昨年末急逝された作家の葉室麟さんの小説『天駈ける』を読んだ。亡くなって三日後の12月26日の刊行である。幕末の福井藩主松平春嶽を主人公とする小説だが、「オール読物」の2月号で、筆者の「最後の言葉」が掲載されていた。
「大獄西郷青嵐賦」と12月刊行の「天駈ける」は「これが歴史小説だ」といえるものを書いたつもりです。
西郷について思っているのは、横井小楠路線。横井小楠は、東洋の哲学――つまり儒教ですが、これを極めれば西洋の哲学に勝るとした人です。
西郷は東洋の哲学で政権交代をしようとしました。
幕末、松平春嶽や坂本竜馬とともに大政奉還、ある意味で禅譲路線でいく。江戸城の無血開城でそれを成し遂げるのです。
ところがこの段階で、薩長が権力を独占できると気づいて、最初の段階では王政復古の政府をつくる筈が薩長の官僚の支配する政府が出来上がった。
東洋哲学的な国家をつくる道もあったのに、むしろ西洋化を急いで、西洋の政治の国家を作り上げ、その外側に天皇制という枠組みを置いた。だからその後、日本は西洋と同じ侵略の道を歩む。
大政奉還の時期に西郷と橋本佐内の路線が成功すれば、日本のありようはずいぶん異なっていた。現実にはそうならないにしても、その可能性というものを書きたい。私なりの『坂の上の雲』を書いてみたい。司馬さんと違う『坂の上の雲』が書けるのではないかな。
『天駈ける』の中で竜馬暗殺についてこう述べています。
慶喜「大政奉還は春嶽殿の持論であった。それを余に行わせるため、福井藩に出入りしている坂本成る浪人を使ったのだ。坂本が薩長の尊攘派の一味であることも都合がよかったのであろう。余に政権を投げ出させ、一介の大名になったところで、薩長に打たせ、みずから新政府の首領に納まろうという春嶽殿の謀だ」
「まさか」永井尚志は息をのんだ。
「決してさようなことは」
「しかし、その坂本なる者は伏見奉行所から追われているのだろう。そなたの役宅は京都所司代のある一角ではないか。さようなところにお尋ね者の浪人が出入りしておるのを京都見回り組は見過ごしておるのか」
慶喜は当惑した永井を見つめて「その坂本成る浪人は邪魔だな」とつぶやくように言った。
「邪魔とは---」永井は慶喜の意向を測りかねた。
「邪魔とは文字通り、邪魔だということだ」
慶喜はわが意を忖度して竜馬を殺せとほのめかせたのだ。
数年前、友人ら4名と京都にドライブ旅行した。二条城前の京都国際ホテルに宿泊したが、ホテル内に橋本佐内の墓を見つけて、このホテルが福井藩邸の跡地に造られたことを知ったことを懐かしく思い起こしました。