nicola Stenoが『エチカ』の手稿を異端審問所に持ち込んだことから明白です。ですからカトリックとしては,発刊された後にそれを禁書として指定するよりも,発刊そのものを阻止できればなおよかったことでしょう。ライプニッツはそうした希望に沿うようなこと,つまり遺稿集の発刊の阻止に協力することができる立場であったのですが,そうしなかったのです。そして発刊された遺稿集を入手したライプニッツは,『エチカ』の研究に勤しんだのですから,ライプニッツが発刊を望んでいたことも疑い得ません。だから仮にステノとライプニッツが一緒に仕事をしていたとしても,ライプニッツはステノの希望には素知らぬふりを続けたでしょう。なのでこのエピソードは,脚色であったとしてもよくできたものであると僕は考えます。
それからもうひとつ,このエピソードの挿入には指摘しておかなければならないことがあります。
スピノザが死んだのは1677年2月です。そのときはライプニッツはパリにいたわけではありません。かつてスピノザと文通していた頃のライプニッツは,書簡七十二 でいわれているようにフランクフルトの顧問官でした。だから書簡四十五 はフランクフルトから送られています。その後でパリで仕事をするようになったライプニッツは,ドイツに戻るように命を受けました。たぶんライプニッツはパリにい続けたかったので,理由をつけて帰国を拒んでいたのですが,強い命令でどうしても戻らなければならなくなりました。しかしすぐに帰らず,ロンドンを経由してからオランダに入り,ハーグにスピノザを訪問したのです。これが1676年のことで,その後でライプニッツはハノーファーに戻っています。だからライプニッツはハノーファーでスピノザが死んだという連絡をシュラー Georg Hermann Schullerから受けたことになります。つまりこの脚色はハノーファーにおける出来事です。
昨晩の第35回東京スプリント 。
好発はキュウドウクン。しかしすんなりとした逃げにはならず,プライルード,キュウドウクン,ギシギシ.テイエムトッキュウの4頭で先行。5番手にギャルダル。6番手にヘリオス。7番手にジャスティン。その後ろはマルモリスペシャルとアームズレイン。10番手にボイラーハウス。2馬身ほど開いてクロジシジョーとメルト。アポロビビがその後ろで,スナークダヴィンチは大きく離されました。前半の600mは34秒5のハイペース。
3コーナーを回るときに単独の先頭に立っていたのはテイエムトッキュウ。2番手にヘリオスで3番手がジャスティン。4番手にアームズレインが続きました。直線に入るとテイエムトッキュウとヘリオスの外からジャスティンが前に出て抜け出し,優勝。後方から内を捌いて追い込んだクロジシジョーが2馬身差で2着。逃げたテイエムトッキュウが2馬身差で3着。
優勝したジャスティン は一昨年2月のオープン以来の勝利。重賞は2020年のカペラステークス以来の4勝目。第31回 以来となる4年ぶりの東京スプリント2勝目。長いこと勝てないでいましたが,大井の1200mのレースでは崩れずに走っていましたから,優勝候補の1頭と考えていました。ただこの馬はこの路線では安定勢力という立場であり,このレースはその安定勢力に能力で上回る馬がいなかったというレベルだったとみることもできます。勝ちタイムが遅くなったのもこの馬には有利に働いたのではないでしょうか。父はオルフェーヴル 。
騎乗した大井の西啓太騎手はデビューから10年で重賞初勝利。管理している坂井英光調教師は開業から3年で重賞初制覇。
書簡七十六 では,スピノザがかつてステノ Nicola Stenoのことをアルベルト Albert Burghと語り合ったという旨の記述があります。つまり,アルベルトとステノも知り合いであったことになります。先にカトリックに改宗したのはステノで,後にアルベルトも改宗したのですが,アルベルトの改宗はたぶんステノの影響を受けてのもので,ステノが直接的にアルベルトをカトリックに誘ったという可能性が高いだろうと思われます。
書簡六十七 と書簡六十七の二 は,いずれも1675年にフィレンツェから出されています。書簡六十七の方は9月3日という日付が記されていて,書簡六十七の二の方には日付がないのですが,かなり近い時期に出されたものなのではないかと想定されています。『スピノザ往復書簡集 Epistolae 』の解説ではこのことについて,両者の間に連絡があった,つまりふたりが相談してそれぞれがスピノザに宛てて書簡を認めたのかもしれないし,カトリック当局の勧めに基づいたのかもしれないと畠中はいっています。僕は前者の可能性はないとはいえないものの,ふたりだけで相談して書いたとすれば,その内容にあまりに違いがありすぎるようには感じられます。スピノザの心を動かすための作戦として,アルベルトはひどく感情的なものを,それに対してステノは理性的なものを書いたという可能性は否定しきれませんが,普通に考えれば内容をある程度はすり合わせるのではないかと思われるのに,そうした形跡がまったくないのは不自然だと僕には感じられるのです。,一方,後者についてはあり得そうだと感じます。とくにステノの書簡は,最初からスピノザの心を動かすのは無理だと分かっていながら書かれているように僕には感じられますから,当局からスピノザに改心を迫る書簡を送るように勧められたから,もっといえばそのように命じられたから,あまり本意ではなかったのだけれどもステノは書簡六十七の二を書いたのだとする方が,書簡の内容から照合すると僕にはリアルに感じられます。
國分はステノがスピノザに改宗を迫る書簡を送ったのは,過剰な信仰心のゆえであったとしていますが,僕は必ずしもそれだけが理由ではなかったのではないかと考えています。
昨晩の第7回ブリリアントカップ 。
ショウナンバルディは発馬後の加速が鈍く2馬身の不利。ランリョウオーが逃げて2番手にエアアルマス。3番手のシャイニーロック,4番手のミヤギザオウ,5番手のサヨノネイチヤまでが先行集団を形成。3馬身差でヒーローコール。その後ろは序盤は前にいたレッドソルダード,マンダリンヒーロー,ナンセイホワイト,サルサレイアの4頭が集団。その後ろがブリッグオドーンとコパノジャッキー。発馬の不利があったショウナンバルディはその後も進みが悪く,大きく離されて競走を中止しました。最初の800mは50秒7のミドルペース。
3コーナーからランリョウオーとエアアルマスとヒーローコールの3頭が雁行。その後ろもサヨノネイチヤとナンセイホワイトとブリッグオドーンの3頭で雁行となりました。動いたヒーローコールがコーナーで捲り切り,単独の先頭に立って直線へ。ヒーローコールが3頭の外を回っていたため,内にも進路があり,そこに入っていったのがサヨノネイチヤでヒーローコールの外にいったのがナンセイホワイト。この3頭が激しく競り合い,内のサヨノネイチヤが抜け出して先頭。一旦は離されたヒーローコールがまた差を詰めていき,サヨノネイチヤが外によれたため追いにくくなる場面がありましたが,着順が入れ替わるほどの不利ではなく,サヨノネイチヤが優勝。ヒーローコールが1馬身4分の1差で2着。ナンセイホワイトが1馬身差で3着。
優勝したサヨノネイチヤ はここが勝島王冠 以来のレースで南関東重賞2勝目。勝島王冠のときは斤量での恩恵がありましたから,ここは試金石ではあったのですが見事に乗り越えました。抜け出してから外によれた原因が距離にあれば,これ以上の距離延長はマイナスに作用するでしょう。また,馬の精神面が原因なら,現状は早めに抜け出すのはあまりよくないということになり,それが課題となりそうです。まだ大井でしか走ったことがない馬ですから,ほかの競馬場でも同様に力を出せるのかということは,このレースの最後の走りとは無関係な課題として残ります。父はダノンレジェンド 。母の父はオレハマッテルゼ 。
騎乗した大井の西啓太騎手は勝島王冠以来の南関東重賞3勝目。ブリリアントカップは初勝利。管理している大井の坂井英光調教師は南関東重賞4勝目。ブリリアントカップは初勝利。
ステノ Nicola Stenoはデンマーク人でしたが,1660年からライデン大学で生物学を学びました。この時期にスピノザはライデン近郊のレインスブルフ Rijnsburgに住んでいて,ふたりは知り合いました。チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausがシュラー Georg Hermann Schullerと知り合ったのは1674年で,シュラーを介してスピノザのことを知りました。このときはスピノザはハーグに住んでいて,この年の終わりにチルンハウスはハーグのスピノザを訪問したとされています。したがって,ふたりはともにスピノザの知り合いでしたが,知り合ったのはステノの方がずっと早かったということになります。
デカルト René Descartesは松果体glandulae pinealiが人間の精神mens humanaと身体corpusを結びつけると主張しました。ステノは解剖学的な見地からそれを否定しています。スピノザは『エチカ』の第五部の序言の中で,かなりの部分を割いてデカルトの説に疑問を投げ掛けているのですが,そこにステノの解剖学的立場からの学説が影響していた可能性はあります。ステノは学説を著書にして発刊していますが,その本はスピノザも所有していました。スピノザが所有していた蔵書は目録として残されていて,その中にステノの本もあるのです。
チルンハウスが出会ったときのステノと,スピノザと出会った頃のステノとの間には大きな相違があります。スピノザと出会ったステノは学者で,とくに生物学者でありまた地質学者でした。しかしその後はカトリックに改宗したのを機に,カトリックの道に進み,学者の立場は捨てました。國分は,新規の改宗者にありがちな過剰な信仰心をステノは抱いていて,だからスピノザに改宗を迫る書簡六十七の二 を書いたのだと指摘しています。ただ,この指摘は的を射ているのかどうか僕には疑問です。アルベルト Albert Burghが書いた書簡六十七 と比べれば,アルベルトは過剰な信仰心を有していたというように僕には思えますが,ステノの書簡からはそうしたものは感じられないからです。確かに形式的にはステノはスピノザに改宗を求めていますが,その求めにスピノザが応じるわけがないということを理解した上でそれを求めているように僕には読めるからです。むしろこの書簡は,何らかの理由で無駄だと分かって書かれたもののように感じられます。
昨日の第1回兵庫女王盃 。
発馬直後はヴィブラフォンとライオットガールが並んでいましたが,外のライオットガールが前に出て逃げることに。引いたヴィブラフォンの外にキャリックアリードが並び掛け,4番手にサーマルソアリング。2馬身差でマヤローザ。6番手にアンティキティラ。2馬身差でスマイルミーシャ。8番手にレッツゴーローズ。9番手にアキュートガール。10番手にアーテルアストレア。3馬身差でマラッカ。最後尾にエイシンレミーという隊列。スローペースだったのではないでしょうか。
向正面でライオットガール,キャリックアリード,サーマルソアリングの順になり,ヴィブラフォンは後退。さらに後方からアーテルアストレアが追い上げていくとキャリックアリードも脱落。ライオットガール,サーマルソアリング,アーテルアストレアの3頭で4番手のキャリックアリードに差をつけて3コーナーから直線へ。逃げたライオットガールが詰まっていた差を再び広げ,鋭く逃げ切って優勝。外のアーテルアストレアが2馬身差で2着。直線で一杯になったサーマルソアリングが3馬身差で3着。
優勝したライオットガール は前々走のクイーン賞 以来の勝利で重賞3勝目。このレースは重賞ですでに実績を残している既成勢力に,上昇馬のサーマルソアリングがどこまで食い込めるのかという構図。その構図通りの順当な決着になりました。逃げるのは意外でしたが,結果的に楽なペースとなり,それがよかったのではないかと思います。今日のメンバーはこれからも勝ったり負けたりを繰り返していくのではないでしょうか。母の父はハーツクライ 。Riot Grrrlは1990年代初頭にアメリカで起こったサブカルチャー運動の名称。
騎乗したのは岩田望来騎手で管理しているのは中村直也調教師。第1回の覇者となりました。
第二部自然学②補助定理七備考 でいわれていることは,延長の属性Extensionis attributumだけでなく,延長の属性に対応する思惟の属性Cogitationis attributum,いい換えれば僕たちが認識している思惟の属性については成立します。このことは第二部定理七 からそうでなければならないことになるのですが,必ずしも論理的に考える必要はないと僕は思います。というのは,備考Scholiumでスピノザがいっていることは,単に物体corpusが複雑に組み合わさって延長の属性の間接無限様態である全宇宙の姿facies totius Universiに至るということではなく,僕たちの知性intellectusがそのことを認識するcognoscereということであるとみられるからです。したがって,実際にここでいわれているのは,単純な物体の観念ideaを無限に組み合わせてひとつの物体の観念を有すれば,延長の属性の間接無限様態である全宇宙の姿の観念に僕たちの知性は至るということであって,むしろ延長の属性に対応する思惟の属性に関して,延長の属性に対応する限りでそのような性質をもつといわれているのです。したがって,神Deusをひとつの個体としてみた場合は,延長の属性についてだけこの備考でいわれていることは成立するわけではなく,延長の属性に対応する思惟の属性にも成立します。
僕たちが認識するのはこれらふたつの属性だけですから,少なくとも僕たちが神をひとつの個体としてみた場合は,國分がいっていることは成立しているといえるでしょう。ただ,第一部定義六 にあるように,神の本性essentiamは無限に多くの属性infinitis attributisによって組織されているので,僕たちが認識することができない属性に関しても,備考でいわれていることが成立するか否かということも考えておかなければなりません。僕たちは僕たちが認識することができる属性で神を認識するわけですが,無限に多くの属性によってその本性を構成される実体substantiamすなわち神が実在するということもまた知っているからです。
僕たちが認識することができない属性については,第二部定理七備考 のような例外を除けば,語られることはありません。というか,そのような属性については語られないというよりほとんど語ることはできないのですから,当然といえば当然です。なのでこれは語られていることから推論していくほかありません。
昨晩の第73回川崎記念 。
ノットゥルノ,グロリアムンディ,アイコンテーラー,ライトウォーリアの4頭が前に。ライトウォーリア,アイコンテーラー,ノットゥルノの順になり,セラフィックコールがグロリアムンディの内に並び,その後ろにグランブリッジという順になりました。4馬身差でデルマルーヴル。4馬身差でエブリワンブラックとシルトプレ。6馬身差でキャッスルブレイヴとディクテオンという隊列。ミドルペースでした。
向正面ではライトウォーリアのリードが2馬身。アイコンテーラーとノットゥルノの間も2馬身。さらに2馬身差でセラフィックコールとグロリアムンディでさらに2馬身差でグランブリッジ。3コーナーからライトウォーリアにアイコンテーラーが並び掛けていき,4馬身差でノットゥルノ。内からセラフィックコールが並んでいき,外からはグランブリッジ。直線は後ろに差をつけたライトウォーリアとアイコンテーラーの競り合いで,迫ってきたのは外のグランブリッジ。優勝争いはこの3頭。逃げたライトウォーリアが一杯に粘って優勝。外のグランブリッジがアタマ差で2着。アイコンテーラーがハナ差で3着。
優勝したライトウォーリア は前走の報知オールスターカップ から連勝。重賞は初勝利での大レース制覇。今年はドバイワールドカップと開催時期が接近したこともあり,古馬混合の大レースを勝った馬が不在。南関東重賞を3勝しているこの馬は,重賞でも通用するレベルにあることは分かっていました。2着と3着が牝馬で,ほかの牡馬の有力馬は力を発揮できなかったことで,この馬が勝利を手にすることになったという印象です。このくらいのレベルでの争いであれば,これからも通用するのではないでしょうか。母の父はディープインパクト 。従弟に2020年の京都2歳ステークスと2021年の青葉賞を勝っている現役のワンダフルタウン 。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手 は2021年のJBCクラシック 以来となる重賞8勝目で大レースは4勝目。川崎記念は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は一昨年のダイオライト記念 以来の重賞4勝目。開業から36年10ヶ月で大レース初勝利。
第二部自然学②補助定理七備考 は,延長の属性Extensionis attributumの個物res singularisである物体corpusについて,単純な物体によって構成される複雑な物体を想定し,複雑な物体によって構成されるさらに複雑な物体を想定し,といった具合に繰り返していけば,ついに延長の属性の間接無限様態である全宇宙の姿facies totius Universiの認識cognitioに至るということをいっています。これは,無限infinitumである全宇宙の姿が,有限finitumである個々の物体によって構成されているということをいっているとしか僕には解せません。しかし本来は無限は有限であるものの総体ではない筈なので,この備考Scholiumでいわれていることには論理的な飛躍があると僕はみています。ただ,スピノザは実際にそのような言明をしているわけですから,國分がこの部分を論拠とすること自体には問題があるとはいいません。この部分に論理的飛躍があるというのは,國分が指摘しようとしていることとは明らかに別の問題であるからです。この部分を援用して,神Deusをひとつの個体としてみるという点について,必要なことだけをここでは考察します。
僕たちが認識するcognoscere属性は,延長の属性のほかに思惟の属性Cogitationis attributumがあります。これは第二部公理五の意味 の中に含まれていると僕は考えています。ただし,僕たちが認識する思惟の属性というのは,延長の属性を対象とする思惟の属性です。第一部定義六 から分かるように,神の本性essentiamというのは無限に多くのinfinitis属性から構成されるわけですが,延長以外の属性を対象とするような思惟の属性については,僕たちは認識しません。このことをいうためには,思惟の属性というのは,いわば単一の属性なのではなく,無限に多くの属性の各々を対象とするような無限に多くの思惟の属性なのであるということでなければなりません。この点についてはたとえば書簡六十四 や書簡六十六 から,スピノザはそのように考えていると僕は解します。単純にいえば,Aの属性を対象とした思惟の属性と,Bの属性を対象とした思惟の属性は,同一の思惟の属性であるというように考えられるべきではなく,実在的に区別される別個の思惟の属性であるというように考えられるべきだというのが僕の見解opinioで,スピノザはそれらの書簡でそういっていると解します。
昨晩の第27回クラウンカップ 。
3頭が前に出ようとしましたが,逃げたのはツキシロで2番手にライゾマティクス,3番手にビスマルクの順になりました。4番手はシシュフォスとチャダルクン。3馬身差でアムクラージュとアジアミッションとゴールデンブザー。2馬身差でパンセとクニノトキメキ。6馬身差でギンユウシジンとクリコマ。2馬身差の最後尾にウインアザレアで発馬後の正面を通過。前半の800mは51秒2のミドルペース。
3コーナーから,ツキシロとライゾマティクスとビスマルクは雁行。内を回ったシシュフォスが直後を追走し,2馬身差でアムクラージュとアジアミッション。直線に入るところでビスマルクは一杯。競り合うツキシロとライゾマティクスの外に出されたシシュフォスが2頭の前に出るとそのまま抜け出して優勝。勝ち馬と同様に内を回って2頭の外に出てきたアムクラージュが1馬身半差で2着。大外を回ることになったアジアミッションが3馬身差で3着。逃げたツキシロが半馬身差の4着で最後までツキシロと競り合ったライゾマティクスがクビ差で5着。
優勝したシシュフォス は南関東重賞初挑戦での優勝。2歳のときは北海道で走った馬で,転入初戦の前走が2馬身半差の快勝。北海道時代は3勝していますが,大きな実績を残すことはできませんでした。このために前走も人気に推されていたわけではなかったのですが,たぶん門別よりも南関東の馬場の方が走りやすいのでしょう。前走は逃げ切りでしたが,逃げなくても力は出せます。距離はもう少しあった方がいいように感じられました。祖母の従姉に2007年の桜花賞 を勝ったマルノマンハッタン 。英語表記はSisyphus。ギリシャ伝説のコリントスの王。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 は先週の桜花賞 に続く南関東重賞59勝目。クラウンカップは初勝利。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞12勝目。クラウンカップは初勝利。
これらすべてを合わせれば,『エチカ』における内在的原因 causa immanensと,表現しまた表現されるexprimunturということが,確たる関連性をもっていることは明白でしょう。あらゆる個物res singularisは神Deusのうちに内在します。そして第一部定理一五 にあるように,個物は神なしにはあることができません。よって第一部定理一八 にあるように,神は内在的原因であるといわれます。これはもちろん,神はあらゆる個物の内在的原因であるということです。そして神を内在的原因として存在する個物は,第一部定理二五系 でいわれているように,神の属性Dei attributaを一定の仕方で表現するexprimunturのです。それは國分がいっているように,神の力 potentiaを一定の仕方で表現するというのと同じです。なぜなら,属性は第一部定義四 にあるように,実体substantiaの本性essentiam,この場合は神の本性を意味しますが,第一部定理三四 でいわれているように,神の本性というのは神の力と同じだからです。他面からいえば,神は各々の個物を通してその力,あるいは同じことですがその本性を表現していることになるでしょう。
同時に,第一部定理二五系は,個物は神の属性の変状affectioであるといっています。つまりある個物たとえばAは,Aという様態的変状modificatioに様態化した神にほかなりません。したがって,自然Naturaのうちで何らかの個物がある作用をなすとすれば,それは神の本性あるいは神の力を表現しているというだけでなく,それ自体が神自身の作用であるということができます。自然のうちでは無限に多くのinfinita個物が生成し推移しまた消滅するわけですが,それらすべては神自身の行為なのであって,その行為が神自身の力を表現するのです。このことは,神という唯一の実体しか認めないスピノザの哲学においては,要請することができる唯一の因果性であって,内在的原因というその因果性の基礎となっているのが表現という考え方であると國分は指摘しています。
これは神をひとつの個体としてみるという國分の仮定に則した結論です。すでにいったように,國分はこれを第二部自然学②補助定理七備考 を論拠としていて,それが論拠となり得るかということについては僕は疑問を感じますが,仮定するということ自体は問題ありません。しかし補足が必要です。
第70回桜花賞 。
発馬でノースビクトリーは外によれてしまいました。1周目の正面はミチノアンジュとミモフレイバーとモノノフブラックが併走していましたが,コーナーワークでミチノアンジュが単独の先頭に立ち,ミモフレイバーとモノノフブラックは2番手の併走に。2馬身ほど開いてプリンセスアリーとミスカッレーラとパペッティア。4馬身差でファーマティアーズとシトラルテミニとトレイルリッジ。7馬身差でクロスレイジングとノースビクトリーで4馬身差の最後尾にアニモ。ハイペースでした。
ミチノアンジュが先頭のまま3コーナーを回り,外からパペッティアが追い上げてきました。内を回ったのがプリンセスアリーで,直線はミチノアンジュとパペッティアの間に。4番手のミスカッレーラはこの時点で差があり,前の3頭で優勝争い。真中から抜けたプリンセスアリーが優勝。外のパペッティアが1馬身差の2着で,逃げたミチノアンジュが4分の3馬身差で3着。
優勝したプリンセスアリー は南関東重賞初制覇。昨年10月にデビューした後,1月までに4戦して3勝。ただ前走のユングフラウ賞は離された4着でしたので,勝つまでは厳しいのではないかとみていました。ただそれは出遅れが響いたもので,普通にレースができていればもっと走れていたということだったのでしょう。ミスカッレーラが久々で力を出せなかったとするなら,力のある馬が上にきていますので,これくらいの能力はあるということだと思います。父はキズナ 。母の父はスズカフェニックス 。祖母の父はクロフネ 。母の3つ下の半弟に昨年のマーチステークスを勝ったハヤブサナンデクン 。3代母は2002年にフェアリーステークスを勝ったホワイトカーニバル 。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 はネクストスター東日本 以来の南関東重賞58勝目。第67回 以来となる3年ぶりの桜花賞2勝目。管理している浦和の岡田一男調教師は南関東重賞4勝目。桜花賞は初勝利。
ある知性 intellectusのうちに真理veritasが存在しないのであれば,その知性は真理を獲得するのに前もって真理を獲得する方法methodusを知ることはできないということについては,これまでにも何度か説明してきました。なのでこのことについてはここではこれ以上は繰り返しません。つまりスピノザにとっての真理を獲得する方法というのは,真理を獲得するとともに得られるものなのですから,これは事実上は,真理を獲得する方法に関する方法論に関しては,スピノザは放棄しているということになります。
このことが,真理のしるしsignumとは何であるのかということにも同様に成立しているのです。なぜなら,スピノザの哲学では真理のしるしというのは真の観念idea veraそのもののことなのですから,これは事実上は真理のしるしは存在しないといっているの同じことなのです。このことは,たとえばデカルト René Descartesの哲学で,真理のしるしは明晰判明であることであるとされていることと比較すればよく分かるでしょう。明晰判明であるということは,観念について何らかの性質を意味します。したがって,たとえば僕たちが何らかの観念を形成したときに,その観念が僕たちの知性のうちで明晰判明であるならば,それは真理のしるしなのですから,僕たちはその観念が真の観念であるということを知ることができます。逆に,何らかの観念を形成したとしても,それが明晰判明でないとすれば,それは真理のしるしを有していない観念であるということになりますから,僕たちはそれが真の観念ではないということ,あるいは同じことですがそれが誤った観念idea falsaであるということを知ることができるのです。ところがスピノザがいうには,真理のしるしは真の観念そのものなのですから,それは真の観念の性質を意味するわけではありません。したがって,僕たちは真の観念を有すれば,とくにほかに何も必要とせずにそれが真の観念であると知ることができます。一方,誤った観念を有したという場合には,それが真の観念であるということを知ることができません。ただしこの場合はそう知ることができないということだけを意味しますので,それを誤った観念であると知ることができるというわけでもありません。
第26回黒船賞 。
シャマルの逃げになりました。2番手にサンライズホークとヘリオス。4番手にレディフォースとマルモリスペシャル。6番手のヘルシャフトまでが一団。3馬身差でガルボマンボとタイガーインディ。2馬身差でモダスオペランディとヒロシゲウェーブ。3馬身差でメルト。最後尾にルヴァンで発馬後の正面を通過。前をいく各馬が外を回ったので,向正面に入ると3番手が内を回ったヘルシャフト,レディフォース,ヘリオスの3頭で併走。さらに内の2頭はそのまま上がっていき,サンライズホークの内の2番手で並びました。最初の600mは36秒8のハイペース。
サンライズホークは3コーナーを前に一杯。シャマルのリードが2馬身くらいになり,ヘルシャフトが単独の2番手に。このリードを最後まで保ったシャマルが逃げ切って優勝。ヘルシャフトが2馬身差で2着。3コーナー過ぎから大外を回って追い上げてきたタイガーインディが半馬身差で3着。
優勝したシャマル は昨年の黒船賞 以来の勝利で重賞5勝目。昨年はこのレースを勝った後,かしわ記念は4着だったのですが,さきたま杯で競走を中止するとプロキオンステークスも競走除外となり,今年の1月まで休養していました。今年の2戦はたぶんまだ馬体が太く,力を出せなかったようですが,ここは体重も絞れたことで,本来の力を出せたということだと思います。戦績からも分かるように,寒い時期は苦手とするタイプなのでしょう。父はスマートファルコン 。母の父はアグネスデジタル 。祖母の父はダンスインザダーク 。母の従妹に一昨年のローズステークスと昨年の愛知杯を勝ったアートハウス 。Shamalはペルシャ湾岸に吹く風の名称。
騎乗した川須栄彦騎手は黒船賞初勝利。管理している松下武士調教師は黒船賞連覇で2勝目。
國分はスピノザのこのような真理 veritasのしるしsignumについての考え方を奇妙であると表現しています。これは,國分自身がそれを奇妙であると思い,そのことについて読者に同意を促しているという意味もありますし,一般的に哲学的な観点からみてこのような考え方は奇妙である,すなわちたとえばスピノザの同時代の哲学者からみて,スピノザのこのような考え方は奇妙なものと感じられたであろうというふたつの意味が含まれているように僕には思えます。
なぜこのような主張が奇妙であるといえるのかということは,それほど難しくはないといえます。というのはこの考え方は,真理のしるしを考察することを,事実上は放棄しているといえるからです。なぜなら,もしも真理それ自身が真理のしるしであるのならば,どのような知性intellectusであれ,真理を獲得するまでは真理のしるしも獲得することができないことになります。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。したがって知性は,真理を獲得していない場合には真理のしるしが何であるのかということを知ることができません。よって,もしも知性のうちに一切の真理がないという状態を仮定するならば,その知性は真理のしるしが何であるのかということを知らないということになります。このことから,僕たちは真理を獲得する前に,前もって真理のしるしが何であるのかということを知ることはできないということが結論されることになります。すると,哲学が真理を追究する学問である限り,というかこれは哲学に限らないのであって,一般に学問が真理を追究するものである限り,獲得された観念が真理であるのか虚偽falsitasであるのかということについてはこれを前もって知ることができないということになりますから,どのような方法で真理を追究していけばよいのかということを知ることができないということになるでしょう。つまりこの考え方は,単に真理のしるしとは何かということを追究することを放棄していると同時に,真理を獲得していく方法がどのような道であるのかという探求についてもそれを放棄しているということになるでしょう。
國分がそこで指摘している通り,これは実際にその通りなのです。
昨晩の第47回京浜盃 。
マッシャーブルムの逃げとなって2番手にはティントレット。2馬身差でサントノーレとアンモシエラ。4馬身差でハビレ。4馬身差でシークレットキー。2馬身差でブラックバトラーとパッションクライ。フジマサテイオーは大きく引き離されるという前半はとても縦長の隊列。ハイペースでした。
3コーナーからマッシャーブルムとティントレットは雁行。その後ろはサントノーレとアンモシエラがまだ併走し,外を回ってハビレも追い上げてきました。直線の入口ではティントレットが単独の先頭に立ち,マッシャーブルムはここで一杯。ティントレットの外に出たサントノーレが前に出ると,あとは後ろを引き離していく一方になっての楽勝。アンモシエラとハビレが並んでさらに外から追ってきて,ティントレットを差して2着争い。これはフィニッシュまで続きましたが,ずっと前にいたアンモシエラが凌いで7馬身差の2着。ハビレが4分の3馬身差の3着。大外から追い込んできたシークレットキーが2馬身差の4着で直線先頭のティントレットがクビ差で5着。
優勝したサントノーレ は鎌倉記念 以来の勝利で重賞は初制覇。それ以降の重賞はどちらも3着でしたから,ここでも通用すると思われました。ただこれだけの楽勝になったのはこれまでの戦績からは意外で,もしかしたらレースのレベルが低かったのかもしれません。最大の前哨戦でこれだけの圧勝ですので,羽田盃でも有力なのは間違いないでしょう。父は2016年に北海道2歳優駿 を勝ったエピカリス でその父はゴールドアリュール 。母の父がサウスヴィグラス で祖母の父がサクラローレル 。Saint Honoreはフランスの地名。
騎乗した北海道の服部茂史騎手は2019年のエーデルワイス賞 以来の重賞2勝目。南関東重賞時代も含めて京浜盃は初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は2017年のJBCレディスクラシック 以来の重賞2勝目。こちらも京浜盃は初勝利。
『エチカ』は方法論を著したものではありませんが,道具instrumentumの無限遡行に関する問題は解消されています。これは共通概念notiones communesが導入されているからです。第二部定理三八系 にあるように,現実的に存在する人間の知性 intellectusのうちには,所与の道具として共通概念があるということになっているからです。この系Corollariumは当然ながら第二部定理三八 の帰結であって,そちらの定理Propositioに依拠する限り,この道具というのはきわめて単純な道具なのであって,それ自体で多くのことを知性がなし得るわけではありません。ただこうした素朴な道具がある限り,第二部定理三九 の様式でさらに複雑な共通概念すなわち道具を製作していくことができるわけですから,知性がより複雑な事柄についても考察して,諸々の真理 veritasに到達することができるようになっているわけです。これをハンマーの比喩で説明すれば,現実的に存在する人間にはハンマーは所与のものとして与えられているわけではないけれども,ごく単純な道具はいくつか与えられていて,そうした道具を組み合わせていくことでついにハンマーを製作することができるようになるので,ハンマーを用いて鉄を鍛えることもできるようになるということです。したがって『エチカ』では,真理に到達するためには何らかの道具が必要で,その道具のために別の道具が必要でという関係があるということは否定されているわけではないとしても,所与のものとして単純で素朴な道具は知性に与えられているので,その関係が無限に連鎖していくということも否定されるのです。
このことはこのことで別の問題を生じさせるのであって,それが真理のしるしsignumに関係します。しかしその前に,次のことをいっておきましょう。
國分が指摘しているのは,『知性改善論 Tractatus de Intellectus Emendatione 』で方法論を示そうとした段階では,スピノザは道具の無限遡行については理解していたのだけれども,その問題の重大さには気付いていなかったのではないかということでした。これはハンマーの比喩をスピノザがもち出しているときに妥当するのであって,スピノザはハンマーに関する道具の無限遡行があるとしても,だから人間は鉄を鍛えることができないというだけで済ませています。
昨日の第35期女流王位戦 挑戦者決定戦。対戦成績は伊藤沙恵女流四段が8勝,加藤桃子女流四段 が16勝。持将棋が1局。これはNHK杯の女流予選が公式戦であった当時の記録を含みます。
振駒 で加藤女流四段の先手。伊藤女流四段の雁木 模様に先手は急戦を仕掛け ,後手も反発していきました。途中で千日手模様となりましたが後手から打開 しましたので,後手は模様がよいと思っていたのでしょう。
この局面は☖6五桂から攻めていくのも有力そうですが,居玉を解消して☖4二王と上がりました。先手の☗3四歩に対して☖2四歩と銀を受けたのですが,たぶんこの手が問題だったのだと思います。
先手は☗3三歩成☖同王 と引っ張り出して☗2五飛を決行。☖同歩☗1五角☖4四王に☗3七角と成銀を取り,はっきり有利になりました。
この手順に進むなら☖2四歩ははっきりと損。☖2四歩の局面では☖3四同金と取るほかなかったのではないでしょうか。
加藤女流四段が挑戦者に 。女流王位戦五番勝負には第31期 以来の出場。第一局は来月24日に指される予定です。
デカルト René Descartesの哲学では,理性 ratioによって欲望cupiditasを統御することが求められています。求められるということは,当然ながらそうしたことが現実的に存在する人間に可能であるということです。欲望と狂気を等置することは危険かもしれませんが,フーコー Michel Foucaultがいう狂気を理性によって統御することをデカルトが求めているということは疑い得ないのであって,その点ではデカルトの哲学では理性の地位が相対的に上昇し,それに伴って狂気の地位が相対的に降下しています。というより,デカルトは理性を全面的に肯定し,狂気については全面的に否定しているといってもいいでしょう。
『はじめてのスピノザ 』で示されているように,デカルト以降の近代,これは僕たちが現に生きている現代も含みますが,そこではこのデカルトの思想がオペレーションシステムとなって,社会societasが回っているのです。ですから現代社会においては,理性が全面的に肯定され,狂気は全面的に否定されるようになっています。だからデカルトが理性および狂気について近代あるいは現代に与えた影響というのは,きわめて大きなものであったということができると僕は考えるのです。
スピノザの哲学でも,理性はそれ自体でみるなら全面的に肯定されているといっていいでしょう。しかし,理性によって狂気を統御することをスピノザは求めません。スピノザは狂気を理性によって統御することは,現実的に存在する人間にとって不可能なことだと考えているからです。たとえば第四部定理一 がいっていることは,ここでの文脈に照合させれば,現にある狂気は理性によって除去することはできないし,理性は狂気が発生することを妨げることはできないというように解せるでしょう。また,第四部定理七 でいわれていることをここでの文脈に合わせれば,現にある狂気を抑制したり除去したりするのは,その狂気とは別の狂気であるというように解することができるでしょう。ですから,理性を肯定し狂気を否定する点ではスピノザもデカルトと同じであるといえるのですが,スピノザの場合は理性は狂気に対しては直接的には無効であるとしていて,狂気の居場所が理性と共に確保はされているのです。
川崎の1400mで実施された第1回ネクストスター東日本 。北海道から1頭が遠征してきました。
チャダルクンは発馬で立ち上がってしまい4馬身の不利。ライゾマティクスが逃げてギガースが2番手でマーク。3馬身ほど開いてクルマトラサンとスノーシュー。5番手にホークマン。6番手に内から追い上げてきたコスモカシアス。7番手に2コーナーで躓いたアムクラージュ。8番手にアジアミッション。9番手にエドノバンザイ。3馬身ほど開いてカプセル。11番手にコンバットスプーン。12番手にチャダルクン。13番手にパンセ。シナノスマイルは大きく離されてしまいました。最初の600mは37秒8のハイペース。
3コーナーからはライゾマティクスとギガースが雁行。4馬身ほど開いた3番手にクルマトラサン。スノーシュー,アジアミッションの順で続きました。ギガースは4コーナーで勢い余って外に膨れましたが,その勢いのまま単独の先頭に。そこからは抜け出して快勝。ライゾマティクスは一杯になり,ギガースよりも外から伸びたクルマトラサンが2馬身半差で2着。さらに外から追い込んできたアジアミッションがクビ差の3着。
優勝したギガース はニューイヤーカップ 以来の勝利で南関東重賞2勝目。前走の雲取賞は大きく負けていましたが,これは重賞で相手が強かったということもあるでしょうし,距離の延長に対応できなかったというところもあったのでしょう。今日の内容からしても,現状は短距離の方が向いているのだと思います。母の父はジャングルポケット 。3代母がステラマドリッド で祖母がダイヤモンドビコー 。
騎乗した船橋の森泰斗騎手 はニューイヤーカップ以来の南関東重賞57勝目。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞11勝目。
デカルト René Descartesは『方法序説Discours de la méthode』で,そしてスピノザは『知性改善論 Tractatus de Intellectus Emendatione 』で,共に真verumなるものの探求に対する決意decretumを語っています。スピノザが『知性改善論』でそれを語ったのは,『方法序説』からの影響を受けたからかもしれません。しかし,それは著書にそれを書くか否かという点に関する影響なのであって,真なる事柄を探求しようと決意することに対する影響ではありません。デカルトはデカルトで,スピノザはスピノザで,それぞれ独自に真理veritasの探究を決意したのであって,その点ではデカルトもスピノザも共通していたと僕は解します。他面からいえば,たとえスピノザが『方法序説』から何らかの影響を受けたとしても,本当はそんな決意はしていなかったのに真理を探究することを決意したといったわけではないし,『方法序説』を読むことによって,デカルトに倣って真理を探究することを決意したのでもないというのが僕の見解opinioです。
この部分に注目したのがフーコー Michel Foucaultであったと國分は指摘しています。フーコーはデカルトもスピノザも倫理的決断の中に身を置いていたと『狂気の歴史Histoire de la folie à l'âge classique 』の中でいっていると國分は指摘しています。僕はフーコーの著書はいくつか読んでいるのですが,『狂気の歴史』は未読です。ですからこのことが『狂気の歴史』の中で,どのような文脈の下に指摘されているのかということは分かりません。ただ,國分がそのようにいっているのですから,確かにフーコーがそのような指摘を行っているということについては確実視します。
フーコーは知の考古学者として,デカルトおよびスピノザの決意の理由を語っています。それは,狂気から身を引き剝がすためには,このような強い決意が必要であったということです。『知性改善論』の冒頭部分を読めば分かりますが,これは確かに強い決意なのです。スピノザは,名誉gloriaとか金銭nummusが自身にいろいろな利益を与えているということは知っているし,もし真理の探究に励むなら,そうした利益からは遠ざかるようになるということも分かっているけれども,それでも真理を探究することを決意したという主旨のことを語っているからです。つまり金も名誉もいらないと強く決意しているのです。
昨晩の第27回京成盃グランドマイラーズ 。
フォーヴィスムとベストリーガードとアランバローズの3頭が前に。フォーヴィスムの逃げとなり,半馬身差の外にベストリーガード。引いたアランバローズは向正面に入るあたりで3馬身差の3番手。3馬身差でヒーローコールとギガキング。3馬身差でブルベアイリーデとディアセオリー。7馬身ほど開いてホウオウスクラムとホウオウトゥルースとナニハサテオキが後方を追走。前半の800mは48秒5のハイペース。
3コーナーまでにベストリーガードは後退し,ここからフォーヴィスムとアランバローズが雁行。3馬身差でギガキングが追ってきてその後ろは内から順にヒーローコール,ディアセオリー,ナニハサテオキの3頭。直線の入口ではアランバローズが単独の先頭に立ち,逃げたフォーヴィスムは一杯。外からギガキングが追ってきて,さらに外からナニハサテオキ。直線で一杯になったアランバローズを楽に差したギガキングが悠々と抜け出して快勝。一杯になったアランバローズを僅かに差したナニハサテオキが3馬身差で2着。アランバローズはアタマ差で3着。
優勝したギガキング は前走のオープンから連勝。南関東重賞は8月のフリオーソレジェンドカップ 以来の勝利で5勝目。とにかく船橋では強い馬ですが,この距離の実績はありませんでしたから,勝ったことは収穫といえるでしょう。わりと優秀なタイムになったのは馬場の影響だったかもしれませんが,もしかしたらこの距離の方が合っているからなのかもしれません。父はキングヘイロー 。母の父はバブルガムフェロー 。従姉に2018年の愛知杯を勝ったエテルナミノル で従兄には2019年のNARグランプリ でダートグレード競走特別賞に選出されたオメガパフューム 。
騎乗した大井の和田譲治騎手は若武者賞 以来の南関東重賞15勝目。京成盃グランドマイラーズは初勝利。管理している船橋の稲益貴弘調教師は南関東受賞8勝目。京成盃グランドマイラーズは初勝利。
第一部公理三 が,公理 Axiomaとしては成立していないということは,かつて僕が考察した通りなのであって,僕は今でもその見解opinioをもっているということです。ですからなぜ僕がそのように考えているのかということについては,その当時の考察をお読みください。ただ,同時に僕は,第一部公理三でいわれていることは,公理としては成立しない,いい換えれば何らかの証明Demonstratioを要する事柄ではあるけれども,そのことは『エチカ』の中で論証されていると考えています。ですから第一部公理三の内容は,少なくとも『エチカ』の公理系の中では成立するので,これを公理として使用しても問題は生じないと考えています。つまり何らかの事柄を論証するためにこの公理に訴求するということがあったとして,この公理は公理として成立していないのだからそのような訴求は無効であるとは考えません。むしろその内容が正しいということは保証されているので,その論証は有効であると解します。
國分は第一部公理三が公理として成立するということについてはおそらく疑問を抱いていません。つまりこの公理によって,すべてのものが単独の因果関係の系列で繋がりをもっているということも保証されていると考えているのです。なので,もしも空虚vacuumとみなし得るものが介在するような複数の因果系列があるならばという仮定から,そこからは偶然が生じ得るといっています。確かにある因果関係の系列と別の因果関係の系列が出会うということがあるのなら,そこでは各々の因果系列の中には必然であるとしても,偶然が生じる要素があり得ると僕は認めます。スピノザが必然性necessitasを単一のものと考えているという点については僕も國分も一致しているのですから,スピノザの哲学からはそのような偶然は生じ得ないという点でも一致していることになります。そのことを國分は空虚の不在と関連付けて説明しているのに対し,僕はそのような説明はしないというだけなのであって,結論が一致している以上,このことについてはもう探求していく必要はないでしょう。
國分によれば,偶然ということと複数の因果系列を関連させるこの考え方は,哲学の世界においては古典的な概念notioです。