古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

寺島さんが語る3.11後

2011-08-29 | 読書
 以下、寺島実郎著『世界を知る力】(PHP新書)の飲酒に残った論点二つです。
3.11の衝撃の中で、じっと日本人の魂の機軸を見つめてみると、絶対他力という思想の親鸞を通してさえ見えてきたのが、「自力自尊」という価値の大切さである。以下、二つの面から述べる。

最初に「脱原発」について考えてほしいことがある。
IAEA(国際原子力機関)で「世界の核査察予算の3割は日本で使われている」と聞かされて、意表をつかれた記憶がある。核査察といえば、最近ではイラク、北朝鮮、そしてイランといった、米国が「ならず者国家」呼ばわりする国に対して行うような印象があるが、そうではない。核保有国ではないが、原子力に関する基盤技術があり、核兵器への転用が容易であると思われる国こそ、核査察が必要で、その代表格は日本である。
6ケ所村の核燃料再処理工場にはIAEAの専門家が3人常駐しているし、日本中の原発には、「ブルーシール」が貼られた、日本人が触れてはならない監視カメラが24時間稼動している。世界は日本の核武装を疑っているのである。
つまり、原発の技術は原爆の技術に通ずる。原発を持つ国は直ぐ原爆を作れるのだ。日本は原爆を作ろうとすれば作れる国と、世界から見なされている。
その日本が原発を止めるということは、唯一核の技術を持ちながら核兵器を持たない国が、核の技術から離脱することを意味する。核兵器を持つ国々にのみ、核の技術が所有されることはのぞましいことだろうか?

次に日米関係である。
3.11後の「トモダチ作戦」で1.5万人の兵士を送り込んで救援活動に当った米軍への感謝の気持ちで日米関係は良好になったという。震災後の日本に対し多くの米国人が優しさと思いやりに満ちた同情と激励の言葉をかけてくる。
しかし、ペリーの来航以来160年の日米関係を深く考察すると、米国の表情の背後に「抑圧的寛容」とでもいうべき本音が横たわっていることに気付く。
打ちひしがれて失意の中にある者への米国人の寛容さと思いやりは感動的ですらある。ところが力をつけ自分を凌駕するかも知れない存在に対しては、底知れない猜疑心と嫉妬心に燃え、なんとかして抑圧しようとする意識が燃え盛るのも米国の性格である。
もし、幕末の志士が今日の時代にタイムスリップしたなら、彼らは何を思うか?
 65年前の敗戦という事実はともかく、同盟の名の下に外国の軍隊がこの国に半世紀以上も駐留している現実を知って驚くに違いない。
「なぜ外国の軍隊が駐留しているのだ!しかも65年間もの長きにわたって。なぜ、そんなことを許しているのだ!日本人は独立心さえ失ったのか!」
 世界を見渡したとき、敗戦から65年間も経つというのに戦勝国の駐留を認め、根本的な基地の地位協定すら改定しようとしない国は、独立国とはいえない。それが世界の常識だからである。
 3.11からの復興や創生に向けて、日本人としての思考を再起動させるものを問い詰めていくと、戦後日本がいつの間にか見失ったものに気付かされる。それを主体的に筋道をつけて取り戻さないかぎり、日本の未来は拓けないと思われるのである。その象徴的課題が、ほぼ占領軍のステータスを維持したままの米軍基地の存在であり、冷戦が終わって20年が経過し、世界が大きく変化しているにもかかわらず、依然として米国への過剰依存と期待で、この国の安全保障を確保していこうという巨大な虚構が存在し続けている。
 
5月4日、朝日新聞が「米軍グアム移転費水増し日本の負担軽減装う流出公電」というスクープ記事を報じた。わたしは、報じている中身よりも、「約25万点の米外交公電を入手した内部告発サイト『ウィキリークス』から、朝日新聞が日本関係の公電約7000点の提供を受け、分析する過程で判明した」といった事実に強く反応した。日本の外交官や防衛官僚のなかには、自国の「自立自尊」などは二の次と考える人が、かくも多く存在するということを物語っているからだ。(お暇がありましたら、図書館などで、5月4日の朝日を見てください)

ウィキリークスが暴き出したのは、この巨大な虚構の構図が憶測でなく、否定しがたい事実だということだ。清朝末期の亡国官僚にとって「大英帝国」がすべての秩序の機軸であったごとく多くのエリート防衛、外務官僚にとって「米国のいままでどおりの駐留」は自明であり、そのために自国の利益を失うことに罪の意識などないのだ。

政権交代後の民主党政権の罪深さは、世界がどう変化しようが、「結局、日米同盟は今までのままでいい」として、現状の見直しと変更を放棄したことである。