今年は桜花賞が中止に追い込まれたため,牝馬クラシックの開幕戦となった東京プリンセス賞。
一旦はナターレが先頭でしたが外からダンスピースとオーゴンヒリツが交わしていきました。3番手にナターレとなり,リアンローズ,マニエリスム,マツリバヤシ,ラカンパーナといった有力視された面々がその後ろを追走。最初の800mは48秒7のハイペース。
ナターレは3コーナーを回ってから後退。ラカンパーナがまず3番手に上がり,その外からリアンローズとマニエリスムが追ってきましたが,リアンローズはついていけなくなりました。直線はラカンパーナの外から逃げたダンスピースを交わしたマニエリスムが先頭。これに内からオーゴンヒリツが盛り返していき,最後は接戦となりましたが,先んじていたマニエリスムが凌いで優勝。オーゴンヒリツが2着でラカンパーナは3着まで。
優勝したマニエリスムは北海道デビューで3連勝の後,重賞で8着。暮れに転入すると連勝で,前走の南関東重賞は6着。ただ,桃花賞を勝っていますので,前走は体調面が整っていなかったものでしょう。今日はおそらく復調していたと思われ,それならば能力は最上位と考えられますので,順当な勝利といっていいと思います。ただ,今後に関しては未知数な部分が残っているのではないでしょうか。父はゼンノロブロイ,曾祖母の産駒に2001年のマイルチャンピオンシップを勝ったゼンノエルシド。
騎乗した大井の戸崎圭太騎手,管理する船橋の川島正行調教師のコンビは昨日の羽田盃と同じ。やはり同じコンビで一昨年のこのレースを制していて,揃って2年ぶり2度目の東京プリンセス賞制覇となりました。
第一部定理一〇の立場が実在的であるか名目的であるかということは,現在の考察からはあまり関係ありません。というのは,今は実在的であると考えられる限りでの絶対に無限な実体である神の属性の人間の精神による認識,とくに混乱した認識について探求しているわけですが,そもそも神が絶対に無限な実体であると定義されている時点で,その無限に多くの属性がそれ自身によって考えられなければならないということはこの第一部定理一〇に示されていると理解するべきなのであって,このことは神が名目的なものにすぎないのであろうと,あるいは実在的なものであろうと,同様に妥当しなければならないからです。
人間の精神によるその神の属性の混乱した認識のメカニズムというのが,第一部定理一〇と齟齬を来しているのは明白であるといえるでしょう。なぜなら,本来は神の属性というのはほかのものの観念には依存せずに認識されるべきものであるのに対し,それが混乱して認識されるということは,むしろほかのものの観念に依存して認識されているということを意味しているからです。そもそも第一部定理一〇が示していることは,神の属性というものが,ほかのものの観念によって認識されるような場合には,そのほかのものの観念が十全な観念であるのか混乱した観念であるのかということとは関係なく,混乱した観念であるということだからです。いい換えれば,僕たちは,もしも属性の観念というものが,ほかのものの観念に依存して認識される場合には,それ以上の一切の検討の必要なしに,それが混乱した観念であるということを理解することができるのです。
なお,このことはとくに属性の観念に限らず,属性によってその本性を構成されている実体についての認識の場合にも妥当します。というよりも,このことは実体についての認識の場合の方が,より明瞭であるといえるでしょう。なぜなら,第一部定義三によれば,実体というのはそれ自身によって概念されるもののことだからです。したがって,あるものがほかのものの観念を原因として人間の精神のうちに結果として発生してくるならば,それはただそれだけの理由によって,少なくとも実体についての十全な観念ではないということが明らかだからです。
一旦はナターレが先頭でしたが外からダンスピースとオーゴンヒリツが交わしていきました。3番手にナターレとなり,リアンローズ,マニエリスム,マツリバヤシ,ラカンパーナといった有力視された面々がその後ろを追走。最初の800mは48秒7のハイペース。
ナターレは3コーナーを回ってから後退。ラカンパーナがまず3番手に上がり,その外からリアンローズとマニエリスムが追ってきましたが,リアンローズはついていけなくなりました。直線はラカンパーナの外から逃げたダンスピースを交わしたマニエリスムが先頭。これに内からオーゴンヒリツが盛り返していき,最後は接戦となりましたが,先んじていたマニエリスムが凌いで優勝。オーゴンヒリツが2着でラカンパーナは3着まで。
優勝したマニエリスムは北海道デビューで3連勝の後,重賞で8着。暮れに転入すると連勝で,前走の南関東重賞は6着。ただ,桃花賞を勝っていますので,前走は体調面が整っていなかったものでしょう。今日はおそらく復調していたと思われ,それならば能力は最上位と考えられますので,順当な勝利といっていいと思います。ただ,今後に関しては未知数な部分が残っているのではないでしょうか。父はゼンノロブロイ,曾祖母の産駒に2001年のマイルチャンピオンシップを勝ったゼンノエルシド。
騎乗した大井の戸崎圭太騎手,管理する船橋の川島正行調教師のコンビは昨日の羽田盃と同じ。やはり同じコンビで一昨年のこのレースを制していて,揃って2年ぶり2度目の東京プリンセス賞制覇となりました。
第一部定理一〇の立場が実在的であるか名目的であるかということは,現在の考察からはあまり関係ありません。というのは,今は実在的であると考えられる限りでの絶対に無限な実体である神の属性の人間の精神による認識,とくに混乱した認識について探求しているわけですが,そもそも神が絶対に無限な実体であると定義されている時点で,その無限に多くの属性がそれ自身によって考えられなければならないということはこの第一部定理一〇に示されていると理解するべきなのであって,このことは神が名目的なものにすぎないのであろうと,あるいは実在的なものであろうと,同様に妥当しなければならないからです。
人間の精神によるその神の属性の混乱した認識のメカニズムというのが,第一部定理一〇と齟齬を来しているのは明白であるといえるでしょう。なぜなら,本来は神の属性というのはほかのものの観念には依存せずに認識されるべきものであるのに対し,それが混乱して認識されるということは,むしろほかのものの観念に依存して認識されているということを意味しているからです。そもそも第一部定理一〇が示していることは,神の属性というものが,ほかのものの観念によって認識されるような場合には,そのほかのものの観念が十全な観念であるのか混乱した観念であるのかということとは関係なく,混乱した観念であるということだからです。いい換えれば,僕たちは,もしも属性の観念というものが,ほかのものの観念に依存して認識される場合には,それ以上の一切の検討の必要なしに,それが混乱した観念であるということを理解することができるのです。
なお,このことはとくに属性の観念に限らず,属性によってその本性を構成されている実体についての認識の場合にも妥当します。というよりも,このことは実体についての認識の場合の方が,より明瞭であるといえるでしょう。なぜなら,第一部定義三によれば,実体というのはそれ自身によって概念されるもののことだからです。したがって,あるものがほかのものの観念を原因として人間の精神のうちに結果として発生してくるならば,それはただそれだけの理由によって,少なくとも実体についての十全な観念ではないということが明らかだからです。