古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

縄文人に学ぶ

2013-09-20 | 読書
 先日読んだ本「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」(ジャレド・ダイアモンド著)の訳者あとがきに「(著者は)縄文時代に関心を寄せられ、次作では日本人の起源を取り上げるとのこと、早くも楽しみである」とありました。
 ダイヤモンドさんが縄文時代に関心を持つというのは面白い。自分も縄文時代の勉強をしようか、と探してみたら、「縄文人に学ぶ」(上田篤著、新潮新書、13年6月刊)という本が出ていました。
 あとがきによると、『いまから45年前のことである。
わたしは大阪万国博のお祭り広場の設計のために、京都からたびたび東京の建築家丹下健三さんの事務所を訪れた。ある日、そこで画家の岡本太郎さんにお会いした。そのとき、傍らになにやらおどろおどろしい模型があったので「これは何ですか」とお尋ねしたら、岡本さんは言下に「縄文だ!」といって黙ってしまわれた。その剣幕に驚いて、わたしはそのあと何も質問できなかった。
 これがわたしと太陽の塔、つまり縄文との出会いである。』
さらに前書きには、こうあった。
(『おもろそうし』という沖縄の歌集がある。)
『16世紀ごろに首里の王府が沖縄各地にあった「思い(うむい)」と呼ばれる民間の古歌などを集大成したものである。しかもその多くは、沖縄に稲作が入る13世紀以前に成立したものだった。
「稲作以前」ときいて私は絶句した。考えてみると、それは「沖縄の縄文時代」のことではないか?本土は早くに稲作を取り入れて弥生時代になったけれど、沖縄はなかなか稲作を取り入れず、したがってその「縄文時代」は13世紀頃まで続いた、といえるのである。』
『「沖縄にはいまなお母系制社会の遺制がある」という衝撃的な結論を考えているうちに、わたしの想像力はますます羽ばたいていった。「ひょっとすると沖縄のみならず、縄文時代と別れて2千年以上もたった現代日本も、いまなお多くの縄文文化を引きずっているのではないか?」と。』

 最終章「縄文日本の未来」に、以下の記述がありました。
 『わたしは「記紀」が好きで昔から親しんできたが、熱中するようになったのは最近である。というのは「記紀」に、母系制社会の男女の愛の形である妻問いの話がいっぱいでてくるからだ。とりわけ神話編には、イザナギ、イザナミに始まり、その子スサノオとクシナダヒメ、その子孫ヤチホコとスナカワヒメ、オオナムジトヤガミヒメ、オオクニヌシとスセリヒメ、その子ヤマサチヒコとトヨタマヒメなどオンパレードである。
 もちろんこれらは神話だからいつの時代のことかわからない。しかし、竪穴住居とおぼしき室屋や鵜の羽を葺いた産屋などが登場するところを見ると、縄文時代と考えられるものも多いのである。』
 『縄文社会以後、世はだんだん「男権社会」になり、今日、父系制社会となったが、それでも母性原理は今日の日本の母たちの胎内に残り「母系制社会」ではなくなったものの、いまなお日本を「母性社会」としている。」
 『いままでの日本人論の多くがたんなる現代日本社会の現象学的考察であったり、話がたとえ歴史に及んでもそのルーツが中近世の農耕社会であったり、古代の仏教文化であったり、神代の神道世界であったり、さらには日本列島の風土を論じたりしたものだが、「わたしの日本人論」はそのすべてを縄文時代に帰納させた。』
 『比喩的にいうと、いままでの日本人論がバラバラの箸だったとすれば、私の縄文社会論はそれらの箸を集めてその根元に「縄文」という一本の木を当て、それらを糸で束ね、さらに漆で塗り固めたものである。するとここに一個の櫛が現れた。・・「縄文櫛」である。
 そういう縄文櫛を、私は「母系制社会」だとおもっている。』

 ダイヤモンドさんが書きたいのは、「縄文」の母系制社会の原理を残した日本社会の興隆であろうか?