スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京ダービー&第四部定理四七

2021-06-10 19:13:14 | 地方競馬
 昨晩の第67回東京ダービー
 アランバローズの逃げで,向正面に入るあたりでリードは4馬身くらい。2番手以下はギガキング,ギャルダル,トランセンデンスの順で,この後ろはタブラオ,チサット,ジョエルの併走。さらにブライトフラッグ,マカベウス,サヨノグローリーの3頭が併走で続き,ホウヨウクリスタルが単独で追走。トーセンマッシモとセイカメテオポリスが併走でピースフラッグを挟み隊列の最後尾をトーセンクロードとワールドリングで併走。前半の1000mは62秒0のハイペース。
 3コーナーではアランバローズのリードは1馬身まで縮まりました。ギャルダルはここからもついていかれましたが,ギガキングとトランセンデンスは苦しくなり,内からジョエルが進出。直線は逃げたアランバローズと追ったギャルダル。そして外に出てきたジョエルとギャルダルとジョエルの間から猛然と追い込んできたブライトフラッグの4頭による争いに。最後まで頑張ったアランバローズが一杯に逃げ切って優勝。最後は脚色が同じになってしまったギャルダルが4分の3馬身差で2着。追い込んだブライトフラッグがクビ差の3着でジョエルが4分の3馬身差で4着。
 優勝したアランバローズ全日本2歳優駿以来の勝利。南関東重賞はその前のハイセイコー記念以来の3勝目。今年の初戦の京浜盃は逃げられずに大敗。羽田盃は逃げて2着に巻き返し,ここも逃げることによって力を出し切りました。とにかくこの馬の場合は逃げるということが現状では重要なようです。適距離はもう少し短いところにあると思いますが,逃げるためにはある程度の距離があった方が楽にはなりますので,どういう路線を歩むのかは難しいところでしょう。母の父はステイゴールド
 騎乗した船橋の左海誠二騎手は若潮スプリント以来の南関東重賞52勝目。第59回以来8年ぶりの東京ダービー2勝目。管理している船橋の林正人調教師は南関東重賞19勝目。第59回,66回に続く連覇となる東京ダービー3勝目。

 第四部定理五四備考にあるように,不安metusは社会的な意味で利益を齎すような感情affectusではあるのですが,度を越してしまえばかえって社会を分断する要素も秘めているということは分かってもらえたと思います。実際のところ不安あるいはそれと表裏一体である希望spesというのは,それ自体でみた場合には善bonumであることができませんから,不安という感情からは本来的には解放されるべきだからです。これについては第四部定理四七をみておきます。
                                   
 「希望および恐怖の感情はそれ自体では善ではありえない」。
 岩波文庫版で恐怖metusといわれている感情が,このブログでは不安といわれているということは,何度か注意を促している通りです。
 なぜ希望および不安がそれ自体では善ではあり得ないのかということは,さほど難しいことではありません。第四部定理四一にある通り,喜びlaetitiaは直接的には悪malumではなく善で,悲しみtristitiaは直接的に悪です。したがって,第三部諸感情の定義一三から,不安は悲しみの一種なので,それ自体で悪ということになり,善であり得ないことは明白でしょう。これに対して希望は,第三部諸感情の定義一二により,喜びの一種なので,直接的には善であるとみることができます。ところが第三部諸感情の定義一三説明にあるように,希望があるときには不安もまた同時にあるのです。よって不安がそれ自体では善であり得ないように,希望もまたそれ自体で善であるということはできないのです。なおこうしたことは,希望と不安にだけ該当するというわけではなく,希望および不安からの派生感情にも妥当します。かつて詳しく検討したように,安堵securitasと絶望desperatioと歓喜gaudiumと落胆conscientiae morsusのよっつの感情は,希望と不安からの派生感情でした。いい換えればこれらよっつの感情は,前もって希望と不安を感じていなければ,僕たちが感じるということがない感情でした。このうち絶望と落胆は悲しみの一種なので,直接的に悪であり,それ自体で善であることはできません。一方,安堵と歓喜は喜びの一種なので,直接的には善なのですが,希望と不安の派生感情であるがゆえに,それ自体で善であるということはできないのです。
 次に,単純な悲しみについて考えます。
コメント
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