スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ライオンの自然権&ホイヘンス

2015-06-14 18:53:44 | 哲学
 政治学としてでなく,スピノザの哲学において自然権の原理を考えた場合には,どんな事物も最高の自然権jus naturale,naturale jusによって存在し,最高の自然権によって行動するということが帰結します。そこでそのときにもあげた,ライオンにはシマウマを殺傷する自然権が生まれながらにして与えられているという例から,正義justitiaと不正injustitiaがいかにして発生してくるかを考察してみます。
 第二部定理八から,ライオンの形相的本性essentiae formalesは,神の属性のうちに包含されてin Dei attributis continentur存在します。このとき,ライオンの本性は,永遠aeterunusから永遠にわたっての真理veritasです。したがって,シマウマを殺傷するということが,ライオンの本性から必然的にnecessarius流出する限り,このこともまた永遠から永遠にわたっての真理であるといわなければなりません。ここではこのことがライオンの自然権に属すると理解しています。よってこの場合には,ライオンの自然権は永遠の真理です。他面からいうならこの自然権が外部の原因によって侵されるということはあり得ません。つまりここではライオンにとっての正義も不正も発生し得ないことになります。なぜなら,最高の自然権が侵されることが不正であるなら,この場合には不正は発生しません。そして正義は不正に相反する概念ですから,不正という概念が発生しない以上,正義という概念も発生し得ないからです。
 ライオンの自然権というのが,一例であるということを考慮に入れたならば,このことはあらゆるものの自然権に妥当しなければならないことが明白です。つまり事物が神の属性の中に含まれてある限り,どんな事物の最高の自然権も侵されることはありません。よってどんな事物にとっても,正義もないし不正もないということになります。そしてより重要なのは,これが哲学的な帰結であるなら,政治学的な帰結もここから外れないということです。
                         
 したがって,事物が永遠の相species aeternitatisの下に存在する限り,他面からいえば事物が永遠の相の下に概念される限り,知性intellectusは正義も認識しないし不正も認識しないということになります。『「無神論者」は宗教を肯定できるか』を紹介したとき,僕はスピノザは普遍的な正義は認めないといいましたが,それはこのような意味においてです。スピノザの哲学では,普遍的には正義などないし,同様に不正もないのです。

 後にマルタンの推理を検証するときに,少しばかり関係を有しますので,ここでホイヘンス親子とスピノザの関係について説明をしておきます。
 まず,父のコンスタンティン・ホイヘンスConstantijin Huygensとスピノザが,単なる顔見知り以上の関係にあったことは,ファン・ローンJoanis van Loonの記述から明白です。そうでないと自分の苦悩をスピノザに伝えたのがコンスタンティンであったかもしれないとローンが推測することは不可能だからです。
 一方,クリスティアーン・ホイヘンスChristiaan Huygens。一般に単にホイヘンスといわれれば,この人物を指すと僕は思いますので,僕はこれ以降,この人物を単にホイヘンスと記述することにし,父の方だけフルネームで記述することにします。
 このホイヘンスとスピノザが懇意であったことは断定できます。スピノザがオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てた手紙のうちの何通かに,スピノザ自身がホイヘンスと話をしたという主旨の記述が含まれているからです。『スピノザ往復書簡集』でいえば,書簡二十六はその典型です。
 スピノザがホイヘンスのことをどのように思っていたかは分かりません。一方,ホイヘンスがスピノザに対して,友情ということばで示されるような感情を抱いていたというようには僕は考えていません。ホイヘンスは後にパリに移るのですが,パリから弟に,スピノザの動向を尋ねる内容の手紙を送っています。スピノザ本人に手紙を出すのではなく,弟に尋ねるということ自体が,ホイヘンスのスピノザに対する感情を示していると解することも可能でしょう。もっとも,ナドラーSteven Nadlerは『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』で,スピノザとより親しかったのはホイヘンスよりも弟の方だったかもしれないと推測していますので,ホイヘンスが弟にスピノザについて尋ねたのは,自然であったと考えることも不可能ではありません。
 この弟というのが、父と同じコンスタンティンという名前です。これは非常にややこしいですが,僕がコンスタンティンというのは父の方で,ホイヘンスの弟は単に弟と記述していきます。ナドラーはスピノザと弟には共通の趣味があって,そのひとつは絵を描くことであったとしています。何か根拠があっての記述でしょう。
コメント
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