古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ジャパン・マスターズ

2013-07-15 | 水泳
「ジャパン マスターズ水泳大会」が今年は名古屋市で7月12日から15日まで開かれています。二日目の13日、100mバタフライに出場しました。以下、その顛末です。
 出場予定時刻が17:51とのことで、午後、家を出て日本ガイシプールには、1時40分には着きました。入り口で、顔写真入りの選手IDカードの提示を求められた。こんなことは水泳大会で初めて。ボストンマラソンのテロの影響かな?
出場まで時間があるので、2時から開かれる「安全クリニック講演会」を聞くことにした。
 「耳鼻咽頭科と水泳」というテーマで、愛知県がんセンター中央病院 頭頸部外科の福田裕次郎先生が講演された。パソコンに保存された画像を次々スクリーンに映しながら1時間ほど話された。画像が珍しいので、あっという間に1時間が過ぎた。お年寄りが入れ歯を誤飲した写真もあった。
「メニエール病はとても有名ですが、患者数はそれほど多くない」。
「耳鼻科は首から上で、脳と目以外のすべてが対象領域です」という。では歯はどうかな?
確かに耳鼻科と言うと耳と鼻だけみたいに感ずるが、もっと範囲が広いらしい。甲状腺がんの写真も見せてくれた。がんが専門の病院の先生、舌のがんの写真も見せてくれる。
 3時過ぎ、アップの練習をしようと、更衣室に行ったら、超満員でロッカーが空いていない。まぁ盗難もあるまいとバッグに衣服も靴も入れて更衣室の片隅に置いた。サブプールへ行くと、これがすごい混雑。まさに芋を洗うという状況だ。平泳ぎで300mほど泳いだら、HANAI先輩がやってきた。
「こういう時でないと、あんたに逢えないなぁ」と言う。「平泳ぎを泳がれるんですか」、「うん、今泳いだところ」
 「えっ、もう済んだのですか」。平泳ぎの次はバタフライだから、行かなくちゃ、でもまだ4時前だ。
「女子の平泳ぎは終わってるのですね」
「いや、男女一緒にやっている。片方から男子が飛び込み、別の方から女子が飛び込むんだ」。そういう大会は初めて。とにかく行ってみようと、400mでアップを切り上げ、競技プールに行った。
 女子50m平泳ぎが北側の飛び込み台から飛び込みゴールすると、すぐ南側の飛び込み台から男子選手が飛び込む。人数が多いので少しでも進行を早くする仕組みである。電光掲示板も二つに割って、男子、女子の選手名が掲示されている。50m平泳ぎは参加人員が多い種目だから、男女合わせて1000人以上が次々に飛び込む。終るまでに2時間近くかかった。
 だんだん出場時刻が近づくので、招集所の近くに行くと「NOZUEさんですね」と声をかけられた。「誰だったかな?」と思ったら「TAKESITAです」、「あ、ご無沙汰しています」、「SEYAMAからお会いしたらよろしくとのことでした」。
 D社の後輩のお義兄さんだ。
バタフライ100mが始まった。これも片方から女子、反対側から男子が飛び込む。
1組8コースだった。9コースは四日市のGOTOUさんだ。「お久しぶりです」。
 予定時刻ぴったり、5時51分飛び込み台に立った。
何回泳いでも、この瞬間はドキドキする。「向こうまで泳いで帰ってこられるかな」、「毎日練習したんだから絶対泳げる」と自身に言い聞かせる。スタートの笛で飛び込む。飛び込んでしまえば、もう考えることはない。前へ、前へと行くだけ。50mターン、だんだん息が荒くなる。「頑張るんだ!」。時々1掻き1呼吸になるが、ほぼ2掻き1呼吸でフィニッシュした。恥ずかしいぐらい息が荒い。9コースがかなり遅れているが、80歳を過ぎているとやはりきついのだろう。
 観客席から拍手と大歓声、「セイノ・・セイノ」と、遅れた9コースへの大声援!80歳を超えて100mバタを泳ぐきつさは、水泳をやっている人は皆知っている。
 プールを上がり、サブプールへ行き、200mダウンで泳いだ。「NOZUEさん、お疲れ様!」。声がかかるので見ると、バタフライのスペッシャリスト、OHSAKIさんだ。彼もレースを終わったところらしい。「あぁ、どうも」挨拶してから、上がる。着替えしてから、速報板を見に行く。男子100mバタの75歳区分で、小生は5位、2分46秒92と出ていた。やはり、ジャパン・マスターズはレベルが高い!75歳区分と80歳区分で各5名が出場している。

8位までメダルをもらえるということなので、メダルの交換所に行く。名古屋を記念してか金シャチをデザインした黒色のメダルだった。全日本の大会なのだから、5位でも満足しなければ!
 昨年11月に転倒で右肩の棘上筋を痛めてから、2.5か月ぐらい肩が後ろに回らなくなり、泳げなかった。その後遺症で、100mで20秒くらい遅くなった。だから今大会は200mはパスしたのだが、少しは持ち直してきたようだ。
 6時半、会場を辞去、7時20分帰宅。以上、初のジャパン・マスターズ出場記です。