古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

丸亀への旅

2008-02-04 | マラソン
 第62回丸亀マラソン出場の旅に出かけました。
 62回ということは、戦後すぐ(昭和22年)に始まったということで、私の出場したマラソン大会でもっとも伝統のある大会です。
7年前と11年前に出場し、今回が3回目です。

 2日、8時10分名古屋駅から「新快速 米原行き」に乗車しました。

「新快速」って、「新幹線」でないの?と思われるでしょう。年初来、株価が暴落し小生の資産価格も評価損が大きく、経費節約の必要を感じて、行きは在来線にしたのです。昨年末この大会にエントリー(申し込み)した時は、在来線で行くとは思ってませんでした。サブプライム・ローン・ショックです。

 米原駅で9:22の姫路行新快速に乗り換えます。9:22に着いたので、向かい側ホームの電車に飛び乗り。あわてなくても良かった!同じJRですから、客の乗換えが終わるのを待ってくれて発車しました。

 姫路には、11:26着。ここで20分ほど乗り換え時間があったので、トイレを済ませ駅弁を買い込んで、各駅停車の播州赤穂行き。ここから直接岡山行きは出ていないのです。

 途中「竜野駅」に止まります。ここは「うすくち醤油」発祥の地とか。私の記憶では「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・」を作詞した詩人の郷里です。

 次いで「相生」です。ここで岡山行きの新快速に乗り換え。これまで10両編成の列車だったのが、3両編成になったので、急に田舎に来たような感じでした。

 1時半、岡山着。これで、ひかり特急券代を節約、今夜の夕食代が浮きました。

 高松行きのマリンライナーに乗車。岡山を出ると車窓から見る路面がぬれています。

「雨が降り出した」。今から降り出せば、明日のマラソンまでには上がるだろう。

でも、瀬戸大橋を渡るとき、視界が悪くて、折角の眺めが観られませんでした。


 瀬戸内海にかかる3本の橋を、人力で(車や電車でなく)渡ったことがあるというのが小生の自慢です。
 瀬戸大橋は15年前「瀬戸大橋開橋5周年記念」の「大橋を渡るウオーキング」なるイベントがあって、鷲羽山側から坂出北ICまで3時間20分かけて歩きました。橋の真ん中に行くと、風がものすごく強くて、身体を斜めに倒さないと、まっすぐ立っていられない。海の上は風がつよいものなんだな、と思ったことを覚えています。

 今年も20周年で4月13日に20周年のイベントがあるそうですが、橋を渡りきるのでなく、最初の島まで歩いて戻ってくるそうです。

 明石海峡大橋は、橋が出来た時、神戸側から淡路島までを折り返す記念のハーフマラソン大会がありました。走って橋を往復したのは、かれこれ10年前です。

 「しまなみ海道」を今治から尾道まで、およそ80km、レンタル自転車で走破したのは、4年前の秋でした。

 坂出で琴平行きに乗り換え、2時38分丸亀に着きました。ここまで名古屋から6時間半。運賃は4730円(ジパング料金)、1時間当たり約730円で旅を楽しめたから、ずいぶん値打ちだ。

 大会事務局紹介の宿を予約したのだが、送られてきた略図だと、ホテルは駅と丸亀城の中間あたり。傘をさしてお城の方角に歩き出す。

 「この辺で町の人に聞いてみようかな」と思ったとき目の前にホテルはあった。
 3時チェックイン。ビジネスホテルにしては、ゆとりのある部屋でした。

 時間があるから、お城でも見てこようかな、と外出した。雨の中6~7分歩いたらお城の大手門。仰ぎ見ると、石垣は素晴らしく、巨大(60m、日本一の高さだそうだ)。だが天守閣は木造で、かわいいといって良いほど小ぶりです。

 本丸に登る坂道はかなりの急坂(「見返り坂」という)、「登りは良いが下りはつんのめりそうだ」と思う。
 5~6人の若者グループが、雨中をランニングで登っていく。明日のマラソンの練習かな?
 残念ながら、天守閣は年末から2月末まで休館で、入場できない。

 駅に戻って、食堂街(というほど店は多くないが)夕食を取ってからホテルに帰った。(続く)