古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

隠居のすすめ

2004-02-29 | Weblog・人生・その他
【隠居生活は実に面白い。
こんなに隠居がオモシロイものならば、もっと早くに隠居すれば良かった。
まったくもって、時間を無駄にしてしまったものだ。】
 このくだり、思わずにやりとしました。貴兄もこうした心境になられましたか。
私は退職の翌日、そう思いました。
 以下は貴兄のメールに触発され、私のデータベースから引き出した隠居の心得、ないし発想です。
【この歳になって言えることは、学校のときの成績の良し悪しなど、爪の垢ほどの違いでしかない。学歴や、運、不運の差でできた社会的地位の差も、それほど大きくはない。大きな差を作るのは、健康と配偶者の良し悪しである。
(配偶者)美人だの家に金があるだのというのは、結婚するときは問題になっても、70を過ぎれば、やはり配偶者は達者で、機嫌よく一緒に暮らしてくれる人が良い。
(健康)早死にした人を見ると、ある共通点がある。それは人間の部品には出来のよいのと、出来の悪いのがあって、その良い部分の能力のベースで働いていた者は、出来の悪い部品の故障が命取りになっている。
 頭の良い者は、弱い肝臓が足を引っ張り、筋肉の発達している男も、腎臓という意外な弱みにつまずく。アキレス腱というが、肉体の弱点を、人は十分に知っておくべきであろう。】
(作家・三浦朱門氏 ’98・12・7中日夕刊より))
【人間が能力に振り回される根底には、「能力というものは発揮しないと損だ」というケチクサイ考え方がある。(「持っている金は使いきってから死なないと損だ」という考えに似ている)
 この考え方をさらに進めて、与えられた能力を最大限に発揮することが人間のつとめであるし、それが実現されることが、人間の幸福だ、と考える人もいる。
 しかし、(この考え方が誤りであることは)例えばスリの天才はスリにならなくてはならないだろうか(と考えてみれば分かる)。】(土屋賢二・お茶の水大教授「棚から哲学」より)
 自分は、現役時代、十分に能力発揮の舞台が与えられなかったと悔やまれる方、土屋先生の言葉をかみしめてください。

 いずれにしても、「もっと早くに隠居すれば良かった」と考える生活が出来るかどうかは、隠居した時、自分がやってみたいことが何か?が分かっていることが必須だと愚考します。