古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本はTPPに参加すべきか

2011-02-13 | 経済と世相
 2月9日の中日新聞に朝刊で、松原隆一郎東大教授が、夕刊に評論家の関ひろやさんがTPPを論じていました。最近、TPPが新聞でもTVでも話題になっています。

 菅首相が「平成の開国」と、意気込んでTPPに熱心のようですが、民主党のマニュフェストにTPPって、一言もかかれてなかった。一体、TPPが話題になってくるのは何時からか?調べたくなり、県図書館に出かけ、朝日新聞のデータベースを検索しました。

 時期別に、TPPが登場した件数は、

09年9月以前      0

09年10月~12月   2件(*1)

10年1~3月      2件

10年4~6月      0

10年7~9月      1件(*2)

10年9~12月   423件(*3)

11年1月~     197件

*1:09/11/15  オバマ大統領がTPP参加の意向を表明

*2:10/9/20   大畠経済産業相がTPP参加に意欲

*3:10/10/02  菅総理所信表明演説でTPP参加を検討する。

というわけです。

 さて、中日新聞の松原教授の「TPP参加問題を考える」というご意見。

TPPは輸出の振興を目的とするのだろうが、輸出は先進国の国策たりえない(この点は私の修士論文と同じ結論)と説く。

『2003年からの5年間は、輸出で景気が回復したではないか、と反論するかもしれない。実はその間、日米間で金利が5%もあった。それゆえ日本企業は輸出してドルを得てもせっせと米国債を買い込み、金利の高い米国で運用していた。円に換えても円高になるし、運用しようにもゼロ金利だったからだ。そしてリーマン・ショックの後には金利差が消えたために円に換金されたからだろう、一気に円高になってしまった。

 結局のところ、輸出できていた時期にも得た資産は国内では運用されず、還流が始まると円高で輸出が妨げられたのである。輸出は、そもそも先進国にとっては国策になりえないのだ。

 それでもなお「国際競争力」の躍進をめざしたのが構造改革だったが、景気が良い時期にも労働者の所得は減ってしまった。収益は株主に回ってしまったのだろう。結局のところ、構造改革とは、輸出大企業の株主と米国債に利する策だったということになる。

 (企業は)国内の消費者の審判を受けるような製品の開発競争に先進すべきであろう。

 日本の平均関税率が十分に低いのだから、わざわざ米豪の都合に合わせる必要はないと思う。(以上、詳細は拙著「日本経済論」、NHK出版新書)』

 次は夕刊の関さん。

 『今年の日本はTPPに参加するかどうかの問題で大きく揺れそうだ。この協定は間税や規制などでの各国の自主権を否定し完全な国境なき経済を目指すものなので、参加した場合には日本経済の急激な変化が予想される。

 国連などの統計によると、日本経済の輸出依存度はこれまで高かった年でも17%、貿易がGDPに占める割合は世界170国中で164番目である。つまり日本は米国やブラジルと並んで貿易の役割が極めて小さい内需中心経済の国なのである。

 先に菅首相はTPP参加を念頭に今年を「開国元年」と宣言したが、この開国は善、鎖国は悪という発想はペリーの黒船が日本を強引に開国させて以来の米国に対する劣等感の産物である。

 私にはこの米国の論理に対する日本の自信のない対応が理解できない。現在日本は技術では米国に勝るとも劣らず経済では米国に対する大債権国である。円高は日本の実力の指標である。そして治安の良さや細やかなサービス精神など多くの点で日本の社会はエゴ剥き出しの米国社会より優れているように思う。・・・

 90年代のバブル崩壊以来欧米のマスコミは日本の衰退や没落を騒ぎ立ててきた。だがリーマン・ショック以後、欧米諸国の破綻に比して日本の社会が相対的に安定していることが注目され始めた。最近は、「日本は世界に先駆けてゼロ経済成長、人口減少のポスト工業化段階に入り、社会の転換にある程度成功した国ではないか」という論調も出てきている。常に創造的革新的だった自国の伝統を学び直すべき時である。その意味で、TPP論議が日本人が静かな自信を取り戻すきっかけになることを願ってやまない。』