スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨晩の第70回羽田盃。
逃げたのはスマイルマンボで2番手にジャナドリア。2馬身差でナチュラルライズ。2馬身差でアメージング。2馬身差でナイトオブファイア。6番手にグランジョルノ。7番手にフレンドローマとキングオブワールド。9番手にミーヴァトン。10番手にコスタデラルス。11番手にスキャロップとペピタドーロとバブリングストーン。14番手にベクトルマッハで最後尾にカセノタイガーという隊列で発馬後の正面から最初のコーナーを通過。最初の800mは50秒0のスローペース。
3コーナーでは前3頭の差はそれぞれ1馬身。2馬身差でアメージング,2馬身差でナイトオブファイア。直線に入ると前の3頭から外のナチュラルライズが先頭に立ち,そこからは差を広げる一方となって圧勝。コーナーは内を回り直線はジャナドリアの外から追い上げたナイトオブファイアが5馬身差で2着。スマイルマンボとジャナドリアはフィニッシュまで競り合いとなり,差したジャナドリアが6馬身差で3着。スマイルマンボが4分の3馬身差の4着でアメージングがハナ差で5着。
優勝したナチュラルライズは京浜盃から連勝で大レース制覇。このレースは京浜盃を勝ったナチュラルライズと雲取賞を勝ったジャナドリアの対決でしたが,レース内容は京浜盃が上で,ナチュラルライズはそれを6馬身差で勝っていましたから,最有力候補だろうとみていました。そのときに3着だったナイトオブファイアとの差は詰まったのですが,概ね能力通りの結果になったとみていいのだろうと思います。今後の活躍も大いに期待できますが,現状は左回りと小回りにはやや課題が残っているといえるでしょう。父はキズナ。
騎乗した横山武史騎手はJBCレディスクラシック以来の大レース8勝目。羽田盃は初勝利。管理している伊藤圭三調教師は開業から27年1ヶ月で大レース初制覇。
4月12日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院がありました。この日は診察だけでした。
4月13日,土曜日。11日にピアノの先生との電話で決定したピアノのレッスンの日でした。この日は午後5時半の開始でした。ピアノのレッスンは以前は日曜日に実施していましたが,現在は土曜日になっています。これは土曜日に実施すれば日曜日に妹をグループホームに送ることができるからです。
4月14日,日曜日。妹をグループホームに送りました。妹は手術の前日の3日に家に帰ってきました。なので今回は11日ほど家にいたことになります。グループホームに入所してから,これほど長期にわたって家に妹が滞在したのは初めてのことでした。
4月15日,月曜日。前期の三者面談のお知らせが郵送されました。
4月16日,火曜日。前日に郵送されたお知らせは,希望日を記入する必要がある書類です。記入してこの日に郵送しました。そしてこの日はガス漏れの点検がありました。事前の通知では午後1時から午後3時の間に来訪するということになっていて,その間は僕は家に滞在していなければなりませんでした。調査員が訪問してきたのは午後1時40分で,検査自体はすぐに終了しましたので,早くに外出することができました。
4月17日,水曜日。歯科検診の予約を入れました。午後は通所施設に妹を迎えに行きました。

4月18日,木曜日。妹の眼科の通院がありました。この日は午前10時から。術後の経過は相変わらず順調でした。手術後に4種類処方されていた目薬のうち,1種類はすでに処方が終焉し,妹はグループホームに戻った時点では3種類の目薬を挿してもらっていました。そのうちの1種類が今回の帰宅までの間になくなったので使用を停止していたのですが,この目薬はもう使用する必要がないとのことで,この日は処方されませんでした。よって目薬は2種類になったことになります。また,目の保護のために使っていたゴーグルに関しても,もう使用しなくてよいとの指示が出されました。薬局で目薬を処方してもらった後,昼食を摂り,そのまま妹を通所施設に送って帰りました。僕が帰宅したのは午後2時20分でした。
桜花賞を勝ったエンブロイダリーの父はアドマイヤマーズです。父はダイワメジャー。
デビューは2歳6月で僅差の勝利。7月のオープンは3馬身差の快勝。少し休養して出走したデイリー杯2歳ステークスで重賞制覇を達成すると朝日杯フューチュリティステークスで大レースも制覇。4戦4勝という文句なしの成績でJRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されました。
3歳初戦の共同通信杯は2着で初の敗戦。皐月賞に進んで4着。距離適性を鑑みてNHKマイルカップに出走すると大レース2勝目をあげました。
秋は富士ステークスで復帰。このレースは9着と初の大敗。しかし遠征した香港マイルを勝って大レース3勝目。3歳でこのレースを勝ったのは快挙といっていいでしょう。
翌春は安田記念だけに出走して6着。秋は復帰戦のスワンステークスが3着でマイルチャンピオンシップも3着。連覇を狙った香港マイルも3着で競走生活から引退しました。
4歳以降は勝てなかったのですが,3歳までの成績はそれを補って余りあるもの。能力の高さは疑い得ません。ただ距離には明らかに限界があるタイプだったので産駒にどの程度までそれが影響するのかは注目です。
4月8日,月曜日。妹の眼科の通院がありました。診察の予約は午前9時でした。

最初に検査がありましたが,いつものようにこの検査の内容は僕には不明です。検査の終了後に,散瞳のための点眼がありました。医師の診察によれば,白内障の術後の経過は順調とのことでした。点眼薬は4種類が処方されていましたが,このうち1種類は点眼薬がなくなり次第,終了してもよいことになりました。なお,妹は両目の手術を同時にしたわけですから,両目に点眼しています。一般的には白内障の手術を両目同時に行うことは稀であり,よって一般的な場合と比較すると,妹の点眼薬は倍の量が必要だったことになり,そのように処方されています。最後に眼底の写真を撮影して,この日の診察は終了しました。
散瞳しての眼底の写真撮影はこれまで,О眼科でもしていました。ただこれまで白内障の影響で,眼底の手前の部分が白く濁っていましたから,その奥,つまり本来の眼底の部分までよく分かるような撮影はできていませんでした。その濁りは除去されましたから,妹が本来的な意味で眼底を撮影したのは,この時が初めてであったといっていいでしょう。この日は午前10時45分に帰宅することができました。
4月11日,木曜日。手術後1週間の検診がありました。この日も検査をしてからの診察でしたが手術後の経過はやはり良好でした。このときに緑内障の疑いもあると言われたのですが,このことはその後は何も問題となっていません。この日は診察の予約が午前10時になっていたこともあり,帰宅したのは午後12時10分でした。
僕は手術の前日,4月3日に妹をグループホームに迎えに行ったのですが,その日の午後9時10分にピアノの先生から電話がありました。妹のピアノのレッスンはレッスンをした日に次の日程を決めるのですが,4月は手術が決まっていたために,レッスンの日を確定させていなかったのです。その日の電話で日取りを決めましたので,この後のグループホームに戻れる日も決めることができました。なので帰宅後にこの件について通所施設の方に連絡を入れました。事前に通達しておいた日程から変化があったからです。
25日に指された第96期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は永瀬拓矢九段が2勝,杉本和陽五段が0勝。
振駒で杉本五段の先手となりノーマル三間飛車。後手の永瀬九段の居飛車穴熊に杉本五段も穴熊に囲っての相穴熊戦。この将棋はうっかりだったとは思えないのですが,中盤で後手が駒得となり,大きなリードを奪いました。

先手の徹底抗戦に後手がややてこずりつつ迎えた局面。ここは☖1五歩と突く手が有力で,それなら後手が勝っていたものと思われます。
実戦は☖6六角と打ちました。対して☗5七歩と受けたのですが,これを後手は見落としていたようです。
先手の狙いは☖同角成なら☗4三桂☖同銀☗8六角と詰めろ飛車取りをかける狙い。このとき5七に馬がいると☖5一歩と受けることができません。それでも☖同角成がベストであったのですが,時間がなかったために読み切れず☖同飛成と受けに回りました。しかしこれには☗3四歩と打つのが好手で攻守逆転。この後の後手の粘りに今度は先手が手を焼くことになりましたが,何とか最後まで押し切りました。
杉本五段が勝って挑戦権を獲得。規定により六段に昇段しました。第一局は6月3日に指される予定です。
4月5日,金曜日。退院する妹を迎えるために午前9時45分に病院に到着しました。
病院ではまず薬剤師による点眼薬の説明がありました。点眼薬は4種類ありました。短期的に使用するものと長期的に使用するものがあり,また,1日に何度の点眼をするのかということも薬剤によって異なっていました。妹は癲癇の薬は自分で用意して飲むことができますが,点眼は自分ではできません。なのでこの説明は妹に対してなされたというより,僕に対してなされたものと理解してください。4種類もあって複雑ですから,紙の資料も渡されました。グループホームに戻っても点眼は続けられることになりますから,この資料は後にグループホームの職員に渡しました。
この後で看護師による確認があり,退院となりました。ただ会計の前に眼科に行くように言われましたので,そうしました。眼科では眼科の看護師による目薬の説明があり,また目の保護の仕方の説明もありました。白内障の手術の後は目を保護する必要があります。今は花粉症を防御するためのゴーグルが100円ショップなどでも販売されていますが,そのようなゴーグルを装着します。これは入院前から指示されていたことであり,また手術後すぐに必要な措置ですから,僕は前日にこのゴーグルを担当の看護師に渡していました。つまりこの時点ですでに妹はそのゴーグルを装着していたことになります。ただ,眠るときはゴーグルは邪魔です。しかし眠っている間に目を無意識にいじってしまうということは生じ得ますので,これは防がなければなりません。なので眠るときは専用の眼帯を使用することになります。妹は眼帯の装着も自分ではできませんから,僕が装着しました。
こうした説明が終わった後で会計に向かいました。会計を済ませると領収書が自動的に発行されますが,この領収書の中に次回の予約日が印刷されているという仕組みにみなと赤十字病院ではなっています。ところがこのときは眼科の予約が入っていない状態になっていました。なので再び眼科に戻り,予約を入れてもらってから帰りました。帰宅したのは午後12時10分でした。この後しばらく,妹は家で過ごしています。
香港のシャティン競馬場で開催された香港チャンピオンズデー。8頭の日本馬が遠征しました。
チェアマンズスプリントプライズGⅠ芝1200m。このレースは7~8番手の馬群の中を進んだサトノレーヴが,直線で外目に出されて伸び,勝ち馬にはまったく追いつけませんでしたが,3着馬との接戦を制して2着。ルガルが5着,エイシンフェンサーが12着,ダノンマッキンリーが13着でした。
チャンピオンズマイルGⅠ芝1600m。日本から出走のガイアフォースは外目の4番手を追走。伸びずばてずで9着。
クイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。このレースは外目の4番手を進んだタスティエーラが直線の入口では3番手。直線に入って先頭に立つとそのまま抜け出して優勝しました。プログノーシスが2着。リバティアイランドは直線で競走を中止しました。
優勝したタスティエーラは一昨年の日本ダービー以来の勝利で大レース2勝目。父はサトノクラウン。母の父はマンハッタンカフェ。4代母がクラフティワイフ。Tastieraはイタリア語でキーボード。
日本馬による海外GⅠ制覇はドバイシーマクラシック以来。香港では2022年の香港ヴァーズ以来。クイーンエリザベスⅡ世カップは2021年以来の7勝目。騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手は一昨年のダービー以来の日本馬に騎乗しての大レース10勝目。管理している堀宣行調教師は高松宮記念以来の大レース24勝目。2017年のクイーンエリザベスⅡ世カップ以来の海外GⅠ7勝目。クイーンエリザベスⅡ世カップは2017年以来の2勝目。
4月4日,木曜日。妹が入院して白内障の手術をする日でした。

病院に到着したのは午前9時35分でした。みなと赤十字病院はその日に入院する患者には専用の受付があります。所定の場所に診察券を置くと,すぐに妹の名前が呼ばれました。受付の担当者からいくらかの説明を受けましたがまだ時間がありましたので,午前10時までロビーで待機しました。その後で眼科の看護師が迎えに来ましたので,6階に移動しました。入院用の病室は5階にもありますが,主には6階,7階,8階で,これらの階にはそれぞれラウンジのような部屋があります。僕と妹はまずそこで待機しました。まず最初に現れたのは薬剤師です。退院後は目薬を使用しますので,その目薬についての説明がありました。また,病院では看護師が妹の薬を管理します。なのでこのときに持参していた妹の目薬および癲癇の薬を薬剤師に渡しました。
この説明の後,今度は6階の事務方の人が来て,いくつかの説明と,僕たちに対する設問がありました。このふたつが終わったのが午前10時半頃でした。妹の身体計測をして入院する病室に入りました。みなと赤十字病院は個室もありますが,妹が入院したのは大部屋です。こうした希望は事前に支援室で伝えてありました。病室ではこの日の妹の担当の看護師から,手術前,そして手術後,さらに翌日の退院までの一連の流れが具体的に説明されました。
この説明の後で,病室での面会時間が30分に制限されていると伝えられました。僕は手術の間は家族が院内に待機していなければならないものと思い込んでいて,そういうつもりであったのですが,そうではないとのことでした。手術は午後2時半に開始されると伝えられましたが,その時間まで待っていては面会の制限時間を大幅に超過してしまいます。なので僕はこの看護師の説明を受けた後,すぐに帰宅しました。
母は大腸癌の手術をみなと赤十字病院で受けています。そのときは術中に家族が待機していなければならない決まりになっていましたから,僕はずっと病院で待機していました。しかしそれは新型コロナウイルスが発現する前のことです。おそらくその後にルールが変更になったのでしょう。
第36期女流王位戦は挑戦者決定戦を勝った西山朋佳女流三冠が体調不良で入院し手術をすることになったため,敗れた伊藤沙恵女流四段が挑戦者に繰り上がり,24日に塩田温泉で第一局が指されました。対戦成績は福間香奈女流王位が32勝,伊藤沙恵女流四段が11勝。
振駒で伊藤女流四段の先手。先手がすぐに飛車先の歩を伸ばしたので後手の福間女流王位のノーマル向飛車になり,相銀冠の持久戦になりました。

ここで後手は☖3九角と打ちましたが,これがあまりよくなかったようです。角を打つのであれば☖5九角と打つ手が優りました。
先手は☗4七飛と逃げます。☖4六歩に☗同飛と取ってくるというのが後手の読みの中心だったのではないかと推測しますが先手は☗2七飛と逃げました。
☗3八金や☗4九金と打たれる角の行き場所がありませんから後手は忙しくなっています。☖4四角と歩を取りました。そこで先手は☗3二銀。

これが好手で,早いようでももう先手の勝ち筋に入っています。
伊藤女流四段が先勝。第二局は来月13日に指される予定です。
3月30日,金曜日。グラビット点眼薬をグループホームに届けました。この点眼薬は手術の5日前から使用するものです。手術は4月4日でしたから,翌日からは使用しなければなりません。使用する前日に届けた方がいいだろうと思いましたので,前もって届けることもできましたが,この日に届けたものです。なお,妹は全身麻酔で手術をする関係で,両目を同時に手術することになっていました。したがってグラビット点眼薬も両目に使用することになっていました。
4月1日,月曜日。みなと赤十字病院の入院支援センターに行きました。妹が手術前検診を行った日にも行きましたが,入院前にもう1度来るようにいわれていました。妹はいなくてもよいとのことでしたので,この日に僕がひとりで出向いたものです。このときに入院する前と入院中のことについて,かなり具体的な説明を受けました。そして4日に手術をするわけですが,手術を受けたその日は入院して,翌日には退院するということが分かりました。
4月3日,水曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。ところがこのとき,妹が健康保険証を持参していませんでした。明日が入院して手術ですから,これは必要です。それでグループホームに連絡を入れてもらったのですが,保険証は僕が持っているのではないかと指摘されました。実際はそうではなかったのですが,グループホームの担当者がそう錯覚したのにはある事情がありました。
僕が妹をグループホームに送ったのは3月11日です。この日は手術前検診で,時間が遅くなりすぎたので病院からタクシーを利用しました。妹が保険証を持ち帰っている場合は,僕は必ず送るときに返却します。このときもそうでした。ただこの日はグラビット点眼薬の処方箋が出ていて,これは薬局に提出しないうちにグループホームに行ったので,おくすり手帳は僕が持っている必要があり,返却せずにそのまま持ち帰ったのです。グループホームの担当者は,このときにおくすり手帳だけでなく,保険証も僕が持ち帰ったと勘違いしていたということです。いずれにしても保険証は必要ですから,この日はグループホームに寄り,それを受け取ってから帰宅しました。
19日に片山津温泉で指された第10期叡王戦五番勝負第二局。
斎藤慎太郎八段の先手で相掛り。どうも後手の伊藤匠叡王の研究の方が上回っていると思えるような進展でした。

この局面で先手は本当は☗6五歩と打ちたかったようです。しかしそれは☖5四桂という手があって断念。この☖5四桂を先手が難敵とみたことが勝敗に影響しました。
☗7七桂と打って☖8一飛。
そこで☗8四歩と打ったのですがやはり☖5四桂が生じて後手が局面をリードすることになりました。
ここでは☗5七金と受ける手があったようです。後手は☖5四桂を打つことができるのですが,先手は飛車を引かせたので☗6五銀と上がることができます。これはむしろ先手が有利なので後手は☖8六歩☗8八歩☖3五歩と攻めることになるのですが,これはまだ難しい局面でした。
伊藤叡王が勝って1勝1敗。第三局は来月4日に指される予定です。
この日は僕の前の患者の診察が順調に終わったようで,予約時間である午後3時半に僕の診察が開始されました。
HbA1cは7.3%で,2月の通院のときと比べると大幅に下がっていました。これは3月になって暖かい日が多くなってきたことの影響であったと思われます。血糖値の平均も下がっていました。ただ低血糖の発症は,2月のときは0.9%にすぎなかったものが,今回は2.4%と上昇していました。HbA1cの下降が急激だったこともあり,注射するインスリン製剤の量については,思い切った変更が加えられました。まず,持続効果型のインスリン製剤であるトレシーバに関しては,0.11㎎の注射をしていたのを,0.1㎎に減らすことになりました。次に,超即効型のインスリン製剤のヒューマログについては,朝食前の注射量を0.06㎎から0.05㎎に減少し,さらに夕食前の注射量も0.09㎎から0.08㎎に減少することになりました。僕の血糖値は,0.01㎎単位の変更で変動するということが過去の経験から分かっていました。今回は一度に0.03㎎も減少させるわけですから,これでは高血糖が多くなってしまうのではないかという不安がなかったわけではありません。とはいえ僕は月に1回は通院しているわけですから,高すぎる血糖値が頻出するようであればまたそのときに調整をすればよいだけのことです。高血糖というのは長期的にみた場合に身体に対して悪影響を及ぼしますが,低血糖はすでにその時点で身体に負荷をかけてしまいますから,どちらかをなくすのであれば副作用である低血糖を減らす方がよいのです。なのでここでは医師の指示に従い,これまでにはなかったような大幅な変更を実施することにしました。
この日はこれ以外には異常が出ていませんでした。僕はアルブミンの値に関して下限値を下回るという異常が出ることが多いこともあり,一切の異常がなかったというケースは前年の8月以来のことになります。
この日はおくすり手帳を持参するのを忘れてしまったのですが,問題なく薬局でインスリンも注射針も受け取ることができました。帰宅したのは午後4時55分でした。
22日の川崎記念の決勝。並びは郡司‐松谷‐佐々木の神奈川,脇本‐小森の福井,犬伏‐久米‐吉本の西国で,根田は単騎ということでしたが南関東ということで神奈川勢を追走するレースになりました。
郡司に譲られるような形で犬伏が前受け。4番手に郡司,8番手に脇本で周回。残り2周のホームで後方から上昇した脇本が犬伏を叩きました。郡司が小森の後ろにスイッチ。犬伏があっさりと引いたので,3番手に郡司,根田が続いて7番手に犬伏という隊列になりペースがさほど上がらないまま打鐘。ホームに戻って脇本が本格的に先行。バックに戻って郡司が発進。最終コーナーで外から脇本の前に出ました。直線はマークの松谷が差しにいきましたが郡司が粘って優勝。松谷が半車輪差の2着で神奈川のワンツー。脇本マークの小森が1車身半差の3着で松谷マークの佐々木が4分の1車輪差の4着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は高松記念以来の優勝で記念競輪23勝目。川崎記念は2017年,2019年,2021年,2022年,2024年1月と優勝していて2年度ぶりの6勝目。2021年の全日本選抜競輪も当地で優勝しています。このレースは根田が神奈川の前を回るという選択肢もあり得たと思うのですが,郡司が自力を選択したので,郡司,脇本,犬伏の力勝負に。ただ前受けからあっさりと引いた犬伏が何の動きもみせなかったので不発となり,事実上は郡司と脇本の争いになりました。脇本と郡司が前にいたまま残り1周ではさすがに厳しいでしょうから,犬伏は作戦失敗だったといっていいでしょう。脇本は無理に駆けたわけではなく,約1周の先行ですから残ってもおかしくはありません。3番手だったとはいえそれを捲り,そこでかなり力を使ったものの松谷の差しも凌いだ郡司がこのレースは強かったと思います。
病院で出された処方箋は,4日以内に薬局に提出して薬剤を受け取らなければいけないというルールになっています。ただ薬剤というのはすぐに使用する場合が多いですから,処方された当日に薬局に行くというのが通例ではないかと思いますし,僕もそのようにしていました。ただこのときは,前日の手術前検診が終わるのが遅く,妹がグループホームの夕食の時間に間に合うように到着できるかどうかが微妙でした。一方で処方された薬剤に関しては,手術の予定日である4月4日の5日前から使用すればよいものでしたから,すぐに入手しておかなければならないという性質の薬剤ではありませんでした。なので前日は病院からそのままタクシーで妹をグループホームに送り,翌日に僕が薬局に処方箋を提出するようにしたものです。なお,このときに処方されたグラビット点眼薬というのは,細菌感染を治療するためのものです。妹の目が細菌に感染していたというわけではありませんが,手術前の目を清潔に保つために処方されました。僕は目の手術の経験というのがないので分かりませんが,手術前には一般的に処方されるような薬剤であったのではないかと思います。

3月13日,水曜日。総講でお寺に行きました。
3月20日,水曜日。この日は彼岸会でしたので,またお寺に行きました。
3月25日,月曜日。僕の内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後2時20分でした。なお,この日は診察の予約時間が午後3時半になっていました。これは午後3時の予約には空きがなかったからです。2月の通院のときには同じ理由から予約が午後2時半になっていたのですが,たぶんこのときはその時間の空きも埋まっていたので,午後3時半に設定されたものと思われます。ただ,午後3時の予約であっても,実際に診察が開始されるのは午後3時半より遅くなるというケースは何度かありましたので,午後3時の予約であるか午後3時半の予約であるのかということ自体は僕にとっては大した問題ではありません。むしろ一人ひとりの患者の診察がどの程度の時間で終わるかということの方が重要で,それで実際の診察時間が決まるのです。
高知から1頭が遠征してきた第63回しらさぎ賞。馬場入場後にマーブルマカロンが放馬して著しく体力を消耗したため競走除外となって10頭。
発馬後の加速でフェブランシェが難なくハナへ。それを追うようにカレンチャンキーが2番手。2馬身差でツーシャドー。4番手にダノンミカエルとパウオレ。2馬身差でプリンセスアリー。2馬身差でサーフズアップ。2馬身差でシトラルテミニ。9番手がアイゴールドで最後尾にメイドイットマムという隊列で向正面へ。最初の600mは34秒9のハイペース。
向正面でもフェブランシェは快調に飛ばしていき,2番手との差は5馬身くらいに。カレンチャンキーはついていかれなくなりツーシャドーが2番手に。ツーシャドーはそこからいくらか差を詰めていったのですが,再びフェブランシェが差を広げ,鮮やかに逃げ切ったフェブランシェが優勝。ツーシャドーが5馬身差で2着。3着争いは前を早めに追い上げたプリンセスアリー,直線でその内に進路を取ったサーフズアップと外から追ったメイドイットマム,大外から伸びたアイゴールドの4頭の争い。メイドイットマムが6馬身差で3着。サーフズアップが4分の3馬身差の4着でアイゴールドがハナ差で5着。プリンセスアリーが1馬身差で6着。
優勝したフェブランシェは東京シンデレラマイル以来の勝利で南関東重賞2勝目。距離が短縮され浦和コースになることは問題なくても,57キロで稍重馬場というのはいくらか不安だと思っていたのですが,スピードがほかとはまるで違いました。前走のクイーン賞もそれほど離されて負けているわけではありませんから,重賞でも間違いなく通用するでしょう。父はリアルスティール。母の父はクロフネ。4つ上の半姉が2019年の紫苑ステークスを勝ったパッシングスルーでふたつ上の半姉が2023年の中山牝馬ステークスを勝ったスルーセブンシーズ。Fee Blancheはフランス語で白い妖精。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はブリリアントカップに続く南関東重賞41勝目。第53回,54回,56回,57回に続き6年ぶりのしらさぎ賞5勝目。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞29勝目。第57回以来となる6年ぶりのしらさぎ賞2勝目。
妹はグループホームと通所施設の両方を利用していますから,ふたつの契約が必要です。そして契約書は先方で所持するものと僕が所持するものの2通が必要ですから,僕がサインを入れる必要がある書類は4通でした。このときは一対一ではなく,利用者の保護者がもうひとりいましたので,施設の担当者のひとりが,僕たちふたりに契約事項を説明し,ふたりがサインおよび捺印をするという順で契約が進んでいきました。もちろんもうひとりの保護者も,グループホームの利用者の保護者でしたから,4通だったわけですが契約書の内容は施設が所持するものも僕たちが所持するものも同じ内容ですから,詳しい説明があったのは2通だけです。施設の担当者は通所施設の施設長のNさんでした。説明の中で何が最も重要であったかといえば,グループホームから帰宅する際には,なるべく1泊2日で帰宅するようにとのことで,これなら帰宅する日もグループホームに戻る日も,一定の時間はグループホームに滞在することになるので,前もって説明しておいたように,補助金が支出されるようになります。ただしこれは必ずそのようにしなければならないというものではありませんから,僕は現在も2泊3日の帰宅をさせています。ただし通院やピアノのレッスンといったような,妹が帰ってこなければならない事情がない日は帰宅させていませんし,夏休みやゴールデンウィークといった連休中に帰宅させることもしていません。昨年末から今年の年始にかけては妹の希望もあったので帰宅させましたが,帰宅期間は年末年始の休みよりも短く設定ました。要は普段は1泊2日を守れないので,ほかの利用者が帰宅しているような期間は逆にグループホームに滞在させることで,グループホームの利用日数を同じくらいになるようにしているということです。

契約のすべてが終わって帰宅したのは午前11時20分。これは妹を通所施設に送っていった場合に帰宅する時間と同じです。
午後は4日に新調した眼鏡を受け取りに行きました。そして前日に妹に出されていた妹の目薬を処方してもらいました。これは手術の5日前から使用することになっていたグラビット点眼薬です。
15日に指された第18期マイナビ女子オープン五番勝負第二局。
西山朋佳女王の先手で三間飛車。なかなか態度を表さなかった後手の福間香奈女流五冠ですが,26手目に三間飛車に振っての相振飛車となりました。この将棋は後手が居玉のうちに先手から仕掛ければよかったと思うのですが,見送って駒組に進めたため,先手の作戦失敗のような将棋になりました。

後手が端から攻めていったところ。ここで☗4七銀と引いたのですが,これはたぶんあまりよくなく,☗4五歩と突くべきであったと思われます。
☖1五香☗1七歩☖2六歩☗同歩と受けに回って☖2五歩の継ぎ歩。そこで先手は☗6六角と上がりました。後手が☖2六歩と取り込むのは当然。

ここで☗7五歩と突いて角を交換する順に進めたのが先手の決定的なミス。あとは一方的にパンチを食らう展開になりました。ここは単に☗8八飛と回っておけば,まだどこかでチャンスが回ってくることもあり得たのではないでしょうか。
福間女流五冠が勝って1勝1敗。第三局は来月18日に指される予定です。
これまでは自動的に契約が更新されていたのですが,昨年度から自動更新されず,単年度の更新になったのは,施設側の事情でした。
グループホームに関しては前にもいったことがありますが,もしも利用者が365日をグループホームで過ごせば,この365日というのは24時間という意味ではなく,1日のうちに何時間かグループホームに滞在すればという意味ですが,この場合はグループホームは安定的に経営できます。1日のうちにいくらかでもグループホームに滞在していれば,補助金が出る仕組みになっているからです。ただこれは必ず安定的に経営できるという意味であり,たとえば夏休みと年末年始などに何日間か不在になっても,それほど大きな影響が出るわけではありません。ただ毎週末に帰宅し,グループホームに滞在しない日が増えてくると,経営は厳しくなっています。僕自身の意見として前にもいったように,これは福祉政策の制度設計の方に問題があるのですが,現にそうなっているのですから,グループホームが経営を安定させるために利用者側に注文をつけざるを得なくなっているわけです。
これと同じように,通所施設に支給される補助金も,実際に利用者が利用しているかいないかによって変動します。とくに通所施設の場合は,施設に滞在している時間によって支給金額が変動するように制度が変更されました。なので,施設側としてはとくに理由もなく休まれてしまえば困りますし,制度が変更されましたから,たびたび遅刻するというようなことがあっても経営に支障を来すようになったのです。通所施設だけを利用しているという場合は送迎が必要なので,たとえば雨の日は送迎が大変だという保護者もいるでしょうし,利用者本人が外出を渋るというような場合もあるでしょう。しかしあまりにそれが頻発すると,経営状況が悪化しますから,そのような利用者に対して契約を更新しないという選択が施設側に付与されるためには,契約が自動更新されるよりも,単年度ごとに更新した方がよいということになったわけです。今回は単年度更新の最初の年度に該当しましたから,全利用者の保護者が面会で更新することになりました。
11日に指された第51期女流名人戦五番勝負第五局。
報知新聞の社長による振駒で福間香奈女流名人の先手。後手の西山朋佳女流三冠の三間飛車に先手の中飛車という相振飛車に。

この将棋はここで☖6三金と上がったのですが,これが一手パスのような手で☗7三歩☖同桂☗9五香となって後手が苦戦を招きました。
感想戦によるとここで後手は☖1二飛という手を考えていたようです。たぶんここはそういう攻めを目指す手を指した方がよく,☖1三桂とか☖3三桂といった手が候補にならなければいけなかったのではないでしょうか。
福間女流名人が勝って3勝2敗で防衛。第36期,37期,38期,39期,40期,41期,42期,43期,44期,45期,46期,47期,50期に続く連覇で14期目の女流名人です。
これでやらなけれならないことは終わりましたので,会計に向かいましたが,会計の方で採尿をするようにという指示が出ました。なので一旦は中央検査室に戻ったのですが,そこの受付で眼科で確認を取るように言われました。なので今度は眼科に向かうと,妹がひとりでは採尿ができないのであれば,介助すると看護師が申し出てくれましたので,そのように依頼をしました。しかしこのときは妹は尿意を感じていなかったらしく,尿がほとんど出なかった,というのは検査に必要な量が出なかったという意味ですが,それで採尿はできませんでした。医師の方に採尿の検査は取消にしてもらい,そのまま会計を済ませました。この時点ですでに午後4時半になっていました。グループホームの夕食は早く,午後5時半です。バスでグループホームに向かってはその時間には間に合いません。なのでこの日はタクシーを利用し,妹をグループホームに送りました。
これは前にもいったことがあるかもしれませんが,僕はタクシーを利用するということはほとんどありません。2021年11月に新しいパソコンを家電量販店で買った後,ゲリラ豪雨といっていいような大雨が降ったので,仕方なく帰りはタクシーを利用しました。僕がタクシーを使ったのはそれ以来です。したがっておよそ2年半ぶりにタクシーに乗車したことになります。なお,これは妹がグループホームの夕食に間に合うようにするためのことでしたから,妹を送った後は僕はタクシーは使っていません。僕が帰宅したのは午後6時半でした。
3月12日,月曜日。1日に三者面談を行ったとき,妹の通所施設の担当者から契約の日時を伝えられたのですが,それがこの日でした。これは午前10時からでした。僕は妹の送迎にはバスを利用しています。通所施設に送る場合は朝になりますが,この場合は利用できるバスの関係で,午前10時を少し過ぎたくらいで通所施設に到着するのが常でした。バス停を降りてから通所施設までは距離があり,妹と一緒に歩くのと僕がひとりで歩くのとでは要する時間が異なります。当然ながら僕ひとりの方が早いです。それでも午前10時の到着は難しいので,この日は電車を利用しました。
第85回皐月賞。
一旦はジュタが前に出ましたが外から追い抜いてピコチャンブラックの逃げ。リードは2馬身。控えたジュタが2番手で1馬身半差でジーティーアダマン。1馬身半差でニシノエージェントとクロワデュノール。2馬身差でジョバンニとドラゴンブースト。8番手にミュージアムマイル。9番手にエリキング。10番手にカラマティアノスとマスカレードボール。12番手にサトノシャイニング。13番手にフクノブルーレイクとヴィンセンシオとアロヒアリイ。16番手にキングスコールとマジックサンズ。最後尾のファウストラーゼンは例によって向正面から外を一気に上昇していきました。前半の1000mは59秒3のスローペース。
3コーナーでは逃げたピコチャンブラックと動いたファウストラーゼンが併走。その後ろにジーティーアダマン,ジュタ,アロヒアリイ,クロワデュノールの4頭。直線に入ってファウストラーゼンが先頭に。2番手になったジュタの外からクロワデュノールが伸びて先頭に。これを坂下から一気に伸びてきたミュージアムマイルが差して優勝。クロワデュノールが1馬身半差で2着。サトノシャイニング,マスカレードボール,ジョバンニの3頭が並んで追い込み,そこから抜けたマスカレードボールがクビ差で3着。外のジョバンニが半馬身差の4着で内のサトノシャイニングがアタマ差で4着。
優勝したミュージアムマイルは重賞初勝利での大レース制覇。朝日杯フューチュリティステークスで2着になった後,今年の初戦の弥生賞は4着。たぶんそのときは馬場の影響がややあったのであり,良馬場の切れ味勝負が最も得意なのでしょう。距離は短くなるよりは長くなった方がいいのではないかと思われます。父はリオンディーズ。母の父はハーツクライ。5代母がロイコン。祖母のひとつ上の半兄に2005年のセントライト記念と2007年の京成杯オータムハンデキャップを勝ったキングストレイル。
騎乗したブラジルのジョアン・モレイラ騎手は桜花賞に続く日本馬に騎乗しての大レース12勝目。皐月賞は初勝利。管理している高柳大輔調教師はヴィクトリアマイル以来の大レース5勝目。皐月賞は初勝利。
3月11日,月曜日。8日の電話で預かってもらっていた妹の保険証を,午前中にО眼科に取りに行きました。この日の午後が妹の手術前検診でした。保険証確認は1ヶ月に1度は必要です。3月にみなと赤十字病院に妹が通院するのはこの日が初めてでしたから,それまでには受け取っておく必要がありました。
手術前検診の予約は午前1時半でした。まず眼科で受付をしました。ここで検査の順序の指示が出ましたので,まず中央検査室に向かいました。ここで採血と採尿です。待機している患者がひとりしかいませんでしたので,先に採血をしました。採尿に関しては本人ができると言いましたのでひとりでやらせましたが,結局はやり方が分からなかったようです。そこで中央検査室の受付で相談をしました。すると眼科の方で相談するようにと指示されましたので,眼科に戻りました。採尿について相談したのですが,待機している間に眼科そのものの検査が始まりました。その後に,個室でDVDを鑑賞しました。これは白内障という病気そのものと,白内障の手術の方法の説明でした。この視聴の後にまた検査がありました。前にもいったように,僕は検査室には入れませんから,この前後の検査の内容が具体的にどのようなものであったのかは不明です。検査がすべて終了すると,医師から手術の説明がありました。これも前にいったように,妹の手術は全身麻酔で実施しますので,1日の入院が必要となります。なので入院についての説明もありました。

中央検査室も眼科も建物の1階にあります。手術室は3階ですが,麻酔を担当する医師もそちらにいますので,今度は僕たちも3階に行き,手術相談室という部屋で麻酔医による説明を受けました。この説明の後,2階の放射線科でレントゲンの撮影がありました。レントゲン撮影は歯科で指示されることもありますので,ここは妹も何度か来たことがあるところです。その後,再び中央検査室で心電図の検査がありました。採尿を除いた検査はこれですべて終了しました。最後に入院患者は必ず利用する入院支援センターという,ロビーに併設されている施設で,入院中のことの説明を受けました。
第27回中山グランドジャンプ。
最初の障害を飛越したところでピーターサイトが前に出ての逃げ。ジューンベロシティ,インプレス,エコロデュエル,アランデル,テイエムタツマキ,ネビーイームとバーンパッション,プラチナドリーム,マイネルグロン,スマイルスルー,ザレストノーウェアの順で1周目の正面を通過。大竹柵の飛越後にジューンベロシティの方が前に出て,そこからはジューンベロシティの逃げに。
大生垣の飛越でジューンベロシティがややバランスを崩すとエコロデュエルがジューンベロシティに並びかけていき,ここから2頭が競り合い,後続に10馬身くらいのリードを取りました。2頭の競り合いから外のエコロデュエルの方が前に出るとジューンベロシティは一杯に。インプレスが2番手に上がってきましたが,直線の入口でエコロデュエルとの差は7馬身。これはセーフティリードで,最終障害はやや危なかったものの体勢を立て直し,エコロデュエルがレコードタイムで優勝。インプレスの外からネビーイームとマイネルグロンが並んで追い込んできましたが,マイネルグロンは最終障害を飛越した後に故障。ネビーイームがインプレスを差して8馬身差で2着。インプレスが2馬身半差で3着。
優勝したエコロデュエルは一昨年の京都ジャンプステークス以来の勝利で重賞2勝目。大レースは初制覇。この馬は京都ジャンプステークスを勝って以降は勝てはしないもののかなり安定して走っていました。現在は障害には絶対的存在がいませんので,この馬に順番が回ってきてもおかしくないという位置づけの馬。今日は早めに動いて後続に大きな差をつけてのレコードタイムというかなり強い内容でした。たぶんスタミナに優れていて,こういうレースが向いているのかもしれません。父はキタサンブラック。Duelは決闘。
騎乗した草野太郎騎手はデビューから18年1ヶ月で大レース初制覇。管理している岩戸孝樹調教師は開業から23年1ヶ月で大レース初制覇。
3月2日,土曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。妹はこの日が土曜レクリエーションでした。
3月4日,月曜日。2月18日の朝に僕の眼鏡の弦が壊れてしまったのですが,この日に眼鏡店に行きました。忙しかったので壊れてからだいぶ時間が経ってしまいましたが,僕は予備の眼鏡があるので日常生活に支障があったわけではありません。この眼鏡店は,本牧脳神経外科の近辺にある眼鏡店で,以前にやはり壊れてしまった妹の眼鏡を買ったところです。これは予想していたことですが,壊れてしまったフレームの部分は修復が不可能でした。なので新しいフレームを購入するつもりであったのですが,レンズも傷ついているので新しくした方がいいのではないかと提案されました。ということで眼鏡全体を新調することにしました。新調した眼鏡をそのまま持ち帰ることもできましたが,傷をつきにくくするためのコーティングと,ブルーライトをカットするようなレンズにする依頼をしましたので,このときには受け取れず,1週間後の受け取りになりました。この眼鏡の新調に要した費用は19800円です。僕は小学生のときにはすでに眼鏡を使用していましたが,眼鏡の値段というのはその頃よりも安くなっているように思います。

3月8日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そしてそのままО眼科に向かいました。みなと赤十字病院ではすでに診察を受けていたのですが,そちらでは目薬を処方してもらわなかったので,この時点で妹が使用している目薬の在庫が少なくなっていたからです。この日は処方箋だけを出してもらい,薬局で目薬を受け取ってから帰宅しました。帰宅した後で,О眼科から電話がありました。これは妹の国民健康保険証を預かっているという内容でした。どうも僕が落としてしまったようです。妹がいたのでその時間にまた取りにいくというのは大変でしたから,そのまま預かってもらうことにしました。
3月10日,日曜日。午後3時50分にピアノの先生から電話がありました。この後,午後5時半からの予定になっていたピアノのレッスンの開始時刻を,30分早めたいという依頼でした。断る理由はなかったので,午後5時からレッスンが始まりました。
昨晩の第8回ブリリアントカップ。
前に行こうとしたのはヒーローコールとムエックスとリベイクフルシティの3頭。ヒーローコールの逃げとなって2番手にリベイクフルシティ,3番手にムエックスとなりました。2馬身差でダテノショウグン。5番手にグリューヴルム。2馬身差でキングストンボーイ。6番手にヴィアメント。3馬身差でマースインディとエクセスリターンが最後尾を併走で発馬後の正面を通過。向正面で前3頭と後ろの差が詰まってくるとキングストンボーイが外を上昇。4番手に上がり,5番手のダテノショウグンまで一団に。最初の800mは50秒1の超スローペース。
3コーナーではヒーローコール,リベイクフルシティ,キングストンボーイの3頭が雁行に。内を回ったムエックスが4番手。グリューヴルムが5番手に上がり,ペースアップに対応できなかったダテノショウグンは6番手に。直線に入るとヒーローコールが一杯になり一旦はリベイクフルシティが先頭に立ったものの,すぐに外からキングストンボーイが先頭に躍り出て,そのまま抜け出して快勝。リベイクフルシティが4馬身差の2着に残り,外から追ってきたグリューヴルムがクビ差で3着。
優勝したキングストンボーイはここが報知グランプリカップ以来の出走。これで転入後は南関東重賞3連勝となりました。ここは58キロという斤量を背負ってのレースでしたが,前走よりも差をつけて楽勝。1800mの南関東重賞で3連勝ということになりましたが,大井の2戦がとくに強い内容でしたから,このコースが得意であるか,あるいは右回りの方がよいということなのかもしれません。父はドゥラメンテ。母は2005年のフェアリーステークスと2006年のフィリーズレビューを勝ったダイワパッションでみっつ上の半兄が2018年に皐月賞を勝ったエポカドーロ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手は京成盃グランドマイラーズ以来の南関東重賞40勝目。ブリリアントカップは初勝利。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞14勝目。ブリリアントカップは初勝利。
2月28日,水曜日。午前9時50分にグループホームの妹を担当する職員から電話がありました。三者面談を実施する日が決定したという報告でした。
3月1日,金曜日。この日が後期の三者面談でした。僕が第一希望として提出しておいた日です。
三者面談というのは施設の利用者とその担当者,そして保護者の三者での面談です。グループホームの職員はグループホームを離れるわけにいきませんので,グループホームで実施されることになっています。利用者が通所施設に通わない日には実施されませんので,必ず平日に行われます。そのためには利用者がグループホームに戻ってくる必要があります。通所施設の終業が午後3時なので,概ね午後3時半に始まります。僕はその時間までにグループホームに到着していなければなりません。なおこれはグループホームの利用者だからこうなっているのであり,通所施設だけを利用している場合は通所施設で面談が行われます。
妹の場合は両方を利用していますから,2度の面談が同じ日にグループホームで行われることになります。通所施設の担当者は通所施設からグループホームに移動してこなければなりません。担当者は当然ながら妹だけを担当するわけではありませんから,妹と一緒に移動してくることはできず,妹よりも遅れてグループホームに到着します。したがって三者面談は,まずグループホームの担当者との三者面談が行われ,それが終了してから通所施設の担当者との三者面談が行われます。前期と後期の2度で,前期は年度の目標および利用者に対する介助の内容が報告されます。後期はその目標の達成の度合が報告されるというのが主な内容です。それぞれが30分くらいですから,待ち時間なども含めれば1時間以上の時間は要します。
この日もこの順序でつつがなく面談が終了しました。そしてこの日に,通所施設の担当者から,契約更新をする実施日が決定したことを伝えられました。僕は三者面談の希望日は,妹を迎えに行く日にすることが多いのですが,この日はそうではありませんでした。なので妹はグループホームに残り,僕はひとりで帰りました。帰宅したのは午後5時でした。
昨晩の第36回東京スプリント。
発馬後はエートラックスが前に出ていましたが,内から押していったエンテレケイアがハナを取り切っての逃げ。エートラックスが2番手でデュアリストが3番手。この後ろにイグザルト,ギガース,マックス,ラプタスの4頭。8番手にティントレットとマザオとガビーズシスター。1馬身半差でサンライズホークとグランデマーレとダノンスコーピオン。2馬身差でギャルダル。最後尾にボイラーハウスという隊列。前半の600mは34秒3のハイペース。
エンテレケイアは先頭のまま直線に。2番手で追走していたエートラックスが前に出ると外からサンライズホークの追い込み。エートラックスが追い込みを凌いで優勝。サンライズホークがクビ差で2着。エンテレケイアが半馬身差の3着に残り,内を回ってエンテレケイアの外に出たイグザルトがアタマ差で4着。やや伸びを欠いたガビーズシスターが半馬身差で5着。
優勝したエートラックスは兵庫チャンピオンシップ以来の勝利で重賞2勝目。それ以降は勝ててはいませんでしたが,東京盃以外は好走していました。能力はガビーズシスターが上ですが,2月にサウジアラビアで走った疲れや大井コースが初めてだったことを合わせれば,絶対視はできず,ほかの馬の逆転もあるとみていました。僕が有力とみていた5頭が上位を独占しましたので,結果は順当といえる範囲内。この5頭はそれほど差がないレベルで,状況によって結果も変わるという関係にあるのではないでしょうか。逃げずに勝ったというのはひとつの収穫でしょう。母の父はシンボリクリスエス。母の6つ下の半弟に2021年の優駿スプリントとアフター5スター賞を勝ったワールドリング。A Tracksはブレイクダンスの技の名前。
騎乗したジョアン・モレイラ騎手と管理している宮本博調教師は東京スプリント初勝利。
午前中に薬局からあった電話の内容について,僕から医師の方に質問しました。それで次のようなことが分かりました。
僕が使用している超即効型のインスリンはヒューマログミリオペンというもので,これは日本イーライリリーという製薬会社の製品です。当然ながら別の製薬会社から販売されている超即効型のインスリン製剤もいくつか存在するのですが,そのうちのひとつが製造中止となったようです。そのインスリン製剤を使用していた糖尿病患者は,当然ながらその後もインスリン製剤を必要としますので,別の製剤に移行しなければなりません。このときに,ヒューマログには移行しないようにという指示が製薬会社からは出ていたようなのですが,医師とくに個人経営の医師の中には,ヒューマログを処方する人が少なからずいたようです。大病院と個人経営のクリニックでは,製薬会社との関係のあり方が異なるでしょうから,ヒューマログを処方するようになる医師が出てくるということ自体は,僕には理解できるところです。しかしこのために,ヒューマログの需要に対して供給が追い付かないという事態が発生したため,薬局で入荷ができなくなってしまったのだと思われます。ただ,以前からヒューマログを使用していた患者に対しては,優先的に出荷することになっているというのが医師の話でしたので,翌日になれば僕の分は用意できるようになったのは,たぶんそのためだったと思われます。

いずれにしてもこの日はインスリンの用意ができていないということでしたから,僕はこの日は薬局に寄らずに帰りました。帰宅したのは午後4時半でした。帰ったところ,1通の書類が郵送されていました。これはグループホームおよび通所施設の契約に関するものでした。グループホームと通所施設との契約は,これまでは自動的に更新されることになっていたのですが,2024年度すなわち2024年4月以降は,単年度の契約になりました。なので新たにその契約をする必要が生じるので,その契約をする希望の日を打診する内容でした。
2月27日,火曜日。前日に郵送されていた書類に希望日を記入して送付しました。薬局にも行き,インスリンと注射針を入手しました。
8日に鶴巻温泉で指された第18期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が38勝,福間香奈女流五冠が45勝。今季から女流の公式戦の結果のみを表示することにします。
マイナビの社長による振駒で福間女流五冠の先手。後手の西山女王が四間飛車から三間飛車に振り直したところで先手が9筋から仕掛け,9筋に飛車を回るという類例のない相振飛車になりました。中盤で後手に誤算が続いたため,先手が圧倒的に優勢のまま終盤戦に。

ここで☗3四桂と飛車を取ったのですがこれが失着。☖7一香と受けられていっぺんに難しくなりました。ここは☗8六銀と角の方を取る一手でした。
先手は☗9二飛という攻めに期待したのかもしれませんが☖5二王☗7一成香☖4三王と逃げ出されて後手玉は容易には寄りません。仕方がないので☗8六龍と角を取りましたが後手は待望の☖5七角成。

どうも先手はもう諦めていたようで,☗6八金と上がったので☖7八銀と打たれてすぐに後手の勝ちになりました。ただこの局面は☗5八金左とこちらに上がる手があった筈で,これは先手玉が簡単には寄らなかったのではないかと思います。
西山女王が先勝。第二局は昨日すでに指されています。
午後は内分泌科の通院でした。病院に到着したのは午後2時10分。1月の通院のときにいったように,この日は診察が午後2時30分の予約でしたから,一応はいつもよりやや早めに病院に到着するようにしました。
中央検査室に向かったところ,8人の患者が採血を待っていました。なので先に採尿を済ませましたこの日は使用済みの注射針は持参していませんでしたから,その処理はしていません。
診察が開始となったのは午後3時20分でした。中央検査室で待機していた患者数の関係で,僕は診察の予約時間には内分泌科の受付を済ませることはできませんでしたし,それができたとしても検査の結果が出るまでには一定の時間を要しますから,これくらいの時間になってしまったのは不自然なことではありません。遅れても構わないと言われていましたので,早く到着したものの,気分はいつも通りの午後3時の予約でしたから,この時間の開始なら僕にも問題はありませんでした。
HbA1cは7.8%と,まだ高い水準にはあるものの1月よりは低下していました。HbA1cがどんなに高くても,僕は低血糖の症状が出ないということは少ないのですが,その低血糖の発症回数は減っていました。低血糖が減ってHbA1cが下がるのは,通常の血糖値の平均値が下がっている証拠ですから,これ以上ないよい傾向です。ですから注射するインスリンの量の変更はしませんでした。
ほかに異常が出ていたのはふたつ。ひとつはアルブミンで下限値の4.1g/㎗を下回る4.0g/㎗でした。これは僕には常ともいえるような異常となっていて,1月に比べれば数値は改善されています。もうひとつは尿酸で,これが下限値の3.7㎎/㎗を下回る3.5㎎/㎗でした。これは僕には初めて出た異常でした。尿酸というのは痛風の指標となる数値として有名かと思いますが,それは上限値をオーバーしている場合が問題視されます。上限値というのは7.0㎎/㎗となっています。僕の尿酸は最も高いときで5.9㎎/㎗で,4.0㎎/㎗を下回っていることも何度かありました。なので平均的にみれば元々が低い傾向だったといえるのかもしれません。