古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

続・自己責任

2004-10-11 | 経済と世相
 住専問題は不良債権問題のはしりでした。「不良債権問題」って、要するに借りた
金が返せないという話でしょう。だから、借りた人と貸した人の間の問題、民間の問
題です。民間の問題に、何故、お上が乗り出し、公的資金をじゃぶじゃぶ使うんで
しょう。
「民で出来ることは官でなく民がやる」というのが、小泉さんの基本方針だった筈で
す。
 もし、借りた人、貸した人の話がつかない時は、裁判で決着する。つまり、その時
登場するお上は行政でなく、司法でしょう。
 それに、公的資金は、その出所は税金だから、最終的には一般国民が負担すること
になる。国民が、不良債権を作ってくれと頼んだわけではないのに、何故、国民が負
担しなくてはいけないの(来年から大増税が始まるのは必至!)?これこそ、貸した
銀行と借りた企業の<自己責任>で始末するのが当然です。
 イラクの「人質救出に税金を使うな」という話がありましたが、無能な金融機関救
済の公的資金投入や、ドルを買いささえるための30兆を越す米国債の購入などに、
どうして税金を使うことに国民は抗議しないのか。
 どうやら、この国では、<自己責任>を追求されるのは、しもじもだけであって、
エリートは追及されない!メガバンクの経営者や、今話題になっている「一億円献金
問題」。一番トップの「記憶にない」方々は、起訴されなくて、下働きの事務屋や落
選した(しもじもになった)元議員が起訴される。
 大体、一億円もらって直ぐ記憶になくなる人がいるってことが、しもじもには理解
できない!
 こうしたことになる原因について、桜井さんは、次の仮説を提出されています。

<自己責任>とは、私事は自分の責任で処理しなさい、公的なことなら、税金(国
民の金)を使うこともやむを得ない、という意味と考えられます。ですから、何が私
的であり、何が公的であるかの判断が<自己責任>を論ずる前に必要になる。
 その判断基準が、どうもおかしいのでは、と桜井さんは言うのです。
 どうやら地位の上の人が行うことが公で、地位の低い人の行為は私と考えているの
ではないか?
 そういう考え方が一般的な社会では、法律は上意下達の秩序を維持する手段になっ
てしまう。法を守ることを強要されるのは、もっぱら下の者で、為政者にはルーズ。
小泉さんは、憲法もイラク特措法も無視して自衛隊をイラクに派遣することに罪悪感
を感じていない。・・・政治資金規正法の遵守など、元首相は、自分には関係ないと
思っているらしい。

 日本社会での「公と私」の概念の曖昧さが、<自己責任>議論の背後にある。この
桜井さんの指摘、首肯すべきものがあると、感じ入りました。