スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

喜び&別の例

2021-03-13 19:15:52 | 哲学
 欲望cupiditasはスピノザの哲学では基本感情affectus primariiのひとつです。基本感情は3種類ありますので,残りの2種類についても詳しく解説しておきましょう。まず喜びlaetitiaからです。
                                   
 第三部諸感情の定義二にあるように,喜びは人間がより小なる完全性perfectioからより大なる完全性に移行することをいいます。こうした移行transitioは人間以外にも生じ得ますから,正確にいうとこれは人間の喜びの定義Definitioであり,あるいは人間の場合だけはこの種の移行が喜びといわれるということになります。また,第二部定義六から,スピノザは完全性を実在性realitasと等置しますから,これは小なる実在性から大なる実在性への移行を意味します。
 完全性の移行は,第三部定理一一によって説明されます。いい換えればより小なる完全性からより大なる完全性への移行というのは,僕たちの身体corpusおよび精神mensの働く力agendi potentiaの増大あるいは促進を意味します。ここでいう働くというのは能動actioのことです。つまり僕たちは能動的になればなるほど,完全性すなわち実在性が,より小なる状態からより大なる状態へと移行すするのです。したがってこの移行は,僕たちがほかのものとの関係で,いい換えればほかのものからの働きを受けるpatiことによっても生じ得ますが,僕たち自身の働きだけによっても生じ得ます。よって第三部定理五八にあるように,能動的な喜びは存在するのです。
 第四部定理八でいわれているように,僕たちは喜びを意識するとき,それを善bonumと認識します。たとえばAというものが自分に喜びを与えるなら,Aは善であると認識します。欲望はコナトゥスconatusと等置でき,コナトゥスは自己の有esseを希求しますから,より大なる実在性への移行をコナトゥスは希求します。つまり僕たちは第三部定理九備考にあるように,自身が希求するものを善とみなすことになります。善であるものを希求するのではありません。これは第四部定理一九と反するわけではありません。このことは,工藤喜作の『スピノザ哲学研究』を考察したときに詳述した通りです。

 持続するdurareものである精神mens,つまり僕たちの精神が,永遠aeterunusである事柄を認識し得るということは,もっと別の仕方でも説明することができます。経験的に訴えるという観点からいえば,こちらの例の方が分かりやすいかもしれません。
 このブログでは何度もいっていることですが,平面上に三角形が存在するとき,この三角形の内角の和は二直角です。スピノザはこのことを第二部定理四九,すなわち観念ideaが観念である限りにおいて含んでいる以外の意志作用volitioはないということを論証するときの実例として用いています。すなわち,ある図形について内角の和が二直角であることを肯定する意志作用は,平面上の三角形の観念が含んでいる意志作用であるといっているのです。したがって,もしも人間の精神が平面上の三角形を十全に認識するcognoscereのなら,その内角の和が二直角であるということを同時にかつ十全に認識するのです。
 このとき,平面上の三角形の内角の和が二直角であるということは,永遠のaeternus真理veritasです。たとえばある人間が現実的に存在するとして,この人間が平面上の三角形を十全に認識し,よってその内角の和が二直角であるということを認識すると仮定しましょう。この人間は現実的に存在するのですから,いずれは存在しなくなります。ありていにいえば死んでしまいます。そのとき,当然ながらこの人間の精神mens humanaのうちにある平面上の三角形の観念も,この三角形の内角の和が二直角であるということを肯定する意志作用も,その人間が存在しなくなると同時に消滅します。しかしだからといって平面上の三角形の内角の和が二直角であるということも消滅してしまうというわけではありません。なぜなら前述したように,三角形の内角の和が二直角であるということは永遠の真理であり,ある人間の現実的存在のように,持続するものではないからです。
 このことから,僕たちがある永遠な事柄を確かに十全に認識しているということは明白でしょう。いい換えれば僕たちの精神の一部が,ある永遠である事柄の十全な観念idea adaequataによって構成されているということは明白でしょう。よって観念対象ideatumが永遠である思惟の属性Cogitationis attributumの個物res singularisというものが確かに存在するのです。
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