スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

プラチナカップ&精神の形相的有

2019-07-25 19:23:36 | 地方競馬
 第2回プラチナカップ
 ソッサスブレイは出足が悪く2馬身の不利。ノブワイルドとタイセイラナキラの逃げ争いとなり,1コーナー手前で外のタイセイラナキラが譲ってノブワイルドの逃げ。控えたタイセイラナキラが2番手。2馬身差でヒラボクプリンスが3番手。2馬身差でキタサンミカヅキが4番手。さらに2馬身差でジョーオリオン,アンサンブルライフ,ワンパーセント,トキノエクセレントの順で4頭が一団。2馬身差でキングルアウとソッサスブレイ。ミヤジマッキーは大きく離されました。最初の600mは35秒0のハイペース。
 向正面では前の2頭と3番手以下の差がさらに開き,3コーナーを回るとヒラボクプリンスとキタサンミカヅキが並んで前を追い掛けていく形。4コーナー手前で2番手のタイセイラナキラは一杯になり,内からヒラボクプリンスで外からキタサンミカヅキ。逃げたノブワイルドはまだ余力があり,直線でもさして差を詰められることなく楽に逃げ切って優勝。外のキタサンミカヅキが2馬身半差で2着。ヒラボクプリンスは一杯になりましたが何とか粘って2馬身半差の3着。大外から詰め寄ったワンパーセントがアタマ差で4着。
                                   
 優勝したノブワイルドは先週の習志野きらっとスプリントからの連闘で南関東重賞を連勝。純粋な能力ではキタサンミカヅキですが,浦和の1400mでは重賞を勝っている馬なので,互角かそれ以上に戦えてもおかしくはないと思っていました。タイセイラナキラは逃げないと力を発揮できない馬なので,先行争いがどうなるかとみていたのですが,わりと早めに隊列が決まったため,向正面では一旦はペースを落として息を入れることができたのが勝因でしょう。確かに前半のペースは速かったのですが,3番手以降の馬は少し差を広げられ過ぎていたように思います。父はヴァーミリアン。祖母は1987年に金杯を勝ったトチノニシキ
 騎乗した浦和の橋本直哉騎手はデビューから20年3ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞38勝目。プラチナカップは初勝利。

 第二種の認識cognitio secundi generisも第三種の認識cognitio tertii generisも,それを認識するcognoscere人間の精神mens humanaが十全な原因causa adaequataとなっています。すなわち第三部定義二により精神の能動actio Mentisです。ですが,人間の精神が十全な原因であるということの意味は,第二種の認識の場合と第三種の場合とでは相違があるのです。
 まず以下の点に注意してください。第二部定理一五は,人間の精神の形相的有esse formaleはきわめて多くの観念ideaによって組織されているといっています。つまり,たとえばある現実的に存在する人間を任意にひとりだけ抽出したとき,この人間の精神の現実的有actuale esseは,数多くの観念によって構成されているのです。ただし,第二部定理一〇系により,人間の本性essentiaは神Deusのある属性attributumの様態的変状modificatioです。よって任意に抽出されたその人間の精神は,思惟の属性Cogitationis attributumの様態的変状です。なのでその精神がきわめて多くの観念によって組織されているとしても,無限に多くのinfinita観念によって組織されるということはありません。つまり人間の精神の現実的有は,有限個の観念によって組織されていることになります。このことは第二部定理一一系からも明らかだといわねばなりません。
 次に,第二部定義七から分かるように,スピノザはいくつかの個物res singularisによって組織されている単一の個物が存在することを認めます。どんな人間の精神も,きわめて多くのしかし有限個の観念によって組織されているのですが,この精神は第二部定義七の条件に該当します。したがって人間の精神はひとつの個物,思惟の属性の個物であるとみることができます。このことは第二部定理一三からも明らかです。なぜなら人間の精神を構成する観念の対象はその人間の身体humanum corpusなので,その人間の身体がそれ自体でひとつの個物,つまり延長の属性Extensionis attributumの個物である物体corpusであるとみられる限り,第二部定理七からして,人間の精神もひとつの個物であるといわなければならないからです。そして人間の身体が第二部定義七に該当するということは,人間の精神が該当するということより明白でしょう。
 よって,人間の精神は,いかに数多くの観念から組織されているとしても,それ自体が思惟の属性の単一の個物です。いい換えれば,思惟の属性の有限様態であることになります。
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