古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

東京紀行(武相荘に行ってきました)

2016-10-04 | 旅行
  2日は7時にレストランに行きました。
ホテルの朝食に吃驚しました。入り口でトレイを渡されパンかお握りヲ取れという。セルフサービスはいいのだが、お握りを取ったらコンビニの値札がついている。飲み物は珈琲や野菜ジュースが並んでいたが、お湯のポットが置いてあり、傍にインスタントの味噌汁がある。封を切ってお湯を注いで味噌汁にする。味噌汁もお握りも味は悪くないが、ここまで人手を省くものですかね。ウェイトレスの日本語に訛りがあったから外国人らしい。一泊9200円ですから、芝大門近くの東京ど真ん中のホテルでは安い方だと誰かが言ってましたが、びっくりでした。
 8時半にチェックアウトして地下鉄に乗る、神保町で新宿線に乗り換え、新宿へ9時過ぎ。ここで小田急線に乗り換えるのですが、乗り場がわからない。オノボリサンの始まりです。なんとか小田急のホームに辿り着き、9:31の小田原行快速に乗れました。
 今日は町田の“武相荘”を見に行くつもりでした。“武相荘”に行きたいといったら、町田に住む友人のMさんが案内してくれると言うので、鶴川の駅で10時に会いましょうと約束していた。ホテルから1時間半見ておいたら余裕だろうと思っていたのですが、オノボリサンは乗り換えの度にまごつくから、10分ぐらい遅れそう。「まぁ、遅れても待ってていてくれるだろう」。
 経堂とか下北沢とか、馴染みのある地名の駅に停まる。初めて乗った電車だが、停まる駅の名はすべて知っている。何故知っているのだろう。過去に読んだ数々の小説の中で登場する地名だからです。東京は公共投資も莫大だが、知的投資も莫大なんだ。東京は、日本人の100年余りのエネルギーが蓄積された地なんだと思いました。
さて、今日の目的の武相荘“故・白洲次郎、白洲正子夫妻の邸宅を2001年ミュージアムとして公開したものです。
http://www.buaiso.com/
昭和15年、夫妻は旧鶴川村(現町田市)の農家を買い取って住いとした。
武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因んで、また彼独特の一捻りしたいという気持から無愛想をかけて名づけたようです。
新百合丘で鈍行に乗り換え二つ目の役が鶴川でした。10時5分、約束より5分遅れたがいるだろうと駅を出て見回すがいない。
電話で話したとき、「駅のどのあたりでまちあわせますか?」といったら「小さな駅ですからすぐわかりますよ」と言ったので、待ち合わせ場所は決めなかったのだが、駅の周りを一周してみたが、見えない。こういう場合、ケイタイを持っていればいいのだが、私もMさんもケイタイを持たない主義だ。
とりあえずMさんの自宅に電話したら、留守録が出たので「今駅の北口にいます。待っています」と入れて切った。北口のタクシー乗り場の前の広場のベンチに腰を下ろし30分ほど待った。タクシーが次々来るのを見ているうちに、「タクシーに乗れば待っているうちに“武相荘”を見てこれる」と思いつき、タクシーで“武相荘”に向かいました。
2㎞足らず(基本料金)で道路わきにとまり「左の坂道を上がって、あの竹藪の辺りが“武相荘”です」と運転手が言う。
入場料1050円。「中は撮影はご遠慮ください」と言うことでしたので、外部の風景で雰囲気をご想像ください。庭で武相荘をバックに記念撮影しているグループがいました。





1時間ほど見て帰る。帰りは徒歩で駅まで。途中のレストランでランチを取ったが、15分の歩きで鶴川駅に着いた。
Mさんはどうしたかな?と再度Mさん宅に電話した。
今度は奥様が出た。
「NOZUEです」。
「ごめんなさい。主人は車で出たのですが、途中体調が悪くなり、帰ってきて今、寝ています」。
彼ももう82歳になっている筈。80を越すと何が起きても不思議でない年です
「武相荘には一人で行ってきました。お大事にしてください」。
残念だが、彼に会わずに帰ることにした。
帰りは順調で、13:33の“ひかり“に乗車でき15:19名古屋着。新幹線の早くなりました。以前は名古屋・東京2間時間かかりましたが、今は1時間45分ぐらいです。
4時帰宅。2日間のオノボリサンの旅でした。