第71回阪神ジュベナイルフィリーズ。
レシステンシアが楽に先頭に。2番手はウーマンズハートとロータスランド。4番手にマルターズディオサ。5番手はボンボヤージとエレナアヴァンティ。7番手にクリスティ。好発から下げたヤマカツマーメイドが8番手に。9番手はクラヴァシュドール。その後ろにカワキタアジン,オータムレッド,ジェラペッシュ,ルーチェデラヴィタの4頭が横並び。ここまでは一団。スウィートメリナ,ヒメサマ,リアアメリアの3頭が2馬身差で最後尾を追走。前半の800mは45秒5のハイペース。
直線に入ると逃げるレシステンシアが2番手以下を突き放しました。追っていた馬は苦しくなって脱落。レシステンシアはそのまま後続との差を広げる一方で,鮮やかに逃げ切ってレコードタイムで優勝。マルターズディオサとクラヴァシュドールの2頭が2着を激しく争い,内のマルターズディオサが制して5馬身差の2着。クラヴァシュドールがハナ差で3着。
優勝したレシステンシアは10月に新馬を勝つと先月のファンタジーステークスも制覇。重賞連勝,デビューから3連勝で大レース制覇。ここは同じように新馬,重賞と連勝していた馬がほかに2頭いて,それらの争いとなるかとみていましたが,結果的にはスピード能力が一枚も二枚も上だったようです。来春は桜花賞では有力候補でしょうが,距離が伸びるのがプラスになるようにはあまり思えません。父はダイワメジャー。Resistenciaはアルゼンチンの地名。
騎乗した北村友一騎手は秋華賞以来の大レース4勝目。阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。管理している松下武士調教師は開業から4年9ヶ月で大レース初勝利。
もうひとつ,これと同じように僕には思える箇所があります。僕の考えではこちらの方が決定的なのですが,スピノザはこれについて,人間を欺くものを神Deusとは異なるものであるかのように記述していて,もし本当にそのように理解できるのであれば,これはデカルトRené Descartesの考え方との矛盾を逃れるようにはなっています。ですが僕の理解では,その人間を欺くものを神とは異なるものと解するのは無理があるのです。
この部分は,人間がある真の観念idea veraを有したときに,それが欺かれているか否かということに特化した説明の中に現れます。そして同時に,スピノザがデカルトの哲学の解釈になした変更,すなわち人間の精神mens humanaのうちにある真の観念を保証するのは神の存在existentiaであるわけではなく,その人間の精神のうちに神の真の観念があるということであるということが前提となっています。これらふたつの事柄に注意しておいてください。
スピノザは,神の真の観念が人間の精神のうちに存在するということが,神以外の真の観念の確実性を保証するのであれば,これに対する反駁は以下のようなものになるであろうと想定しています。第一に,人間は神の真の観念を有さないうちはどんなものに対しても確実であることはあり得ない。第二に,人間の本性natura humanaの創造者が人間を欺くかどうかを知らない限り,人間は神の真の観念を有することができない。第三に,人間の本性の創造者が人間を欺くかどうかを知らない限り,人間は何事についても確実であることはできない。このうち第一のものはスピノザが示した条件を満たす事柄です。そして以下のふたつは三段論法によって,人間がどんなものについても確実であることができる条件,すなわち人間の本性の創造者が人間を欺かないことを知っているという条件の下でしか,人間はどんなものについても確実であることはできないということを示そうとしています。
このうち第二の条件が本当に成立するのかどうかは,厳密にいうと僕は怪しいと思いますが,スピノザはこの三段論法自体は成立すると仮定した上で,その部分は否定するという解答を与えていますので,僕もここではこの三段論法自体は成立しているとみなします。
レシステンシアが楽に先頭に。2番手はウーマンズハートとロータスランド。4番手にマルターズディオサ。5番手はボンボヤージとエレナアヴァンティ。7番手にクリスティ。好発から下げたヤマカツマーメイドが8番手に。9番手はクラヴァシュドール。その後ろにカワキタアジン,オータムレッド,ジェラペッシュ,ルーチェデラヴィタの4頭が横並び。ここまでは一団。スウィートメリナ,ヒメサマ,リアアメリアの3頭が2馬身差で最後尾を追走。前半の800mは45秒5のハイペース。
直線に入ると逃げるレシステンシアが2番手以下を突き放しました。追っていた馬は苦しくなって脱落。レシステンシアはそのまま後続との差を広げる一方で,鮮やかに逃げ切ってレコードタイムで優勝。マルターズディオサとクラヴァシュドールの2頭が2着を激しく争い,内のマルターズディオサが制して5馬身差の2着。クラヴァシュドールがハナ差で3着。
優勝したレシステンシアは10月に新馬を勝つと先月のファンタジーステークスも制覇。重賞連勝,デビューから3連勝で大レース制覇。ここは同じように新馬,重賞と連勝していた馬がほかに2頭いて,それらの争いとなるかとみていましたが,結果的にはスピード能力が一枚も二枚も上だったようです。来春は桜花賞では有力候補でしょうが,距離が伸びるのがプラスになるようにはあまり思えません。父はダイワメジャー。Resistenciaはアルゼンチンの地名。
騎乗した北村友一騎手は秋華賞以来の大レース4勝目。阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。管理している松下武士調教師は開業から4年9ヶ月で大レース初勝利。
もうひとつ,これと同じように僕には思える箇所があります。僕の考えではこちらの方が決定的なのですが,スピノザはこれについて,人間を欺くものを神Deusとは異なるものであるかのように記述していて,もし本当にそのように理解できるのであれば,これはデカルトRené Descartesの考え方との矛盾を逃れるようにはなっています。ですが僕の理解では,その人間を欺くものを神とは異なるものと解するのは無理があるのです。
この部分は,人間がある真の観念idea veraを有したときに,それが欺かれているか否かということに特化した説明の中に現れます。そして同時に,スピノザがデカルトの哲学の解釈になした変更,すなわち人間の精神mens humanaのうちにある真の観念を保証するのは神の存在existentiaであるわけではなく,その人間の精神のうちに神の真の観念があるということであるということが前提となっています。これらふたつの事柄に注意しておいてください。
スピノザは,神の真の観念が人間の精神のうちに存在するということが,神以外の真の観念の確実性を保証するのであれば,これに対する反駁は以下のようなものになるであろうと想定しています。第一に,人間は神の真の観念を有さないうちはどんなものに対しても確実であることはあり得ない。第二に,人間の本性natura humanaの創造者が人間を欺くかどうかを知らない限り,人間は神の真の観念を有することができない。第三に,人間の本性の創造者が人間を欺くかどうかを知らない限り,人間は何事についても確実であることはできない。このうち第一のものはスピノザが示した条件を満たす事柄です。そして以下のふたつは三段論法によって,人間がどんなものについても確実であることができる条件,すなわち人間の本性の創造者が人間を欺かないことを知っているという条件の下でしか,人間はどんなものについても確実であることはできないということを示そうとしています。
このうち第二の条件が本当に成立するのかどうかは,厳密にいうと僕は怪しいと思いますが,スピノザはこの三段論法自体は成立すると仮定した上で,その部分は否定するという解答を与えていますので,僕もここではこの三段論法自体は成立しているとみなします。