スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

断髪&理性

2007-12-20 19:01:00 | NOAH
 23日と24日に有明大会がありますが,シリーズという意味では2日の日本武道館大会をもってNOAHは今年の全日程を終了。つまり前シリーズが今年の最後のツアーでした。そしてこのシリーズ中の新潟大会では,タイトルマッチがひとつ行われました。
 それはグローバルハードコアの試合。王者は志賀賢太郎選手と川畑輝鎮選手ですが,この試合はこのふたりが戦い,勝った方がシングルチャンピオンとなるという変わった試合でした。タッグ王者といってもベルトは相変わらず一本のままでしたし,このチームも,結果は出せなかったものの黒への挑戦というところまではいきましたので,チームを解消するいい機会ではあったのかもしれません。ふたりが同時に入場してきて,リングアナウンサーにも両者が第6代王者とコールされていました。
 チャンピオンになってからの川畑選手はそれなりに奮闘ぶりが目立っていました。技といえばほとんどセントーン一本槍ですが,僕などからすれば,それも愚直な川畑選手らしく好感がもてます。この試合もそうした展開で進み,最後はひねりを加えたセントーンからムーンサルトプレスを決め,川畑選手の方が勝利,第7代のシングル王者となりました。
 このタイトルは特別ルールがつきもの。ここは敗れた方がパンチパーマを刈られるという敗者髪切りマッチでしたので,志賀選手が坊主に。リング上で川畑選手にバリカンを入れられたのですが,秋山選手によるとこの日はバリカンの充電が切れてしまったようで,志賀選手は少しばかり恥ずかしい思いをしたようです。

 明日からは久留米記念です。関東勢と九州勢の対抗になりそうです。

 僕自身が事前に予期していたよりもずっと長くなってしまったのですが,これで今回のテーマである第四部定理五〇のうち,憐憫commiseratioという感情affectusと,それに関係するようなスピノザの感情論に関しては,ほぼ説明できました。そこでようやくこの定理Propositioに戻り,今度はスピノザの哲学における理性ratioというものがどういうものであるのかということを考察することにします。改めていっておきますが,僕の考えでは,この定理に理性が関係しているのは,憐憫という感情が無用であるということだけです。憐憫という感情がそれ自体でみられるならば悪malumであるということについては,別に人間が理性的であるか理性的でないかということには関係なく,一般的な事実と思います。ただ悪であったとはしても,それが人間にとって有益,あるいは有用な場合はあるということだと理解しています。
 理性というのは,第四部定理四〇の備考二で説明されています。スピノザは人間の認識cognitioの種類を三種類に分類するのですが,理性はそのうちの第二種の認識cognitio secundi generisであるとされています。そしてそれは,共通概念notiones communesによる認識と十全な観念idea adaequataによる認識であるとされています。ただ,第二部定理三八により,共通概念が十全な観念であるということは,以前の考察ですでに証明していますので,ここでは単に十全な観念による事物の認識といっておきます。つまり,ある人間がいて,この人間の精神mensのうちにある十全な観念に依拠してこの人間がほかの何らかの事物の認識をするcognoscereとき,この人間は理性的であるということになります。
コメント
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