古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

NHKスペッシャル

2017-04-17 | サイエンス
 16日夜9時からのNHKスペッシャルは面白い番組でした。
見ることの出来なかった方のため、記憶に頼って、内容を記してみよう。再放送があるでしょうから、見逃した方にはご覧になることをお勧めします。
熊本城の地震による石垣の崩壊を、4Kカメラを載せたドローンで調査したところ驚くべき事実がわかったという報告です。加藤清正の築城時の石垣は、この大地震に90%は持ちこたえたのに、明治以後補修した石垣のほとんどが大崩壊していたというのです。
 築城時の石垣は、武者返しの積み方(上に行くほど傾斜が垂直になる詰み方)をしていた。この詰み方では石はノリ面に垂直に積まれていたのに対し、補修した石垣は傾斜が直線であり、石は水平に積まれていた。前者の積み方の方が医師が新同寺外に飛び出しにくい。石垣の積み方の秘伝を伝える清正当時の古文書が見つかり、ノリ面の石の寸法の決め方が記されていたという。
 いったい何時から清正はこの詰み方を工夫できたか、清正の朝鮮出兵時(1593年)に韓国で築いた城の石垣がのこっていた。
現地に出掛けて調べると、ノリ面は直線であり、武者返しにはなっていなかった。熊本城は1599年の築城である。1593年から1599年までの6年間に何があったか?
慶長の大地震で伏見城が崩壊している。当然、清正はこの大地震を見分している。地震に耐える石垣の組み方を研究した筈だ。
石垣の武者返しは、敵兵を上らせない工夫というよりも地震対策であったという。
 更に面白い事実がある。崩壊に耐えた築城時の石垣がすべて問題なかったかというと、石垣のノリ面の一部が膨らんでいるものが発見された。
 何故膨らんだか、これを追求した古文書、細川藩当時のものが発見された。ふくらみの原因は、栗石と言う外面の石垣の背後に小さな石を多数備える仕組みになっているのだが、この石が地震の時、下方に下がってきて下がった部分の外側が膨らんできたもので、次の地震で崩壊する危険があるという。これを防止するため外側の石を大きくして外側の石の接触面積を大きくしたという。
 大きな石を調達するのは今回は困難なので、栗石の層の間に特殊なシートを挟んで栗石の低下を防止するそうである。
熊本城には、サムライの知恵が詰まっていた。平成の改修工事には、サムライの知恵に対して平成の知恵が問われるのだ。